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Showing posts from 2012
師走です。気をつけて道路など歩きましょう。 年末年始を日本で過ごすために,母の所に行ってきます。 お馬鹿な日本のテレビを見て,お鍋やおせちをたくさん食べてきます。 と言う訳でしばらくブログはお休みします。 良いお年を! 成田陽子
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SACHA   BARON   COHEN サーシャはアレキサンダーを縮小した名前で,サーシャ バロン コーエンは敬虔なユダヤ教信者、両親はイスラエル出身,1971年10月13日にロンドンで生まれたサーシャはオーソドックス ユダヤ教の家に生まれ,アッパー ミドルクラスの家に育ち,私立のボーデイングスクールから,イスラエルのキブツ生活を経て,ケンブリッジ大で歴史を学ぶと言う,典型的学業優先、のユダヤ系秀才なのです。 だからこそ,あの無礼きわまりない,呆れてものも言えないような,下品を通りこして、常識では不可能な喜劇を創作しては,演じてしまう根性と自信があるのでしょう。 又の名を,アリG,ボラット,ブルーノと使い分け,会見にも,役のまま出てきます。 2007 「スウィニー トッド」 2012 「レ ミゼラブル」 初めて彼を見たのは英国のテレビ番組「ダ アリ G ショー」(2000)でサーシャはアリ Gと言うギャングスタラッパーになりきって,知名人から政治家まで,無知蒙昧を装ってインタヴユーするのです。予期せぬ傍若無人な質問にユーモラスに答えようとする知識人も,彼の執念深く,何度も馬鹿な質問を繰り返すやり方に終いには怒り狂うのです。 それがサーシャ,いやアリGの狙いで,それが分かっていても,我慢の緒が切れてしまう,そして観客はアリの野獣的な取り組みに,エリートに対する羨望や恨みを晴らした気分になると。 「ボラット」(06)はカザクスタンから来たジャーナリストと言う名目で,アメリカの生活に顔を突っ込んで,大げさに感心したり,我が国のしきたりでは,と居間で大便をしてみたり,とおふざけがエスカレートしてきます。 この時、初めてあったのですが,もちろんボラットの格好と態度で現れ,女性記者の質問には答えないから,前もって男性記者に代弁してもらうように頼むこと,などとボラットが住む東ヨーロッパの異文化を利用して,知能犯の自分はメークと衣装の陰で,せせら笑っているのでしょう。 こう言う方法をとること自体,サーシャの巨大な自己PR欲と傲慢さを見せているのですが,次の「スウィーニー トッド」(07)では,主演のジョニー デップやテイム バートン監督に敬意を表して,ちゃんと普通の格好で現れ,まともに答えるのです。 そういう変幻自在な姿が
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ALBERT  FINNEY 「アメリカ人なら,感心するかもしれないが,英国でサーと呼ばせるのは,スノッブの他の何ものでもないと信じている.ミスターでたくさんだ」 と言って騎士の称号を断ったと言う,アルバート フィニーは,オードリー ヘップバーンに向かって「ビッチ」と言った世界中でもたった一人の男性だそうな。 もちろん映画の中の台詞ですが。「「いつも二人で」(67)と言うロマンテイックな映画です。 おまけに「アラビアのローレンス」(62)の主役も蹴ったのですと。法外な金がかかるのは,バカバカしいと。ピーター オツールが手がけて,結果的には良かったと思いますが,アルバートの勇ましい言動には定評があるのです。 「アラビアー」の代わりに出たのが「トム ジョーンズの華麗な冒険」(63)でした。そして若き26歳のアルバートの華麗にして,セクシーなこと! アルバートに初めて会ったのは「ミラーズ クロッシング」(90)の時。マンチェスター出身らしい,気取らない,それどころか,自己軽視が当たり前になっている姿勢が,事の他,新鮮でした。普通のスターの様にエージェントに仕事を頼まず,自分で連絡やギャラの交渉もするシンプルな生活を貫いている姿勢も頼もしいなーと感心しました。 「ビッグ フィッシュ」(03)の時はユワン マグレガーと共演して,二人でアメリカの南部のロケを大いに楽しんだ話をまるでパブにいる様に、ゆるゆると笑いながら,披露してくれて、これが英国人同士の気の置けない会話なのだなーと感じ入ったり。 このところハリウッド映画にぶっ続けに出ています。オーシャン12」(04)「ボ−ン」シリーズ (07と12)などなど。 2003 「ビッグフィッシュ」 そしておかしいのは最新のボンド映画「スカイフォール」でスコットランドのボンドの叔父貴(血はつながってないようですが)の役で,激しいテンシヨンのボンドと全く対照ののんびりじいさんを演じて,珍しく家族的なシーンを見せたり,今までに無い奇妙なスピードとバランスを展開します。
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CHER 本名はシェリリン サーカシアン ラ ビエーとアルメニアやインデイアンなどの血が混ざった長い名前です。 シェールに初めてあったのは,「「イーストウィックの魔女たち」(87)でジャック ニコスソンを相手に魔女を演じた時。まだ整形手術も初めの頃で,長めの顔と長い黒髪,それにかなりの長身で,舞台映えする,歌舞伎の女形のような性別の分からない妖しげな魅力がありました。 18歳でソニー ボノと結婚し,「アイ ガット ユー ベイビー」などの大ヒット曲を出した歌手でしたが,81年に ロバート オルトマン監督の舞台に出て,そのままその映画化に出演。タイトルは「Come Back to the Five and Dime, Jimmy Dean, Jimmy Dean」日本語の題は「我が心のジミー デイーン」(82)。 1990「恋する人魚たち」 「マスク」(85)も良かったし,「月の輝く夜に」(87)のシェールは,ニコラス ケイジを相手にお互いに人並みから外れた同志の愛情を新鮮に映して,アカデミー賞を受賞。この授賞式の黒いレースのスケスケの衣装は,まるでレビューショウのフィナーレに階段から降りて来る羽飾りの踊り子のようでした。オスカーの歴史に残る斬新な?ドレスとして有名です。 「ムッソリーニとお茶を」(99)の会見では,独特のしやがれ声で,ケラケラと笑いながら、 「50歳を過ぎると化け物っぽくしないと注目されないのよねー。ハリウッドは中年女優が目の前に立っていても,後ろの若いぴちぴちを観察しているのですもの。一人暮らしにもなれて、さばさばしているわ」 と女帝のごとくと言うか,丸山明宏のようでした。 一番最近 会ったのは,ラスベガスの「ファイナル ツアー」で2009年でした。彼女の「引退ツアー」は,「閉店出血大セール」で,何度も繰り返し,もう業界のジョークでもありましたが,この時は 「もう63歳,階段を唱いながら降りたりするのが怖くて」 と正直に告白。もっとも舞台の上では,常に若い美男子のダンサーがシェールにくっ付いて,転んだりしない様にエスコートしていましたが。 この時ちょうど「バーレスク」(10)と言う映画を撮り終えたところで,7年ぶりの映画出演でした。 「デジタルで顔を若く変えてもらえるかと思ったら,主役のクリステイ
