IGGY POP
IGGY POP
イギー ポップ。おかしな名前で、舞台でクレイジーな行動を取るロックンロール歌手。
こういうド派手なタレントは強烈にして、ほとんど乱暴なパーフォーマンスで売りますがほとんどの場合、素顔はゴールデン・リトリーバーのように、おデコををなでなでして下さい、と誰にでも尻尾を振って体を擦り寄せて来るような、優しいタイプが多いのです。もちろんイギーも借りてきた猫のようにそっと、ていねいに振る舞っていました。
この不思議なステージネームは、無名時代に「イグアナス」IGUANAS というバンドでプレーしていて、「イギー」IGGYが生まれ、ジミー ポップ JINNY POP とも呼ばれていたのでイギー ポップとなったそう。
髪を剃り、眉毛も剃った時の風貌がまさに「イギー ポップ」だったという説もあります。
イギーは又「スコリオシス」SCOLIOSIS 脊髄側弯症という病気にかかり、片方の足が1.5インチ短いというハンデイキャップを背負っていますが、なんのその、舞台では狂ったように踊って、歌いまくるのが彼のアーテイスティックな発散なのでしょう。
1947年4月21日、ミシガン州のマスケゴン MUSKEGON に野球のコーチの父親と高校の先生の母親のもとに、ジェイムス ニューウェル オスターバーグ ジュニア JAMES NEWELL OSTERBERG JR. として生まれ、住んでいたのはトレイラーパークだったそうですが、二人の親が働いていて、田舎住まい、なぜそれほど貧乏だったのか、わざとトレイラーパークを選んだのかはよく分かりませんがイギーの両親への愛情がふつふつと感じられる述懐があります。
「高校に入ると同級生に自動車のフォードの重役の息子とかがいて生活レベルの凄い差を見せつけられたがボクの両親はボクのために何でもしてくれた。ドラムを始めた時はもっと広い部屋が要るでしょうと、一番広い両親の寝室を明け渡してくれて、二人はソファーで寝ていたのだよ。これほどの愛情を注がれて育ったボクは誰よりもラッキーだったと思わないかい」
73年の「ロウ パワー」RAW POWER という曲が大ヒット、「ゴッドファーザー オブ パンク」GODFATHER OF PUNK と呼ばれ、カルチュラル アイコンの存在となって、「ザ イデイオット」も大ヒットし、デイヴィッド ボーイなDAVID BOWIE どと共に舞台に立つようになります。
1980年に「アイ ニード モア」I NEED MORE という自伝を仕上げ、
2010年に「ロックンロールの殿堂」入り
2020年にはグラミー賞のライフタイム功労賞受賞
ジョニー デップ JOHNNY DEPP や監督のジム ジャームッシュ JIM JARMUSCH など親しいそう。
結婚は3回、2度めは日本人のライター、浅野スチと84年から99年まで、気になってスチのことを調べてみましたが「シド アンド ナンシー」SID AND NANCY (86)という映画に出演したり、「イン ブローケン ウイグワグ」IN BROKEN WIGWAG という著書を出したり、でも最近のことは分かりませんでした。
子供は息子が1人、08年にニナ アル NINA ALU という奥方ではない女性から生まれています。
正直なところ、ワタクシには苦手なパンク・ロックンロールのジャンルでイギーのことをあまり良く知らないのですが、現在74歳、今だに半裸になってステージを転げ回るエネルギーを見ると、情熱のはけ口のパワーの凄さに圧倒されます。
彼もまた、我らがシニアの鑑であります。
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浅野スチの著書。 |
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