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Showing posts from June, 2013
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ANNA    PAQUIN 「ピアノ レッスン」(93)で見事にアカデミー賞助演賞を取った当時11歳のアナ パキンの演技は鳥肌ものでした。ニユージーランドに辿り着いた唖の母親 (ホリー ハンター)にくっ付いて,新しい父親(サム ニール)に会ったり,不気味なおじさん(ハーヴィー カイテル)が現れたり,見知らぬ土地で,母親を助けながら,しっかり人々と風土を観察している,ちょっとかたくな少女の役を大熱演。浜辺で海に浸かったピアノを引き上げるシーンは忘れじの名場面のひとつでしょう。 1993  「ピアノ レッスン」11歳 1996「ジェイン エア」14歳 2000 「X−メン」18歳 2003 「X−メン 2」21歳 2012 「トウルー ブラッド]  30歳 1982年7月24日 カナダのマニトバ州,ウイニペッグ に両親とも教師と言う家庭に生まれ,4歳の時に母の故郷,ニユージーランドのウエリントンに移ります。特別に歌や踊りが好きでもなく,ちょっとした偶然で「ピアノ レッスン」のオーデイシヨンを受けて,女主人公の娘の役を獲得してしまいました。ハリウッド的なキュートさなど全く無い、どちらかというと憎たらしい顔と隙間が目立つ前歯が,唖の母親の助っ人を健気に努める強情な娘にぴったり。 その時からのアナとの写真が残っていますから,11歳から現在の30歳迄の成長がご覧頂けます。 「ジェーン エア」(96)では爽やかで,まだ白地のカンバスのようなイノセントなジェーンを再び熱演。 「X−メン」(00)ではアクシヨン場面をこなし,「スクリーム4」(12)などと言う恐怖映画に迄手を広げています。 目下アメリカで大人気のテレビシリーズ「トウルー ブラッド」(08−)ではスキ(わたくすの犬と同じ名前)と言う名の女性を演じ,題名のとうり,人工の血液を飲む現代の吸血鬼たちのドラマで,ヌードシーンがそこかしこ。あの天才少女だったアナも激しくベッドシーンに登場します。血だらけの場面が多く,私めは最近のエピソードを見てから,悪夢にうなされてしまいました。 共演の英国俳優,ステーヴン モイヤーとスクリーンの外でもベッドインしたようで,10年に結婚,12年には双子の赤ちゃんが生まれました。 飾らないと言うのか,開けっぴろげな態度がどこかニ
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DAVID    DUCHOVNY 少し前にこのブログに登場したテイア レオーニの元ご亭主にして、「X ファイル」(93−)のFBI 捜査官の役で人気を博したデヴィッド デユコフニーは名前からも察せられるとうり,ロシア系です。だからちょっともっさりの肉厚の顔なのでしょうね。ある意味では型破りのハンサムですが。 1960年8月7日,ニユーヨーク生まれ。父親はポーランド・ウクライナ系のユダヤ人で,作家兼米国ユダヤ系協会の広報を担当していたとか。母親はスコットランド人で,学校の先生と言う知性的な両親を持ち,彼自身も優等生、プリンストン大では英文学、イエール大では博士号を取得する寸前 という高学歴を持つ俳優です。フランス語,ヘブライ語,ラテン語に長けているそう。 巨大な注目を引いた,デヴィッド リンチ監督のカルト テレビシリーズ 「ツイン ピークス」(90)で女装趣味のFBI捜査官を演じて,人気を得て,ここから異星人が登場する超現実の犯罪を追うXファイルの役につながったのでしょう。 「X ファイル」(93−02)ではモルダーと言う役で,独特の辛口のジョークをポーカーフェースで連発し,その殆どが彼自身のアイデアだったそう。とびきりお利口,多少じゃがいもフェース,ハイレベルのインテリジェンスと言う点ではトミー リー ジョーンズと似ているかも。 カナダのバン クーバーでの「X ファイル」のロケに何度か行きましたが,いつもリラックスして,屈託の無い,冗談が大好きな楽しいスターでした。相手役のジリアン アンダーソンがキンチョールの真面目タイプだったので,良い相棒同士に見えましたし,スクリーンの上でのケミストリーにも二人の親密さがよく反映していたと思います。 左のおひげがデイヴィッドです。 テアーと97年に結婚。彼女と交際中に,「バン クーバーは400インチも雨が降って,滅滅としてしまう。からっとしたロスアンジェルスに戻りたい」とコメントして,バンクーバーの人々を怒らせたかと思うと,すぐに「いやロスに恋人がいるからなのだよ」と弁解したり,勝手な事をすぐに言ってしまうのも,彼のお気楽な人間性からでしょう。 軽いポルノ風映画「レッド シューズ ダイアリーズ」(92−)は日本では「蘭の女」としてリリースされているそうですが、 この手の映画に平ちゃ
