HAPPY BIRTHDAY TO MY MOTHER
HAPPY BIRTHDAY TO MY MOTHER
5月16日 生きていたら母の97歳のお誕生日でした。
今のコロナ禍、ウクライナとロシアの戦争、毎日のような暴力事件、などなどを見ているとその前に天国に行って良かったなあとつくづく思います。
お祝いに日本のマーケットからお寿司のテイクアウトを買って来てハンスと乾杯しました。
戦後すぐに帝国ホテルで催された結婚式の写真を見るとちゃんと日本髪を結って、きれいなお着物を着て、伝統的な挙式を挙げたのだなあと感心してしまいます。
親戚一同の写真はここでは見つかりませんが親戚の誰かが保存していると願っています。
母が遺した色々な習慣をワタクシもなぞらえているのを自分で発見する度に「ああ、親子、血筋だなあ」と感じ入ったり、懐かしく思ったり。例えばビニールの袋やら買い物袋を山のように貯めて、それなのにちょぼちょぼ使ったりの戦後生活パターン。
木が大好きだった母はよく樹の実を拾っては植えて、どんな風に育つのか観察していました。散歩で綺麗な木の花を見る度に母なら喜ぶだろうな、と思ったり。
母にしつけられたドアを締める時は最後まで手を添えて、などは、このアメリカでは過剰になるので、適当に省いていますが
どこかでふっと思い出しては、隣のアメリカ人の若者たちの叩き付けるようなドアの締め方に母ならどう反応したろうな?と苦笑したりしています。
時々、「ポンパノー」という近海の皮がやたらに硬い、その代わり 身がホカホカで、適当に脂が乗っていて美味しいお魚を食べるのですが、ああ、母なら喜んだろうな、と想像したり。日本ではまず食べられない、ちょっと変わったお魚ですから。
どんなお魚でも、食べた後はきれいな骨だけが残る魚好きの母でした。前にも書いたような気がしますがロンドンのドーチェスター ホテルのグリルで有名なドーバー ソール(舌平目)を頼んだ時、ウェイターが「デボーン(骨を取ること)しますか?」と聞いて、「イエス」と答えたために、大好きな「縁側」を食べられずに悔やんでいたのが思い出されます。骨と骨の間のお肉こそ最高だと思っていて、それがハンスも同じなのが微笑ましい「魚好き」の結びつきでした。
部屋を丸く掃除する、何もかも良い加減なワタクシと正反対で几帳面な母でしたが、そのためになかなか整理整頓が始まらず、亡くなってから、山のように「隠した代物」が出てきたのも懐かしい思い出です。
寒がりで、夏でも肩や腰の周りに真綿の塊を当てて局部が冷えるのを防いてきました。今のワタクシも冷房が恐ろしくて夏でもセーター、ショール持参を欠かしません。
天国から、相も変わらず、身勝手で、良い加減なワタクシを溜息など付きながら見守っていて下さい。
昭和の帝国ホテルでの結婚式 |
80歳のお誕生日、バークレーのクレアモント ホテル。 |
86歳頃、マンションの玄関のドアの前。 |
チャウチャウのスキと。マルホランドの庭で。 |
アリゾナのツーソンでのカウボーイ パーテイーで。左がハンス。 |
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