AL JOLSON AND HILLSIDE MEMORIAL PARK


AL JOLSON & HILLSIDE MEMORIAL PARK 


コロナ危機のために運動不足になりがちなシニアの私達は時々近辺の有名な、または興味のある場所を尋ねることにしました。先日の ソーファイ スタジアム SO FI STADIUM と フォーラム FORUM  も同じ目的でした。

10月26日(日)

 カルバー シテイー CULVER CITY にあるユダヤ教の人々のための墓地、ヒルサイド メモリアル パーク HILLSIDE MEMORIAL PARK へ向かいます。

全米でも指折りに巨大で混雑するフリーウェイ、405号線のロスアンジェルス国際空港の少し北の地点からしっかりと見えるように建てられた豪華なお墓が、歌手のアル ジョルソン AL JOLSON だとは知っていましたが現場を訪れたことはありません。

前もって調べたところ、1941年にオープン、土曜日はユダヤ教の祭日に当たるので閉園とのこと。日曜日の午後 墓地の門をくぐると女性が出て来て、私達の熱を手首から測って通過オーケーとこの広い場所でもコロナ感染を防止していました。

入ってすぐ右側の丘の上にジョルソンの豪華な大理石の墓碑とそこから落ちるせせらぎが見えますが、ここは最後に訪れようと残しておいて、35エーカーという敷地に並ぶお墓やら、約5軒ある荘厳なデザインの霊廟を見に行きます。

ハリウッドの地元にあるのでユダヤ系の有名人が大勢祀られているそう。例えば喜劇俳優だったジャック ベニーJACK BENNY(1894−74)などなど。

ユダヤのシンボルであるダビデの星 STAR OF DAVID のマークがそこかしこに飾られ、それぞれ3階建ての霊廟は格調高いデザインの数多くの引き出しが入っています。

お金持ちのユダヤ人の寄付が多いのでしょう。あちらこちらに花が植えられ、芝生も樹木も生き生きとし、噴水はあくまで元気いっぱいに水を噴き上げていました。


ジョルソンは1886年6月9日、リトアニア LITHUANIA のユダヤ人の家庭に生まれ、米国に移民、朗々とした歌声で評判になり、ボードビル VAUDEVILLE の芸人として頭角を現し、顔を黒く塗って黒人の「ミンストレル」MINSTREL を真似、「キング オブ ブラックフェイス」KING OF BLACK FACE として有名に。

1927年の「ザ ジャズ シンガー」THE JAZZ SINGER に主演している他、数々の映画に登場しています。ジョージ ガーシュイン GEORGE GERSHWIN が1919年に作曲した「スワニー」SWANEE はジョルソンの人気持ち歌の一つです。

1950年10月23日 ジョルソンが亡くなると、世界中の名高い人々から追悼の辞が寄せられました。

さて、ジョルソンのお墓のメモリアルは未亡人が建てたそうで、彼が歌っている銅像、両面に名前が刻まれている石碑、流れ落ちる水の小川が続いています。

現在は、黒人の真似をして、顔を黒く塗る等という行動は、タブー中のタブーで大学時代にふざけて靴墨を顔につけた写真などが出回ったためにしばらく休業にさせられるほど叩かれたタレントなどが多くいます。

今、ジョルソンのブラックフェイスを見直すとホラー映画のようで、かなり不気味でショッキングですが昔はそのインパクトをショウビジネスに利用したのでしょう。


ジョルソンの銅像の横で。

上の写真とちょっと違うのです。


ジョルソンの豪華なお墓。

霊廟で名字がハンスというユダヤ人のお墓を発見、上の上の方に見えます。











Al Jolson





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