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MARY  LOUISE   PARKER 一番記憶に残っているのは「フライド グリーン トマト」(91)でのメアリー ルイーズ パーカー。まず題名が「揚げた青いトマト」とまずそうな,不思議なものでしたし。この映画の会見では実際に,南部名物の揚げ青トマトが出てきて,パン粉の衣がついていたせいか,酸っぱくなくて結構おいしかったと白状しておきましょう。 当時メアリーより人気があったメアリー ステユアート マスターソンがボーイッシュな女性を大股歩きなどして,活発に演じ,ルイーズの方は,フリルのついたドレスなど着て,ガーリッシュなタイプを演じてました。 1964年8月2日にサウス カロライナ州のフォート ジャクソンに生まれたメアリーは,フォート(要塞,基地)と言う名からも察せられるように,父親は陸軍の軍判事で,子供のときはドイツ,タイ,フランス,そしてテキサスの未開地等の米軍基地を転々として育ったそう。 大変に内気なメアリーは,舞台に立って踊りを踊ったり,劇をすると打って変わって,積極的になるため,将来は女優を母親は察したと言います。ちなみに母親はスウェーデン人。 1986年ニユーヨークに移って,ここで舞台の仕事をたんとこなし,「ロングタイム コンパニオン」(90)と言う劇でエイズにかかった男性のベストフレンドを演じて好評を得ます。 ちょっともろくて,繊細で,自分の事より他人の世話を焼いてしまうタイプの役が続き,私生活では舞台で知り合ったビリー クルーダップと7年越しの交際後に赤ちゃんを身ごもります。しかしビリーは赤ん坊が生まれる前に若い共演女優のクレア デーンズと恋に落ちて,メアリーを捨てる事になり,しばらくの間,非情なビリーと可愛そうなメアリーのゴシップ ニユースが賑わいました。 シングルマザーのメアリーは,ひたすら仕事に集中し,テレビに舞台に映画に忙しい日々を送ります。 「ウイーズ ママの秘密」(2005−12)は人気テレビシリーズで,題名は雑草と言う意味から,大麻を指します。未亡人が生計を立てるために,質の良い大麻を栽培して商売をすると言うストーリーで,甘いルックスが効果的なメアリーはこの役で色々な賞を受賞。 「私っていつも不必要な程に真面目になってしまって,それが人々を退屈させてしまうのね。もっと努力をして良い仕事をし
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MARTIN    FREEMAN 英国版テレビシリーズ「オフィス」(2001−3)で,リーキー ジャーヴェイが自己顕示欲と自己中心のかたまりのボスを演じ,その部下でいたずら好きのサラリーマンを演じて有名になったマーテイン フリーマンは、「ラブ アクチュアリー」(03)での俳優のスタンドインの役で,ベッドシーンを繰り返しているうちに相手のスタンドインと仲良くなる役や「ホット ファズ 俺たち スーパーポリスメン」(07)などの映画でも、気の良いおかしな部下タイプを好演して,今や2番手を演じる名人スターになってます。 ベネデイクト カンバーバッチが主人公を演じるテレビシリーズ「シャーロック」(2010−)ではエキセントリックな私立探偵のホームズの相棒,ワトソンをひょうきんに演じて,二人の仲は今や「ブローマンス」と騒がれる始末,ブラザーとロマンスの合わせ語で,男同士の愛憎劇と言う意味ですが,ホモの間柄とはちとニュアンスが違います。 ところが昨年 マーテインは巨大な連続映画「ホビット」の主人公に抜擢され,小人に近いビルボー バッギンズの役を健気にやり通しました。彼が演じる役は部下であれ,主人公であれ,いつも健気で,一生懸命,努力を厭わない性格の男性で,本人も同じように,飾らず,ちょっとシャイで、ちょっと食わず嫌いの傾向があるような,遠慮がちの人でした。 1971年9月8日に英国ハンプシャーのアルダーショットに,海軍士官の父親を持って,5人兄弟の末っ子として生まれ,敬虔なカトリック教徒として育ちます。 