JOHN   HURT

何と言っても「エレファント マン」(80)です。2度と見たくない映画と言うか,忘れようとしても忘れられない,と言うのか,これほど惨めな人生もあるのだから,自分の悩みなど,ちっぽけで,くだらないと慰めにもなるユニークな秀作映画でした。

頭が象のように巨大な男の役をジョン ハートが激演,と言ってもジョンの顔は全く見えません。
「撮影前のテストで12時間に及ぶ苦痛と苦心のメークを終えて,現場のクルーの前に出て行った。ここで彼らが腹を抱えて笑ったら,映画の効果は無くなると言う賭けだったが,誰もが真剣な顔になり,シーンと恐ろしい程の静けさが漂った。共演のアンソニー ホプキンズがただ一言「レッツ スタート」と厳かに行って、ぼくらの仕事はこの時点で殆ど成功が決まったものだったね」
とジョンは後に白状しています。

細身に細い顔,そばかすだらけのいかにも英国人,それもアッパークラスのルックスを持つジョンは1940年1月22日,イギリスはダービーシャーのチェスターフィールドに生まれ,数学者だった父親は後にアングリカン教の聖職者となり,「近所の子供たちと遊んではいけない,私たちとは位が違うから。映画などと言う下品なものは見てはならない」と言う極めて厳格な家庭に育ったそうです。

だからでしょう,最初は真面目に学校で勉強をしていたジョンは,突然俳優になると宣言して,王立演劇校に入ってしまい,62年に舞台デビュー,そして演劇界の大物俳優たちに習って,アルコールを浴びるように呑み始めます。
当時の映画のいくつかです。「アイ クラウデイアス」(76)では悪名高きカリギュラ皇帝の16歳から28歳を怪演,初めての宇宙怪物SF映画「エイリアン」(78)、「バイオレント サタデー」(83)などなど。

初めて会ったのは「スキャンダル」(89)でしたでしょうか。当時49歳でしたが,既にしわくちゃで,ひからびた肌,それでも狼藉者のような危険なセックス アピールと子供のままの純真さが共存するとびきりチャーミングな俳優でした。
アル中は4度目の結婚で止んだそうですが,そう言う駄目男の性格がスクリーンでの色気につながると言う例は数多くありますよね。

「僕は賞とかに興味が無いが,その昔,オリヴィエに会ったとき,君ね,死んだら墓碑にどう書かれるか気にならないかね?必ず初期の傑作、好演が刻まれるから、心得ておきなさい,と言ってね。実際に彼の墓碑には「嵐が丘」(39)と「リチャード3世」(55)のみが遺されているのだよ」

2度目に会ったのは「スケルトン キー」(05)と言うホラー映画の時。会見はニユーオーリンズで行われ,ブードウー教や昼なお暗い湿地帯などのおどろおどろしい雰囲気が効果を上げてました。ジョンはどうせスターでもないし,雰囲気を助ける謎のおやじってな役どころだから,と,気楽にローカルのジャズやリバーボートなどを楽しんでいる様子でした。ちなみにスターはケイト ハドソンでした。

最近では「裏切りのサーカス」(「テインカー テイラー ソルジャー スパイ」)(11)のコントロール役 (ほんのちょっとの出番でしたが,同僚さえも疑わずにはいられないスパイ組織に埋もれた古強者の疲労とオブセッシオンを見せていました,子供たちには「ハリポタ」の魔法の棒の作り人,オリヴァンダーの役で知られているかも。

新しいところでは「ヘラキュレス」(14)。プロレス出身のドウェイン “ロック” ジョンソンがタイトル ロール,おそらくジョンは悪い神様か、
2005「SKELETON   KEY」
ノーブルな神様の役でしょう。



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