BILL NIGHY 2020

 BILL  NIGHY   2020


昨日12月11日は大大好きなビル ナイの71回目のお誕生日。(実は当日に仕上げる予定でしたが、色々と事情が展開して翌日になりました)

コロナ ロックダウンのロンドンで静かに過ごしているのかしら?それとももうイタリーのアマルフィ コースト AMALFI COAST にでも逃避してにんまりと赤葡萄酒などで乾杯しているのかしらん?

どちらにしても「ハッピー バースデー!カンパーイ!」を送りましょう。

最後にビルに会ったのは今年の1月、「エマ」EMMA(20)と言うジェーン オースティン JANE AUSTIN 原作の何度目かの映画化で、お世話焼き娘、エマの父親を演じた時。エマが騒ぎを起こす度に、ひょろひょろと寝間着にガウン姿で出てきたり、お客様が来るとカラフルな当時のカントリー ジェントルマンの正装でしゃなりしゃなりと登場したり、かなりコミカルな存在の役でした。

1949年12月11日 英国はサリー SURREY 州のカターハム CATERHAM に、煙突掃除業から自動車の修理屋をしていた父親と精神科の看護婦の母親の間に ウイリアム フランシス ナイ WILLIAM FRANCIS NIGHY  として生まれ、カトリック教信者の家だったため、小さい時は教会のミサの使者係だったそう。

貴族や、上流階級の紳士の役がおはこのビルが、労働者階級の生まれという事実も好ましい驚きです。

演劇に興味がわき、新聞配達やらメッセンジャー ボーイをしながらシアター グループで経験を積み、ギルドフォード

GILDFORD 演劇学校へ入学、1977年にナショナル シアターの舞台を踏み、「イルミナタス!」ILLUMINATUS! に出演、「アーケデイア」ARCADIA(93)で絶賛を得、「ブルー オレンジ」BLUE ORANGE(00)で栄誉あるオリヴィエ OLIVIER 賞を受賞。


ビルに初めて会ったのは「ステイル クレイジー」STILL CRAZY (98)でクレイジーなロックンローラーを怪演した時。音楽にも非常に詳しくて、ハンスと博識を争ったりする子供っぽい面が微笑ましいなと思いました。


私生活はと言うと英国女優のダイアナ クイック DIANA QUICK (1946年生まれ)と1980年から08年までパートナー同士で84年にメアリー MARY という後に女優になった娘が生まれています。

最近は「ヴォーグ」VOGUE の編集長のアナ ウインター ANNA WINTOUR (1949年生まれ)と交際しているニュースが出回っていますが当人は掴みどころのない、ひょうひょうとしたフロントを維持しています。

そこがビルのクール キャット COOL CAT と呼ばれる所以でしょう。

皆様お気づきでしょうがビルの指は自由に動かず、突っ張ったように勝手に動き出すために、いつも両手を合わせていたり、ポケットに手を突っ込んだりのテクニックで目立たないようにしています。DUPUYTREN CONTRACTURE という症状で遺伝するそう。

「プライド」PRIDE (14)と言う映画に主演してゲイ支持をアピールしていますが個人でも「ジェンダー イクイテイー」GENDER EQUITY (性の公平)の認識を広めることを使命としています。

「ビスポーク」BISPOKE 仕立てのスーツを着こなすダンデイーさでもつとに名高くて、紳士服雑誌に頻繁に登場しますし、自分でもかなりのこだわりをお持ちのようで、それも又、ビルの魅力の一つ。