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RUPERT   FRIEND ルパート フレンドは英国はオックスフォードシャー1981年10月1日生まれの31歳。 端正な正統派2枚目ですがまだまだあまり名前は知られてません。せいぜいが「プライドと偏見」(05)でミスター ウィッカムを演じて,主役を演じたキーラ ナイトリーと親しくなり,美男美女の新カップルとしてパパラッチに追いかけられ,二人のじゃれあっている写真が世界中に出回った事ぐらいでしょうか。 スター女優の美青年ボーイフレンドと言う扱いに辟易したルパートは,自ら制作,脚本を手がけた短編映画を作り,二人で共演したりして,誇りある古典劇俳優の才能を見せましたが,結局はその直後に二人は破局。 「ヴィクトリア女王/世紀の愛」(09)では勝ち気な女王をエミリー ブラントが好演,ルパートは女王の永遠の愛人にして夫のアルバート公を演じて,ルックスのみでなく,演技力もそれ以上と言う力を見せました。当時の華麗な軍人の制服や宮廷の衣装が良く似合うクラシックな顔と姿もタカラズカに迫る美しさ? 同年の「わたしの可愛い人シェリ」ではミシェル ファイファーに愛される年下の愛人と言う役を再び美しく愛らしく演じて,コスチューム ドラマのプリンスがおはこの様になってきました。 しかしここに来て じゃーん!前のページのクレア デーンズが主演して,目下アメリカのナンバーワン人気テレビドラマ「ホームランド」に登場! それもミステリアスにして暴力的で,タフで,頭が切れるCIAの腕効きエージェントと言うアメリカ人の役。 ダミアン ルイスがどうもモスレムに洗脳されて,テロリストになったらしい米国軍人を演じて,又もや英国人俳優がアメリカ人の政府の役人とは。主要キャストにここまで英国製を出すのもびっくり。 2009「ヴィクトリア女王 世紀の愛」 でもプリンスのイメージをかなぐり捨てて,ルパートは執念を燃やす調査官として,画面に濃く出てきます。 先日アメリカ人俳優がうなだれて,良い役をほとんど英国人かオーストラリア人の俳優に獲られてしまう!  と嘆いてましたが,ジムで筋肉を付けるのに励んでいるアメリカ人と長いこと演劇学校でハムレットやオセロなど演じてきた英国人の演技力の巾と深さのちがい。 それとアメリカ人にはエージェントや広報係が寄生虫の様に貼りついているため,ギ
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CLAIR   DANES クレア デーンズ 「ロミオ&ジュリエット」(96)でロミオのレオ デイカプリオの相手役をして,一躍有名になって,当時はレオファンから羨望と妬みの目で見られたクレア デーンズはニユーヨークのアーテイスト一家に生まれ,小さい時から,野望をたぎらせていたそう。 テレビシリーズの「アンジェラ・15歳の日々」(94−95)に主演した時に,初めて会ったのですが,当時15歳の彼女は髪の毛,全部をピンカールの様にとめ,肌色なので裸のように見えるドレスを来て,軍隊ブーツを履くと言ったアングラ ファシヨンで現れ,口をとんがらせて、 「将来はジョデイー フォスターの様になりたい。自分を小刻みに売りたくない。演技力で勝負して行く」 と力んでいる姿が,ボーイッシュで可愛かったのを覚えています。 1979年4月12日生まれですから,今33歳。 「ホーム フォア ザ ホリデー」(95)では憧れのフォスターが監督を手がけ,後に彼女にならってイェール大学に入学,オリヴァー ストーン監督の「U ターン」(97)、「めぐりあう時間たち(02)などの良質の映画を選んで出演。 2009年には英国俳優のヒュー ダンシーと結婚、 最近はテレビでの活躍が光っています。 まず「テンプル グランデイン」(10)では自閉症を抱えながら,見事に生きて行く実在の女性を演じてエミー賞を受賞。 そして現在人気ナンバーワンの「ホームランド」(11−)では中東専門のCIAエージェントを激演。余りハードに働いて精神安定剤を服用中と言う不安定な状態の時に、捕虜になってから凱旋帰国した米国軍人(英国人俳優のダミアン ルイス)が実はモスレムに改宗し,テロリストではないかと疑いながらも,ベッドインなどしてしまい,猜疑心と恋心に揺れ動く独身キャリアウーマンをヴィヴィッドに見せてます。 今朝クレアに男の子が誕生と言うニュースが入ってきたので,さっと書いて見ました。 2007「スターダスト」 グレートと言う名前をつけると「グレートデーン」になるわいな,と犬好きの妄想で勝手に偉大な犬種を思った次第です。
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RYAN  REYNOLDS カナダ出身のグッドルッキングのだんトツがライアン レイノルズでしょう。 同じカナダ人で同じ名前のライアン ゴスリングももててますが,それより演技力に集中力を払っているようですし。 メイド イン カナダは今いち激しさに欠けると言われますが、ブレンダン フレイザー,マイケル J フォックス,ジム ケアリーにセス ローガンなどなど,まあどちらかと言うとミルクトーストのグループですね。 しかしまあレイノルズ君のもてもて様は凄いものです。 年上のサンドラ ブロックと交際したり,突然,あのホットなスカーレット ジョハンセンと電撃結婚をしたかと思うと 2年足らずで別れ,すぐに次のホット女優,ブレーク ライブリーと交際中でなく,ゴールインしてしまうのですから。 まだ小粒ですが,結婚好きにかけては,エリザベス テイラーのようです。 2009「あなたは私の婿になる」 私めの歯医者さんのアシスタントもライアン様々で,「ちょっと寄り目じゃない?」などと言おうものなら,良い歯まで抜きそうなのです。 1976年10月23日カナダはバンクーバー生まれ。 オールアメリカンのスポーツマンの爽やかさが特長ですから ロマコメに重宝され,「グリーン ランターン」(11)でアクシヨンヒーローの主役に。 同じ頃に公開された,やはり緑色のヒーロー「グリーン ホーネット」(11)(主役は同国人にして喜劇俳優のセス ローガンと皮肉な偶然)の方が遥かにヒットしましたが。 ともかく素顔は,あくまでも軽快な好男子で,頭も良くて,パーフェクトなのです。 しかしあれほどの美女たちが熱中するのは、なんとも不可解!
