EYE PATCHES IN HOLLYWOOD & CATARACT
EYE PATCHES IN HOLLYWOOD & CATARACT
9月25日、白内障 CATARACT の手術をしました。経験者は
「ほんの15分、終わると世界がびっくりするほどに明るく、綺麗に見えるようになる」
と軽く言いますが、私にはその他に既往症の
Epiretinal Membrane ( 目ん玉の裏側の粘膜がよじれている症状)があるので、眼科のお医者様、ドクター ツー
(Dr. Tu 杜)に、「すっかり良くはならないでしょうが、今よりはずっとマシ」と言われて、実は昨年予定をしたのですが、メガネを全とっかえしなければならないと言われて、約20個も持っているのを諦めるのももったいない、とやめたのでした。と言うのは言い訳で、本当は目玉に触られるのが恐ろしいというのが本音です。
手術日の2日前から2種類の目薬の点滴を1日4回、手術の前夜12時から絶食、水もダメ、と大手術の準備そのものです。
当日はまず髪のキャップと靴カバーをはめ、寝台に横たわると、まず左の薬指にプラステイックの板を付けられ、ここから電気コードが出ています。次は点滴用の静脈注射、胸と腹部には心電図用のパッチが張られ、電気コードがいろいろと取り付けられて、まさに心臓手術並の完全準備。
ドクター ツーが来て、マジックで右の額にバツじるし、大病院でのエラー防止の原始的マークです。
看護婦さんも3人ぐらい周りをウロウロして、麻酔がかりの人たちと一緒に「名前は?生年月日は?どっちの目?」といちいち同じ質問をしていきます。
寒いと訴えると世話係が電気毛布を掛けてくれました。この女性は長い爪がご自慢のようで、そのために私のブラウスのボタンが外せず、自分で外すはめに。何のためのお世話係なのか、アメリカならではの個人主義優先の美容意識なのでした。
寝台車に寝かされて、手術室に運ばれる時は天井の電気だけが見えて、まさに「ベン ケーシー」(大昔のテレビドラマ)そのもの。
手術室の寒いこと!何も言わなかったのにもう1枚、電気毛布がかけられました。お医者様も看護婦さんも半袖なのは、燃えて挑戦する仕事のせいなのでしょうか?
まぶしい照明の下で、顔に暖かくした、大きなプラステイックの厚いふきんみたいなものがかけられます。右目のところに穴が空いていて、「目を開けていて下さい」と言われ、ここからまぶしい光の中で、ピンク色の指のようなものがうごめいているのが見えますが、これが先生の指なのか、自分の目の中の臓器なのかは判明できず。シュールな色彩のビデオアートのようでした。
約20分ぐらいのオペレーションだったと思います。
お医者様の言葉はよく聞こえますが、痛みは全くなし。歯医者さんの麻酔の方が痛いと報告しておきましょう。
終わるとまた運ばれて、手術室を出て、元の準備室へ。ローズという年配の看護婦さんが「りんごジュース?それともクランベリー?」と聞くのて、りんごを頼むと、お弁当につける小さな紙のパックにストローをさしてくれました。
冷たくて美味しくいただきました。
10分ぐらい休んで、もろもろの菅や電気コードを外され、車椅子に移されて、待合室へ。
私のハンドバッグを持足されて、待機していたハンスは、すでに連絡を受けて車の玄関口に移していたので、そこに運ばれます。
家に戻って、なんともアメリカちっくなテープを巻かれた状態を記念写真用にと撮りました。
このプラステイックのアイ プロテクションは翌日の検査まで外せません。3種類の目薬を2分間間隔を置いて 1日 4回、点滴するときは外すのですが、そのうちテープの粘着力が弱くなってうちにあるセロテープで補強する始末。
翌日26日のポスト サージェリー チェック(術後検査)では、全てオーケーとドクター トウに言われてホッとします。アイマスク(?)は夜寝るときのみ1週間つけてくださいと今回はちゃんと新しいテープもくれました。
そして、しっかりと 禁止事項、
水泳、
過激なエキササイズ、
ホットタブ、
頭を激しく動かすこと、
かがむこと(前かがみは禁止、しゃがんで物を取ること)
シャワーは目に水を入れないように、
アイメーク1週間ダメ。
明るいところでは黒メガネ着用1年間!
