APOLLO THEATER HARLEM NY
APOLLO THEATER HARLEM NEW YORK
アポロ劇場はニユーヨークのハーレムにある名高い劇場でスが場所が場所だけに(黒人街),余り普通の人は行きませんが,今まで3回程,試写やプレミアで行く事が出来ました。
今回はジェイムス ブラウンがここで有名になり,亡くなった後,この劇場で追悼ショウが開催されたと言う強いつながりがあるため,彼の伝記映画「ゲット オン アップ」のプレミアも7月21日の夜に1500席のほとんどが埋まって,盛況の中,大成功の公演となったのです。
始まる前に周囲を散歩したのですが,ロスアンジェルスの黒人街のワッツは99パーセント黒人なのに,ハーレムの方はラテン系やアジア人の顔もちらほら混じっていました。
アポロ劇場の近くに,天を駆けているようなポーズの勇ましいな男性の巨大な銅像があって,この人の名前はアダム クレイトン パウエル ジュニア とありました。
後で調べると1865年生まれの政治家で,銅像は白人の顔なのですが、両親共に混血で,彼は黒人とは言え,ほとんど白人(と言うかラテン人のような)整った目鼻立ちで,ニユーヨークから出た初の黒人議員なのでした。大変な政略家で,黒人の雇用を巧みに広げて行ったのです。マーチン ルーサー キングの先導となった様子。1953年に63歳で亡くなったとありました。
劇場の周りにはぎんぎん、けばけばのスーツや靴が並んでいる洋服屋がずらり。わたくしが男だったら,たまにはてかてかに光った赤いジャケットに赤と紫の縞のタイ,ピンクのシャツに,紫のズボンとピンクの人工クロコダイルの靴など穿いて,プレミアに出席したいと思いました。そう言う凄まじい色のコーデイネイシヨンが,シック,スマートと澄まして黒かグレイしか着ない今,実に個人のアピールがあって、とても良いと思いました。俗にこう言うスタイルをピンプ(売春斡旋業)のようだとも言いますが。
さてアポロ劇場は1913年に完成,ネオクラシカルのデザインでもろもろの被害やダメージを受けて,改築を繰り返し、1983年には国立天然記念建物のような存在になったようです。古い劇場は写真に撮ったり,見学するときは良いものの実際に坐って2時間半の映画や長いショウなどを見ると椅子は小さいし,足のスペースは全く無い上に、階段などは狭くて,急で、暗い中で上り下りしたら転げ落ちかねません。トイレと来たら,私でさえ身動き出来ない程の狭さで、ドレスや夜会服など着ていたら,どうなるのだろうと心配になるほどでした。
実は以前に何の映画で来たのか,良く覚えていませんが,その時は小規模で1階で見たのでした。今回は何と4階のバルコニー席で下を見るとぞっとする程に急勾配で,これは球場で言うところの鼻血席(余り高いので鼻血が出る)と言えましょう。観客の7割は黒人で,そのきらびやかな服装を大いに楽しみました。加減と言う言葉を持たない黒人は,精一杯の一張羅を上機嫌で,大いに楽しみながら着て来るのです。
そして映画が始まると大歓声で喜び,ジェイムス ブラウンの歌が始まる時,終わる時には盛大な拍手をします。まるでライヴのパーフォーマンスをしている劇場にいるように。体中で楽しむ黒人たちを見ているとこちらまで嬉しくなって,スクリーンに向かって何度も拍手をしてしまいました。
スターのチャドウイック ボスマンたち、制作のミック ジャガーは本人そっくりな16歳に息子(普通なら孫の歳ですが)を同伴して,誇らし気でしたし,この映画でジェイムス ブラウンのライバルにして友人のリトル リチャードを怪演しているブランドン スミス(25歳)に、素晴らしい名演だったと言ったら「嬉しーい!」と抱きついて来ました。全く知らない俳優なのに、心の内容がすぐに通じるような,そう言う原始的なコミュニケーシヨンが出来るのが黒人の本能パワーなのでしょう。
ほんもののミセス ブラウンも派手なドレスでリズムに乗って踊ってましたし、誰も彼も妙な自意識など捨てて,自由にダンスの動作をしたり,お互いに褒め合ったり。
アポロ劇場では,ハリウッドでは味わう事の出来ない,もっと土地に根付いた人々の純粋な歓喜が感じられました。
アポロ シアターと言う劇場は、他にもシカゴ,ロンドンなどにあるのも発見しました。
アポロ劇場はニユーヨークのハーレムにある名高い劇場でスが場所が場所だけに(黒人街),余り普通の人は行きませんが,今まで3回程,試写やプレミアで行く事が出来ました。
