KEY WEST # 6 FORT JEFFERSON
KEY WEST # 6 FORT JEFFERSON
今夏の旅のメイン ターゲットはキーウエストから西へ70マイルの海上に浮かぶ巨大な島、ドライ トーツガス Dry Tortugas 国立公園にあるジェファーソン要塞に行くことでした。
ドライ トーツガスは、水の無い亀の島という意味で、その昔、海を制覇していたスペイン人が発見し、無数にいた亀をたくさん捕獲して食料の足しにしたと言います。
船に積んで、亀を逆さにして海水をかけていると長いこと生きているので新鮮な肉料理の材料になり、コンクリートのように硬い乾パンばかり食べていた船員たちの大好物だったとか。
なんといっても片道3時間,往復6時間!の船旅です。お天気が悪いと船酔いで台無しになりますから、滞在中の最も良いお天気の日を選びました。
12月15日快晴、温度も30度ぐらいに上がるという予報で、まさにその通りになった幸運の日でした。
船のツアーは「ヤンキー フリーダム 3」
Yankee Freedom III , 料金は大人ひとり 175ドル,シニア割引料金は165ドル。
朝の7時に埠頭に集まり、山のような細かい忠告を聞き、約100人の参加者が乗船、満員ですと150人ぐらいでしょうか。
8時出発。2階の室内に座って一息、それから1階のメインデッキでの朝食をいただきます。ゆで卵、チーズ、フルーツ、ハム、何故かパンは全てベーゲルばかり、などなど。
参加者のほとんどはスノーケルをするのも目的の一つで、かなり寒いのにすでにショートパンツにビーチ草履の軽装です。
私たちは要塞の中を見学、ガイドが面白おかしく歴史を説明してくれますが、アメリカの歴史に疎い私たちには色々な発見がありました。
昼食は再び船に戻って、ハム、ツナ、チーズ、野菜、ピックルスなどをパンに挟んで自分たちでサンドウイッチを作ります。空気が良いのと、冒険気分なので食欲が進んで、みんなパクパク食べてました。
要塞の外側にあるお堀がまた、建築技師たちの誤算で、海の波が押し寄せて、常に新鮮な海水がたまると考えたものの、波がほとんどない島なので、汚水が流れ込むお堀内の水が汚いままで、臭気や ばい菌の繁殖の問題が発生したと聞きました。
浜辺は楽園のように美しく、国立公園なので、持っていったものはゴミも含めて必ず持ち帰る、貝、草、魚類、など取ってはダメ、特に美しい珊瑚は絶対に触らないように!(珊瑚は人間の脂肪がつくとそこから枯れてしまうのです)
と何度も警告されました。
帰りの船旅はほとんどの乗客がこっくり、各階にはバーがオープンして、ダイキリ、マイタイ、マルガリータなどの人気カクテルを作ってくれます。私たちは安全に、シンプルにビールを飲みました。
まったく揺れずに、スムースな航海でしたが、地元の人によると悪天候下ではかなり揺れて、船酔いに苦しむ人もいるそう。
丸1日がかりのツアーですが、海の自然とアメリかの歴史の1部を垣間見るにはとびきり楽しいものでした。
携帯のアイフォーンで撮影した写真ですが、透明な空気と被写体が美しいからでしょう、すべての風景写真がまるでカレンダー用のように綺麗に撮れているのに自分でもびっくりです。
ジェファーソン要塞の歴史:
1513年に冒険家の ポンス デ レオン Ponce de Leon が発見、亀が群れていること、真水がないことで 「ドライ トーツガス」と名付け、当時は他の船の乗組員の海図のために水がないという「ドライ」という情報を加えたそうです。
1825年に米国がこの島に灯台を建て、付近の岩が多い海岸の警告に当てました。
1846年、米国はメキシコ湾をコントロールするために、ここに要塞を建て始めます。
建設に30年余りもかけましたが、結局 あまりに重いレンガを大量に使ったために砂地の島が沈み始めたこと、技師たちの勝手な解釈で、飲み水のために雨水を浄化する装置は立派なものの、雨が降らない事実、暑さのために兵隊たちが熱帯病にかかって大勢死亡、などなどの問題が山積みだったこと、戦争危機が失せたこと、などで、完成を見なかったのです。
一時は監獄としても使われ、リンカーン大統領暗殺に組したと言われる医師のサミュエル マッド Dr.Samuel Muddも投獄され、暑さに倒れたり、重病になった大勢の兵隊たちの治療に当たったとか。
1908年アメリカ陸軍はこの要塞を閉鎖し、1935年にはジェファーソン ナショナル モニュメントとなり、
1992年に国立公園に指定されて、島の自然と歴史的建物を保存するようになったのです。
今夏の旅のメイン ターゲットはキーウエストから西へ70マイルの海上に浮かぶ巨大な島、ドライ トーツガス Dry Tortugas 国立公園にあるジェファーソン要塞に行くことでした。