ロンドンの演劇学校に通い,97年にテレビ映画に初出演、次から次へと色々な作品に顔を出すようになり,2000年には「メン オンリー」と言うテレビシリーズで共演したアマンダ アビントンと親しくなり,二人の間には男の子と女の子の二人の子供が居ます。 「俳優の楽しさは,全く自分と違う他人になる事。子供の頃カウボーイとインデイアンごっこなんかした延長みたいなものですよ」 と澄まして言うものの,演じる役が当人の延長のようなのが何となく微笑ましいですね。 まもなくマーテインとベネデイクトは,「ホビット 第2弾」で再び共演します。もっともベネデイクトの役は怪物のようで,売り物のバリトンの声を活用するとか,ですから「ブローマンス」は期待出来ません。 2012  
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TEA   LEONI テイア レオーニってお茶と同じ綴りで面白い名前です。本名は,パンタレオニと言うイタリー系の苗字ですと。 1966年2月25日 ニユーヨーク生まれ。父親は企業弁護士,母親は栄養士と言う恵まれた家庭に育ち,私立の有名校から,名門サラ ローレンス大へ。大学2年の時 コロラド州に友人と山登りにいって,崖から落ちて顎を折り,手術の結果,変わった顎の形とユニークな顔立ちになった上,しゃべり方もたどたどしくなってしまったと当人が言ってます。 2001 「ジュラシック パーク 3」 1998 「DEEP  INPACT」 「フラーテイング アメリカの災難」(「フラーテイング ウイズ デイザスター」)(96)で現代女性の逞しさを見せて,知的キャリア ウーマンの役が続きました。それから,「デイープ インパクト」(98、) 「ジュラシツク パーク」(01)と化学者や記者の役,「スパング 太陽の国から来たママのこと」(「スパングリッシュ」)(04)ではアダム サンドラーの高慢ちきな妻をいかにもアメリカ女性の物質主義と自分の事意外には全く無関心な典型的タイプに演じて,それなりに面白かったし,「ファン ウイズ デイック アンド ジェーン」(05)でもアメリカの家庭の軽い喜劇を楽しそうに見せてました。 2度目の結婚の相手は,ハリウッドでもインテリで知られるデイヴィッド デユコフニー(「X−ファイル」)でしばらくは知性的なカップルとして,親しまれてましたが,夫君がセックス中毒になって,二人は別居。有名人のセックス中毒は,マイケル ダグラスに継いで(知られているのは)二人目で,おまけにデイヴィッドは,当時テレビシリーズで,売れない脚本家の女性歴と言った役を演じていたので,必要以上に騒がれました。こう言う症状は本人にとっても巨大なダメージですが,妻にとっては,なすすべの無い,苦悩に違いありません。 別居したものの,再び仲良くなり,しかし終に2011年6月に離婚を訴えたようです。 テイーのちょっとハイブローの姿勢と優等生風の性格は会見でもよく見て取れるので,かなり取っ付きにくい女優です。人工的な愛嬌や媚は全く無く,その分さっぱりしてますが,もう少し色気と言うのか,可愛らしさが会ったらと思ってしまいました。 毛並みの良い女優の殆どが,
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JEFFREY    WRIGHT 余り知られてないでしょうが,知る人ぞ知る,の黒人俳優がジェフリー ライトです。サミュエル ジャクソンやモーガン フリーマンより少し若くて,ウイル スミスやジェイミー フォックスよりずっと真面目で,知的職業の役とか,悪知恵に富む悪漢役をすると鮮やかにこなして,画面の盗塁の達人と言えましょう。 1965年12月7日、首都ワシントンに生まれ,父親はジェフリーが2歳の時に亡くなり,弁護士の母親に育てられたそう。 有名進学校,セント アルバンズ高校から、アマースト大で政治学を専攻と言う優秀生でしたが,演技に目覚め,進路を急変更,ニユーヨーク大の演劇コースへ。 すぐに頭角を現し,94年にはブロードウエイの舞台劇「エンジェルス イン アメリカ」でトニー賞を受賞します。この物語は80年代のエイズを巡っての数人のグループの反応や悲劇を描いた,意欲作でした。 この舞台劇がテレビ映画化された時,彼のもが同じ役を得て,ベリーズと言う役を再び巧みに演じたのです。 96年の「バスキア」での主役,ストリート アーテイストのジャン ミシェル バスキアを見事に演じて,映画界でも注目されます。