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MELISSA     LEO 目下大評判の「フライト」(12)はデンゼル ワシントンが,ドラッグはするわ,アル中だわ、女遊びはするわ,と勤務寸前まで,遊んでいる機長を,見事にリアルに演じているのですが,最後の方の裁判のシーンで登場するメリッサ レオが又かっこ良いのです。航空機構の弁護士ってな役なのですが,真っ赤なスーツを着て,科学的なデータをもとに機長をやり込めて行きます。非情でなく,バランスの取れた道徳観でデンゼルを追求してく姿は,まるでペリー メイソンのごとくで,どちらに転んでも我々は拍手を送りたくなる二人の息詰る競演なのです。 メリッサ レオが一般の人の目に留まったのは「フローズン リヴァー」(08)でしょう。カナダとの国境の、川が凍り付く(ゆえにタイトルになっている)寒い街で,知り合いのインデイアン(いやネイテイヴ アメリカン)の女性と生活費を稼ぐために,違法移民をカナダからアメリカに運ぶ仕事をしています。彼らの生活は貧乏のどん底で,夫に逃げられたメリッサは,息子の世話に、ほとんどのこってないエネルギーを使いますが,もちろん息子はぶーたら文句ばかり。 2012「フランシーヌ」 鏡など覗く余裕も無いような彼女は髪を振り乱し,鼻水垂らさんばかりに働き続けて,国境保安官をやりすごすのです。 この,見ているだけで、しもやけが出来てしまうオリジナルの映画でメリッサのおばさんパワー爆発が見もの。 1960年9月14日ニユーヨーク生まれですから今52歳のベテラン、下積み生活が長かっただけに,貧乏な新人たちを自分の家に置いてあげたりする賄いのおばさん的世話好きな性格が覗けます。 昼メロで腕を磨いたあと「ホミサイド/殺人捜査課」(93)と言うテレビシリ−ズで人気が出てきて,徐々に映画の脇役をこなしてきました。 「21グラム」((03)とか「メルキアデス エストラーダの3度の埋葬」(05)などなど。 「フローズン リヴァー」の人間味溢れる演技でアカデミー賞候補になり,「ファイター」(10)のボクサー兄弟(と数人の娘たち)の母親役で堂々のアカデミー賞助演女優賞を受賞。 最初のアカデミー賞サーキットで,地味な女優と繰り返していわれ,2回目のアカデミー狙いの時は,自分でカメラマンや衣装係を雇って,豪華なセッテイングを背景に,セクシーにして
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IAN  MCKELLEN 「リチャード3世」(95)の大悪君主から「ロード オブ ザ リングス」(01)の賢人ガンドルフ,そして「X−メン」(00)の大悪漢マグネトと長身と貴公子的ルックスが画面に登場すると思わず膝まずいてしまいそうなオーラを放つイアン マツケラン。 1939年5月25日,英国のランカシャー生まれですから現在73歳。「ロード..」3部作はニユージーランド ロケ約2年,新シリーズの「ホビット」(12−)も3部作でニュージーランド ロケ18ヶ月と言う長い島流しにも,嬉々として参加するリーダーシップに溢れる冒険魂の持ち主です。 ご存知でしょうが,英国演劇界で初めて公式に自分はゲイであると発表したのが88年,世界中の演劇界はゲイで溢れているとは言え,役が狭まれる,ファンが離れる,ダブルライフのスリルを楽しむ,などなどの個人的理由から,わざわざカミングアウトする俳優はまだまだ少ないのです。 ルーパート エヴァレットも続いて、公式にゲイ宣言しましたが,当時の解放宣言をひる返して、今は「主役を目指していたら,隠れていたまえ」と警告しているのですから。 アメリカや西洋の街でレインボウ カラーの飾りが電柱などについている通りはゲイ フリー 地区だったご存知ですか? 私にも親しいゲイの友達が居て,そう言う情報は彼らが教えてくれるのですが,まだまだ嫌がらせや,暴力を振るう思慮のない人々がごまんと居る訳で,公共の立場の人には難しい判断でしょう。 2012 「ホビット」(THE HOBBIT:AN UNEXPECTED JOURNEY) さてイアンは,同性愛者の権利を守るために情熱的に活動し,英国では初めてゲイとして騎士の勲章を授かったのが 1991年。 運命の皮肉は,イアンがカミングアウトしたBBCラジオ番組の司会者も騎士受賞のリストに乗っていた事。この司会者が,大変な保守主義者で,ゲイと言う言葉を使わずに,あいつらと言ったために,ゲストのイアンが怒って,「私もあいつらの仲間です!」と答えたのが始まりだったのです。 イアンに初めて会ったのは「リチャード3世」撮影中の93年でした。カンヌ映画祭で,会見があり,公開を前にお披露目があったのです。 時代を1930年代のヨーロッパの暗黒時代に移して,真っ黒な軍服姿を着て身体障害者のリチ
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TONI   COLLETTE オーストラリアのシドニー映画祭,1994年6月。ここでトニー コレット主演の「ミュリエルの結婚」(94)を見て,それから監督に会ったのです。その少し前まで有名だったクロコダイル ダンデイーを演じたスター,ポール ホーガンと同じ名前の監督は、P. J. ホーガンと呼んで欲しいにと言ってました。クロコダイルより遥かにすてきな、映画スターのようなルックスの気持ちの良いポールでしたし、あとからトニーに会ったときは,背が高く,手足が長く,すっきりスリムで スマートなのにびっくり。何たってミュリエルは太っちょで田舎っぽい女の子だったので。 役のために20キロ余り太って,ださく変身したとか。 このシドニー旅行は思い出が詰まっていました。まずパートナーのハンスに会った事。もう18年前ですねー。それからこの6月12日はロスアンジェルスで,あの O.J. シンプソンがブロンコの後部席で銃を頭に当てて,自殺するとわめいた日なのです。シドニーのテレビでも延々と生中継をしていました。 さてトニーは1972年11月1日,シドニー生まれ。 「ミュリエル」で共演したレイチェル グリフィスも同じ様に,アメリカに上陸して,同じように着着と女優街道前進を遂げました。 ハリウッドに来たトニーは,M.ナイト シャラマン監督の「シックス センス」(99)の違う世界が見える少年の母親を演じて,見事にアカデミー助演女優賞にノミネートされ,ロンドンやシドニーを行ったり来たりの世界的な脇役女優に成長します。 当人はケラケラと楽しそうに笑う,いかにも太陽とビーチのシドニー生まれで,隣のお姉さんの気さくな態度で,相手の体をばしばし叩いて,冗談を言ったりします。 レイチェルがテレビシリーズのレギュラーになって人気が出てきた様に,トニーも「ユナイテッド ステイツ オブ タラ」と言うコメデイー番組に主演し,09年にはエミー賞を獲得。 最近は「リトル ミス サンシャイン」(06)でのミス 少女コンテストに出る女の子の母親を手がけたり,今年は「ヒッチコック」(12)のヒッチの秘書を軽妙に演じて,独特の変わった風味を添えてます。 1999「シックス センス」 1994「ミュリエルの結婚」ハンス、トニ、右端は監督のJPホーガン 「めぐりあう時間たち」(02)も「