今回はジェイムス ブラウンがここで有名になり,亡くなった後,この劇場で追悼ショウが開催されたと言う強いつながりがあるため,彼の伝記映画「ゲット オン アップ」のプレミアも7月21日の夜に1500席のほとんどが埋まって,盛況の中,大成功の公演となったのです。
始まる前に周囲を散歩したのですが,ロスアンジェルスの黒人街のワッツは99パーセント黒人なのに,ハーレムの方はラテン系やアジア人の顔もちらほら混じっていました。
アポロ劇場の近くに,天を駆けているようなポーズの勇ましいな男性の巨大な銅像があって,この人の名前はアダム クレイトン パウエル ジュニア とありました。
後で調べると1865年生まれの政治家で,銅像は白人の顔なのですが、両親共に混血で,彼は黒人とは言え,ほとんど白人(と言うかラテン人のような)整った目鼻立ちで,ニユーヨークから出た初の黒人議員なのでした。大変な政略家で,黒人の雇用を巧みに広げて行ったのです。マーチン ルーサー キングの先導となった様子。1953年に63歳で亡くなったとありました。
劇場の周りにはぎんぎん、けばけばのスーツや靴が並んでいる洋服屋がずらり。わたくしが男だったら,たまにはてかてかに光った赤いジャケットに赤と紫の縞のタイ,ピンクのシャツに,紫のズボンとピンクの人工クロコダイルの靴など穿いて,プレミアに出席したいと思いました。そう言う凄まじい色のコーデイネイシヨンが,シック,スマートと澄まして黒かグレイしか着ない今,実に個人のアピールがあって、とても良いと思いました。俗にこう言うスタイルをピンプ(売春斡旋業)のようだとも言いますが。
さてアポロ劇場は1913年に完成,ネオクラシカルのデザインでもろもろの被害やダメージを受けて,改築を繰り返し、1983年には国立天然記念建物のような存在になったようです。古い劇場は写真に撮ったり,見学するときは良いものの実際に坐って2時間半の映画や長いショウなどを見ると椅子は小さいし,足のスペースは全く無い上に、階段などは狭くて,急で、暗い中で上り下りしたら転げ落ちかねません。トイレと来たら,私でさえ身動き出来ない程の狭さで、ドレスや夜会服など着ていたら,どうなるのだろうと心配になるほどでした。
実は以前に何の映画で来たのか,良く覚えていませんが,その時は小規模で1階で見たのでした。今回は何と4階のバルコニー席で下を見るとぞっとする程に急勾配で,これは球場で言うところの鼻血席(余り高いので鼻血が出る)と言えましょう。観客の7割は黒人で,そのきらびやかな服装を大いに楽しみました。加減と言う言葉を持たない黒人は,精一杯の一張羅を上機嫌で,大いに楽しみながら着て来るのです。
そして映画が始まると大歓声で喜び,ジェイムス ブラウンの歌が始まる時,終わる時には盛大な拍手をします。まるでライヴのパーフォーマンスをしている劇場にいるように。体中で楽しむ黒人たちを見ているとこちらまで嬉しくなって,スクリーンに向かって何度も拍手をしてしまいました。
スターのチャドウイック ボスマンたち、制作のミック ジャガーは本人そっくりな16歳に息子(普通なら孫の歳ですが)を同伴して,誇らし気でしたし,この映画でジェイムス ブラウンのライバルにして友人のリトル リチャードを怪演しているブランドン スミス(25歳)に、素晴らしい名演だったと言ったら「嬉しーい!」と抱きついて来ました。全く知らない俳優なのに、心の内容がすぐに通じるような,そう言う原始的なコミュニケーシヨンが出来るのが黒人の本能パワーなのでしょう。
ほんもののミセス ブラウンも派手なドレスでリズムに乗って踊ってましたし、誰も彼も妙な自意識など捨てて,自由にダンスの動作をしたり,お互いに褒め合ったり。
Adam Clayton Powell Jr. の肖像の前で。 |
4階席 |
プレミアのパーテイーで。 |
リトル リチャードを演じたブランドン スミスと。 |
ブランドン スミスと |
2006年のジェイムス ブラウンの追悼公演 |
プレミアに出て来たチャドウイック ボスマン(左)、ミック ジャガー(右)、真ん中の女優の名前はまだ判明せずです。 |
アポロ劇場では,ハリウッドでは味わう事の出来ない,もっと土地に根付いた人々の純粋な歓喜が感じられました。
アポロ シアターと言う劇場は、他にもシカゴ,ロンドンなどにあるのも発見しました。
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