この映画はやはりアーテイストにして映画監督のジュリアン シュナベルが監督,な何とデヴィッド ボウイがアンデイー ウオホールの役で出てきたりする面白い映画。 「シャフト」(00)ではメキシコ人を演じて,巧みにラテンのアクセントを操り、声と訛りにかけての,名人と言われるようになります。 「アリ」(01)ではハワード ビンガムを、「ブッシュ」(08)ではコリン パウエル国務長官の役と実在の人達も人工的でなく演じて,歳を取るに従って,権威のある人物の役が多くなりました。 「007 カジノ ロワイヤル」(06)と「007 慰めの報酬」(08)と続けて007シリーズのCIA エージェントの役を手がけてます。 「スーパー チューズデー」(11)の上院だか下院議員の役も小さくとも,重要な役でした。   新しいところでは,ラッセル クロウが汚職市長,マーク ワールバーグが私立探偵,キャサリン ゼッタ ジョーンズが市長の浮気妻,ジェフリーが警察署長の「ブロークン シテイー」(13)、期待の「ハンガー ゲーム」(13)にも顔を出すそう。 2000年に英国女優のカ
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EMILY   MORTIMER 父親はのジョンはサーの称号を持つ弁護士にして作家,エミリー モーテイマーは格式高い女子高に行き,オックスフォード大では英文学とロシア語を専攻,しっかりロシアにも留学して、ロシア語はぺらぺらですと。 1971年12月1日,ロンドン生まれ。 そう言う恵まれた環境に育った女性によく見られる,ひ弱で,頼り無さそうで、自信が無さそうで,地味で,いつも恥じらいを込めた表情で,落ち着かない姿勢を取っているタイプがエミリーなのです。誰かがすぐに助けてくれたからなのか,押し出しがなくとも,ある程度のレベルに、辿り着くと信じているのか,背が高いのにも関わらず,全く存在感がありません。 いつも前髪が目の上にかかっていて,それを押しのける仕草が習慣になっていて,それを可愛いと見るか,うっとおしいと見るか,で彼女に魅力を感じているかどうかのバロメーターになるのではないでしょうか。 映画デビューはヴァル キルマーが主演の「ゴースト アンド ダークネス」(96)。 始めてエミリーに会ったのは「ラヴリー アンド アメイジング」(01)と言う映画で,彼女自身とほとんど同じようなキャラクターを熱演して,女性がたくさん出て来るにもかかわらず,ヌード迄披露して、ひとり大活躍して役をこなしていました。弱々しいくせに,芯が強くて,あれよあれよと大胆な事をしでかし,それが済むと又元のからに閉じこもると言う女性の役は,彼女のおはこになって行きます。 「マッチポイント」(05)はウッデイー アレンが初めてロンドンで撮った映画で,エミリーは主人公のテニス コーチ(ジョナサン リース マイヤーズ)の妹役。この妹の金持ちの婚約者がジョナサンのガールフレンド(スカーレット ヨハンセン)に目をつけて,物語は殺人に迄発展するのでした。エミリーは再び,地味で目立たないけれど,本領を発揮すると逞しいと言う女性を演じます。 日本では未公開の「シテイー アイランド」(09)と言うアンデイー ガルシア主演の小品にも,楚々とした姿を添えてます。 前に紹介したアレサントロ ニヴォラと「恋の骨折り損」(00)で共演して,恋愛から結婚,もう二人の子供がいるそうな。 現在は住んでいるニユーヨークのブルックリンから,ロスアンジェルス迄テレビの仕事のために通勤すると言う忙しい毎
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BOB   HOSKINS ボブ ホスキンズは1942年10月26日,英国のサフォーク州バリー セント エドモンズ生まれ。そしてパーキンソン氏病のため2012年に引退,70歳は、まだまだ現役の年でしたが。 初めてボブにあったのは「ロジャーラビット」(88)の時。ぼてっとした小柄な体格,朗らかな表情,気楽な姿勢と全てが英国のブルーカラーそのものでした。 父親は会計士にして,トラックの運転手,その上共産党で息子のボブにも強要したとか。母親はジプシーで,コックだったそうです。 わたくすはアメリカに来る迄,人種差別がこれほど深い根を持つものだとは全く理解してませんでした。黒人の差別は分かっても,ユダヤ人に対する一般人の差別感,そしてヨーロッパではジプシーに対して,異常な程に嫌悪感を見せると言う驚愕の事実。