ドライ トーツガスは、水の無い亀の島という意味で、その昔、海を制覇していたスペイン人が発見し、無数にいた亀をたくさん捕獲して食料の足しにしたと言います。
船に積んで、亀を逆さにして海水をかけていると長いこと生きているので新鮮な肉料理の材料になり、コンクリートのように硬い乾パンばかり食べていた船員たちの大好物だったとか。
なんといっても片道3時間,往復6時間!の船旅です。お天気が悪いと船酔いで台無しになりますから、滞在中の最も良いお天気の日を選びました。
12月15日快晴、温度も30度ぐらいに上がるという予報で、まさにその通りになった幸運の日でした。
船のツアーは「ヤンキー フリーダム 3」
Yankee Freedom III , 料金は大人ひとり 175ドル,シニア割引料金は165ドル。
朝の7時に埠頭に集まり、山のような細かい忠告を聞き、約100人の参加者が乗船、満員ですと150人ぐらいでしょうか。
8時出発。2階の室内に座って一息、それから1階のメインデッキでの朝食をいただきます。ゆで卵、チーズ、フルーツ、ハム、何故かパンは全てベーゲルばかり、などなど。
参加者のほとんどはスノーケルをするのも目的の一つで、かなり寒いのにすでにショートパンツにビーチ草履の軽装です。
私たちは要塞の中を見学、ガイドが面白おかしく歴史を説明してくれますが、アメリカの歴史に疎い私たちには色々な発見がありました。
昼食は再び船に戻って、ハム、ツナ、チーズ、野菜、ピックルスなどをパンに挟んで自分たちでサンドウイッチを作ります。空気が良いのと、冒険気分なので食欲が進んで、みんなパクパク食べてました。
要塞の外側にあるお堀がまた、建築技師たちの誤算で、海の波が押し寄せて、常に新鮮な海水がたまると考えたものの、波がほとんどない島なので、汚水が流れ込むお堀内の水が汚いままで、臭気や ばい菌の繁殖の問題が発生したと聞きました。
浜辺は楽園のように美しく、国立公園なので、持っていったものはゴミも含めて必ず持ち帰る、貝、草、魚類、など取ってはダメ、特に美しい珊瑚は絶対に触らないように!(珊瑚は人間の脂肪がつくとそこから枯れてしまうのです)
と何度も警告されました。
帰りの船旅はほとんどの乗客がこっくり、各階にはバーがオープンして、ダイキリ、マイタイ、マルガリータなどの人気カクテルを作ってくれます。私たちは安全に、シンプルにビールを飲みました。
まったく揺れずに、スムースな航海でしたが、地元の人によると悪天候下ではかなり揺れて、船酔いに苦しむ人もいるそう。
丸1日がかりのツアーですが、海の自然とアメリかの歴史の1部を垣間見るにはとびきり楽しいものでした。
携帯のアイフォーンで撮影した写真ですが、透明な空気と被写体が美しいからでしょう、すべての風景写真がまるでカレンダー用のように綺麗に撮れているのに自分でもびっくりです。
ジェファーソン要塞の歴史:
1513年に冒険家の ポンス デ レオン Ponce de Leon が発見、亀が群れていること、真水がないことで 「ドライ トーツガス」と名付け、当時は他の船の乗組員の海図のために水がないという「ドライ」という情報を加えたそうです。
1825年に米国がこの島に灯台を建て、付近の岩が多い海岸の警告に当てました。
1846年、米国はメキシコ湾をコントロールするために、ここに要塞を建て始めます。
建設に30年余りもかけましたが、結局 あまりに重いレンガを大量に使ったために砂地の島が沈み始めたこと、技師たちの勝手な解釈で、飲み水のために雨水を浄化する装置は立派なものの、雨が降らない事実、暑さのために兵隊たちが熱帯病にかかって大勢死亡、などなどの問題が山積みだったこと、戦争危機が失せたこと、などで、完成を見なかったのです。
一時は監獄としても使われ、リンカーン大統領暗殺に組したと言われる医師のサミュエル マッド Dr.Samuel Muddも投獄され、暑さに倒れたり、重病になった大勢の兵隊たちの治療に当たったとか。
1908年アメリカ陸軍はこの要塞を閉鎖し、1935年にはジェファーソン ナショナル モニュメントとなり、
1992年に国立公園に指定されて、島の自然と歴史的建物を保存するようになったのです。
船上、星条旗と白波。 |
遠ざかるキーウエストの岸。 |
要塞を囲むお堀(左側)右側は海。 |
左側が お堀、右側が海。 |
透き通っている水の海。 |
中庭。丸いドームは武器庫。 |
要塞の2階。奥に見えるのは窓。 |
要塞の2階からの景色。 |
柵が全くないのです。 |
巨大な大砲の数々。 |
サメに注意も。 |
ジェファーソン要塞の全景(ネットから) |
Dr. Samuel Mudd |
修復中の幕がちと見苦しいですが。 |
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