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LENA HEADEY

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LENA  HEADEY 英国領、バーミューダ BERMUDA の 首都ハミルトン HAMILTON に1973年10月3日に生まれたレナ ヘデイは「ゲーム オブ スローン」GAME OF THRONE の サーセイ ラニスター CERSEI LANNISTER 役で知られています。 父親は英国人の警官でヨークシャー YORKSHIRE で働いた後、ハミルトンに派遣されて駐屯していた時に生まれ、5歳までバミューダに住み,それから英国はサマーセット SOMERSET州に移り、バレーを始めたそう。 バーミューダには一度も帰ったことがないと話していました。ロイヤル ナショナル シアターに入団、バレーは後に断念して女優を目指します。1992年が映画デビューで「ウオーターランド」WATERLAND「サマーハウス」SUMMER HOUSE 「ザ クローゼス イン ザ ワードローブ」THE CLOTHES IN THE WARDROBE にちょっぴり顔を出しました。 注目を浴びたのは「ザ ブラザース グリム」THE BROTHES GRIMM(95)でマット デーモン MATT DAMON や ヒース レジャー HEATH LEDGER たちと共演した時。翌年の「300」(06)では女王の役、どことなく威厳がある雰囲気が後に「ゲーム オブ スローン」でも生かされています。 最近は「ビーコン23」BEACON 23 (23−24)というTVシリーズでレギュラーの役を演じていますし、企画も5本と忙しいスケジュールをこなしているよう。 07年に最初の結婚、2010年に息子が誕生、13年に離婚、2022年にアメリカ人の俳優、マーク メチャカ MARC MECHACA(面白い名字です)と再婚、彼との間にも子供が生まれています。 社会活動にも熱心に参加、特に LGBT をサポートしていると聞きました。 帽子がお似合いで好きなようです。   若い頃。シャープできれい! 彼女のヒラヒラのドレスは珍しいのです。 勇ましさと寂しさが同居している顔です。 タトウー も有名。 2番目の旦那様 MARC MECHACA 。 空港で子供の手を引いています。 やさしそうなご主人。 警官だった父上。 母上。 「ゲーム オブ スローン」のレナ 「ゲーム オブ スローン」から。 マークとの結婚式。 マークといっしょ

CHRISTOPHER LLOYD

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CHRISTOPHER  LLOYD しばらくぶりに映画俳優のページです。 「バック トウ フューチャー」BACK TO THE FUTURE(85)でドクター エメット・ブラウン DR.EMMET BROWN を演じて子供たちにに人気が出たクリストファー ロイドを紹介しましょう。 1938年10月22日 コネテイカット州のスタムフォードSTAMFORD (この街は大金持ちや政治家が大勢住んでいて有名です)の名家の生まれで、クリストファー アレン ロイドCHRISTOPHER ALLEN LLOYD として生まれ、父親は弁護士、母親は名門家庭の生まれで歌手、母方の叔父は政治家で サンフランシスコの市長を務め、祖父はテキサコ石油の創立者、祖先はメイフラワー号に乗って米国にやってきたという、アメリカの歴史を綴った来た家庭に育ちました。 7人兄妹の末っ子で、ぐんと年が離れていたため、ほとんど一人っ子のような生活でとても寂しかったと後に述懐しています。 高校時代から俳優に興味を持ち、地元の演劇学校に通い、映画初出演が「カッコーの巣の上で」ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST(75)でした。 どちらかと言うと舞台の方に傾いて、73年には「カスパー」KASPER という劇で「オビー賞」を受賞、テレビにも乗り出し、人気シリーズ「タクシー」TAXI (78−83)ではレギュラーとして名前を知られるようになり、エミー賞を受賞、そして、あの爆発的人気映画「バック トウ ザ フューチャー」3部作 (85,89,90)に登場したのです。 出演本数が桁違いに多くすでに403本を記録、企画も6本と怪物並みの現役の86歳、おまけに結婚歴5回とここでも逞しい記録を所持しています。 結婚は初回が59−71年、2回目が74−87,3回目が88−91,4回目が92−05,5回目の結婚は2016年、2012年にモンテシートの家を売る際に出会った不動産エージェントのリサ ロラコノ LISA LOLACONO 、これだけの結婚を経ても、子どもは一人も居ないそう。 なんともユニークな生き方を見せてくれるクリストファーなのです。 控え目でいかにも育ちの良い人柄が覗くクリストファー 可愛い少年時代。 7人兄弟の末っ子なので、この写真には居ません。 マイケル フォックスと。 凛々しい