彼らをローマニと呼んで,下等な人種として見なす人間の優越意識を見せつけられたのです。 そのジプシーの血を受け継いだボブは,自己防衛のためのユーモアを磨いたようで,それが後の味のある俳優につながったのでしょう。 15歳から父親の仕事を手伝い,もろもろの労働をして,前途はかなり限られたように見えましたが,学校の英語の教師が彼に文学と英語の美しさを教え,ボブは劇場で英語の台詞を言う俳優を志すのです。 1967年,25歳の時、イスラエルのキブツに行って研修を受けたりとそう言う経験が,俳優としての巾を広げます。 「メソッド演技法等馬鹿馬鹿しい。僕は全く演劇を学んだ事等ない。全てオール ナチュラル。妙な事を考えずに自然に役造りをするのですよ」 「モナリザ」(86)で注目されます。 2度目にあったのは「スーパーマリオ」(93)で,ダニー デ ヴィトが降版したために,ピンチヒッターとして出たそうで,フロリダ州のマイアミでのイヴェントでは,よちよちと歩き回って、 「僕は5フィート6インチの球体ですよ」と嬉しそうにのたもうてました。 それでも後になって「あれ程苦労した撮影はなかった。監督の傲慢さに呆れてものも言えなかったね」 と白状してましたが。 3度目にあったのは「ヘンダーソン夫人の贈り物」(05)でわたくすが大好きなジュデイー デンチと共演した第2次大戦時の喜劇でした。デンチが亡き夫の遺産で,劇場を買い,ここでヌードの女性を舞台に出すと言うアイデア
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ELIZABETH     HURLEY 女優としてより,スーパーモデル,そしてヒュー グラントとの長すぎた春,レッドカーペットでの安全ピンで,全側面をとめた,斬新すぎるデザインと騒がれた黒いドレス,等で知られている、英国は,ハンプシャー州,ベーシングストークに1965年6月10日に生まれたグラマー美人です。 父親は王立陸軍の中佐,母親は教師とお固い家庭に育ったせいか、12歳からダンスを始め,髪をピンクに染めて,鼻にピアースを刺して,パンクロックに夢中になっていたとか。ロンドンのカレッジ在学中にも演劇とダンスのレッスンは怠らず、ちょろちょろとテレビ等に出始めます。 1987年スペイン製の映画「幻の城 バイロンとシェリー」(「REMANDO AL VEINTO」)と言う映画で共演したヒュー グラントとロマンスが始まり、 ヒューは「モーリス」(87)等に出て,どんどん有名になり,「フォー ウエデイング」(94)のロスアンジェルス プレミアで,エリザベスは冒頭の安全ピンドレスを着て、 ここで化粧品会社のエステー ローダと契約。15年間も広告を続け,終に44歳になって,若いモデルと交代させられ,もちろんエリザベスは訴えたりして,多額の追加金をもらうのでした。 92年に「パッセンジャー57」で共演したトム サイズモアと情熱的な関係を持ち,ヒューとはロンドンで,トムはロスアンジェルスと言う便利な交際を続けたのも有名な話です。ヒューはヒューでロスアンジェルスで女装の男娼をピックアップしてスキャンダルになったりと彼女の回りにはそこはかとなく,不道徳の「もや」が立ちこめてました。 今迄3度程会見しましたが、トツプファシヨンに身を包んで自信満々で現れ,スタカートの効いたクイーンズ イングリッシュで,ウイッテイーに,セクシーに会話を続ける姿は,さすがヒューが彼女の方にも色々あっても交際を辞められない理由が覗けました。 「オーステイン パワーズ」(97)で会った時は、 「映画に出るより,映画を作る側の方が遥かに面白い !」と張り切ってました。その言葉通り,ヒューを主演に使って 「ボデイー バンク」(96)や「恋するための三つのルール」(「ミッキー ブルー アイズ」)(99)等のプロデユーサーとしての才能も見せてました。 ヒューとは2000
