JAMES    CAAN


ジェイムス カーン、あくの強さにかけては,昔なら,チャールス ブロンソンにジェイムス  キャグニー,今ならベニシオ デル トロかホアキン フェニックスあたりでしょうか。サー ベン キングスレーもこの一味でしょう。

画面に出て来るとむわっと,体臭が放出されるような,でしゃばりで,人を食った存在。思い出しました。先日亡くなったベン ギャザラにも共通の “むわー” がありましたよね。

1940年3月26日 ニユーヨークのブロンクス(当然!)生まれ。両親はドイツからの移民のユダヤ人で,父親は肉屋さんと言うとインパクトが少ないので,ブッチャー(肉屠殺人)でした。小さい頃はさぞやガキ大将だった事でしょう。
スポーツが得意のジェイムスは,フットボールの選手としてミシガン州立大にすすみ,ここで演劇熱に囚われ,ニユーヨークに戻って,サンフォード マイスナー(高名な演劇コーチ」に巡り会い,舞台でその強力な個性を見せて注目されます。
最初の映画は「不意打ち」(64),ハワード ホークス監督の「レッドライン7000」(66)はわたくすも見ましたが、スピードメーターの横の計器が7000を超すと危険だと言う自動車の基礎知識のみ覚えています。

「エル ドラド」(66)ではジョン ウエインとロバート
ミッチャムと共演。
そしてこの頃ジェイムスが主演でよく覚えているのは,「ブライアンの歌」(71)と言うテレビ映画が好評で劇場映画になった,実在のシカゴ ベアーズの選手,ブライアン ピッコロとゲイル セイヤーズの友情ドラマです。ピッコロは白人で難病に冒され,黒人スター選手のセイヤーズが暖かい看護をすると言うフットボールと言う荒々しいスポーツ界での優しい交友を描き,感動的な物語です。

翌年が「ゴッドファザー」(72)のソニー コルレオーネ役です。この熱演でアカデミー賞にノミネートされましたが当人は,至ってドライに
「誰も彼もが俺の事をイタリア人,いやワイズガイ(イタリーのマフィア組合員)だと思って喜んで近づいてきやがる。それどころか,この年と翌年には色々な町で,僕を「この年の最優秀イタリア人」等に選んでくれてね。全くイタリーの血など入ってないのにさ!」
と憤慨していたと言います。

82年から87年にかけて鬱病にかかり,コカイン中毒となって,ドラッグ取引の現場で何度か逮捕されたりして,スキャンダルを引き起こしました。

2回目の結婚相手は元エルビス プレスリーの恋人だったシェイラ マリー ライアンで彼女との間に出来た息子が,目下テレビシリーズ「ハワイ ファイヴ オー」で主役を務めているスコット カーン。父親に似て,かなり自我の強いタイプのタフガイです。
ジエイムスは4回結婚し,殺人犯の寡婦と結婚したこともあるとか。

「ミザリー」(90)では、推理小説家の役を演じ,クレージーなファンのキャシー ベイツに監禁されたり,小説を終わらせないで,もっと長く続けろ!等と命令されて、わたくすも好きな推理作家に,こう言う仕打ちが出来たらと願ったりしました。


1991 「フォア ザ ボーイズ」
この写真は,ベット ミドラーと共演した「フォー ザ ボーイズ」(91)の時のもの。第2次大戦の軍人慰問の芸能グループのお話でした。となりにいるのは監督を手がけたマーク ライデルです。

タフガイの顔つきですから,大悪党とか,悪徳刑事などの役が多く,もしジェイムスが子豚の世話をしているうちに,動物と会話が出来るようになるお百姓さん等の役をしたら。
ジェイムス クロムウエルの様に,180度回転の役が舞い込むか,はまあ疑問ですね。彼自身が手を出しそうもありませんし。

テレビシリーズにも頻繁に,ワルの役で楽しそうに顔を出していますから。

新作「ブラッド タイズ」(13)は、クライヴ オーウエン主演,1970年代のブロンクスでの警察官と悪人と言う法を挟んだの兄弟の葛藤ドラマだそうで,ジェイムスにとっては、まさに,昔取ったきねづか、若き頃のエピソードそのものでしょう。


他にも写真があるのですが,又次の機会に。

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