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Showing posts from October, 2024

MY BIRTHDAY

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  MY BIRTHDAY 10月17日はワタクシのお誕生日。 小さい頃は祖母がいつも栗ご飯と鶏とじゃがいもと玉葱と人参をバターで煮込んだお料理を作ってくれました。 中学校時代はお友達を呼ぶの義務兼セレモニーで古い家に招くのがちょっと恥ずかしかったものの何しろ3代続いた東洋英和の家族なので、ウチがボロいことなど全く気にせずにどうぞ、どうぞと英和の後輩たちを招き入れていたものです。 高校を出ると流石にホームパーティーは無くなり、レストランで友達が集まる形式になってきました。 最近はハンスとプチ旅に出て「想い出」作りをしていて、今年は砂漠の中にある温泉、デザートホットスプリングス DESERT HOT SPRINGS に行って、山の中の西部劇の街で開催される英国バンド「モダーン イングリッシュ」MODERN ENGLISH のコンサートを見に行きました。このレポートは後ほどゆっくりと載せましょう。 思い出の写真を少しだけ載せて、これまでの幸運、健康、平和な生活を紐解き、支えてくださった親戚や友人たちへの感謝の気持を噛み締めます。 まだ交際が始まってまもなくの頃。ニューヨークで。 かなり最近です。ハンスのおヒゲ。 1970年11月21日 ハワイでの結婚式。新郎の成田邦夫さんは去年の112月4日に亡くなりました。 マウイでのクリスマス 近所のビーチ。娘と。 記者会見でモデレーターをしている合間。 同じくモデレーターをしている合間。プロのカメラマン撮影。 ニューヨークのセントラル パークの横。タイヤのアート。 トロント映画祭。ジャネット と ゆき。 東洋英和高校時代。 雑誌「タッチダウン」社でクオーターバックの真似。 一番最近、数日前のショット。デザートホットスプリングスのジャクジで。

QUEER SCREENING

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QUEER  SCREENING 10月4日(金) 久しぶりにれん子とロイ ROY と試写に行きました。 007ジェイムス ボンドのダニエル クレイグ DANIEL CRAIG が何とアメリカ人のゲイの男を演じる、タイトルもそのものズバリの「クイアー」(珍妙な、という意味から同性愛を示す言葉に)(24)です。監督はイタリー人のルカ グダニーノ、LUCA GUADAGNINO 「君の名前で僕を呼んで」CALL ME MY NAME (17)で一躍人気が出た、自身もゲイの監督で、今回もゲイのロマンス(と言うより、オブセッション)をリアルに、哀切に溢れた秀作に仕上げてくれました。 舞台は1940年のメキシコシテイー、ダニエルはアメリカで麻薬やらの犯罪を犯して、この地に「逃亡者」として暮らし、毎日同様の祖国に帰れない異国人同士でバーやらカフェでの溺れるようににアルコールを飲み、良いゲイの相手が居ないかを物色しています。ここでダニエル扮するリーは、若くて知的な男性に一目惚れ。メガネを掛けてスリムでスポーツマンぽい男性を演じるのがドリュー スターキー DREW STARKEY という若手俳優(1993年 ノースカロライナ生まれ)です。 ジャングルの中でレスリー マンヴィル LESLEY MANVILLE が仰天のメークと役作りで登場、最近は外見を極端に変えての役を楽しんでいる様子。ここらへんからストーリーがとんでもない方向に進んでいきます。 ダニエルは1年間かけて役作りをしたと上映後のインタヴューで告白していたように ちょっとした表情や動作、パワフルなベッドシーン、すべてが取り憑かれたようなゲイの男を完璧にスクリーンに写していました。無表情のボンドから180度転換の勇ましい役作りです。 レセプションではワインを飲み、映画の舞台のメキシコ料理をつまみ、屋上のテラスでゆっくりと座っておしゃべりをしました。 れん子が安物のTシャツ2枚を使って残り生地でダーツを取ったフロントを付けたトップを自慢、相変わらず精力的に自分の服をデザインして楽しんでいる様子。 なにはともあれ、見応えのある映画でした。 試写の後 レセプション会場のパテイオで。れん子と。 れん子は自分でデザインしたトップを着ています。 れん子、ハンス、ロイ。 ハンス、ワタクシ、ロイ。CAAのロビーで。 ロビーにビートルズのバン