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JAMES    CAAN ジェイムス カーン、あくの強さにかけては,昔なら,チャールス ブロンソンにジェイムス  キャグニー,今ならベニシオ デル トロかホアキン フェニックスあたりでしょうか。サー ベン キングスレーもこの一味でしょう。 画面に出て来るとむわっと,体臭が放出されるような,でしゃばりで,人を食った存在。思い出しました。先日亡くなったベン ギャザラにも共通の “むわー” がありましたよね。 1940年3月26日 ニユーヨークのブロンクス(当然!)生まれ。両親はドイツからの移民のユダヤ人で,父親は肉屋さんと言うとインパクトが少ないので,ブッチャー(肉屠殺人)でした。小さい頃はさぞやガキ大将だった事でしょう。 スポーツが得意のジェイムスは,フットボールの選手としてミシガン州立大にすすみ,ここで演劇熱に囚われ,ニユーヨークに戻って,サンフォード マイスナー(高名な演劇コーチ」に巡り会い,舞台でその強力な個性を見せて注目されます。 最初の映画は「不意打ち」(64),ハワード ホークス監督の「レッドライン7000」(66)はわたくすも見ましたが、スピードメーターの横の計器が7000を超すと危険だと言う自動車の基礎知識のみ覚えています。 「エル ドラド」(66)ではジョン ウエインとロバート ミッチャムと共演。 そしてこの頃ジェイムスが主演でよく覚えているのは,「ブライアンの歌」(71)と言うテレビ映画が好評で劇場映画になった,実在のシカゴ ベアーズの選手,ブライアン ピッコロとゲイル セイヤーズの友情ドラマです。ピッコロは白人で難病に冒され,黒人スター選手のセイヤーズが暖かい看護をすると言うフットボールと言う荒々しいスポーツ界での優しい交友を描き,感動的な物語です。 翌年が「ゴッドファザー」(72)のソニー コルレオーネ役です。この熱演でアカデミー賞にノミネートされましたが当人は,至ってドライに 「誰も彼もが俺の事をイタリア人,いやワイズガイ(イタリーのマフィア組合員)だと思って喜んで近づいてきやがる。それどころか,この年と翌年には色々な町で,僕を「この年の最優秀イタリア人」等に選んでくれてね。全くイタリーの血など入ってないのにさ!」 と憤慨していたと言います。 82年から87年にかけて鬱病にかかり,コカイン中毒となって,
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EMILY  WATSON 「ハリポタ」のハーマイオニー役のエマ ワトソン,同じ英国人で「ハワーズ エンド」のアカデミー賞女優のエマ トンプソンと今回のエミリー ワトソンがごっちゃになる方は多い筈。特にエマ トンプソン(54歳)とエミリー(46歳)は年も,不必要にグラマラスに着飾らない堅実女優と言うスタンスも似ています。 エミリーは1967年1月14日、英国はロンドンに、大学教授の父親と建築家の母親を持って,恵まれた環境に生まれました。 ブリストル大学で英文学を専攻,卒業後はウェイトレス等しながら,権威あるロイヤル シェイクスピア カンパニーに入団。見た感じと同じで,非常に真面目で,無理をしない,実質の人なのです。 映画デビューは「奇跡の海」(96)。多少知恵おくれの感がある女性と全身麻痺になってしまった男性の愛憎ドラマで,ちょっとイタリー映画「道」(54)のジュリエッタ マシーナに似ていて,わたくすが最も敬遠するテーマです。無教育で,無知な女性とそれを利用する,これも無知で粗野な男性の野蛮な取引が実に不健康だと思ってしまうから。ところがほとんどの男性はこの2本の映画をとことん,最高の映画だと評価するのです。嫌ですねえ。  この初映画にして初主演でエミリーは世界中の賞の候補になって,オスカー賞にもノミネートされました。 劇団同志のジャック ウオーターズと95年に結婚,娘がひとりと私生活は至って安定しているが故に,エミリーは,大胆な役に挑む事が出来るのではないでしょうか。 わたくすが好きなのは「アンジェラの灰」(99)での絶望的に貧しいアイルランドの母親を激演した映画,日本家屋のぼろさより,朽ち果てた西洋の建物のぼろさ,トイレはバケツで 大雨が降ると飲料水と下水が全てが混ざってしまったり,と言う順応不可能な家屋の違いの不便さをしっかり見せつけられました。 それから「ほんとうのジャクリーヌ デユ プレ」(「ヒラリー アンド ジャッキー」)(98)でのチェロ奏者,ジャクリーヌとヒラリーの姉妹の実話。オーストラリアの女優のレイチェル グリフィスがヒラリーを演じて,難病で演奏が出来なくなるジャッキーを見守る姿が健気でしたし,今も活躍中のイスラエルの指揮者,ダニエル バレンボイムの凛々しい夫ぶりも心に響くものでした。 最近では「戦場の馬」(
