DANIEL DAY-LEWIS
生粋の英国人のようですがアイルランドとユダヤ人 (祖父のマイケル バルコンは英国映画界の重鎮で英国MGM、イーリング、英国ライオン映画などの社長を務めユダヤ系だった。父は詩人で英国の桂冠詩人の栄誉を受けたアイルランド系のセシル デイ ルイス)の血が混じっているダニエル デイルイスは何となく会ったこともないけれど 芥川比呂志を思い出させます。毛並みがよく 神経質そうで 痩せぎす 自分に厳しく 崇高にわが道を行く と言う芸術家の極地に挑戦しているような。
何と言っても彼の役作りの執念はそこらの役者のレベルではなく、到達したときの彼の完成度は仙人の域とも言えましょうか。ま,オーバーですが ダニエルにはそう言う
異星人のような 人を寄せ付けない雰囲気と時たま見せる愛らしい態度がどうも同じ人とは思えないのです。
私めなどのインタヴユーでなく 有名なスポールデイング グレイ (故人。俳優にして 文章にも秀でていた。)が手がけたダニエルとのやり取りを紹介しましょう。
*役作りをしていると他のキャラクターに入って行くのだって?
“ そう。変身とでも言うのか、メタボリズムを変え 考え方の速度を変え 立っている姿を変え 動作を変え と際限なく変えて行く。人間は非常に順応できる動物だからね。しかし真ん中には自分がいる。つまりイルージヨンだね。他の人たちのためにイルージヨンを創り上げ そして自分のためにも創って行く。自分が消滅してしまう時が非常に嬉しい。それは細かい点まですべて理解した時にのみなし得る。単にヒゲを付けたり びっこを引いたりしただけでは駄目なのだ。”
「日曜日は別れの時」(71)で13歳のダニエルがロンドンの街に停めてある車
の車体に鍵でギーッと傷を付けるシーンが彼の映画デビューでした。
「マイ レフト フット」(89)で左足のみが動く身体障害者のアーテイストを演じて最初のアカデミー主演男優賞。この役作りに数ヶ月も左足のみ使って生活し ここで彼の凝り性が有名になり 「父に祈りを」(93)ではアイルランドのテロリストと間違えられた若者を演じるために 自分から牢屋にこもり 「クルーシブル」(96)では独りで島の掘建て小屋に何週間も暮らし 「ボクサー」(97)ではもちろんボクシングの特訓をプロのレベルになれるぐらいまで受け と映画界では 体重を増減しての役作りを “デニーロする” と表現し 長いことその役の人になりきるテクニックを
“ デイ ルイスする” と尊敬を込めて言うのです。
「ギャング オブ ニユーヨーク」(02)までかなりの長い間 映画に出なかったのですが この期間 イタリアで靴職人の修行を受けていたなどと言う噂も出ていました。当人に聞いたら “ とんでもない!プライヴェートの生活を優先しただけ”
などと真面目な顔で答えていました。
この間 「クルーシブル」の原作者 アーサー ミラーの娘 レベッカと結婚し二人の男の子が生まれたりしたので 靴職人の噂はちょっと眉唾かもしれません。が彼が
普通の家庭を笑顔で満喫と言う風景も想像するのはちと難しいと言えましょう。
初めて会ったのは「存在の耐えられない軽さ」(88)の頃でしたが シマシマの帽子にチェックのシャツに緑色のボウタイなどと言った珍けな格好で出て来て 難しい哲学的な話をしたり ひょうきんなジョークを言ったり とらえどころのないアングラ芸人のようでもありました。もちろん 舞台では「ハムレット」などを熱演してロンドンの貴公子としてもてはやされたこともあったでしょうが 以来会見に現れる度に 意識的にアングラ モードを装ってました。ネックレスなどしたりの古い写真をいつか載せますから お楽しみに。
彼のへんてこな服装は月並みな称賛を敬遠し 孤高の姿勢を保つダニエルの一種のダンデイズムと思われます。
まもなく「リンカーン」(12)が公開されますが 彼のリンカーンは余りにも似ていて ちょっと怖いかも知れません。
生粋の英国人のようですがアイルランドとユダヤ人 (祖父のマイケル バルコンは英国映画界の重鎮で英国MGM、イーリング、英国ライオン映画などの社長を務めユダヤ系だった。父は詩人で英国の桂冠詩人の栄誉を受けたアイルランド系のセシル デイ ルイス)の血が混じっているダニエル デイルイスは何となく会ったこともないけれど 芥川比呂志を思い出させます。毛並みがよく 神経質そうで 痩せぎす 自分に厳しく 崇高にわが道を行く と言う芸術家の極地に挑戦しているような。
何と言っても彼の役作りの執念はそこらの役者のレベルではなく、到達したときの彼の完成度は仙人の域とも言えましょうか。ま,オーバーですが ダニエルにはそう言う
2009 「ナイン」 |
私めなどのインタヴユーでなく 有名なスポールデイング グレイ (故人。俳優にして 文章にも秀でていた。)が手がけたダニエルとのやり取りを紹介しましょう。
*役作りをしていると他のキャラクターに入って行くのだって?