DINNER AT CANTALINI'S RESTAURANT

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DINNER AT CANTALINI'S RESTAURANT 9月30日(月) この夜は英国人4人、ドイツ人一人、日本人一人のグループでイタリアン料理を頂きました。古くからある、こじんまりとして、アットホームな雰囲気で人気の「カンタリーニ イタリアン レストラン」が良いとプロのカメラマンのポールが言ったので、ここに決定。ポールとペトリネーラ  PETRINELA  はオキシナード OXNARD に住んで居ますが、息子殿が出張なので海辺の町にやってきて、翌日はダウンタウンに行ってコンサートを見るそう。いつものジョンとリンダも参加して英国パワーを強めていたら、なんと隣のテーブルに座っていた8人ぐらいのグループも全員英国人、最も私達より遥かに若い仕事人と言う感じでした。 久しぶりに6人が集まったので、まずは英国は故郷のデヴォンで怪我をして入院したポールの武勇談を聞き、お二人の息子のマックスの電気自転車事故後の経過を聞き、ジョンとリンダからは最近 お国帰りした英国の近況を話してもらい、私達はオレゴン行やら、カンブリア行き、などなどの話題で賑わいました。 「ハッピーアワー」を利用して、ポールはイカ揚げ、ペトネリネーラとハンスはエビ、リンダはサラダ、ワタクシとジョンはハマグリ蒸し煮、とハウスワインの白を注文、メインデイッシュンは、マーガリータ ピザを2個をシェア、ワタクシは大好きなエッグプラント パーメジーナをハンスとシェア、が夕食の内容です。ハッピー アワーが6時なので、6時2分頃に白ワインを追加したら、ウェイターが「駄目!もう正規料金」と全く融通がきかなくて全員がっくり。ちなみにハッピーアワーの白ワインはグラスで5ドル、合計11グラスを飲んで65ドル、6時過ぎになると1グラス12ドルに跳ね上がります。 英国アクセントで大いにしゃべって、飲んで、隣のテーブルの英国人たちとも会話をし、最後に彼らに写真を撮ってもらいました。ウェイターですとたくさん撮影してくれるのですがちょっとシャイな彼はたった2枚しか撮ってくれませんでした。 それがこの証拠の写真です。 左から、ペトリネーラ、ポール、ワタクシ、リンダ、ハンス、ジョン カンタリーニ レストラン内部(ネットから) メニュー (ネットから) ブースのテーブル (ネットから) 外から見ると小さくて「チャチ」に見えます。(ネッ

PREMIERE : SATURDAY NIGHT, THE MOVIE

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PREMIERE: SATURDAY NIGHT, THE MOVIE 9月24日(火) 普通でしたら絶対に行かないロスフェリス LOS FELIZ でのプレミアに行って来ました。 以前にソニースタジオで大活躍していた国際広報担当のアントニオ ANTONIO がぜひぜひこれだけは僕がわざわざスペインから帰ってきて促進を助けるからご参加下さい!と通知を受けて、のりえさんとケンを誘って延々とドライブしてやっとたどり着いたのです。 「サタデーナイト」(24)はアメリカ人なら誰でも知っている土曜日深夜のテレビのお笑い番組で初期の頃のプロデユーサーの絶体絶命のような必死の努力と情熱を描いたもの。 特にほとんどクレイジーだった故ジョン ベルーシ JOHN BELUSIHI の仰天のコメディアン振り、この番組から大スターになった俳優たち、ネットワークの疑い深い態度、1975年10月11日 番組スタートの夜のドタバタ時間が楽しめます。 プロデユーサーの名前はローン マイケルズ LORNE MICHAELS 。1944年カナダ生まれ、79歳の現在は押しも押されぬハリウッドの重鎮、やはり大成功した人々は自分の企画を成功させるために死にそうな努力をするのだなあと感心してしまうプロセスが覗けます。 上映前のレセプションは一風変わったメキシコレストランの「ミラーテ」MIRATE で、監督のジェイソン ライトマン JASON REITMAN や制作者、タレントが参加して、古風なインテリアの影響もあって、エレガントな雰囲気が立ち込めてました。美味しいマルガリータを何杯か飲み、ちょっと変わったメキシコのオードブルを何種類か試し、現場に居たプロのカメラマンに写真を撮ってもらったり、プレミアのイブニングらしい時間をすごします。 ここから歩いて10分の場所にある、その昔、タランティーノ監督 TARANTINO がお好みだったと言う有名な劇場「ヴィスタ」VISTA THEATER でプレミアがあって、みんなぞろぞろ歩いて行きました。 テレビのカメラマンたちがライトマン監督たちにインタヴューしている横でのりえさんと自撮り。 さて席についてノスタルジアに溢れた映画を観たのですが、当時はあまりテレビを見る余裕(特に深夜番組など。録画するほどの興味もありませんでしたし)が無かったので有名な喜劇シーンは覚えていまし