SEAN CONNERY ARTICLE

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ショーン コネリーが10月31日に90歳で逝ってしまってはや1ヶ月あまり。

亡くなってすぐに原稿を依頼されたのですがワタクシは追悼原稿を書かない主義なのでキネマ旬報は昔書いた、かなりおかしいインタヴュー原稿を載せることに。

今読むとその時の彼のおっかない雰囲気やら、圧倒的なスターのオーラやらが思い出されて、懐かしくも、寂しくなります。

その次の号でショーン コネリー特集を組むそうです。締切まで時間の余裕があったのでつい数日前に新しい原稿を仕上げました。これはかなりハチャメチャな内容ですから発売日に又お知らせしましょう。

コネリーのあまり知られてない映画を数本見返したのですが、女性に対していとも暴力的な態度をとるのに改めてびっくり。それも彼の魅力のうちでした。今はいろいろ人権、差別、男女平等などなどの制約があってそうは簡単に行かないのですが。

先日ここに書いたページを載せておきます。





 R.I.P.  SEAN CONNERY


昨日、10月31日にショーン コネリーが90歳で亡くなりました。

バハマにあるナッソーの自宅で眠ったまま。

最近は老人性痴呆症を患って、街のスナップショットなどを見ると何ともおぼつかない表情を浮かべていましたから、あの、キリッとしたショーンの顔はもう見られないなあ、と悲しく思っていました。ですからこれ以上長生きしなくて良かったと思います。

改めて彼の人生のあらすじを読み返すと波乱万丈だったなあと感心するばかり。

色々な所に彼のインタヴューを書いてきましたが、彼が靴下や下着は縫い目がゴロゴロするから裏返しに着ているのだよ、と言ったこと、ちょっとでも誰かがおしゃべりすると「私の話を聞きたくないなら出て行く」と、あの有名な弓なりの眉毛を吊り上げて、厳格振りを見せていたこと、などなど。

高校生時代に彼のポスター (それも胸毛ばっちりの水着姿が多かったのです)を壁いっぱいに貼って、デイトしていた若者たちが嫌な顔をしていたこと。

そういう訳で当時のワイフ、ダイアン シレント DIANE CILENTO を知りもしないのに嫌いだったこと。

今、調べるとオーストラリアのサーの位を持つ医師の名家生まれで、ショーンより遥かに有名な女優だったために労働者階級出身で「馬の骨」だったショーンが彼女に対してやきもちを焼いていたという話も理解できるようになりました。

会う女性、会う女性、から憧れの眼差しで見つめられることに辟易している姿勢も好ましく感じました。

結婚45年と長続きした2度目のワイフ、ミシェリン ロケブルーン MICHELINE ROQUEBRUNE (発音は確かではありません)も、妙にワイルドで品がなく、いつもグシャグシャの髪型に装飾過剰の服を着て夫にべったり寄り添っていたので、ワタクシがやきもちを焼いて好きではありませんでした。

彼女のほうが1歳年上で、最初は英語が話せず、ボデイー ランゲージで会話しただというのも驚きです。

彼女はモロッコとフランスのミックスでショーンの前に二人の夫がいて3人の子供がいるそう。

モロッコのゴルフイベントで知り合い、しばらく秘密の情事を続けていて、それがもっとも熱い、燃焼のロマンスだったと言う彼女の思い出を読むとまだ、やはりこわばってしまいます。


グレース ケリーのようなエレガントで知的な女性と一緒だったらと勝手に思ってましたがそれは私が若すぎて、ショーンにとって、気楽で、楽しい仲間のワイフを選んだ事に気が付かなかった、またはそれを否定していたのでしょう。

このブログに書いた昔のページを載せますが、まさにワタクシが純粋にスターに憧れる時期が終わった、と言えます。

1953年にミスター ユニバースで3位になった時の写真を眺めると結局ショーンは自分の肉体が大好きで、プライドを持っていたのだなとつくづく思ったのでした。







晩年の写真ではこれがもっとも威厳を保っている良いショットだと思います。




1953年、サーベル?を持ってのポーズが面白いです。







これは藤井進 というイラストレーターの2013年の作品(無断借用)

藤井進 ショーンの男性味がよく出ていると思います。







ミシェリン 作

ミシェリン作 色使いが素敵です。


ミシェリン作 以前に見て良いなと思いました。モデルが愛する人ですし。



ミシェリン作 ちょっと稚拙なところがご愛嬌。









ミシェリン と。



ミシェリンと。




Comments

  1. 成田先生、はじめまして。私はアラフォーが終了したばかりの女です。ショーンコネリーの巻を興味深く拝読いたしました。昨日、買い物をした際に割れ物(ジャムの瓶)を包んだ古新聞に彼のエピソードがいくつか載っており嬉しくなりスクラップブックに貼ったのですがその内容と先生のこちらのエピソード内容がリンクしており感激しております。。ありがとうございました。私の父が彼の大ファンで、小さいころからずっと父とともに映画を見てきたので先日、亡くなったと聞いたときは本当にしんみりしました。父は『ロシアより愛をこめて』が好きだったようです(こちらのブログも父に知らせましたので読んでいると思います)。
    先生の文章いつも雑誌などで拝読しています。。1994年2月キネマ旬報、Mバラフライの文章が今私の手元にあります。私は長年ジョン・ローンのファンです。ご存じかもしれませんが今、ジョンは今(!)、中国本土で大人気です。先生の書いてくださったMバタフライの記事、中国のファンにも大切に詠まれています。長くなり失礼いたしました、これからも楽しみにしております(文章に失礼があったら申し訳ありません…思いのままに書いてしまいました)

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