LYNN SWANN

 LYNN  SWANN  


リン スワン。涼しげで、美しい響きの名前です。

まるで氷上で白鳥のように舞うフィギュア スケーターのような名前ですが、アメリカン スポーツファンなら誰でも知っているピッツバーグ ステイーラーズ PITTSBURGH STEELERS のスーパースター、ワイドレシーバー WIDE RECEIVER 、背番号88、スーパーボウルなどの大緊張試合で必ずパスをキャッチして得点につなげる土壇場の救世主でもありました。

ずっと前に書いたもう少し前の時代のスーパースター、ジョー ネイマス JOE NAMATH の次ぐらいに好きなアメフット選手で、試合での華麗なプレーと伸びやかな長身(ワイドレシーバーは長身でないと務まりません)笑うと可愛い、豊かな表情、試合後のインタヴューなどでもスムーズにしゃべる機転と愛嬌、トータルなカリスマ性そういう「スター」の要素が飽和しているプロスポーツマンでしたから。

西海岸には「サンフランシスコ 49ナーズ」SAN FRANCISCO FORTYNINERS の、ジョー モンタナ

JOE MONTANA とワイドレシーバーのジェリー ライス 

JERRY RICE というスーパー スターのコンビネーションが、東海岸ではテリー ブラッドショー TERRY BRADSHAW とスワンが絶妙のコンビを組んで、全米中が熱狂していました。当時のフットボールは今より遥かに人気があったのです。

スワンはプロとして、たった1球団、74年から82年までステイーラーズのみでプレイして、スーパーボウルに4回も出場し、4個のスーパーボウルの記念指輪を持っている貴重な選手。スワンはその快挙と幸運で尊敬され、もてはやされていました。

1993年に大学フットボールの殿堂入り、2001年にプロフットボールの伝統入りを果たしています。


 1952年3月7日 テネシー州のアルコア ALCORE (グレート スモーキー マウンテンの近く)に  リン カーテイス スワン LYNN CURTIS SWANN として生まれ、2歳の時にカリフォルニア州のサンマテオ SAN MATEO に家族で移住、もちろん小さい時から運動神経抜群で陸上競技のロング ジャンプで五輪選手を破ったこともあります。南加大学に勧誘されて時の監督、ジョン マッケイ JOHN MCKAY から「スピード、確かな手(ボールをキャッチしたら落とさない)、その上にエレガントな動きをする」最高のプレイヤーと褒められていました。

1974年のステイーラーズにドラフト指名一位で入団、ひょうきんな態度と気楽なトークでインタヴュールームの人気者でしたし、バレーを見て、ワイドレシーバーの体の動きの助けになると、バレーのレッスンを受けたり、柔軟な考え方で親しまれていました。


9年間のプロ生活の後、1982年に引退、爽やかな滑舌を買われてABC ネットワークのスポーツ番組のコメンテイターとなって、2006年までテレビ界で活躍して、その間もブッシュ米国大統領のスポーツ顧問役を受けたり、2004年にはペンシルバニア州の知事選に立候補しましたがトラブルが生じで惜しまれて辞退、2016年から母校、南加大学 USCの体育局理事長の職につき、19年に退職しています。

79年から83年まで 有名な歌手グループ「プラターズ」PLATTERS のポール ロビ PAUL ROBI の娘、バーナデット ロビ BARNADETTE ROBI と結婚、離婚後、バーナデットはボクサーのシュガー レイ レナード SUGAR RAY LENARD と再婚、スワンは91年から精神科医のチャレナ

CHARENA と再婚、息子がふたりとジョー ネイマスほどではありませんが、芸能界ともかなり関わり合ってきました。


1976年頃、ステイーラーズが頂点にいる時、日本テレビがフットボール クリニックを企画して、ステイーラーズからスワン、ラインバッカーのアンデイー ラッセル ANDY RUSSELL 、センターのレイ マンスフィールド RAY MANSFIELD の3人が来日、ワタクシは彼らを取材、通訳、コーデイネイターの役を仰せつかり、約4日間ぐらい、この3人について回りました。

確か慶応大の日吉の練習場での日本の選手を集めてのクリニックは、うすら寒い日でしたが大勢のファンが参加してくれましたし、スタジオでのテレビ収録の後、六本木にある昔よく通った「まっけろう」MAQUEREAU (フランス語で鯖という意味)というレストランに行って、乾杯をしたり、大いに楽しい時を過ごしました。

ここのホステス兼オーナー(と言われていました)の君子さんとはとても親しい仲だったので、いつも色々と助けてくれていたのですが、この夜も細かいところまで気を使ってのサービスをして下さって、皆さん上機嫌で最後の夜を過ごしたのです。

今調べてみたら、このレストランはウシオ電機の牛尾治朗氏がスポンサーだったとか。道理で、よく彼をお店で見かけたのでした。(友人が彼の甥っ子だったので少しばかりつながりがあったのです)

この時、かなりたくさんの写真を撮ったのですが残念、今、手元にあるのはこの一枚のみ。


そして、それから2年後、ワタクシがロスアンジェルスに行った時、スワンに連絡を入れてみたら「明日の夜、自宅のあるコンドでプールパーテイーをするからいらっしゃい」と言われて大喜びで出かけました。

マリナ デル レイ MARINA DEL REY のバチェラー用のようなカジュアルなコンドのプールには大勢の人が集まっていましたが、スワンは楽しそうにすべての人達と会話を交わしたり、ドリンクを運んだりして完璧なホスト振りを見せてました。

球団のあるピッツバーグと自分の第2の故郷でもあるロスアンジェルスにも自宅を持っていたと思われます。

それ以後は彼が3大ネットワークのスポーツ番組で司会をしたり、大統領の顧問を仰せつかったり、立派なポジションを受けては、それ以上の職に付いていくのを感心しながら眺めていました。


野蛮なタイプが多いプロフットボール選手の中でも最も品性が高くて、エレガントなスワンを知ったことはワタクシのスポーツライター歴の中でも最高のハイライトで、彼との時間を思い出してはツンと胸が痛むほどなのです。

ちなみに、

ジェリー ライス 1962年生まれ49ナーズ 85−2000

テリー ブラッドショー 1948年生まれ ステイーラーズ 70−83

ジョー モンタナ 1956年生まれ 49ナーズ 79−92

フランコ ハリス 1950年生まれ ステイーラーズ 72−83


1976年頃のフットボール クリニック。スワンとマンスフィールド




名門ゴルフ場 オーガスタの役員になったこともあります。

バレリーナと練習

バレー スタジオで。

大統領顧問に選ばれた時。

近影

奥方のチャレナ と。


クオーターバックのテリー ブラッドショー (左)

ジョー モンタナ

花形トリオ、フランコ ハリス、スワン、テリー ブラッドショー

ジェリー ライス

スワンとブラッドショー サイン入り写真。


慰問の時の写真

スーパー ボウル XLIIIで集まったプロフットの偉大なプレイヤーたち、ロジャー クレイグ、ロジャー グッデル、ジョン エルウェイと勲章ズシリの兵隊さん。


何を聞いているのか覚えてませんが、この帽子とセーターは群青色と黄色と赤で凄まじく派手だったのを覚えています。



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