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KRIS    KRISTOFFERSON 見るからに体制に反抗するリーダーのようなクリス クリストファーソンは、最高レベルのエリートの教養と知性をわざと隠しているようなところが,反逆児たる所以なのでしょう。 「スター誕生」(76)のバーブラ ストレイザンドとの共演がもっとも知られた主演作でしょうが,この映画はこれで3度目の映画化なのです。 クリスはテキサス州ブラウンズヴィルに1936年6月22日に生まれ,父上は空軍の大将で息子を軍人にしたかったそうな。しかし何と言っても反抗児のクリスは,ボクシングやフットボールで活躍したり、勉強にも強く、全米でももっとも優秀な学生に与えられるロードスカラーの栄誉を得て,英国のオックスフォード大に入学して文学を専攻,その後,父親を満足させる為かどうかは分かりませんが,陸軍に入り,西ドイツで4年半程過ごして,大佐の位を得たばかりか、ヘリコプターのパイロットとしてもならす、と言う珍しい進路を取ってます。 ロードスカラーのOBにはビル クリントン元大統領や異色監督のテレンス マリック等がいます。 次はアメリカの士官養成のエリート大,ウェストポイント陸軍士官学校で教師を務め、それから ナッシュビルに住む様になります。 ここでスタジオのトイレ掃除等しつつ,チャンスを狙い,ジョニー キャッシュに自分の曲を見せたところ,全く無視されたとか。ヘリコプターのパイロットの仕事もしていたクリスは,ある日ジョニーの家の庭にヘリコプターを着陸して,自作の曲を手渡して,やっと認められたと言う華々しいエピソードは有名です。 そのうち売れ出して、カントリーのシンガーソングライターとして70年代の初め「サンデー モーニング カミングダウン」とか「ミー アンド ボビー マギー」等数々のヒットを出しました。 「ハイウェイメン」と言うバンドはクリスとジョニー キャッシュ,ウエイロン ジェニングスとウイリー ネルソンと言う凄い顔ぶれのメンバーでした。 映画デビューは「ラスト ムービー」(71)。音楽も担当してます。 トラバドールと言うクラブで唱っているクリスを見て,サム ペキンパーが「ビリー ザ キッド・21歳の生涯」(PAT GARETT & BILLY THE KID)(73)に起用したのが二人の友人関係の始まりです。 そ
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ANDY   GARCIA キューバ人の情熱と誇りを全身に込めて,いつも格調高く,エレガントに振る舞うアンデイー ガルシア。 初めて会ったのは87年の「アンタッチャブル」で青二才の,しかし根性を秘めた若い警官を演じた時。オールドプロのショーン コネリーが目を付けた,激しい目つきの若者でした。 「ブラック レイン」(89)の会見で、ほとんど号泣したアンデイーの表情は一生忘れません。 ー松田優作の思い出をお話しして頂けますか。 「ユーサクが病気だとは知っていたが,まさかあんなにすぐに亡くなってしまうとは!!僕の映画に対する情熱をユーサクはよく分かってくれて,兄弟のような気持ちをお互いに持ったのだよ。日本人のプライドと愛国心と義侠心が僕のキューバに対する気持ちと似ていて,僕らは血がつながっているねって誓い合ったのだから。撮影現場で彼ほど勇気と情熱を見せるのは,特にハリウッドのマイケル ダグラスとかのベテランの前では難しいのに,ユーサクは,全く躊躇しないんだ。だから僕も凄く力づけられたし,ユーサクがハリウッドに来たら一緒に仕事をしようって約束していたのに!」 と目が真っ赤になったかと思うと涙がぼろぼろこぼれてきて,ほとんど しゃくり上げる程の泣き方でした。こちらまでもらい泣きしてしまいました。 1994「男が女を愛する時」 ちょうど「ラスト エンペラー」(87)でジョン ローンが東洋の2枚目スターとして注目されていただけに,「ブラック レイン」を見た私めは,松田優作こそ,日本の誇る国際スターのチャンスがとうとう来た!と狂喜していたのです! それがあんなにすぐ逝ってしまって。。。 以来アンデイーに会うといつも,あの泣き顔が浮かんで,どうもセンチになってしまうのです。 自分に厳しい分,相手にも厳しく,お馬鹿な質問をしたりすると答えてくれません。いつも良い仕立ての趣味の良い服装をして,典型的ラテン男性の華美なスタイルとかはせず,品の良い、洗練されて知的な雰囲気を漂わせます。 1990年代はじめの会見はいつもビバリー ヒルトン ホテルで行われ,アンデイーは懐かしそうにこう言ってました。 「僕がハリウッドに来て初めてしたアルバイトがこのホテルのウエイターだったのです。だから今だに仲間が居て,お互いに昔話をしたりするのが楽しみ」 こ
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EVA  GREEN エキゾテイックでミステリアスなエヴァ グリーンは1980年,パリ生まれ。父親はスウエーデン人の歯医者,母親は有名なフランス人の女優,マルレーヌ ジョベール (「雨の訪問者」(69))、エヴァより2分前に生まれた双子の姉のジョイが家族。 女優に等絶対にならないで!と言う母親の忠告を全く無視して,パリの演劇学校から,ロンドンの演劇学校に行ったエヴァをイタリアの巨匠,ベルナルド ベルトルッチが発見。 「ザ ドリーマーズ」(03)が彼女の映画デビューとなります。パリの60年代を背景にパリジェンヌのエヴァを巡ってふたりのアメリカ人の若者とのデカダンな日々,一日中ヌードで,トロア メナージ(3人でのセックス)等にうつつを抜かす内容は,ベルトルッチお得意の新人女優を自由に操縦する手管が功を奏し、けだるい性生活が淡々と展開、かなりの評判になりました。最初はジェイク ギレンホールが若者の役を手がける筈があまりに気軽なセックス描写に恐れをなして,マイケル ピットがピンチヒッターに。 バスタブに全裸の3人が入って彼女の恥毛がゆらゆらするシーンが印象に残っています。 次はリドリー スコットの「キングダム オブ ヘヴン」(05)での王の妹の役。エドワード ノートンがライ病の為に仮面をかぶった王を怪演、鍛冶屋のオーランド ブルームに魅かれると言う役どころでしたが,彼女の活躍した場面はほとんどカッテイング フロアーに,と言う不満の残った映画になったようです。 「007/カジノ ロワイヤル」(06)でピアース ブロスナンから継いだダニエル クレイグのジェイムス ボンドとベッドインだけでなく,心も通じる仲になる英国大蔵省のエージェント,ヴェスパー リンド役を獲得。 初めてのブロンド髪のボンドとのコントラストを見せる為にこの時のボンドガールには、黒髪豊かなアンジェリーナ ジョリーの名前も上がっていたそうな。 豊満なボデイーとは言えなくとも,知性と魔女的な魅力を持つエヴァはいつものボンドガール以上の存在感を見せました。 翌年の07年「ライラの冒険・黄金の羅針盤」では魔女の役を手がけて,一緒のシーンこそありませんでしたが,ダニエル クレイグが主演のおとぎ話の映画化でした。 「良い俳優になるより有名になる方が重要だと言うハリウッドの風潮は嫌い」 「
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BILLY  CONNOLLY ちょっと前まで,ビリー コノリーは怒りん坊で悪名高かったのですって。英国人記者の話ですが。 「ミセス ブラウン」(97)でジュデイー デンチ演じるヴィクトリア女王の厩番,ミスター ブラウンを演じた時に始めてビリーの会いましたが,最初から終わりまで,玄人のコメデイアンだし、パブや舞台裏でならしたジョークの連発で,怒りん坊とは全く思えませんでしたが、若い頃の体制に反抗する姿勢を聞くと、さもありなんでした。 何と言ってもスコットランドの労働者階級の街,グラスゴーに1942年11月24日に生まれ,大英帝国が大嫌い,スコットランド独立を叫ぶ、根っからの反逆児なのですから。 バンジョーがお得意で「ハンブルバムズ」(謙虚な浮浪者)と言うフォーク バンドでならし,後にゲリー ラファーテイーと組んで「ベイカー ストリート」を結成,同時にスタンダップ コメデイー でも名を馳せたのです。 今回は新作「クワルテット」(12)と言うダステイン ホフマンが初監督のオペラを中心にした映画に出ていること、 来年(13)と再来年(14)の「ホビット」シリーズに出ていることでニユーヨークはマンハッタンの瀟洒なホテルで会見となりました。 ぼさぼさの白髪にデニムの上着につぎはぎだらけのズボン,まあるい眼鏡に,インデイアン ジュウェリーと60年代のヒッピーの出で立ちで「ヤーホー!ラブリー ツー シー ユー オール!」と現れました。 凄いスコットランド訛りで,おまけに大きな声が楽しい傍若無人ぶりです。 「デザイナーの服なんて糞食らえ!ですよ。あいつらはみんな制服を創っているのだから。ナチのユニフォームであれ,警官であれ,制服は大嫌い。だから僕は60年代のままの格好をしている。ヒッピーを貫いてます。スーツを仕方なく着るときは花模様の柄のやつを着ますよ」 あらゆる名詞の前に、F ワードをちりばめて,それが又彼のチャーミングな人となりを強調しているのです。 「「ホビット」の原作なんて読みませんよ。トルケンなどと言った作家の本は大嫌い。ああいう本を読む輩は,コーデュロイの上着なんか着ちゃって,胸に古典の本なんか抱えちゃって,ああいうタイプは嫌ですねー」 と気取ったスノッブの真似をするのが又、おかしいのです。 ひとしきりクラシックをおちょ
