HARRY  BELAFONTE




デーオ!イデデーオ!「バナナボートソング」のハリー ベラフォンテです。
実に耳に残る懐かしいメロデイーと歌詞でした。1950年に歌ったのですって。
「マチルダ」も良かったですね。 一時はバナナのコマーシャルもしていました。


1927年 ニユーヨークのハーレムに生まれ 少年時代を英国領西インド諸島のジャマイカで過ごし それでジャマイカのサウンズが身にしみ着いたとか。
53年カーネギーホールでのコンサートは大盛況だったそうです。


ハリーとシドニー ポワテイエはたった9日間しか誕生日が違わず 20歳のときからの親友でずっと結びつきを保っているそう。二人ともスリムでハンサムで知的な魅力にあふれてますね。


映画デビューは53年の「BRIGHT ROAD」ですが、ドロシー ダンドリッジと共演した「カルメン ジョーンズ」(54)はドロシーの恋人 オットー プレミンジャーが監督 パール ベイリーも加わって黒人ミュージカルとして好評を得ました。「日のあたる島」(57)でブラック パワー炸裂、映画俳優としても認められる様に。もっとも演技派にして2枚目のシドニー ポアテイエの比ではありませんが。


ポアテイエと同様 政治意識も強く 黒人の向上運動にも積極的に参加。ジャマイカの関係でキューバのカストロと非常に仲が良いと言ってます。

1968年には歌手のペトーラ クラークとテレビの特別番組に出て 彼女が歌いながらハリーの腕に触れたシーンが問題となり スポンサーのプリムス モーターズはこの場面をカットすると言い張ったのですが ペトーラはこの瞬間をカットしたら もう私は出ないと抵抗して 新聞がこれを書き立て テレビの視聴率はグーンと上がったそうです。


ハリーに会ったのは「ジャンクシヨン」(95)という映画でジョン トラヴォルタと
共演した時。黒人が優位の社会で白人は差別されていると言う逆の世界を描いたストーリーで日系3世のデスモンド ナカノが監督した意欲作でした。
既に68歳の彼はソフトな口調で 酸いも甘いも噛み分けた達人の風格を見せてました。“ アイデイアは面白いが なかなか受け取りにくい話ですよね。”などと
複雑な表情でした。


何せ政治的に攻撃的で 黒人の軍人にして政治家になっただったコリン パウエルを批判し ジョージ ブッシュ大統領に至っては 最悪の指導者と吐き捨てる様に言い 色々と難しいい立場に
1995  [WHITE  MAN'S  BURDEN]   [ジャンクシヨン」
立たされる事もしばしばだったようです。





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