THEO'S MEMORIAL
4月18日(金)
長年の友人、オランダ人のカメラマンのテオ キングマ THEO KINGMA のお別れ会がありました。
1967年オランダのアムステルダムに生まれ、2025年にたった58歳で急死、アパートの台所で倒れていたそうです。死因は心臓発作、タバコとお酒が大好きな人を食ったユーモアを絶妙のタイミングでけしかけ、スマートで背が高くて、スリムでインタビューの時にテオとスウェーデン人のマグナス MAGNUS が揃って座って写真を撮影しているとのっぽのブロンド男性二人がスターと記者との間に塀を作っていて、それも又楽しい思い出です。
11時からのお別れ、メモリアル会はまず、テオの前のワイフだったドイツ人のアンケ ANKE のスピーチに始まり、テオと毎朝電話で話していた英国人のジョン、それから色々な人が彼の思いを語っていました。ワタクシも彼が会長の時に会員たちにロゴ入りのジャケットやら、きれいな名刺を配ったり、ガンでまもなく死にそうな元会長のドイツ人のヘルメット フォス HELMUT VOSS に車椅子オーケーの車を差し向け、オフィスの大きなテレビのスクリーンでワールドカップに登場中のドイツの最終試合を見るイベントを計画したり、老メンバーの英国人グローリア GLORIA が酔っ払って歩けなくなった時は抱っこしてホテルの部屋まで送り届けたり、ハンガリーのメンバーのアニコ ANIKO がミーテイングの最中に失神した時もしっかり抱き上げて救急車まで運んだり(それを見てオーストリアのエリザベス ELISABETH が自分が倒れる時はいつもテオにそばに居てもらいたい、等と勝手なことを言ってましたが)どこから聞いたのかワタクシたちの20周年アニバーサリーにきれいな花束を送ってきたり、ハンスが救急車で運ばれた時もひまわりの花束を送って来たりなどの優しい行動、そして、飲み過ぎのためか、私のプライベート用にせっかくアレンジした撮影の仕事をドタキャンしたのも数回、パーテイーなどの招待してもほとんど顔を出さない、などなどの困った行動も多かった、予測の出来ないテオでした。
そしてびっくりしたのは、ずっとテオは自分は孤児で両親が居ないと言っていたのにこの日のズームで、理知的なお姉様やら親戚がオランダから出席してこと。悪戯が大好きとは言え、このテオの作り話には、オドロキ、モモノキなのでした。
マイクの傍に行ってなにかスピーチしようと思いましたが若いメンバーたちがどんどん立候補して、チャンスを失ってしまったものの他の人々の思い出を聞くのも興味深い経験です。
後にピザ、サンドウイッチ、カップケーキ、クッキーなどのランチがサービスされて懐かしいメンバーたちと思い出話に花を咲かせました。
 |
ゴールデングローブ基金のオフィスの前で。 |

Comments
Post a Comment