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OWEN    WILSON いかにもアメリカの巨大州,テキサスはダラス生まれのオーウエン ウイルソンです。 2003 「シャンハイ ナイト」 鼻はへし曲がり,いつも眠そうな目つき,いい年をして、金髪の前髪を坊ちゃん刈りみたいに垂らして,大きな図体をソファに埋めて,ビールを飲みながら,げっぷをする,良く言えば自然体の甘ったれ,悪く言えば,成長が止まった馬鹿息子のオーウエンは,それだからこそ,女性に愛され,監督は彼を起用したがるのでしょう。 もともと俳優になるタイプは,もっと悪賢かったり,繊細だったり,内向的な性格を持っていて,オーウエンのような男性はアメフットやバスケに燃え,スピード車を乗り回し,女の子に不自由する事無く,父親とゴルフに行き,母の日に,赤い薔薇とコーヒーとクロワッサンを母親のベッド迄運んで行ったりする,典型的中流の能天気息子で,大学を出るとそのままストレートに仕事に就き,結婚して,子供が出来て,たまさかの浮気等する,そうです、ジョージ ブッシュ(息子の方)がその極上のサンプルです。 1968年11月8日,広告会社の重役,後に公共放送の幹部になって,英国喜劇のモンテイー パイソンの「フライング サーカス」(69)等の放映に力を入れたと言う,理解に溢れた感のある父親とフォトグラファーの母親のもと,オーウエンは生まれた時からトラブルメーカーだったそうで,学校は放校になるわ,高い私立のミリタリースクールに入れられても 悪さばかりし,フットボールチームで鼻を折ったり,2度目はけんかで再び折って,今の有様だとか。 3人の男兄弟の真ん中,と言うのも彼の真面目に行動するなんて恥ずかしいぜ!てな性格の原点でしょう。 テキサス大学で知り合ったウエス アンダーソンと組んで 「ボトル ロケット」の脚本を仕上げ,これをハリウッドのプロデユーサーが5百万ドルの制作費を出すと引き受け、 2006「 CARS 」 オーウエンが主演のいとも奇妙な映画が96年に完成、 2005 「ウエデイング クラッシャーズ」 全くヒットせず,しかしオーウエンの間延びした声や母性愛に訴える(?)不良っぽさがクールとすぐに「ケーブル ガイ」(96)(ジム キャリー主演)に出演、翌年は「アナコンダ」,98年にはアクシヨン大作「アルマゲドン」とスムースに
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SIENNA    MILLER どことなく不安さが漂う金髪の美女,シエナ ミラーはしばらくの間スキャンダルの渦の中に生きてました。 「アルフイー」(04)で共演した当時,最初のワイフと別居中のジュード ロウと婚約した矢先に,ジュードがベビーシッターと仲良くなって,子供が出来たり,しばらくして又くっ付いたり,離れたり、ゲテイー財閥の末端どら息子,バルサザー ゲテイーと婚約したり。最近ではウエールズ出身の俳優リース アイヴァンズと婚約,破棄をしてました。 婚約,不倫,破局の騒動に巻き込まれがちな,育ちが良くて,世間知らずの哀愁を帯びたタイプなのですね。 アクセントも態度も英国人なのですが,シエナの父親はアメリカ人の投資銀行家でとても裕福で,離婚後はアメリカ有数のインテリア デザイナーと再婚。シエナは1981年12月28日にニユーヨークに生まれてますが母親が南アフリカ生まれのモデルで,一時はデヴィッド ボウイの仕事をしていたなど,と華やかな環境なのです。その母親は後にロンドンでリー ストラスバーグ 演劇学校を経営し、そのせいでシエナは英国の私立の名門校で教育を受けてます。 イギリスのハイソサエテイーのアクセントで話し,モデルをしていたり、 2005 「カサノバ」 どことなくお高いポーズをとってしまうのが,ジュードたちを魅了したのでしょう。 「アルフィー」では、ニユーヨークに住むリムジンの運転手にして,ロンドン下町育ちのプレイボーイのジュード ロウが籠絡する女性のひとりと言う役でしたが,ふたりの情事が発覚され,ほとんどストーリーにそったロマンスだったので,映画自体も注目されたのです。オリジナルのマイケル ケインの「アルフィー」(66)とは比べ物にならない弱い内容でしたが。 「ファクトリー ガール」(06)がシエナの演技力を見せたベストの作品でしょう。東部の名家に生まれたエデイー セジウイックがアンデイー ウオーホールのアトリエ,「ファクトリー」で彼のミューズとなり,アルコールとドラッグびたりの生活を送ると言う実話をもとにしたドラマでした。 彼女がエデイーを熱演,ウオーホールをオーストラリアのガイ ピアーズが,ボブ デイランをモデルにした歌手をヘイデン クリスチアンセン、と配役がイマイチでしたが。 新作「ザ ガール ヒッチコックに囚
