YOKO NARITA'S HOLLYWOOD

ハリウッドのスターをインタヴユーして37年!!     ツーショットと来たらどっさり ざくざく。最近は映画の記事も減ってきて発表してないお宝が貯まる一方。貯金は減る一方ですが、ともかく つたないブロッグ で全く為にならないお話と とっておきの古い写真とか新しいものも載せていきたいと思ってます。
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Tuesday, December 11, 2012

ANDY   GARCIA


キューバ人の情熱と誇りを全身に込めて,いつも格調高く,エレガントに振る舞うアンデイー ガルシア。

初めて会ったのは87年の「アンタッチャブル」で青二才の,しかし根性を秘めた若い警官を演じた時。オールドプロのショーン コネリーが目を付けた,激しい目つきの若者でした。

「ブラック レイン」(89)の会見で、ほとんど号泣したアンデイーの表情は一生忘れません。

ー松田優作の思い出をお話しして頂けますか。
「ユーサクが病気だとは知っていたが,まさかあんなにすぐに亡くなってしまうとは!!僕の映画に対する情熱をユーサクはよく分かってくれて,兄弟のような気持ちをお互いに持ったのだよ。日本人のプライドと愛国心と義侠心が僕のキューバに対する気持ちと似ていて,僕らは血がつながっているねって誓い合ったのだから。撮影現場で彼ほど勇気と情熱を見せるのは,特にハリウッドのマイケル ダグラスとかのベテランの前では難しいのに,ユーサクは,全く躊躇しないんだ。だから僕も凄く力づけられたし,ユーサクがハリウッドに来たら一緒に仕事をしようって約束していたのに!」

と目が真っ赤になったかと思うと涙がぼろぼろこぼれてきて,ほとんど しゃくり上げる程の泣き方でした。こちらまでもらい泣きしてしまいました。


1994「男が女を愛する時」
ちょうど「ラスト エンペラー」(87)でジョン ローンが東洋の2枚目スターとして注目されていただけに,「ブラック レイン」を見た私めは,松田優作こそ,日本の誇る国際スターのチャンスがとうとう来た!と狂喜していたのです! それがあんなにすぐ逝ってしまって。。。

以来アンデイーに会うといつも,あの泣き顔が浮かんで,どうもセンチになってしまうのです。

自分に厳しい分,相手にも厳しく,お馬鹿な質問をしたりすると答えてくれません。いつも良い仕立ての趣味の良い服装をして,典型的ラテン男性の華美なスタイルとかはせず,品の良い、洗練されて知的な雰囲気を漂わせます。

1990年代はじめの会見はいつもビバリー ヒルトン ホテルで行われ,アンデイーは懐かしそうにこう言ってました。
「僕がハリウッドに来て初めてしたアルバイトがこのホテルのウエイターだったのです。だから今だに仲間が居て,お互いに昔話をしたりするのが楽しみ」
このホテルには30年以上働いているベテランのウエイターが大勢居て,アンデイーが来たと言う知らせが入ると,それぞれ挨拶にやってくるのです。殆どが南アメリカ系,メキシコ人ですがキューバ人のアンデイーとスペイン語でオーラ!アミーゴ と懐かしそうに抱き合ってました。

そう言う義理堅さが彼の良いところなのです。

1956年4月12日 キューバのハバナ生まれ。5歳の時カストロから逃れた両親とマイアミに移ってきましたが,教養ある両親のもとでアンデイーは祖国の文化を懸命に学び,少し名前が出てきてからは,キューバの音楽や歴史を広めるコンサートやドキュメンタリーの数々を制作しています。
ドキュメンタリー「カチャオ」(93)では監督も手がけました。
「ザ ロスト シテイー」(05)は1950年の古き良き時代のハバナが革命に巻き込まれるストーリーで,アンデイーは制作、監督,脚本,作曲,主演と文字どうり レイバー オブ ラブ(苦労をいとわず、情熱を傾けた力作)なのでした。大都会ハバナに繰り広げられる、名家の変遷、息子達がプレイボーイだったり,政治活動に巻き込まれたり,恋と裏切りが渦巻く巨編とでも言いましょうか。
余り情を注ぎすぎ,ちと長すぎる138分の大作になってしまいましたが。

最近のアンデイーは 「オーシャンズ 11、12,13」でラスヴェガスのスタイリッシュな黒幕の親分を楽しそうに演じたり、相変わらず監督業にも忙しく,小粒でぴりりの作品を創っています。

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