今のところは守っていますが、アルコーヅはダメとは言われなかったので手術の夜からワインを飲んでいます。そうしたら日本の友人が1週間はアルコール禁止と言われたと警告してくれましたが、時すでに遅しです。
手術後2週間は4回の3種類の点眼、そのあとの1週間は2種類、そのあとは薬が切れるまで、とかなりアフターケアが続きます。
最初は軽く考えて10月2日からのアトランタ取材旅行 (大好きなベネデイクト カンバーバッチのインタヴューもあるのです!)に行くつもりでしたが、飛行機はどうかなと考えてキャンセル。
結果はと申しますと、今まで、遠くが全く見えなかった右目を主に読むことに使っていたのが、今は遠くが見えるようになったものの、文字は全く見えない! というわけで、母の形見の拡大鏡を使って新聞や携帯を読む始末。
右目の景色は妙にキラキラして、ブルーがかっていて、右目を瞑ると左目のもっと落ち着いた色調の景色が見えます。
ちょっと違和感があって、何しろ今まで見えなかった遠くが見えるので、コンタクトレンズを入れっぱなし、という気分です。外して、もとの目にして、読書をしたいのですが。
あまりに不便なので近所のデパートで老眼鏡のメガネを買ってきました。
新しい度のメガネは1ヶ月ぐらい待って、脳細胞と目玉の連結機能が定着してきたら作りなさい、と言われたので、当分、このバランスの悪い状態で我慢しなくてはなりません。今までの右目でなんでも読む、という習慣がひっくり返って、非常に不便!というのが素直な感想です。
というわけで、これから手術を受ける方へのいい加減な手引きとしました。
同時にちょっとだけ探ってみたハリウッドのアイパッチの有名人も載せてみます。
一応1日だけでもハリウッドのアイパッチ族の仲間入りをしましたし。
まずジョン フォード(1894−1973)
事故で損傷した目の眼帯をせっかちで早く外しすぎて失明したとか。
それから ラオール ウオルシュ(1887−1980)
1928年車の前にジャックラビットが飛んできて、そのために眼球を損傷したためですと。
フリッツ ラング (1890−1976)
若い頃はスタイリッシュなモノクルでした。
ニコラス レイ (1911−1979)
一時、美人女優のグローリア グラハムと結婚していて、 その時の映画の1ショットが、目の手術後でしたので、グッドタイミングと使用しています。
サミー デイヴィス ジュニア (1925ー1990)
9月25日、白内障 CATARACT の手術をしました。経験者は
「ほんの15分、終わると世界がびっくりするほどに明るく、綺麗に見えるようになる」
と軽く言いますが、私にはその他に既往症の
Epiretinal Membrane ( 目ん玉の裏側の粘膜がよじれている症状)があるので、眼科のお医者様、ドクター ツー
(Dr. Tu 杜)に、「すっかり良くはならないでしょうが、今よりはずっとマシ」と言われて、実は昨年予定をしたのですが、メガネを全とっかえしなければならないと言われて、約20個も持っているのを諦めるのももったいない、とやめたのでした。と言うのは言い訳で、本当は目玉に触られるのが恐ろしいというのが本音です。
手術日の2日前から2種類の目薬の点滴を1日4回、手術の前夜12時から絶食、水もダメ、と大手術の準備そのものです。
当日はまず髪のキャップと靴カバーをはめ、寝台に横たわると、まず左の薬指にプラステイックの板を付けられ、ここから電気コードが出ています。次は点滴用の静脈注射、胸と腹部には心電図用のパッチが張られ、電気コードがいろいろと取り付けられて、まさに心臓手術並の完全準備。
ドクター ツーが来て、マジックで右の額にバツじるし、大病院でのエラー防止の原始的マークです。
看護婦さんも3人ぐらい周りをウロウロして、麻酔がかりの人たちと一緒に「名前は?生年月日は?どっちの目?」といちいち同じ質問をしていきます。
寒いと訴えると世話係が電気毛布を掛けてくれました。この女性は長い爪がご自慢のようで、そのために私のブラウスのボタンが外せず、自分で外すはめに。何のためのお世話係なのか、アメリカならではの個人主義優先の美容意識なのでした。
寝台車に寝かされて、手術室に運ばれる時は天井の電気だけが見えて、まさに「ベン ケーシー」(大昔のテレビドラマ)そのもの。
手術室の寒いこと!何も言わなかったのにもう1枚、電気毛布がかけられました。お医者様も看護婦さんも半袖なのは、燃えて挑戦する仕事のせいなのでしょうか?
