CHRIS    COOPER




玄人好みの 地味な それでいて 場面の中で きらりと光る 渋い役者です。顔はかなり違いますが 同じ苗字の ゲーリー クーパーに似た寡黙な男の魅力が漂うクリス クーパーはゲーリーと同じ様にアメリカの良心の産地である中西部はミズーリ州のカンサス シテイーに51年に生まれました。(ゲーリーはモンタナ州に01年に生まれ61年に亡くなっています。こういうハンサムで 只者ではないサスペンスを秘ませるような俳優が今はいなくて哀しい限り。)


父親は内科医で空軍の軍医となり 後に牧場主に。その影響でクリスはミズーリ大では農業と演劇を専攻。多くの俳優達と同様に演劇の道を選んでブロードウェイを目指したのです。


初めてクリス クーパーに会ったのは「ローン スター」(96)でテキサスの保安官を快演したとき。クリス クリストファーソンやマシュウ マコナヘー、フランシス マクドーマンドと行ったくせのある共演者が こだわりの監督 ジョン セイルズのもとに保安官の父親の記憶を辿っていくスリラードラマでした。こういう映画も今のハリウッドから なくなって 寂しい限りです。


“ (監督の)ジョンとは「マテワン」(87)でのオーデイシオンで初めて会い これが僕の映画初出演と知って 特別に興味を持ったようだ。それまでずっとブロードウェイやロンドンの舞台ばかりにでていたから 僕に取っては 初めての映画どころか 主役だったから
非常に不安だった。しかしジョンの完璧な段取りと際限のない才能を目の当たりにして
僕は大船に乗った気分になれたのだよ。以来ジョンとは仕事以上の仲になって 僕に取っては巨大なブレークになったし 良い友人を得る事が出来た。”




クリスは低い 安定した声で ゆっくり話してくれる。舞台に慣れただけに 静かだが
よく通る声で ひっそりとした立たずまいが 場を和やかにし 苦労人の気配りがよく見て取れました。
83年に結婚した女優のマリアンヌ レオーネとの間にジェシーと言う息子が87年に生まれたものの脳性小児麻痺で重度の身体障害児でした。このハンデイーキャップを抱えながらも 息子に対する愛情を連々と語っていたし 絶対に被害者の目で世の中を見ず 毅然とした姿勢は気持ちの良いものでした。
最高の医療を息子に とわざわざボストンの近くに引っ越し 息子も献身的な両親に応えて
高校の時は最優秀生になったとか。
しかしジェシーは05年に亡くなり クリスは前にもまして 仕事に没頭していったのです。
「アダプテーシヨン」(02)では蘭の栽培者の役を手がけて 見事アカデミー賞を受賞。
“ 蘭の事など全く分からなかったが監督のスパイク ジョーンズが次から次に 映画と全く関係のない妙な事を質問して来たり 命令するので 僕は多少混乱状態で役作りをしてね。
彼は編集を自分でするのだが 出来上がった作品を見て うなってしまった。すべてが
きちんと要所要所に収まっているではないか。”


「シービスケット」(03)ではサラブレッドにしては 大食いでのんきな馬の調教師の役を例の冷静沈着な動きで演じ ジェフ ブリッジェスのリッチで野放図のオーナー役と良いコントラストを見せていました。そして父の影響で馬が大好きとにこにこしていました。
会見の場所がロスアンジェルスの東にあるサンタアニタ競馬場でしたので出演者も関係者も
何となく浮かれて クリスも満足そうにロイヤルボックスや記者席 クラブのバー等を見て回っていました。私めもこの競馬場に数十年前 日本からの名サラブレッドが鳴り物入りで来た時 報知新聞の取材のために何日か日参した懐かしい思い出があります。例の物忘れ症で競馬馬の名を忘れてしまいました。後日 追加しましょう。


先輩のスタンデイング ホース氏のサポートで 1986年 3月29日 我が日本の7冠馬の名馬シンボリルドルフがサンタアニタ競馬場で7頭立てレース で6着と言う残念な結果だった事が分かりました。時差が原因だったのでしょう。


最近では マット デーモンの「ボーン シリーズ」にレギュラーとして出たり マットの親友のベン アッフレックが監督し主演した「ザ タウン」にもベンの父親役で顔を出したりとボストンの街の仲間意識を強めているようです。


2003「シービスケット」






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