MOTHER'S DAY 2020

MOTHER'S DAY 2020

母が亡くなって6年、コロナ イヤーの5月10日の母の日を迎えました。
この5月16日のお誕生日には95歳になるはず。
ショパンの曲を聴くたびに母を思い出します。
母は独りで生きて80余年。
私がまだ赤ん坊の時、終戦の混乱期に、離婚を決めたという
決断力と自信の凄さ。
以来、大会社の部長にまで昇っての凄まじいキャリア ウーマンでした。
その独立心は並外れていて、最後まで娘や他人に頼る状況を避けていたようで、6年前2月21日の大雪の朝、貯めておいた睡眠薬を服んで、88歳で亡くなりました。

母を知る人は母の行為を充分に理解してくれたと思います。
成績優秀で、偏っているとは言え博識、かなりのエリート意識を持ち、自己中心、嫌いなものはあくまで寄せ付けない、選り好みという性格だったと思います。

ピアノ、読書、自然(特に木)、歴史が大好きでした。

85歳ぐらいからぼけ始めてきた母は「忘れちゃったから良いのよ」を繰り返していましたが心の中では悔しかったに違いありません。
外出先で何もかも忘れてしまうお年寄りのケースを見て
小さな紙に自分の名前、お医者様の名前と電話番号、住所を何10枚も手書きで書いて、それを駅でもらうテイッシュのビニール袋に入れて、全ての上着やらコートのポケットに入れてました。
寒くてちょっとジャケットなどを借りるとポケットの中にお手製身分証明が入っていて、相変わらずの準備の鬼だなあ、と感心したり。

敬語、謙譲語、山の手の女性の使う丁寧な言葉づかい、テレビのアナウンサーの言葉遣いに 以前はいちいち訂正したりして憤慨していましたが最近はあまりに酷くなってきて、諦めていた様子でした。

私が探してきた老人ホームに入る覚悟を決めて、その準備に下着に名前を書くように言われ、まるで幼稚園のこどものようだと嘆きながらも、カタカナで一つ一つの下着に名前を書いてはため息を付いて、その横で私は、せっかちなのと、母を駆り立てる目的もあって、母のパンツにぞんざいにマジックで名前を書きなぐりいつものように、せかしていたのは、どこかに罪の意識があったからでしょう。

結局入居寸前に亡くなってしまったので急遽キャンセル、そして、その下着は全部私がロスアンジェルスに持ち帰って毎日身に着けています。厚い綿で出来ているので、娘は「おむつパンツ」と呼んでいますがアメリカの薄いものより、俄然快適です。
6年経ってもまだスペアがあるほどに母は下着大臣だったのでした。

コロナ危機のために今年はいつお墓参りに行けるのか、見当も付きませんが、母は
「良いのよ、安全な時になったらのんびり来て頂戴」
と言ってくれるに違いありません。




80歳のお誕生日 バークレーの古いホテルで。




大船のお寿司屋さんで、真ん中はいとこの貞子ちゃん。


大船のマンションでお掃除中の母と娘。




大船のマンションで。



母の若い頃。





帝国ホテルでの結婚式


上はチャウミックスの「スキ」と、下はニューヨークで。


大船のマンションの入口

上はアリゾナ州 ツーソンのパーテイーで、左はハンス、右が私。下はハンスとスキと母

女優の杉葉子さんと。

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