THAI DINNER WITH JOHN & LINDA

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  THAI DINNER WITH JOHN & LINDA 11月12日(火) ジョンとリンダとの月例のデイナーはタイ料理、「エッカマイ」EKKAMAI という小さなお店で集まりました。よく前を通りますが中に入ったのは初めてで外から見るより遥かに小さくて、こじんまりとしたレストランです。「エッカマイ」とはタイのバンコックにあるお洒落な通りなのだそう。 ジョンとリンダはいつものお好みのシャドネー(日本ではシャルドネ と呼ぶようです)のボトルを1本、ワタクシはハウスワインの白を、ハンスはビールを注文、スターターにエビの衣揚げと春巻き、メインはワタクシはポークのパッドシーユー(太目のヌードル)とブラウンライス (これが真っ黒でお豆のようなご飯でした)、ハンスはシーフードのミント ヌードル、ジョンはチキンカレー、リンダはガーリック&ペッパー チキン といつもの安全なお料理をメニューから選んでました。 ウェイトレスが無愛想でほとんどコミカルなレベルでしたがアジア系のお店ではよくあること。 先日行ってきたオキシナードでのエルマーたちとポールたちの近況の報告、次の旅行(ジョンたちはスペインへクルーズ、その後はベトナム!)、次の土曜日のパーテイーで会いましょう、などなどのおしゃべりをしてこの日も早めに解散。 4人の写真をウェイトレスに頼んだところ、とんでもない場所からパチリ、パチリ、写真を見たら、芸術的なアングルからの面白いショットが撮れてました。おそらくウェイトレスは学費稼ぎ、か何かで働いているのでしょう。何を行ってもムッとした顔で応対するのがおかしくも、微笑ましくもありました。 ハンスがバランス悪く歩くので杖をついて欲しいとワタクシがリンダに話していて、リンダもそうだ、そうだ、と合意していたのですがハンスがまだ、まだ早いと拒絶して、男性の虚栄心には困ったものだと苦笑していたこの夜。 翌朝、ドアの前に箱が届いてなんと折りたたみ式の杖ではありませんか! ワタクシに内緒でハンスがオーダーしたのです。 何となく、ハンスが一人で心配になって、オンラインで探す光景を想像して寂しい気分になりました。 翌日杖をついて歩く練習をしたらと言ったら、まだまだ先、といつものように軽くあしらわれたのです。 そして、朝晩の冷え込みが老体に響くので電気スロー THROW BLANKET(毛布より