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JESSICA   CHASTAIN 私めの独断と偏見で判断すると今度のアカデミー主演女優賞はジェシカ チャステーンに決まりでしょう。 昨夜、ニユーヨークから帰って,あちらでは大勢のスターに会ってきたのですが,ジェシカの「HEIRESS」(女相続人)のブロードウェイの舞台が一番,印象に残っているのです。もちろんこれは舞台ですからトニー賞の部門ですが,彼女のモメンタムが最高。 既にナシヨナル レヴィユーアー賞を受賞の「ゼロ ダーク サーテイー」(12)でのCIAエージェントの役は華奢で女らしさを失わずに,あくまでオサマ ビン ラーデンの居場所を確信して,上司に訴える姿が何とも頼もしく,知力がみなぎって,思わず抱きしめたくなるような,素晴らしい演技なのです。 ちなみに「ゼロ ダーク サーテイー」は軍隊用語で夜中の12時半,オサマが死んだ時間を指しているそうです。 去年(2011)はジェシカの当たり年でした。 「テイク シェルター」ではマイケル シャノンが竜巻が来ると信じて地下壕を掘る夫のそばで,半分あきらめて静観している妻の役。 「ツリー オブ ライフ」では,ブラッド ピット演じる自己中心の夫の横で息子達をかばう妻の役。 「ヘルプ/心がつなぐストーリー」では南部の外見は安っぽくけばけばしくとも,心は優しく,黒人のヘルパーと親しくなる寂しい妻の役。 「英雄の証明」では,監督主演のレイフ ファインズと共演。「コリオラノス」と言うシェイクスピア劇の現代版の映画化でした。 「ワイルド サロメ」ではアル パチーノさえたじたじのサロメの役。 「キリングフィールズ/失踪地帯」では,ヘレン ミレンが演じるイスラエルのモサッドの女性スパイが若かった頃の役をファイトシーンも凄まじく激演。 と6本の映画で,それぞれ主役の男性の邪魔にならない様に,しかし、しっかり自分の位置を保っていると言う難しい演技を見せました。 1977年3月4日カリフォーニア州の州都,サクラメントに生まれ,父親は消防士,母親は菜食レストランのオーナーシェフ、小さい時から踊りや舞台が大好き,ジュリアード音楽院を首席で卒業,古典劇「桜の園」「オセロ」など多くの舞台を経て,映画デビューは08年の「JOLENE」。 今年はまず「ローレス」(12)と言う飲酒法時代のギャング映画でシャイア
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米国西海岸も まもなく12月1日。 年の暮れは映画賞レースがスタート。と言う訳で最後の映画鑑賞と出演者のインタヴユーをしにニユーヨークに一週間行ってきます。 レオ デイカプリオ、ヒュー ジャックマン、ラッセル クロウ,アン ハサウェイとホビットの連中などなど。 目が回りそうに忙しいので,1週間ばかり お休みします。 ではでは。 風邪にお気をつけて。 2012 「テッド」のテッドとわたす。 成田陽子
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JOAQUIN   PHOENIX 昔の名前はリーフ フェニックス。 「ホアキンなんて学校で誰も読めない名前だったから、葉っぱのリーフに変えたんだ」 本名はホアキン ラファエル ボトムと良い1974年10月28日にプエルト リコのサンファン生まれ。 誰もが訝しがる様に、ブロンド、青い眼、テイーンが好む甘いルックスの4歳年上の兄、リバーと全く異なる、奥まった黒い目、傷がある唇に真っ黒な髪とよく見ると肩が少し左右で違うような体つきなど,見るからに問題児のようで、人を避ける表情のホアキンは本当に同じ両親から生まれたのかしら? もっとも3人の妹達もみんなラテン人の様に黒い髪に、褐色の肌ですからリバーがひとり変わっているのですね。 ともかく今年はホアキンのカムバック作「ザ マスター」(12)での演技がオスカー候補と騒がれています。 2008年に「俺はこれからラップ歌手になる。俳優は辞めた!」と突然宣言して、風変わりな彼の又もやの奇妙な言動と我々は驚いたりしませんでした。 結局、ケーシー アフレック(ベンの弟)が監督した「アイム ステイル ヒア」(08)と言うフエークのドキュメンタリー映画にラッパーに変身しようとするホアキンの姿を出したと言うやれやれ何ともお粗末な企みでした。ちなみにケーシのワイフはホアキンの妹なのですよ。 2007「RESERVATION  ROAD」 97年の「U ターン」以来、10回以上会見してきましたが、いつも「俺、こう言う場所苦手なんだー」「早く終えてタバコが吸いてーよー」「もう俺のことそんなに聞いてどーするんだよー」と言う沈黙の叫びが体からサイレンサーの様に飛び出してきます。 93年10月31日、ハロウイーンの夜、ドラッグ過剰使用で急死したリバーの横で、助けてくれ!どうにかしてくれ!とわめいていたホアキンの声が救急隊本部に録音され、そのテープが公開されたときは誰もが胸を突かれました。 以来ホアキンは絶対にリバーの話をしません。あれから20年近く。まだ傷跡はしっかりそこにあるようで、それがホアキンのトラウマになり、マスコミやファンに対してひねたり,いじけた態度を取るのでしょう。 「グラデイエイター」(00)での疑心暗鬼のエンペラー役はオスカー賞候補になり、「ウオーク ザ ライン」(05)ではジョニー 
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DEBRA   WINGER ちょっとかすれ気味で、お腹の底から出てくるような声が良いですね。デブラ ウィンガーの。デブラって日本語ですとちょっと響きが悪いけれどデボラ カーと同じ名前の源なのですって。ヘブライ語で “蜂” を意味するそうで、デブラの場合は彼女がユダヤ系なのと母親が、デブラ パジェットが大好きで、生まれたばかりの娘に同じ名前をつけたのですと。 1955年5月16日 (ひえー、わたしめの母親と同じ日に生まれたと今、気がつきました)オハイオ州クリーブランドに生まれて、今年57歳。 大学では犯罪学を専攻していたと言うのも、いかにも彼女らしいこと。遊園地でのアルバイトの最中、トラックから落ちて重傷を負い、入院、数ヶ月目が見えなくなったそうでこの時女優になるべしと決意したのですって。 76年 テレビシリーズの「ワンダーウーマン」の妹役、ワンダーガールの役でブレーク、映画では「アーバン カウボーイ」(80)でスターに。 2008  「レイチェルの結婚」 何と言っても「愛と青春の旅立ち」(82)のリチャード ギアの白い海軍の制服とのロマンス ドラマが有名です。 そして「愛と追憶の日々」(83)では母親役のシャーリー マックレーンと激論を交わし、この頃から凄い才能の女優だが、現場での折り合いが誠に難しい、と言う評判が立ちます。ショーン ペンの女性版と言う感じで、タフで頑固、仕事の上では妥協をしない、と言うデブラは、さらにボブ ケリーと言う州知事とロマンスを展開、その2年後にはテイモシー ハットンと駆け落ちをしてしまうと言う、スキャンダルの女王となりました。 マックレーンとデブラは両方オスカー賞にノミネートされ、マックレーンが受賞し、「私こそオスカーにふさわしいのですよ」とデブラを暗に叱責したスピーチをして又々騒がれたりもしました。 ジョン マルコヴィッチと共演した「シェルタリング スカイ」(90)は普通のハリウッド映画とちょっと変わって映画化は不可能とされるポール ボウルズの原作をイタリーのベルナルド ベルトリッチが映画化した不思議な映画。原作者のボウルズがバーに居る謎の人物をして登場し、ナレーシヨンも担当しています。 デブラのトラブルメーカーの原因は例の事故の後遺症と言う声もありますが、「ブラック ウイドウ」(87)
