DEAD SEA and MASADA ISRAEL JUNE 20 2014
DEAD SEA AND MASADA ISRAEL JUNE 20 2014
ジャック ニコルソンとモーガン フリーマンの喜劇映画に「バケット リスト」(07)と言うのがあって,死ぬ前,つまり棺(これをバケツと呼んでいます)に入る前にやっておきたい事のリストと言うわけで、わたくしのバケット リストのひとつは死海でぷかぷか浮く事でした。
エルサレムから死海へは1っ本道を約1時間,簡単,簡単とイスラエルに住んでいた友人は言いますが,何せ,パレステイナ領を通らなければならず,治安が今いちなので,レンタカーはあきらめ、ガイド付きのバスツアーに。お一人さま約150ドル,朝の7時半から午後の6時頃まで,昼食は自分持ち。
見渡す限りのベージュ色の砂漠を通り,死海のほとりにどんとそびえるマサダに到着。ケーブルカーで頂上に。高い岩山のてっぺんにまずユダヤ教主が要塞を建てたのが紀元前103年,次はヘロデ王が紀元前37年に敵に攻められた時の避難場兼冬の別荘にと豪華なお城を建立。細かい事は歴史の本を参照して頂くとして,わたくしめがマサダを知ったのはピーター オトウールがローマの将軍を演じて,この高山の要塞を攻める大歴史テレビ映画「マサダ」(1981)でした。アイライナーを濃く塗って,征服欲に燃える将軍役を例によって,怪演,相手役のユダヤ人の親分はピーター ストラウス,他にアンソニー クエイルなど英国演技人が天下に怖いものなしのローマ人を演じています。山の麓にキャンプを張ってマサダ攻撃の作戦を練り,8000人の兵隊が960人のユダヤ人征伐を開始。
そしていよいよ皆殺しの前夜,ユダヤ人たちは集団自殺を図り,この惨憺たる光景を見るオトウールの表情が見ものでした。ユダヤ教やキリスト教は自殺を認めないのですが,この行為はユダヤ人の誇りを示す尊い行為として,彼らの心の中に生きているようです。
ガイドがその時の決意を描いた詩を若い男の子に読ませて、改めて歴史上の悲劇を強調してました。
砂漠のど真ん中の岩山ですから,暑い事ったらありません。しかし頭の良いユダヤ人は,風の通り道,などを利用して,涼しい部屋を作ったとか。
そして待望の死海です。海と言っても湖ですが、ホテルが立ち並ぶゴージャスな地区ではなく,キャンプ場のような場所で水に入ると浅瀬でも簡単にプカプカ浮きます。と言うより泳いだり出来ず,足が勝手に浮き上がって,バランスを取るのにちょっと時間がかかりました。深い方までカメラを持っていけないので,この通り,下の小石が見える浅瀬での記念撮影ですが,底に坐っているわけではないのです。
口に入った水は,塩辛いのを通り越して,ぴりぴりと苦くて、うえーでした。立ち泳ぎもけっこう難しくて,直ぐに体が浮いてしまいます。
泥パックも試しましたが,油が入っているのかなのか、べとべとで,洗っても洗ってもべとべと、水着は汚れがなかなか落ちませんでした。
本当はここに一泊して思う存分,死海の滋養を味わうつもりだったのですが夏なのでどこも満室,空いているのはユースキャンプで男子用と女子用に別れトイレやお風呂が共同,などと言ったスパルタン スタイルなので老人は遠慮した次第。イスラエルで名高いキブツ(共同生活コンミューン)も周りにあります。
一緒のバスのドイツ人の若者ふたりは小魚がうごめく水槽に足を突っ込んでのマッサージを受けてました。「くすぐったい!」と言ってましたが、ちょっと魚尊重人種としては,気味が悪い趣向だと思いました。ピラニアだったら,どうなるだろうなー、などと考えたりして。
イスラエルはやはり気楽に行ける国ではありませんでした。入国の時に身分を証明する手紙を持て(今時留学生のように紹介状のような手紙を書いてもらいます)、出国は4時間前に行け,などと脅かされましたが,手紙は必要ありませんでしたが、いつ要求されるか分かりません。
出国は,あらゆる旅行者がまず荷物検査を受け,朝の4時だと言うのに飛行場が人間で満員で、その光景が何とも不安になります。普通は登場航空会社のカウンターに行くのですが、ここではまず政府の検査を受けるので,見渡す限り、ずらーっと人が並んでいるのです。こう言う時,政府の高官やブラッド ピットらは違う入り口から入るのだろうな、と思ったりもしました。
おまけにトルコ航空という余りメジャーではない航空会社だったのでゲートに行っても何の表示もなく,遅れたというアナウンスもなく,全く訳が分からないまま,待たされます。係員など居ないので,誰もどうなっているのか分からないという,古代の飛行場みたいでした。約1時間半待って,お腹がすいたのでスナックを買いに行って,戻って来たら,改札が始まっていて,何の説明もないまま,人々は黙々と進みます。メインの時刻表はオン タイムと表示されたままと言う困った状況で、これが先進国の表玄関か!とげんなり。
一人旅だったら、もっともっと不安感に襲われたでしょう。
ともあれ旅に不便や不都合や危険はつきもの。珍しいものを見に行く時はなおさらですから、これも良い経験でした。