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MADS    MIKKELSEN デンマークはコペンハーゲンに1965年11月22日に生まれたマッツ ミケルセンの名前を初めて見たとき、 英語圏だったら絶対にファーストネームを変えなくちゃ、と思いました。MAD なんて,ロック歌手でもない限り,恐ろしい単語ですから。もっともスウェーデン語では,マシュウと同じなのですと。 「007 カジノ ロワイヤル」(06)で007のジェイムス ボンドとギャンブルをする,とびきり猟奇的で奇怪な悪役をした時の無表情な顔,あれこそショッキングなインパクトを与えてくれました。 当人も距離を置く,知的な人で,立派な英語で話します。スカンデイナビアの人達は,背が高くて、冷静で内気,頭も優れていて,英語等朝飯前と言うパターン通りの人なのでしょう。 父親はヘニングと言ってタクシーの運転手,兄のラーズは俳優と言う家に育ち、子供の頃は体操選手を目指し,お次はプロのダンサーとして8年間も励んだマッツは其れだけでは飽き足らず,演技を学び,今やデンマーク ナンバー ワン のスターです。ダンサーの鍛錬が彼のエレガントで歯切れの良い動作を生み出したのでしょう。もっとも背が高いので,あたふたせずに、ゆっくり,必要最低限の動きをするのは,本能的なのでしょうが。 2006   「CASINO  ROYAL」 2013  TV SERIES  「HANNIBAL」 誰かが調べたのですが,マッツはこれ迄4本もの映画で左目が悪い役をしているそう。「カジノ ロワイアル」でも左目が白くて、007との賭けのクライマックスで,一筋の血の涙が流れると言う場面がありましたし,「アダムス アップルス」(05)では左目にアイパッチをして出てきます。 気味の悪い存在に効果を上げる為なのか,本当に左目がどうかしているのか今度会ったら聞いてみます。 2000年には結婚してふたりの子供が居ますが,まず家庭生活等見せません。 2010年4月16日にはスウェーデンの騎士の勲章を授かりました。 「僕は役造りには自分でも恐ろしくなる暗い真剣になる。しかし自分自身を真剣に見る事は無い。それに有名になろうとか,賞を獲ろうと言った大志は全く無い。そう言う考えは邪魔なばかりだし」 と吐き捨てるように言うのもいかにも彼らしいです。 「シャネル 
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MARISA  TOMEI マリサ トメイに「貴方の苗字は,透明と言う日本語で透き通っていると言う意味なのよ」と言ったらとても喜んでいました。 初めて会ったのはアカデミー賞を受賞した「いとこのビニー」(92)の時。いかにもニユーヨークのイタリー系らしいちゃきちゃきした下町っ子の,誰とでもくっ付いて,仲良くなる気さくな女優でした。 1964年12月4日(娘と同じ日に生まれています),ブルックリン生まれですから,その時は27歳か28歳。ずっと若く見えたのは,人なつっこい性質のせいでしょうか。 以来何度も会見を経てますが,いつも抱きついて来るスキンシップが豊かなタイプでもあります。 弁護士の父親と英語教師の母親,アダムと言うやはり俳優になった弟が居て,母親はマリサの強いブルックリン訛りを直すように毎日激しく訓練したのですと。 「フラミンゴ キッド」(84)が映画デビュー。 「イン ザ ベッドルーム」(01)で2度目のオスカー賞候補となり,マリサの演技力に太鼓判が押されます。 この頃例のしゃがれ声で 「ロスアンジェルスでは若く見せないとそれは犯罪なのよ」と言ったユーモラスなコメントを吐いていました。 メル ギブソンと息の合った共演を見せた「ハート オブ ウーマン」(00)も彼女の度胸と肝っ玉がウイッテイーに展開します。 ミツキー ロークがカムバックした「レスラー」08)では心は錦(?)のストリップガールの役で3度目のアカデミー賞候補の激演を見せました。 「どうでも良いけれど,ニユージャージーの冬に裸になるのはちっとも楽しくなかったわ」 全く噂がない訳でもありませんが,今だに無傷の独身。 「結婚と言う枠で女性を見ないで欲しい。子供が女性の成就と言う考えも止めるべき」 とはっきりと意見を言う気丈な女優でもあります。 1992  「いとこのビニー」ジョー ペシと。 2001 「イン ザ ベッドルーム」 1997 「ウエルカム トー サラエボ」 2008  「レスラー」