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GUY   PEARCE オーストラリア人と思われてますが、実は英国はエリーに、1967年10月5日に生まれ,3歳の時にオーストラリアに引っ越してきたそうな。10代の頃はボデイービルに熱中し,16歳のときは地区大会で優勝。それ故の筋肉質の肉体美なのですね。 同じようなパーフォーマンスと言う訳で,演技熱も高まり,劇団に所属。オーストラリアの超人気テレビシリーズ「ネイバーズ」のレギュラーになってアイドルの地位を得ます。 私達が彼の名を聞いたのは「プリシラ」(94)で砂漠を行くおんぼろバスの旅芸人,それも男3人が女装してのミュージカル,と言う設定でガイが最も若くて美しい女性(?)になった時。歳を取った先輩にテレンス スタンプの妖怪のような芸人,もう一人はヒューゴー ウイーヴィングと舞台はオーストラリアでも3人の男優とも英国生まれと言う奇妙な状況でした。 それからハリウッドでブレークしたのが「L.A. コンフィデンシアル」(97)で演じたロス市警の刑事役。同僚にラッセル クロウも居て外人組がのしているキャストでした。 「メメント」(00)は今だにはっきり分からない謎解きストーリーですが,クールな主役振りを見せて,一種のカルト映画の域に達しています。 2010 「英国王のスピーチ」
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FRANKA   POTENTE ドイツはデュルメンに1974年7月22日に生まれたフランカ ポテンテ(パワーと言う意味)の名前は先祖がシチリアからの移民だそうでその誇りと意気を見せてのイタリアン苗字なのだそうな。 何と言っても「ラン ローラ ラン」(98)での繰り返し繰り返し走っているローラのオリジナルにして,軽快な映画で世界中の注目を引いた,ちょっとファニーフェースの女優を覚えているでしょうか。 この映画の監督,トム テクヴァも若手の新鋭として評価を得て,私生活では主演女優とグッドルッキングの監督はロマンスを展開。 フランカはミュンヘンの演劇学校とニユーヨークのリー ストラスバーグ インステイテユートで演技をじっくり学んだ 後,再びトムの「プリンセス & ウオリアー」(00)と言うドイツ映画に主演。 そしてハリウッドデビューはジョニー デップと共演の「ブロウ」(01)と言うドラッグ取引のサスペンス映画でした。風変わりなルックスとぶっきらぼうな物腰がキュートなだけのフェースがはびこるハリウッドでは新鮮で強烈な存在感を見せたのです。ジョニーもフランカの陽気な人柄をいたく気に入ったようで,撮影の合間にドイツ語をたくさん教えてもらったと自慢してました。 「ほとんど悪態をつく時に利用出来るタイプの会話だったけれどね」とにんまりしてましたが。 マット デーモンの女友達の役を得て「ボーン アイデンテテイー」(02)と「ボーン スプレマシー」(04)に出演,ローラ ランで見せた切れの良い動きのアクシヨンを披露してます。 2012 「COPPER」 02年にトムと別れ,イライジャ ウッドなどとの交際があったのち、目下はアメリカとベルリンを行き来しつつ、1歳の娘,ポリーと暮らしているそうな。 当人はほとんど素顔で会見に出てくる程飾り気が無く,知的で、ユーモラスな素敵な女性です。 現在はテレビシリーズの「コッパー」と言う時代劇の警察官のドラマで,何と買春宿のマダムと言う,はまり役(?)を得て,楽しそうに快演中。血気流行るコップ連中の相談役を兼ねて,女丈夫振りを見せています。
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DAVID     THEWLIS デヴィッド セーリスと日本語で書くとセールスマンの様に聞こえて、THの発音を表記出来ないのが困ります。 1963年3月20日英国はランカシャー,ブラックプール生まれですから、ただいま49歳。両親はおもちゃ屋を経営していたとか。何となくひょうきんな彼の育ちが伺えます。 この時代の若者らしくデヴィッドの最初の情熱はロックンロール,「ドアー66」と言うバンドのメンバーでした。でも舞台の上で他人の振りをすると言う楽しみを覚え,演技学校へ。 93年のマイク リー監督の「ネイキッド」での文字どうり,裸になっての熱演でカンヌ映画祭男優賞に 輝き,次の英国若手演技派と注目されましたが,選ぶ作品はほとんど,低予算の独立系,おまけに役によって全く別人のようなルックス,どころか体型まで変えてしまう全身カメレオン型俳優ですから,よっぽどの映画オタクと映画で飯を食う輩以外はまず彼の名前と顔を同時に知らないでしょう。 「ハリポタ,アズカバンの囚人」(04)以来,ハリポタの 2011 「もう一人のシェイクスピア」 ルマス リピン教授役を得て子供達にはおなじみのおじさん俳優になってますが。 「セブン イヤーズ イン チベット」(97)はブラッド ピットが有名なオーストリアの登山家になって,チベットを訪れると言う映画でした。デイヴィッドは彼の相棒役で 私めが好きな映画でしたが,主人公がナチ支持者だったと判明してユダヤ系がマジョリテイーのハリウッドでは総スカンをくらい,ブラピが彼の過去など知らなかった,などと弁解して,後味の悪い過去があったのです。この役を手がけた為にデヴィッドは,中国入国永久禁止なのですと。 ブラピもそうなのか聞いた事はありませんが,リチャード ギアもチベット運動で中国からシャットアウトされてます。 「縞模様のパジャマの少年」(08)と言うユダヤ人の収容状の少年と近くに住むドイツ人の少年が塀越しに仲良くなって,お互いに洋服をとっかえごっこして起きる悲劇,と言うプロットを少しだけ聞いてもぞっとする映画ではドイツ人の父親を柔らかな雰囲気で好演,塀の内側も外側も人間は同じ と言う世界を見せています。 少し前までは,かなりダークな雰囲気も持ち合わせていましたが,この頃はさっぱりとして,
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ROMOLA   GARAI ロモナ ガライと言う変わった名前の若手女優は,ぽっちゃりとした肉付きと時代劇にしっくりの古典的なルックスを持った私めの御贔屓です。 香港生まれの英国人,1982年8月6日にロモナが生まれた時はまだ英国領でした。 ロモラと言う名前はローマの創立者,ロムルスの女名だそうで,まさにローマの女性の大理石像にふさわしい立派な肉体の持ち主です。 ひい祖父のバート ガライは1924年にロンドンに有名なキーストン プレス エージェンシーを創立,ヨーロッパの写真家なら誰でもガライと言う名前を知っているとか。父親は銀行家,母親は著名なジャーナリストと言うハンガリー系ユダヤ人の知的な家庭に育っています。8歳の時にロンドンに戻ったロモラは,父親の仕事の為に再びシンガポールやインドなどに住み,16歳の時にロンドン シテイー オブ ガールズに入学,それからロンドン大学に進学,英文学を専攻しつつ,学校の舞台劇に出る様になります。 ここでスカウトに見つかり,「ラスト オブ ザ ブロンド ボムシェルズ」(00)と言うテレビ映画のジュデイー デンチの若い時と言う役を演じました。