RICHARD   HARRIS


“ 姪や甥っ子の為にこの役を受けたのですよ。原作?そんなもの読みません。脚本だけで充分です。”
「ハリーポッター」第一弾 「賢者の石」(01)で魔法学校の校長先生の役(みんな変な名前で 覚えていられません)を得た時に会う機会があって 既に71歳だったリチャード ハリスは “がきの本など読めるか” と言うトーンで
しらばくれていました。
この会見はロンドンのサヴォイホテルで行われ ハリスはここのレジデンス ウィングに住んでいて 毎晩となりのバー
でぐびぐびしていたそうな。


何しろアイルランドのライムリックに30年に生まれ ラグビーの名選手だったハリスは同じアイルランド出身のピーター オツールと同様 血管にアルコールが流れているような
人生飲まずにしてやっていけるか!と言う古き良き時代の
役者 いやアイリッシュ メン全員のパブ ライフこそ
命と言う生活を送ったと言えましょう。


“ このあいだトム クルーズを見かけたが まあその小さい事!大男のボデイーガードに囲まれて まさに小人だったね。コミカルな光景だったよ。いやだね。ボデイーガードを連れていなければ 外に行けないなんて。
その昔 ジェイムス キャグニーは一人で荷物を持って駅にたどり着いて 迎えにいった僕とそのままパブに直行して
やんやと愉快なときを持った。最近の役者ではラッセル クロウがいいね。何度か一緒に飲んだがラグビーの話から
人生観までいや 話がうまくて 色々良く知っている。”


とまるで私たちもパブに同席しているような気分にしてくれたものです。


「孤独の報酬」(63)原題は 「THIS SPORTING LIFE」では北アイルランドを舞台に頑固なラグビー選手を演じて アカデミー賞の候補になり 初主演の快挙、それからも独特の反抗的な表情とセクシーな外見で英国映画にとどまらず ハリウッドでも人気スターとなって
 「ダンデイー少佐」(65)(前にチャールトン ヘストンのページで紹介しました。)や「カサンドラクロス」(76)「許されざるもの」(92)などなどたくさんの映画に出ています。
「キャメロット」(67)では歌と言うより モノローグのような歌い方で王様役を手がけ 前に書いたようにテレンススタンプは あんなのなら俺の方がまし と歌手ではないから役を退いた事を悔いてました。この映画の主役陣、ヴァネッサ レッドグレーヴ、フランコ ネロなどみんな歌が大した事がなく それでもミュージカル映画というあたりがおかしいです。


「ザ フィールド」(90)は1930年頃のアイルランドの土地への執着をぶつける(又もやの!)頑固じじいの役で激演。監督はジム シェリダンですから アイリッシュの血がむんむん たぎるギリシャ悲劇のような映画でした。 


2001 「ハリーポッター 第1巻 賢者の石」
「ハリポタ」のすぐ後 2002年10月25日 悪性リンパ腫のためロンドンで亡くなりましたが息子のジャレッドは目下ハリウッドでちょっとひねくれたタイプの性格俳優として親父の延長をたどっています。

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