DEMI MOORE 2019
DEMI MOORE 2019
デミ ムーアが自伝を出版、「インサイド アウト」INSIDE OUT という題で主にどん底の貧乏とアル中の母親との生活の苦労を赤裸々に綴っているそう。
日記にしろ、自分のことを書くと頭の中が整理されてセラピーになると言われてますが57歳になったデミも吹っ切れたのではないでしょうか。
読んではいませんが何となく内容が分かるような気がします。ベストセラーになっているそうで喜ばしいことです。
ファンはデミの私生活、ブルース ウイリス BURUCE WILLIS や年下のアシュトン クッチャー ASHTON KUCHER との結婚、離婚などのスキャンダラスな実態を知りたいと思うでしょうがその点に関しては期待はずれとなると書評にかいてありました。
かなり前に書いたデミのページをもう一度お目にかけましょう。
ブルースとデミ |
臨月のお腹の写真を表紙に乗せて話題になりました。 |
デミのメモワール「インサイド アウト」 |
デミとブルース |
2009年のゴールデン グローブ授賞式 アシュトン クッチャーと。 |
2009 |
2009年 アシュトンと仲が良かった時 |
Wednesday, April 10, 2013
DEMI MOORE
「ゴースト」(90)でのウルトラ ショートカットの髪のデミ ムーアはそれはそれは新鮮でセクシーで可愛い存在でした。ハスキーな声に,日本人好みの小さくまとまったルックス,ストーリーもロマンチックでぬくもりが感じられる画面でした。当時のデミはもう28歳でしたが,まだ20歳ぐらいに見えるぴちぴちさが魅力でしたねー。
それから23年。にんまりのブルース ウィリスと87年に結婚し,3女をもうけて,2000年に離婚,05年に12歳年下のアシュトン クッチャーと再婚し,現在離婚後の養育費用だの,裁判経費だのを若く稼いでいる彼に請求中だとか。若い恋人を持ってから,懸命の若作りがタブロイドの格好の的になってました。デミのキャリアはいつも一生懸命,一心不乱で不可能に挑戦モードで,これがかなりの人にとって,好い加減にして欲しいと敬遠する傾向につながったのでは。
デミは1962年11月11日にニユーメキシコのロズウェルに生まれ,父親はアル中,母親も若くして子供を持ったが為に,親仕事には向いて無く、高校迄に40回!!も引っ越しをする貧乏家庭に育った為に,後にハリウッドに来て,初めてナイフとフォークをちゃんと使って食事をしたとか。
やぶにらみの手術をしてから,ぐんと魅力的になったデミは18歳で最初の結婚をして家庭内暴力の不幸な家を出ます。
そう言う育ちが,デミの果てしない挑戦の原動力でしょうか。
臨月に近いお腹での全裸の写真が雑誌の表紙になった時はそのアイデアのショッキング度で注目され,再び全裸の体に男性の背広を着たように見えるペインテイングをした写真も表紙となって,デミのセンセイショナルなモデリングは女優としては,あまり評価されませんでしたがともかく,噂の中心にはなりました。
「ア フユー グッド メン」(92)で米海軍の弁護士を演じた時は白い制服もきりりと生意気な若手弁護士のトム クルーズと組んで,海千山千のベテラン海兵隊の士官,ジャック ニコルソンをやっつける法廷のシーンは爽快でした。法律用語を一生懸命に覚えて,いつも使っているように話すのに苦労したり,ニコルソンに位負けしない為に頑張ったりしたかいがあって,この映画のデミはとびきり鮮やかで,素敵です。
「スカーレット レター」(95)はナサニエル ホーソン原作の「緋文字」の映画化で又してもデミの入浴シーンや共演のゲリー オールドマンの全裸で泳ぐシーンばかりがとり沙汰されて,何やら原作の雰囲気が全く無い下世話なドラマになってしまいましたが,デミ当人は,アメリカの誇る古典の女主人公を演じた事に得意そうで,それが何となく可哀想にも見えました。オールドマンが憮然として,デミの出た映画など見た事も無いと距離を保っていたのも,何となくおかしかったのを覚えています。