17歳のロモラはここでエージェントを雇い,プロの女優としてスタートする決心をしたのです。 「ヴァニテイー フェア」(04),「エマ」(09)などの時代劇の脇役に出た後,「エンジェル」(07)では華々しく主役をこなし,同年の「つぐない」(アトーンメント)では嘘をつく妹(シアーシャ ローナン)が成長した時のブリオニー役,(後に歳を取ったブリオニーをヴァネッサ レッドグレーヴが演じています)をふくよな顔で演じて、少女時代と老女時代を演じた細めの女優達と全く違うところが何となくおかしかったですね。 それからBBCテレビシリーズの「エマ」(09)のタイトルロールを 勇ましく,優雅に演じて,ロモラのクラシックルックスはますます有名になったのです。 2012 「THE   HOUR」 目下BBC テレビシリーズの「ジ アワー」(11−)で1950年代のテレビ局の女性プロデューサーと言う役をぴちぴちのスーツに身を包み,ヒールの音をこだまさせて局内を闊歩して,古き良き時代のキャリアー レイデイーのセクシーなスタイルをじっくり見せてくれます。ちょうどドリス デイか、キム ノヴァクのよう
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TOM   HIDDLESTON ロンドン生まれ,今年の2月9日に31歳,貴公子的面持ちがスクリーンに寂寥感を漂わせる新星,トム ヒドルストンは前に紹介したヒュー ロウリー と同じ様に英国エリート育成プロセスの申し子でもあります。イートン校からケンブリッジ大の優等生、RADAと呼ばれる王立演劇アカデミーを出たトムはそれだけで何もアピールしなくても庶民は感心してしまうのです。パブリックスクールのコースは伝統と洗練を養い,同時に分際を知る心得も学ぶので,どこかに格調が漂います。もちろんどら息子や横柄な子息も多いでしょうが。 「戦火の馬」(11)で主人公の少年の愛馬を必ず守って世話を焼くからね,と優しく約束する英国将校の役をほのぼのと演じたのがトムでした。スケッチブックに馬の絵を描いて少年に送る教養が光ります。上官を演じたのが私めの御贔屓,ベネデイクト カンバーバッチで二人とも精巧に仕立てられた制服がよく似合い,乗馬姿も勇壮でした。 馬好きには耐えられない戦場の馬のシーンが暴力的に展開します。スピルバーグ監督の感傷と娯楽意図が交互に出てきて 食べすぎの気分になりましたが。 トムは英国のテレビで注目され,「ソー」(THOR ) (11)で “ロキ” という役を演じて,アクシヨン場面でも鮮やかな殺陣姿を見せました。同じ年のウッデイー アレンの「ミッドナイト イン パリス」では F. スコット フィッツジェラルドをプレイボーイ風に粋に演じています。 今年は売れっ子の年になり,「THE DEEP BLUE  SEA」では人妻レイチェル ワイスの若き恋人役、この映画はほとんど英国版「アンナ カレニーナ」でした。「アヴェンジャーズ」では再びロキの役を手がけて,目下 ロンドンで「ソー 2」の撮影中。 このセットを先日訪れたのですが,主役のクリス ヘムスワースの金髪,野蛮な大男の力づくの戦法と良い対照の漆黒の黒髪に真っ白な顔, 自信にたぎる頭脳戦のシーンを演じていました。髪型が髷が崩れた若殿のようで,雄々しくも,気高く美しかったのが,印象に残ってます。 クリスにはオーストラリア出身のごつさと田舎っぽさがあってそれが彼の魅力になっています。二人のコントラストがドラマを盛り上げていました。 これからのトム ヒドルストン(ちと覚えにくい名前ですが,カンバー
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BROOKE    SHIELDS 我らが国の皇太子さまがその昔,ブルック シールドのポスターをお部屋に貼っていて,さらに彼女が来日の折りには,デート(!)をしたと言う,プリンスと青い眼の女優のロマンスがかなったら,ブルック姫になっていたかもしれないのでした。 後になってブルックにこの事を聞いたら,ほんのり笑って 2011 「プリンスはとっても優しくて,博識な方でした」てな安全なコメントをしてきました。 「プリテイー ベイビー」(78)の少女娼婦役で話題になりましたが,何と言ってもステージママと言う言葉を広めた 彼女の母親の果てしない野望のもとに,11ヶ月の赤ちゃんの時からコマーシャルに出ていたすでにヴェテランの11歳(撮影当時)だったのです。ちなみにこの映画はフランス人のルイ マルが監督で、買春宿に住む美しい少女のブルックが競売にかけられると言うかな猟奇的なものでした。 その母上のテリーも元モデルで,自らの夢を美しい娘になぞらえたのでは。赤ちゃんモデルノブルックが15歳の時のギャラが一日1万ドルだったとか。90年代はじめの1万ドルですぞ。その後もカルビン クラインのジーンズの広告に性的不純本能をモヨオすポーズで登場してマネージャーの母親の常識を問われたり。 その “不沈戦艦テリー” が今年の10月31日に79歳で亡くなりました。長いことアル中で老人性痴呆症だったとか。ずっと前に会った事がありますが,ものすごいエネルギーと迫力のやり手マダムでした。 「母のことを批判する人は多いいけれど,勉強だけは優先だったのです。学校の時間内には絶対に仕事を引き受けませんでした。「ヴォーグ」誌の表紙の撮影が10時と連絡が入ると「ありがとう!では午後の3時に会いましょう」と答えてました。」 その母上のおかげで優等生のブルックは晴れて名門プリンストン大学に入ったのです。 ブルックは1965年5月31日生まれですから今年47歳,テニスのプロのアンドレ アガシと結婚と離婚、のちに脚本家と結婚し、現在2児の母と安定した暮らしを送っている様子。 映画歴を見るとめぼしい作品は余りありませんが,ブロードウェイの「キャバレー」などのの舞台劇に出たり,テレビシリーズで コミカルな演技を見せたりとそれなりに活躍しているようです。かっちりと目鼻立ちの整った
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ROBIN   WRIGHT 「フォレスト ガンプ」(94)でトム ハンクスの憧れの女性の役を寂しそうに,格調高く演じたロビン ライト,その少し前の「プリンセス ブライド ストーリー」(87)の美しい王女さま役で映画デビューしたのです。 余り庶民的でなく,愛嬌たっぷりとはとても言えない,ほとんど冷たい印象を与えるので,東海岸のエスタブリシュメント出身かと思えば,テキサスはダラス生まれ。父親は薬品会社の重役,母親は有名な化粧品会社,メリーケイの重役と裕福な家に育ち,クールな美貌を買われて,14歳からモデルとしてパリや日本で活躍。1980年代の雑誌等見ると彼女が出てくるかも。 「ステート オブ グレース」(90)でショーン ペンと共演して,翌年から一緒に住み,96年に正式結婚したのですが、常に満足しなさそうな,取っ付きにくいショーンと妥協を拒むようなロビンとの共同生活は,嵐や地震が絶えなかったに違いなく,何度もけんかのニユースや離婚訴訟を起こした等と書き立てられてました。 二人の間には子供ふたり出来て,娘はデイラン,息子はホッパーとそれぞれボブ デイランとデニス ホッパーの名を取ったのもショーン ペンらしいですね。 2009「50歳の恋愛白書」髪を黒く染めて。 ずっとロビン ライト ペンと言う名前を使ってきたのを 2009年頃からペンの名前を排除したのも,彼女の決意の強さを示してます。 「有名人とかセレブリテイー等と呼ばれるのが,とてつもなく嫌。女優をしている姿をスクリーンで見るだけで,満足して欲しい。日常生活等知る必要は無いでしょうに。 40歳を過ぎた女優が,これからは主人公の母親とか,独立した女性でも,多重人格とか,躁鬱病などを抱えての役ばかり,と不平を言うけれど,私に取ってはそれだけで充分。そう言う役こそやりがいがあるもの。美しく着飾っている女性なんて,今の世の中,珍けな存在でしかないでしょう」 と全くドライなコメントを吐くのも,媚びたりしないロビンらしいですが,その威厳と言うか心意気は大したのもです。 最近のロビンは「マネー ボール」(11)でのブラッド ピットの前妻役 (やけにリッチな暮らしをしている妻でした),「ドラゴン タトウーの女」(11)での失踪した女性役など,小さいけれども重要な存在を見せる役をこなしてい
