RAUL JULIA

RAUL   JULIA


ラウル ジュリアには3回位会いました。ラテン系の男性としてはめっぽう背が高く,威厳と格調が豊かで,そばに居るだけで安心感を与えてくれる博愛の情も漂わせてました。

最後に会ったのは「闇に抱かれて」(95、死後の公開)の時で,げっそり痩せて,青白く,誰もがひどい状態だと見て取れましたが,そーっと「健康状態は如何なのですか?」と聞くと
「非常に良いですよ。役の為にダイエットをしているのです。大した効果でしょう!」
と軽く一蹴。真っ赤な嘘と知りつつ,わたくすは息を殺してうなずいたのでした。

1988「愛と哀しみの十字架」
会見は1994年のはじめで,この年の10月24日にたった54歳で亡くなってしまったのです。死因は脳卒中の合併症と発表されました。

1940年3月9日,プエルトリコのサンファンでレストラン経営の両親のもとに生まれ,小学1年の時に学芸会で悪魔を演じて,その迫力と演技力に会場がしーんとなったとか。
英語もしっかり学んで小学生の時にシェイクスピアを朗読したと言う怪童でした。

しっかりプエルトリコ大学で歴史を専攻したものの演技熱は高まる一方で地元の劇団に入って演技を磨きます。
卒業してすぐニユーヨークへ。ここではスペイン語が話せる事が役に立って,もろもろの舞台の役が舞い込みます。
メリル ストリープと「三文オペラ」や「桜の園」で共演したりと70年代後半はブロードウェイのスターに。
ふたりの競演を今もう一度是非みたいものです。

映画の方は「蜘蛛女のキス」(84)の政治犯の役で注目され,「モーニング アフター」(86),「推定無罪」(90)などの良い味の助演を見せます。

この頃に初めて会いましたが,軽快なウイットを飛ばす洒落た人となりがいかにも舞台出身らしく,ヨーロッパの俳優のようなダンデイズムがとても素敵でした。

「アダムス ファミリー」(91)と続編(93)ではお化け一家の家長,ゴメス役をコミカルに,ワイルドに演じて一躍ハリウッドのメジャー スターとなりましたが,当人からは有名人などと言うステイタスを重要に思っている節は全く伺えなかったと言いましょう。

この写真は「愛と哀しみの十字架」(88)と言う神父のドラマでカソリック教に育ったに違いないラウルの冒瀆の罪の深さが痛く感じられる映画でした。
同年の「パラドールにかかる月」は南米の政治をおちょくったコメデイーで,ここでは全く違うアピールを見せています。
少し後の会見での仕立ての良いスーツを着こなし、とびきりハンサムな彼とのツーショットがどこかにある筈ですが見つかりません。発掘に成功したらお目にかけましょう。


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