SCREENING OF THE SEED OF THE SACRED FIG

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SCREENING OF THE SEED OF THE SACRED FIG 11月7日(木) ロンドンから友人のサム アシ SAM ASI が来ていたので評判のイラン映画「聖なるいちじくの種」THE SEED OF SACRED FIG (24)という映画を一緒に見ることにしました。サムはイスラエル生まれですがもともとはパレステイナ人なので、中近東の映画を楽しむでしょうと思ったのです。招待客のスペースがもう一人分あったのでアマンドを一緒に連れて行きました。 イランの首都、テヘランで秘密裏に撮影された反政府的なストーリーで監督のモハマッド ラソウロフMOHAMMAD RASOULOF (1972年11月16日 イラン生まれ)はこの映画の内容のために逮捕、禁錮刑となったため急遽 ドイツへ逃亡、そのためこの映画はかなりの資金がドイツから出資されています。 今年のカンヌ映画祭で特別賞を受賞、主人公は最近「判事」に昇格した男性で、美しい妻と二人の娘ときれいなアパートで暮らしているのですが判事の職務が全く調査せずにすべての犯罪者を死刑にするという全体主義の下の規制ゆえ、庶民の敵とされて銃を携帯する程の危機感が迫ってきています。 若い女性たちはスカーフを頭から取って焼いたり、青年たちは政府の役人の自宅を襲撃したりしている中、娘の友人が反対運動に参加して負傷し、娘たちは彼女を匿います。 政府に献身的に仕える父親とすべてを把握してそれなりに家族のためになるように振る舞う母親とムキになって反抗する娘二人の家庭が徐々に崩壊し、大団円は裸の岩山が続く土地にある山荘での追跡でした。 ワタクシは実はあまり政治に興味がないのでこういう物語は苦手で、おまけに細かい点がよく理解できず、ちょっとフラストレーションを感じましたがサムは中近東の近況に詳しいので色々と考えさせられたと言ってました。 映画館から歩いていけるイラン料理(ここではペルシャ料理と呼びます)の「ピタ カフェ」PITA CAFE と言うお店でわたくしは LENTILL SOUP スープ、ハンスはラム ジャイロ LAMB GYRO 定食、アマンドはペルシャのスナックの常番、野菜のお団子、サムはチキン定食を注文し、映画の影響もあってちょっと沈んだ空気のもとで夕食をいただいたのでした。 それにしても国中が言論、行動の自由を拘束している状況

RYAN GOSLING IS 44!

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  RYAN GOSLING IS 44! 昨日の11月12日にライアン ゴスリングが44歳になりました。レオ ディカプリオ程ではありませんが「ザ ビリーバー」(01)で衝撃の主演をした時が20歳でしたから、長ーく彼の出世街道を見守っていました。 すでにオスカー候補3回、「ハーフ ネルソン」HALF NELSON(06)「ラ ラ ランド」LA LA LAND(16)と昨年の「バービー」BARBIE とどれも私から見るとイマイチの役ですから、これからダントツの主演で受賞すると確信しています。 11年から交際を始め、22年に結婚をした最愛のワイフ、エヴァ メンデス EVA MENDES との間には二人の娘が居て仲良く平和に暮らしている様子。 次は鬼才ポール トーマス アンダーソン PAUL THOMAS ANDERSON 監督のまだ題名が決まっていない「プロジェクト:ヘイル メアリー」PROJECT" HAIL MARY に主演、他にも企画がぞろぞろと控えている極上の人気スターなのです。 約10年前にブログにしたためたライアンのページを載せましょう。ダブった写真がありますがパスしてください。 ちょっと とっぽいと言うのか、とぼけた、そして優しさが溢れた表情、近づきやすいタイプのライアンがツーショットから伺えると思います。 RYAN   GOSLING    2015 新作「THE BIG SHORT」で2000年半ばの不動産投資からの経済大恐慌を背景に、投資のプロをスマートなスタイル(つまり怪しいタイプ)で演じているライアン ゴスリングに久しぶりに会いましたに久しぶりに会いました。 普通の男性が着たら集金人の様に見えそうな紺のジャンパーを粋に着こなして、チョビひげ風のヒゲが昔のエロール フリンの様な、お気楽プレイボーイの風情を添えて、会見に現れ、彼のお誕生日が1980年11月12日で、2日前だったためにみんなにお祝いされて、ちょっぴり恥ずかしそう。 彼が強烈なデビューをした「ザ ビリーバー」(01)(ユダヤ人の少年がネオナチのグループで、指揮を執る言う話題作でした)から彼を知っているせいで、余計、照れてしまうのです。偉大な俳優に成長したスターは凄く若かったときの自分を知っている記者達に対して,親戚のオバさんやオジさんに会う様な、てらいとか、気まずさを感じるので