「G.I. ジェーン」(97)では撮影の中で実際に坊主になる事が騒がれ,デミは坊主頭でプレミアやパーテイーに出て
夫のブルースに嫌がられていたようです。
その頃から映画の方は質が低くなり,デミもハリウッド女優40歳のデッドエンドに行き着き,若い恋人と並んでも同じように若く見える事に執着して行く道をたどります。
最近では「マージン コール」(11)と言うウオール街の株取引のドラマで,ケヴィン スペイシーらの達者な役者たちに混じってちょっとしたプロの誇りを見せてます。
「ゴースト」(90)でのウルトラ ショートカットの髪のデミ ムーアはそれはそれは新鮮でセクシーで可愛い存在でした。ハスキーな声に,日本人好みの小さくまとまったルックス,ストーリーもロマンチックでぬくもりが感じられる画面でした。当時のデミはもう28歳でしたが,まだ20歳ぐらいに見えるぴちぴちさが魅力でしたねー。
それから23年。にんまりのブルース ウィリスと87年に結婚し,3女をもうけて,2000年に離婚,05年に12歳年下のアシュトン クッチャーと再婚し,現在離婚後の養育費用だの,裁判経費だのを若く稼いでいる彼に請求中だとか。若い恋人を持ってから,懸命の若作りがタブロイドの格好の的になってました。デミのキャリアはいつも一生懸命,一心不乱で不可能に挑戦モードで,これがかなりの人にとって,好い加減にして欲しいと敬遠する傾向につながったのでは。
デミは1962年11月11日にニユーメキシコのロズウェルに生まれ,父親はアル中,母親も若くして子供を持ったが為に,親仕事には向いて無く、高校迄に40回!!も引っ越しをする貧乏家庭に育った為に,後にハリウッドに来て,初めてナイフとフォークをちゃんと使って食事をしたとか。
やぶにらみの手術をしてから,ぐんと魅力的になったデミは18歳で最初の結婚をして家庭内暴力の不幸な家を出ます。
そう言う育ちが,デミの果てしない挑戦の原動力でしょうか。
臨月に近いお腹での全裸の写真が雑誌の表紙になった時はそのアイデアのショッキング度で注目され,再び全裸の体に男性の背広を着たように見えるペインテイングをした写真も表紙となって,デミのセンセイショナルなモデリングは女優としては,あまり評価されませんでしたがともかく,噂の中心にはなりました。
「ア フユー グッド メン」(92)で米海軍の弁護士を演じた時は白い制服もきりりと生意気な若手弁護士のトム クルーズと組んで,海千山千のベテラン海兵隊の士官,ジャック ニコルソンをやっつける法廷のシーンは爽快でした。法律用語を一生懸命に覚えて,いつも使っているように話すのに苦労したり,ニコルソンに位負けしない為に頑張ったりしたかいがあって,この映画のデミはとびきり鮮やかで,素敵です。
「スカーレット レター」(95)はナサニエル ホーソン原作の「緋文字」の映画化で又してもデミの入浴シーンや共演のゲリー オールドマンの全裸で泳ぐシーンばかりがとり沙汰されて,何やら原作の雰囲気が全く無い下世話なドラマになってしまいましたが,デミ当人は,アメリカの誇る古典の女主人公を演じた事に得意そうで,それが何となく可哀想にも見えました。オールドマンが憮然として,デミの出た映画など見た事も無いと距離を保っていたのも,何となくおかしかったのを覚えています。
「G.I. ジェーン」(97)では撮影の中で実際に坊主になる事が騒がれ,デミは坊主頭でプレミアやパーテイーに出て
夫のブルースに嫌がられていたようです。
2006「ボビー」 |
1997 「G I ジェ–ン」 |
その頃から映画の方は質が低くなり,デミもハリウッド女優40歳のデッドエンドに行き着き,若い恋人と並んでも同じように若く見える事に執着して行く道をたどります。
最近では「マージン コール」(11)と言うウオール街の株取引のドラマで,ケヴィン スペイシーらの達者な役者たちに混じってちょっとしたプロの誇りを見せてます。
1995「スカーレット レター」 ゲイリー オールドマンと。 |
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