BEN KINGSLEY
「ガンジー」(82)がベン キングスレーだと思う人も居るぐらいの巨大偉人伝記映画でしたが,現在の当人もほとんど巨大偉大俳優の自信と大志にみなぎっています。
1943年12月31日に英国はヨークシャーのスカーボローにマスレム教 インド人の医者の父と英国人の女優の母親の間にクリシュナ バンジーとして生まれ,小さい時から俳優に憧れ,大学を辞め、1966年にロンドンの舞台で「スマシング デイ」のギター兼ナレーター役でデビュー。
この舞台はビートルズのマネージャーのエプスタインが制作者でベンの才能に痛く感心し,ジョン レノンとリンゴ スターに紹介,二人はミュージシャンになれば絶対に成功すると薦めたそうですが,既に俳優になると決意しているベンは
断ったとか。
ガンジーならぬキングスレー トリオ(?)が世界中を風靡したかもしれないと言う運命の不思議です。
1970年後半までクリシュナ バンジーと言う名前を使っていたもののエスニックの役ばかりになるとベン キングスレーと変えます。キングスレーは彼の父方の祖父のザンジバーのスパイス商に由来するそうな。
1980年、サー リチャード アッテンボローの公募に見事に受かってガンジーの役を得て堂々3時間半の映画の主役を務めオスカーはもちろん世界中の演技賞を受賞したのでした。この後ベンは自分のインド人の血を極力消すように努力を続けますが来る役,来る役,静かなインテリの役ばかりと言う状態が続いたのです。
「バグジー」(91)のギャング役では再びオスカー候補,「シンドラーのリスト」(93)のユダヤ人の役でオスカー助演賞を得て今やインド系ではなく ヴァラエテイーのある役を手がける様に。
さて初めて会ったのは「ウィザウト ア クルー」(88)の言うマイケル ケインと共演したシャーロック ホームズ
をたねにした英国喜劇で,当時45歳のベンは何となくハリウッドの空気が肌に合わないようなそぶりをしていたのを思い出します。
次は「シンドラーのリスト」の時で,スピールバーグと意気投合したと嬉しそうでした。権力がある人とか大物が好きなタイプなのでしょう。
英国人記者が “ 彼が出ている映画は絶対に見たくない。
何と言うか勿体ぶった演技とどこかに卑屈さが見え隠れしているのがたまらない” と告白してましたが,実は私めにも薄々それと同じ印象を持ったのです。
2001年にナイトの勲章を得てから 誰にも彼にも “サー” と呼ぶ様にと要求し,現場のクルーなどは今更!と歓迎しなかったようですが,執念のサー ベンは記者連中にまで タイトルを忘れぬようと念を押す始末。
英国のベテラン俳優のサー,デイムがうようよ居る中,彼は自らの誇り高き称号に重きをおくのです。
“ 英国人としての誉れを常に感じていたい。”と。
「セクシー ビースト」(01)の悪者役,「砂と霧の家」(03)「シャッターアイランド」(10)の不気味な博士、等の底知れぬ悪魔風力を持つ男を演じると最高です。
売名行為 というか自己宣伝も大好きですから88年から合計20回ぐらいも会見をして来ました。いつも背をしゃんと伸ばし,サー ベンここに在りと威厳を保っています。
20年近く前のノートや写真を今度引っ張り出して又書いてみます。
最近ではかなり柔らかくなって,慈悲深い表情も漂わせ,4度目の奥方(31歳年下のブラジル人女優)を伴って会見に現れては まだダンスもロマンスもしっかり現役と自慢をしていました。
「ガンジー」(82)がベン キングスレーだと思う人も居るぐらいの巨大偉人伝記映画でしたが,現在の当人もほとんど巨大偉大俳優の自信と大志にみなぎっています。
1943年12月31日に英国はヨークシャーのスカーボローにマスレム教 インド人の医者の父と英国人の女優の母親の間にクリシュナ バンジーとして生まれ,小さい時から俳優に憧れ,大学を辞め、1966年にロンドンの舞台で「スマシング デイ」のギター兼ナレーター役でデビュー。
この舞台はビートルズのマネージャーのエプスタインが制作者でベンの才能に痛く感心し,ジョン レノンとリンゴ スターに紹介,二人はミュージシャンになれば絶対に成功すると薦めたそうですが,既に俳優になると決意しているベンは
断ったとか。
ガンジーならぬキングスレー トリオ(?)が世界中を風靡したかもしれないと言う運命の不思議です。
1970年後半までクリシュナ バンジーと言う名前を使っていたもののエスニックの役ばかりになるとベン キングスレーと変えます。キングスレーは彼の父方の祖父のザンジバーのスパイス商に由来するそうな。
1980年、サー リチャード アッテンボローの公募に見事に受かってガンジーの役を得て堂々3時間半の映画の主役を務めオスカーはもちろん世界中の演技賞を受賞したのでした。この後ベンは自分のインド人の血を極力消すように努力を続けますが来る役,来る役,静かなインテリの役ばかりと言う状態が続いたのです。
「バグジー」(91)のギャング役では再びオスカー候補,「シンドラーのリスト」(93)のユダヤ人の役でオスカー助演賞を得て今やインド系ではなく ヴァラエテイーのある役を手がける様に。
さて初めて会ったのは「ウィザウト ア クルー」(88)の言うマイケル ケインと共演したシャーロック ホームズ
2011「ヒューゴの不思議な発明」 |
次は「シンドラーのリスト」の時で,スピールバーグと意気投合したと嬉しそうでした。権力がある人とか大物が好きなタイプなのでしょう。
英国人記者が “ 彼が出ている映画は絶対に見たくない。
何と言うか勿体ぶった演技とどこかに卑屈さが見え隠れしているのがたまらない” と告白してましたが,実は私めにも薄々それと同じ印象を持ったのです。
2001年にナイトの勲章を得てから 誰にも彼にも “サー” と呼ぶ様にと要求し,現場のクルーなどは今更!と歓迎しなかったようですが,執念のサー ベンは記者連中にまで タイトルを忘れぬようと念を押す始末。
英国のベテラン俳優のサー,デイムがうようよ居る中,彼は自らの誇り高き称号に重きをおくのです。
“ 英国人としての誉れを常に感じていたい。”と。
「セクシー ビースト」(01)の悪者役,「砂と霧の家」(03)「シャッターアイランド」(10)の不気味な博士、等の底知れぬ悪魔風力を持つ男を演じると最高です。
売名行為 というか自己宣伝も大好きですから88年から合計20回ぐらいも会見をして来ました。いつも背をしゃんと伸ばし,サー ベンここに在りと威厳を保っています。
20年近く前のノートや写真を今度引っ張り出して又書いてみます。
最近ではかなり柔らかくなって,慈悲深い表情も漂わせ,4度目の奥方(31歳年下のブラジル人女優)を伴って会見に現れては まだダンスもロマンスもしっかり現役と自慢をしていました。
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