MY GRANDFATHER TAMETSUGU OKADA

MY GRANDFATHER  TAMETSUGU OKADA

明日の8月15日の終戦記念日に
NHK 特別番組 二。二六事件(昭和11年、1936年)の全貌、最高機密に迫る
午後7時半
が放映されます。
しばらく前から従妹にお祖父様のことを知りたいとNHK
から何度も連絡があるけれど、と言われても、私は40年も前にアメリカに来て、それは毎年帰るものの、全く浦島花子となってしまって、何も思い出せないので助けられません
と伝えていました。
それがこの番組の取材だったのです。

祖父は 岡田為次 (ためつぐ) と言って最後の位は海軍少将でした。
2.26事件は陸軍が絡んだクーデターだと思ってましたが当時の海軍がこの事件を緻密に記録していたようで、その書類がおおやけになった模様。
もちろん詳細は全く分かりませんが日本歴史の血塗られた暗い部分(テレビ風惹句)ですから、これまでとは異なるアングルからの事実が出てくるのは非常に興味深いことです。

母が生きていたらさぞかし役に立ったでしょうし、エキサイトしたことでしょう。
そして母がやはり2月の大雪の日に(2014年2月24日)睡眠薬自殺を遂げたのも何となく東京の大雪のドラマ性を感じさせます。
岡田為次がどのように出てくるのか興味津々ですが、テレビ放映のことですから祖父の引用などは編集カットで出てこないかもしれません。

母は祖父に斉藤七五郎 と言う日露戦争時に旅順港の封鎖を成功させた海軍の中将にして司令官を持ち、
斎藤七五郎 中将 (わたくしのひいおじいさま)
父親が少将、親戚も海軍兵学校出身者が多く、結婚した相手は(つまり私の父親)は兵学校を主席で卒業、第二次大戦時はゼロ戦のパイロットとして敵国米国のB−29戦闘機を何機も墜落させたヒーローだったそうですから、母はもう海軍と聞いただけで目がキラキラ光ってしまう大ネイヴィー ファン でした。

シルエットだけで何という戦艦だか駆逐艦だかを当てる名人(当時はそういう男の子は大勢いたそうですが)でもありました。
残念ながら祖父の写真は手元にはありません。


中央がクーデター主犯の栗原安秀 中尉 (後に銃殺刑)





大礼服の高橋是清

このクーデターで高橋是清 大蔵大臣が亡くなりましたがこの偉人は私の仲良しのクラスメートのお祖父様です。

連絡してきた従妹の父親は陸軍の近衛兵で乗馬が大得意でしたし、この叔父の父親は中国で敵中横断何千里だかの手柄を立てた陸軍の有名な将校でした。
建川美次 という名前だったと思います。

母は海軍オンリーの人で何かと陸軍に文句を言ってましたが海軍のオフィサーは士官と呼び、陸軍では将校と呼ぶと教えてくれました。

終戦記念日を控えて突然のニュースに日本の歴史と自分の家族の歴史をいたく感じたて、ちょっとブログにしたためました。

NHK の番組紹介をコピーしてみます。

全貌 二・二六事件 
~最高機密文書で迫る~
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初回放送

2019年8月15日(木) 
午後7時30分~8時43分
関連ジャンル
歴史・紀行


私たちが知っていたのは、“真相”の一断面に過ぎなかった―。

今回NHKは、あの歴史的事件の一部始終を記録した「極秘文書」を発掘した。1936年2月26日、首都・東京の中枢で首相や大臣が襲撃された、近代日本最大の軍事クーデター「二・二六事件」。これまで、事件に関する主な公的記録は、完全非公開で“暗黒裁判”と言われた陸軍の軍事裁判資料とされ、事件をリアルタイムで記録した1次資料はなく、多くが謎とされてきた。事件から83年がたった今、見つかった「極秘文書」によって、青年将校たちの反乱と、その鎮圧にいたる「4日間」の詳細が明らかとなったのだ。
文書を密かに記録していたのは海軍。事件発生直後から現場に解き放った「調査部隊」や、密かに設置された「見張所」からまさに分単位で緊迫の状況を記録していた。陸軍の幹部が事件の裏で行っていた知られざる会談や、海軍が、反乱を超えた大規模な内戦まで想定して備えていたことなど、文書に残されていた「新事実」の数々に、解析に当たった専門家も息を呑んだ。  


二・二六事件後、軍国主義を強め戦争に突入していった日本。首都東京を大混乱に陥れ、国家の運命を分ける転換点となった歴史的事件の全容に迫る。

友人の物知り博士の青木さんが説明をして下さいました。

彼の文の引用です。

Ken Aoki 写真中央が事件の首謀者の一人、栗原安秀中尉(銃殺刑)ですね。思想的に右も左も行き着くとあまり変わらないように見えるの一例。事件の要因には国内外の大問題、世界大恐慌による昭和恐慌、三陸沖地震による大津波による東北地方の大被害、異常気象による東北地方の冷害による大凶作などなど、東北の大窮状があり、また今以上に熾烈な外交・国防上の問題があり、政府、軍部がこれに全く対応出来ていない、結果が出ていない様にしか庶民からは見えず、東北では女性の身売りが普通の状況となってもおりましたが、一方 当時の財閥と政治家、高級官僚は庶民から見れば呑気な父さん毛が3本...の状況に見えたと。日本の官僚組織の中心 陸軍も統制派(陸大出の高級官僚・南進論)と皇道派(陸軍士官学校は出たが陸大行けない庶民派、現場の下級将校・北進論)との対立で、統制派は肉を切らせて骨を断つ、つまりヘッドの永田鉄山らを見殺しにしてでも(相沢中佐は永田殺害を公言していた。)対立する皇道派を一網打尽、一層する機会を伺っていたことも事実です。こう見ると今の日本も組織の対立構造あまり変わっていないでしょ?昔と違うのはアメリカ様が絡んでいるので内部対立が昔ほど急激に激化しにくいのですね。でも、いつか来た道となる可能性が全くないとは言えないのです。
日本から友人が送ってくれた岡田為次海軍中佐の映像です。

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