MY JUNIOR & HIGH SCHOOL DAYS
母のお誕生日の写真を見たりして、このところ、何故かノスタルジア気分になっていましたら、中学、高校の同級生から送られてきた写真を発見。
母、祖母、叔母と3代の家族が最も重要な教育を受ける12歳から18歳まで全員、港区の鳥居坂にある東洋英和女学校に通いました。
「敬神、奉仕」というモットーのもとにカナダのプロテスタントのキリスト教のメソジスト信者が創立したために、昔から日曜日には教会に行くことを前提に、土曜日がお休み、週に5日しか学校に通わなくても良い珍しい学校でした。青山学院ぐらいしか週5日制を採ってなかった頃のことです。
水曜日の礼拝は英語のみ、英語の授業はほとんどカナダ人の教師から受けましたから、発音は正確でした。
学校の横に全寮制の青楓寮があって、ここで親睦を図る1泊旅行でワタクシはホームシックになったのを思いい出しました。
もともと髪の毛が薄くて、女の子たちが三つ編みをしているのを真似しましたがその量の少なさのために小指のような細さのおさげをしていたものです。
東洋英和での6年間は楽しいことばかり、嫌な思い出など吹っ飛んでしまうほどエキサイティングな毎日ばかり、お友達と数々の冒険に乗り出していました。
背が高かったので一緒に並ぶ同様に背が高いクラスメートと必然的に仲良くなって、写真を見るといつも同じのっぽでおませなグループと一緒、中に後に同時通訳になった鳥飼玖美子さんもいます。とん子 と呼んでました。
貞子ちゃんとはどこにでもいつも一緒に行ってワタクシが米国に移った後も日本に帰れば必ず会ってましたが理由が分からないままに連絡してもお返事が来なくなってしまいました。
たちこはヘヤースタイルからもお分かりの通り、最高におませで、六本木族のお仲間に入ったり、後にジャズシンガー兼ピアニストになって華やかに活躍。
夏のキャンプで野尻湖に行ってここでサポートをしていた青山学院大学の真っ黒な青年に恋をして、ずっと後になって航空会社に勤めていた時、フィリッピンのマニラでビジネスマンとして働いていた彼に会いに行ったのも懐かしい思い出です。マニラのサンセットを見渡すプライベートクラブでデイナーを頂いた記憶があります。
お次は確かバスケットボールの選手に夢中になってひろ子と試合の後に彼とお茶を飲んだりしてほんわかしている時期もありました。
いつか、もっと詳しい思い出を書いてみたいと思っています。
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フォークダンス。ワタクシ、タチコ,イソコ。右端は村井さん。 |
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青楓寮で。ワタクシは上から2列目、左から二人目のおさげです。 |
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冬の制服。修学旅行。ワタクシ、貞子ちゃん、タチコ、イソコ、みっちゃん |
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スケート旅行、ワタクシは右端で真っ赤なヤンキージャケット |
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伊香保のスケート場 トンコこと鳥飼玖美子、ワタクシ、貞子ちゃん、イソコ、タチコ、みっちゃん |
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この頃は女学生同士が仲良くなるのをS sister とよんで ワタクシは上級生の七洋という名前のセンス抜群の女子高校生に恋をしていました。 |
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顔だけ見ると成人女性みたいなクラスメートたち。 |
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かなり大人びています。 |
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函館 イソコ、みっちゃん、タチコ、ワタクシ、貞子ちゃん |
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夏の制服。野尻湖 |
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これも野尻湖 |
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伊香保のスケートリンク。右から二人目のひろ子さんが伊香保の旅館の娘でした。 |
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どこなのかしらん? |
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プロのカメラマンの撮影でしょう。仲良しグループ。 |
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貞子ちゃんに抱きつかれているまん丸な顔のワタクシ。 |
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