ジャック ニコルソンとモーガン フリーマンの喜劇映画に「バケット リスト」(07)と言うのがあって,死ぬ前,つまり棺(これをバケツと呼んでいます)に入る前にやっておきたい事のリストと言うわけで、わたくしのバケット リストのひとつは死海でぷかぷか浮く事でした。
エルサレムから死海へは1っ本道を約1時間,簡単,簡単とイスラエルに住んでいた友人は言いますが,何せ,パレステイナ領を通らなければならず,治安が今いちなので,レンタカーはあきらめ、ガイド付きのバスツアーに。お一人さま約150ドル,朝の7時半から午後の6時頃まで,昼食は自分持ち。
見渡す限りのベージュ色の砂漠を通り,死海のほとりにどんとそびえるマサダに到着。ケーブルカーで頂上に。高い岩山のてっぺんにまずユダヤ教主が要塞を建てたのが紀元前103年,次はヘロデ王が紀元前37年に敵に攻められた時の避難場兼冬の別荘にと豪華なお城を建立。細かい事は歴史の本を参照して頂くとして,わたくしめがマサダを知ったのはピーター オトウールがローマの将軍を演じて,この高山の要塞を攻める大歴史テレビ映画「マサダ」(1981)でした。アイライナーを濃く塗って,征服欲に燃える将軍役を例によって,怪演,相手役のユダヤ人の親分はピーター ストラウス,他にアンソニー クエイルなど英国演技人が天下に怖いものなしのローマ人を演じています。山の麓にキャンプを張ってマサダ攻撃の作戦を練り,8000人の兵隊が960人のユダヤ人征伐を開始。
そしていよいよ皆殺しの前夜,ユダヤ人たちは集団自殺を図り,この惨憺たる光景を見るオトウールの表情が見ものでした。ユダヤ教やキリスト教は自殺を認めないのですが,この行為はユダヤ人の誇りを示す尊い行為として,彼らの心の中に生きているようです。
ガイドがその時の決意を描いた詩を若い男の子に読ませて、改めて歴史上の悲劇を強調してました。
砂漠のど真ん中の岩山ですから,暑い事ったらありません。しかし頭の良いユダヤ人は,風の通り道,などを利用して,涼しい部屋を作ったとか。
そして待望の死海です。海と言っても湖ですが、ホテルが立ち並ぶゴージャスな地区ではなく,キャンプ場のような場所で水に入ると浅瀬でも簡単にプカプカ浮きます。と言うより泳いだり出来ず,足が勝手に浮き上がって,バランスを取るのにちょっと時間がかかりました。深い方までカメラを持っていけないので,この通り,下の小石が見える浅瀬での記念撮影ですが,底に坐っているわけではないのです。
口に入った水は,塩辛いのを通り越して,ぴりぴりと苦くて、うえーでした。立ち泳ぎもけっこう難しくて,直ぐに体が浮いてしまいます。
泥パックも試しましたが,油が入っているのかなのか、べとべとで,洗っても洗ってもべとべと、水着は汚れがなかなか落ちませんでした。
本当はここに一泊して思う存分,死海の滋養を味わうつもりだったのですが夏なのでどこも満室,空いているのはユースキャンプで男子用と女子用に別れトイレやお風呂が共同,などと言ったスパルタン スタイルなので老人は遠慮した次第。イスラエルで名高いキブツ(共同生活コンミューン)も周りにあります。
一緒のバスのドイツ人の若者ふたりは小魚がうごめく水槽に足を突っ込んでのマッサージを受けてました。「くすぐったい!」と言ってましたが、ちょっと魚尊重人種としては,気味が悪い趣向だと思いました。ピラニアだったら,どうなるだろうなー、などと考えたりして。
イスラエルはやはり気楽に行ける国ではありませんでした。入国の時に身分を証明する手紙を持て(今時留学生のように紹介状のような手紙を書いてもらいます)、出国は4時間前に行け,などと脅かされましたが,手紙は必要ありませんでしたが、いつ要求されるか分かりません。
出国は,あらゆる旅行者がまず荷物検査を受け,朝の4時だと言うのに飛行場が人間で満員で、その光景が何とも不安になります。普通は登場航空会社のカウンターに行くのですが、ここではまず政府の検査を受けるので,見渡す限り、ずらーっと人が並んでいるのです。こう言う時,政府の高官やブラッド ピットらは違う入り口から入るのだろうな、と思ったりもしました。
おまけにトルコ航空という余りメジャーではない航空会社だったのでゲートに行っても何の表示もなく,遅れたというアナウンスもなく,全く訳が分からないまま,待たされます。係員など居ないので,誰もどうなっているのか分からないという,古代の飛行場みたいでした。約1時間半待って,お腹がすいたのでスナックを買いに行って,戻って来たら,改札が始まっていて,何の説明もないまま,人々は黙々と進みます。メインの時刻表はオン タイムと表示されたままと言う困った状況で、これが先進国の表玄関か!とげんなり。
一人旅だったら、もっともっと不安感に襲われたでしょう。
ともあれ旅に不便や不都合や危険はつきもの。珍しいものを見に行く時はなおさらですから、これも良い経験でした。
塩のアート? 死海のミネラルを使った化粧品のお店 |
スネークパス(蛇の道)をケーブルカーで登ります。 |
部屋のひとつ |
お風呂かサウナ,外からの日光が差し込んでます。 |
亡くなる前に記録をと個人の名前が刻まれている石。 |
ケーブルカーの駅 |
死海の眺め。 |
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