MY MOTHER'S 96TH BIRTHDAY

 MY MOTHER'S 96TH BIRTHDAY


5月16日は母のお誕生日、生きていたら96歳、大正14年生まれの戦前、戦中、戦後の女性でした。

以前にも母の遺した「気をつけて欲しいこと」をブログに載せましたが、又新しく思い出したことをちょっと書いておきたいと思います。

ワタクシが種痘を受ける時、母は保健所の人に「腕ではなく腿に接種して下さい」と頼んで、あの醜い種痘の跡を服で隠れる場所にしてもらったのです。戦後まもなくで、多くの母親は保健所のような「政府のお役人」に種痘をしてもらうだけでも感謝しなければいけないと考える中、娘の将来を考えて、そういうリクエストを申し込んだというのが素晴らしい積極的な行為だとつくづく思っています。

そして、私の腕にはあの、4つか3つの種痘の跡はなく、左の腿にほのかに残っていて、それを見るたびに「母の強さ」を感じています。


それから、今、ワタクシが後悔している事は、亡くなる半年ぐらい前、やっと新しい老人ホームに入るのを承知して、その準備を手助けした時、すべての所持品に名前を書かなくてはならず、気乗りしない母を「このくらい、自分でしなさい!」とマジックペンを渡して、下着一枚、一枚に名前を書かせたこと。

結局入居前に母は自殺してしまいましたが、この下着は全てアメリカに持ち帰って、今、私が重用しております。純綿で、暖かいので、アメリカ製のペラペラして、やけに薄くて小さいものより、遥かに使い心地が良いのです。

記憶力が衰えていくのを自覚して、あらゆる上着やコートのポケットに自分の名前、住所、かかりつけの医師の名前と電話番号を手書きしたカードを駅で配られる テイッシュが入っているビニールの小袋に入れて、万が一の時に備えていた母。

人の迷惑になるのを最も恐れていたためにまず、自分の健康とコンデイションを優先して、気乗りしない外出はすぐに断ったり、かなり、わがままに振る舞っていたのも今になるとよく分かります。

これは前にも書いたと思いますが、ドアや戸は必ず、閉まるまで手を離さず、静かに、ゆっくりと閉めていたのも、往年のお嬢様時代のマナーが忍ばれていました。私はすぐに手を放してバッタンと閉めてしまうことを繰り返していますが。

5月になると母の毅然とした表情を思い出して、自分のたるんだ生活を少しずつでもきりりと改善しようと決意するのです。



アリゾナのツーソンでのカウボーイ パーテイー。サボテンのトゲに刺されて大変でした。



ワタクシ、母、杉葉子さん




愛犬のチャウ、スキ と母。


スキ、母、ハンス、娘  ウッドランドヒルズの家。

これは祖母、真ん中はワタクシの親友だった貞子ちゃん

母の結婚式、帝国ホテル。

母が国際電話の交換手だった頃。


80歳のお誕生日、オークランドのクレアモント ホテルで。

大船のカサ ブランコ で。

大船



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