ともあれ、満足の行くお誕生日を過ごせたと願いつつ、以前にここに書いた「ビルの楽屋訪問記」を加えておきましょう。









ダイアナ クウイック と。

若い頃の舞台姿

アナ ウインター と。



アナにたじたじしている様子


2020「エマ」父親役

「パイレーツ オブ カリビアン」船長役

ダイアナ と娘のメイ



2003「ラブ アクチュアリー」の頃。

2020「エマ」の時。




上と下とちょっと違うのですよ。


BILL  NIGHY   AT  BACKSTAGE


舞台の楽屋を訪れたことは数回ありますが,いつもジャーナリストとしてだったので前もってのお膳立てがしてあり,自分でリクエストなどしたことがありません。
今回はビル ナイの大ファンですし、せっかく切符も自分たちで買い,想い出をさらに強めようと楽屋訪問を試みました。まず彼のロンドンのパブリシストにメールを入れると
「そんなもの(楽屋パス)などと言うものはない!」
とケンもほろろの冷酷さ!
諦めていたところに,先輩がプロデユーサーのひとりを知っているからリクエストを送ってあげると言ってくれ,待つこと2週間、
「ビル ナイが良いと言って来た。芝居がはねた後,劇場の左側のドアで門番に名前を言うとビルのドレッサーが案内してくれる」
と言う躍り上がるような返事が来ました。
昔の映画、トム コートニーとアルバート フィニーの「ドレッサー」(83)を思い出します。今だに古き良き時代のように "ドレッサー"(衣装係 と言っても身の回りの世話全てをする従者)と呼ぶのだなーと。
さて見事に2回のスタンデイング オヴェイションを果たした舞台を見終えて,一応背広姿ですが用心棒のような男性に楽屋に招かれていると言うとリストに名前がないと言うではありませんか。
「ちゃんとある筈です。調べてみて下さい」とていねいに頼むと「ここで待っててくれ」と柵の中に入れてくれました。柵の外にはサイン帳やカメラを持ったファンが大勢待っているので,ちょっとこっ恥ずかしくもあります。
しばらく待つと小柄な男性がドアから顔を出して「どーぞ!」と。
「あなたがビルのドレッサーですか?」と聞くと
「まあそうですが、プロダクションに勤めていて,個人のドレッサーではありません」
とソフトに答えてきました。あの映画のように長いこと同じ俳優に付くようなシステムはもうほとんど無いのでしょう。
非常階段のような狭くて、急な階段を、てっぺんの5階まで登ります。小さな質素な部屋がひとつ,ドアに「ビル ナイ」と紙の札が。
階段と波いる興奮で息も絶え絶えに私がビルに挨拶すると
「おー済まない。階段はきついから私が下まで行くべきだった」
といつものような爽やかで,ゆったりとした態度でしっかりわたくしをハッグしてくれました。
おそらく窓のない,粗末な部屋の中には刑務所と変わりないような粗末なシングルベッド,小さな洗面所と横にトイレのドアがあります。電球で囲まれた典型的楽屋鏡の前には,古びた歌手のブロマイド数枚、深紅のバラが1輪,ほんの少しの化粧品、が置いてあり、音楽狂のビルがかけたであろうアイフォーンからのメロウな音楽が流れていました。

「舞台の上で実際にお料理をするのをはじめて見ました。台詞を言いながら大変でしょうね」
とケアリーが小さな台所でしっかり野菜を刻んで、ガスにお鍋をかけ,ひき肉も入れて,最後にトマトソースを入れ,もうひとつのお鍋でスパゲッテイーをゆでるという、本物のお料理をすることにびっくりしたことを話しました。舞台近くの観客は匂いや熱にびっくりしたことでしょう。
「僕も初めての経験だったがケアリーはしっかりイタリーのシェフに付いてパスタを習ったのだよ。だから舞台が終わると裏方たちが楽しみにして、あとで食べる習慣になってしまって,それだけにケアリーも一生懸命作っている」

ガスの火など弱そうでしたし、しっかりお料理に集中しているなど,とても出来そうもない女主人公の台詞も多いい役で,実際においしいものが出来ると言う事自体仰天です。終わったら直ぐにどさっと捨てるのと100% の観客が思っていることでしょう。

「明日は休みだから嬉しいな。何をするかは決めてないが,予定など入れたくないからね」
とビルは翌日の月曜日の休日を待ちに待っている様子。
疲れた様子もなく,汗など全くかいてない,涼し気なビルとその後しばらく「プライド」(14)の話などして,再びハッグして楽屋を後にしました。

ちなみにビルはネイビー色のスーツ(ビスポークという,日本で言う高級カスタム メイドの背広)を何10枚も持っていて,ネイビー ブルーのグラデーション(ちょっとした色合いの違い)でその日の服を選ぶのだそう。茶色のスーツなど着ると落ち着かないそうで,グレーではせいぜいダークグレーのみで、ライトグレーのスーツなど死んでも着たくないとないと言う,さすがの英国のベストドレッサーのこだわりです。もちろん舞台用の衣装も高級仕立てですが、彼のものではないようでした。

帰りにずーっと前のゴールデン グローブ授賞式のレッドカーペット上で,ドレス姿のわたくしがしとやかに(!)立っているとビルが寄って来て,そっと私の手を取って,手の甲にキッス !!をしてくれたこともあったっけ、と懐かしくも愛おしく思い出したりしたのです。

2015.5.24。楽屋での写真 その1。


わざわざ眼鏡を外してくれましたが、後ろの指は何でしょう?

又眼鏡をかけ直して,真面目に。


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