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SYLVESTER   STALLONE 雷が鳴り,稲妻が走るローマの午後に今年の7月に66歳になったシルベスター スタローンに会いました。そのちょっと前に轟音と共にすぐ近くに雷が落ちたのですが,ミスターマッチョマンに,怖かったですねー,と同意を求めると、 「いやあー,ホテルのフロントの近くにいた僕は,コンシェルジェの腕の中に飛び込んでしまったよ。ワハハハ!」 とふざけてから、 「僕には怖いものはまず無いね。もう全て経験して,どうやって対処して良いか分かるから。小さい時は成績表を見るのが怖かった。悪いと母にこっぴどく叱られるから」 と可愛い事を言うのでした。 今回の会見は「ブレット ツー ザ ヘッド」(12)と言うウオルター ヒル監督の映画のPRで,スタローンは珍しく東洋人と組んで無意味なアクシヨンを繰り広げます。 顔の表面が月か火星の様にぼこぼこで,クローズアップのシーンはやけに暗いのが,何ともですが,目の前の彼はまあまあ何とか一瞥に堪えられるお顔で,整形をしすぎて,めちゃくちゃになったマスクはマイケル ジャクソンとかミッキー ロークと同様、とても凝視は出来ません。こちらの顔まで 溶けてきそうで,と書くと非情に聞こえるでしょうが,私めは彼の才能をこの上ないものだと昔から感心しています。 「ロッキー」(76)はあのテーマ曲と相まって士気を鼓舞してくれる力作ですし,ほとんどの映画をひとりで脚本,監督,主演してきたのも彼が自分自身を良く把握して,しっかり売れる作品に仕上げてきた腕は天才的です。そして自分を単細胞のキン肉マンにカリカチュアして,庶民の同感を得る あたりの巧みな設定,当人は脳細胞が常に激しく作動しているとびきり頭の良いスターなのです。 今回も窮屈そうなスーツを着て,よく回らない太い首を直立し,あの妙に響く声でこんな事を白状してました。 「今まで映画に出る度に,今度こそ最後の映画だと決意を固めて出てきた。だから死に物狂いでアクシヨンをし,全く出し惜しみをしないから,体中の骨が折れる程の怪我をしてきた。今回も同様で筋肉は裂け,骨と言う骨が音を立てて砕けそうだった。しかしスタントマンを使う事が出来ない。別に自我とか,優越感ではなく,自分の役を自分で全うしてこそ やったと言う満足が得られるから。」 今まで何十回と会ってきまし
今 ローマに来ています。天高く,あくまで青く,古跡が 荘厳な姿でそびえています。映画祭に出席しているのですが 余り忙しくないので,気楽に過ごすつもりです。 と言う訳で,16日までお休みにします。 アルヴェデルチ 成田陽子
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MICHAEL   PENA 両親はメキシコから移民してきた農民でシカゴのサウスサイド(ブルーカラー地区)で工場の仕事を得てもルーツは忘れず,父親は小さな庭にトウモロコシ,トマト、タマネギ等を植えて,近所の人から好奇の目で見られたそうな。メキシコ人といじめられない様にと二人の息子は放課後,家にいる様にと言われ,テレビを見ては英語と演技を見て取り,それが昂じて自分たちの劇を作り始めたのが,マイケル ペナの俳優のスタートでした。 1976年1月13日生まれですから今年36歳。 向上心豊かな両親の支持で地元の私立の名門校に入学,17歳の時,両親の友人にオーデイシヨンをすすめられ、ピーター ボグダノビッチの「TO  SIR, WITH LOVE  II  」(96)の役を得て,ここからマイケルの演技熱が急上昇。 いかにもメキシコ系のルックスを活かして,次々に役を得ます。ニコラス ケイジ主演の「セカンズ」(00)とかクリント イーストウッドの「ミリオン ダラー ベイビー」(04)でのだじゃれを飛ばすアマチュア ボクサーの役 などなど。「クラッシュ」(04)ではアンサンブル キャストとは言え準主役,そして再びケージと共演の「ワールド トレード センター」(06)で勇敢な消防士を激演して マイケルの名前はかなり広まりました。 ロバート レッドフォードが監督,出演した「大いなる陰謀」(07)ではイラクで戦う兵士の役で出てましたが,このエピソードがあまりにもとって付けたようで,国会議員のトム クルーズと彼をインタヴユーするジャーナリストのメリル ストリープの場面だけが印象に残るものでした。風刺と皮肉にあふれて、腹に一物も100物も持つ二人の駆け引きが,両方のスターの持ち味を活かしていました。全く評価されずにに消えてしまった映画でしたが。 と言う様にマイケルは,街のはぐれもの,消防士,兵士と言った現実のメキシコ人の現状を反映する役ばかりするようですが,ここに彼は生の人間の生命を吹き込むのです。彼の表情から,マイナリテー人種だが,俺たちも苦労して生きているのだ!と言う迫力が伝わってきます。 「タワー ハイスト」(11)はエデイー マーフィーとベン ステイラーの冒険喜劇でしたが,ここでもマイケルは独特なルックスを突き出して,自分の出番を決めています。 そ
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KATE   HUDSON 「あの頃ペニー レインと」(00)のケイト ハドソンは新鮮で,可愛くて,イキイキとしていました。79年生まれですから,撮影時は20歳、芸能界ファミリーに育ったにしては、純粋の恥づかしさも漂って それはそれは光ってました。原題は「オルモスト フエイマス」(有名になるちょっと手前)と言って,後にローリングストン誌のライターになるパトリック フィジェットが人気ロックンロールのコンサートを取材に行って,追っかけギャルのケイトに会って,もちろんスターに振られたケイトが自殺を図って,彼が助けると言うシーンで,ケイトがソファに横たわっている図は,「アパートの鍵貸します」(60)でのシャーリー マックレーンをコピーしたのです。 当時新鋭監督だったキャメロン クローはビリー ワイルダーとの会話集を出した程のワイルダー狂で,あのシーンは亡き巨匠へのオマージュですと言ってました。 脇を固める俳優達も素晴らしく,フィリップ セイモア ホフマンのお宅雑誌の編集長、フランシス マクダーモンドの母親、ビリー クルダップのロック歌手 などなど。 さてケイトは言うまでもなくハリウッドの女神、ゴールデイー ホーンとミュージカル/コメデイートリオ の「ハドソン ブラザース」の長男、ウィリアム ハドソンとの間に生まれた娘で,両親は76年に結婚して,80年,つまりケイトが生まれた翌年に離婚、ホーンが後に仲良くなったカート ラッセルを父と信じて育ったそうな。 まさにカルフォーニアの太陽のようなケイトは(共演のとびきり上手だったパトリックはその後さっぱり売れてない)「サハラに舞う羽根」(02)ではヒース レッジャーの恋人役と次から次へ軽い恋愛映画に出て ロマコメのプリンセスのような存在に。 「ママと買い物に行くとほとんど同じようなアクセサリーやドレスを好きになるのよ。だから取りっこしたりする。欲しいとなるとサングラスを一度に5個ぐらいかってしまうのもママと同じ」 そしてママの方もこんな愚痴を言ってました。 「ストッキングとかスカーフと言った小物が見つからない時は,犯人はケイトとすぐ分かる。彼女の部屋に行くとちゃんとあるのだから!」 まあ何ともの物質主義はアメリカらしいですが,彼女の屈託の無さが魅力なのですから。 2000年にロックミュー