まぶしい照明の下で、顔に暖かくした、大きなプラステイックの厚いふきんみたいなものがかけられます。右目のところに穴が空いていて、「目を開けていて下さい」と言われ、ここからまぶしい光の中で、ピンク色の指のようなものがうごめいているのが見えますが、これが先生の指なのか、自分の目の中の臓器なのかは判明できず。シュールな色彩のビデオアートのようでした。
約20分ぐらいのオペレーションだったと思います。
お医者様の言葉はよく聞こえますが、痛みは全くなし。歯医者さんの麻酔の方が痛いと報告しておきましょう。
終わるとまた運ばれて、手術室を出て、元の準備室へ。ローズという年配の看護婦さんが「りんごジュース?それともクランベリー?」と聞くのて、りんごを頼むと、お弁当につける小さな紙のパックにストローをさしてくれました。
冷たくて美味しくいただきました。
10分ぐらい休んで、もろもろの菅や電気コードを外され、車椅子に移されて、待合室へ。
私のハンドバッグを持足されて、待機していたハンスは、すでに連絡を受けて車の玄関口に移していたので、そこに運ばれます。
家に戻って、なんともアメリカちっくなテープを巻かれた状態を記念写真用にと撮りました。
このプラステイックのアイ プロテクションは翌日の検査まで外せません。3種類の目薬を2分間間隔を置いて 1日 4回、点滴するときは外すのですが、そのうちテープの粘着力が弱くなってうちにあるセロテープで補強する始末。
翌日26日のポスト サージェリー チェック(術後検査)では、全てオーケーとドクター トウに言われてホッとします。アイマスク(?)は夜寝るときのみ1週間つけてくださいと今回はちゃんと新しいテープもくれました。
そして、しっかりと 禁止事項、
水泳、
過激なエキササイズ、
ホットタブ、
頭を激しく動かすこと、
かがむこと(前かがみは禁止、しゃがんで物を取ること)
シャワーは目に水を入れないように、
アイメーク1週間ダメ。
明るいところでは黒メガネ着用1年間!
今のところは守っていますが、アルコーヅはダメとは言われなかったので手術の夜からワインを飲んでいます。そうしたら日本の友人が1週間はアルコール禁止と言われたと警告してくれましたが、時すでに遅しです。
手術後2週間は4回の3種類の点眼、そのあとの1週間は2種類、そのあとは薬が切れるまで、とかなりアフターケアが続きます。
右手が点滴の管の後、左の白いテープは名前生年月日など、赤いテープには アレルギーありと書かれてあります。 |
2017年9月25日誇り高きハリウッドあいパッチの仲間入り。 |
点滴(ネットから)とこの他に薬指にコードがつけられました。 |
最初は軽く考えて10月2日からのアトランタ取材旅行 (大好きなベネデイクト カンバーバッチのインタヴューもあるのです!)に行くつもりでしたが、飛行機はどうかなと考えてキャンセル。
結果はと申しますと、今まで、遠くが全く見えなかった右目を主に読むことに使っていたのが、今は遠くが見えるようになったものの、文字は全く見えない! というわけで、母の形見の拡大鏡を使って新聞や携帯を読む始末。
右目の景色は妙にキラキラして、ブルーがかっていて、右目を瞑ると左目のもっと落ち着いた色調の景色が見えます。
ちょっと違和感があって、何しろ今まで見えなかった遠くが見えるので、コンタクトレンズを入れっぱなし、という気分です。外して、もとの目にして、読書をしたいのですが。
あまりに不便なので近所のデパートで老眼鏡のメガネを買ってきました。
新しい度のメガネは1ヶ月ぐらい待って、脳細胞と目玉の連結機能が定着してきたら作りなさい、と言われたので、当分、このバランスの悪い状態で我慢しなくてはなりません。今までの右目でなんでも読む、という習慣がひっくり返って、非常に不便!というのが素直な感想です。
というわけで、これから手術を受ける方へのいい加減な手引きとしました。
同時にちょっとだけ探ってみたハリウッドのアイパッチの有名人も載せてみます。
一応1日だけでもハリウッドのアイパッチ族の仲間入りをしましたし。
まずジョン フォード(1894−1973)
事故で損傷した目の眼帯をせっかちで早く外しすぎて失明したとか。
それから ラオール ウオルシュ(1887−1980)
1928年車の前にジャックラビットが飛んできて、そのために眼球を損傷したためですと。
フリッツ ラング (1890−1976)
若い頃はスタイリッシュなモノクルでした。
ニコラス レイ (1911−1979)
一時、美人女優のグローリア グラハムと結婚していて、 その時の映画の1ショットが、目の手術後でしたので、グッドタイミングと使用しています。
サミー デイヴィス ジュニア (1925ー1990)
サミー デイヴィス ジュニア |
二人のジョン、ジョン ウエイン と ジョン フォード |
サミー デイヴィス ジュニア |
マリリン モンロー と サミー デイヴィス ジュニア |
左から、トニー カーテイス、ジェフ チャンドラー、サミー デイヴス ジュニア |
グローリア グラハム |
フリッツ ラングの若い時はモノクル。 |
ニコラス レイ |
サミー デイヴィス ジュニア |
ラウール ウオルシュ |
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