“ そう。変身とでも言うのか、メタボリズムを変え 考え方の速度を変え 立っている姿を変え 動作を変え と際限なく変えて行く。人間は非常に順応できる動物だからね。しかし真ん中には自分がいる。つまりイルージヨンだね。他の人たちのためにイルージヨンを創り上げ そして自分のためにも創って行く。自分が消滅してしまう時が非常に嬉しい。それは細かい点まですべて理解した時にのみなし得る。単にヒゲを付けたり びっこを引いたりしただけでは駄目なのだ。”
「日曜日は別れの時」(71)で13歳のダニエルがロンドンの街に停めてある車
の車体に鍵でギーッと傷を付けるシーンが彼の映画デビューでした。
「マイ レフト フット」(89)で左足のみが動く身体障害者のアーテイストを演じて最初のアカデミー主演男優賞。この役作りに数ヶ月も左足のみ使って生活し ここで彼の凝り性が有名になり 「父に祈りを」(93)ではアイルランドのテロリストと間違えられた若者を演じるために 自分から牢屋にこもり 「クルーシブル」(96)では独りで島の掘建て小屋に何週間も暮らし 「ボクサー」(97)ではもちろんボクシングの特訓をプロのレベルになれるぐらいまで受け と映画界では 体重を増減しての役作りを “デニーロする” と表現し 長いことその役の人になりきるテクニックを
“ デイ ルイスする” と尊敬を込めて言うのです。
「ギャング オブ ニユーヨーク」(02)までかなりの長い間 映画に出なかったのですが この期間 イタリアで靴職人の修行を受けていたなどと言う噂も出ていました。当人に聞いたら “ とんでもない!プライヴェートの生活を優先しただけ”
などと真面目な顔で答えていました。
この間 「クルーシブル」の原作者 アーサー ミラーの娘 レベッカと結婚し二人の男の子が生まれたりしたので 靴職人の噂はちょっと眉唾かもしれません。が彼が
普通の家庭を笑顔で満喫と言う風景も想像するのはちと難しいと言えましょう。
初めて会ったのは「存在の耐えられない軽さ」(88)の頃でしたが シマシマの帽子にチェックのシャツに緑色のボウタイなどと言った珍けな格好で出て来て 難しい哲学的な話をしたり ひょうきんなジョークを言ったり とらえどころのないアングラ芸人のようでもありました。もちろん 舞台では「ハムレット」などを熱演してロンドンの貴公子としてもてはやされたこともあったでしょうが 以来会見に現れる度に 意識的にアングラ モードを装ってました。ネックレスなどしたりの古い写真をいつか載せますから お楽しみに。
彼のへんてこな服装は月並みな称賛を敬遠し 孤高の姿勢を保つダニエルの一種のダンデイズムと思われます。
まもなく「リンカーン」(12)が公開されますが 彼のリンカーンは余りにも似ていて ちょっと怖いかも知れません。
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