MICHAEL FASSBENDER
ファスベンダーと言う名前から察せられるとうり 父親はドイツ人、ハイデルブルグ生まれの35歳。母親はアイルランド人でマイケルが2歳の時に祖国のケリー郡キラーニーに移り ここでウェストエンド ハウスと言うレストランを始め (父親はシェフ) マイケルのアイルランド訛りの英語と流暢なドイツ語が培われたのです。
アイルランドの若者の典型的パターンでロック歌手を目指していたマイケルはギター,アコーデイオン、ピアノが弾けて 中でもギターに自信を持っていたようです。
ある日 コメデイーとドラマのクラスの掲示板が目に入り ここから演技熱が沸き
タランテイーノの「レゼボア ドッグス」の舞台版に主演したばかりか監督まで手がけたそうな。92年の事でした。すっかり舞台の魅力に取り憑かれた彼はロンドンへ。
演劇学校で鍛えられたものの3年目には余りに純粋な台詞ばかり言う劇に不満を感じ
バーテンダーをしながらテレビと映画の仕事のオーデイシヨンに通い 小さな役を得て
スピールバーグ監督の「バンド オブ ブラザース」(01)ではバートン パット
クリステンソンを演じたそうです。テレビのシリーズで第2次大戦の新兵訓練から戦地に出て終戦までを描いた10回にわたる大作でした。大勢の英国若手俳優が顔を出しているので もう一度見てマイケルを確認しないと。
次のハリウッドの大作は「300」(06)で スパルタ戦士 ステリオス を演じてます。
そして英国の監督 ステイーヴ マックイーン(あのハリウッドスターを同じ名前ですが こちらは創作アーテイストで黒人なのです)の衝撃的な「ハンガー」(08)のボビー サンズ役に取り組んだのです。既にスリムな体をさらに飢餓状態にする為36ポンドも減らしてのリアルな役作りは英国映画界の注目を引きました。1981年に起こった北アイルランドのIRAのアクテイビストだったサンズのハンガーストライキはサッチャー首相の否定的な処置のために悲劇的な結果となり ボンズは英雄的な足跡を残したと言う実話でした。メイズ刑務所での党員達の英国に反抗する姿は目を覆うばかりの凄まじさでまず一生忘れられない映画になると思います。
“ ナッツとイチゴとイワシのカンだけを毎日食べて 体重を減らしているうちに 精神的な絶望感と抵抗精神にも襲われたね。小さい時からアイルランドの英雄 マイケル コリンズの話を聞いていたし 06年にはエジンバラの「アレジアンス」と言う舞台劇でコリンズを演じたのだよ。だからIRAの行動にも興味があったし。”
と後にマイケルは語っていました。
しかしアメリカで最初にマイケルの研ぎすまされたような端正なルックスを見たのはタランテイーノの「イングローリアス バスターズ」(09)で英国のレジスタンス ファイターを演じたとき。ブラッド ピットをも押しのけるような存在感を見せてました。ビールのお代わりを2杯と頼むとき 親指と人差し指を使ったシグナルでスパイと言うのがばれてしまうシーンを覚えてますか? アメリカ人と英国人は人差し指と中指をちょうどとVサインの様にだすのです。日本人もそうですよね。
「X メン:ファーストクラス」(11)で初めてロンドンでマイケルに会いました。
黒いソフト帽をかぶって どこから見ても男性モデルの様に完璧なスタイルでおまけに
あのクールなルックスですから 取っ付きにくそうですが ケラケラと笑って自分を重要視しない軽いのりの楽しい人でした。パブで会いたいような雰囲気と言いましょうか。映画で共演したゾーイ クラヴィッツ(ミュージシャン、レニーの娘)と付き合ったいたそうでこの事を聞くと
“もうデートしてない。つまらない事は聞かないでくれ” とけんもほろろでしたから
どうも女性関係の話題は禁物、つまり大もてで 困っているのでしょうと察した次第。
次にインタヴェユーしたのは 巨大な注目を引いた「シェーム」(11)でセックス
中毒の孤独な青年を演じたとき。再びステイーヴ マックイーン監督の作品で
“ ステイーヴの映画なら何でも出たい。彼の感性と才能にすっかり惚れているから。
もっとも初めて会った時は お互いに違う周波数を携えていて ボビー サンズの役は出来ない と断ったのだよ。それでももう一度考えて欲しいと言われて 引き受けた。当時の僕は頭でっかちで 自己中心で 猜疑心のカタマリだった。以来ステイーヴと僕は無二の親友と言うか 心の友になったのさ。”
「シェーム」での全裸シーンが余りにも注目されて かなり白けてもいました。
“ 血だらけの脳細胞が飛び散る場面なんて日常生活ではまず見ないだろう。でも男性の性器なんて男なら毎日10回は見るし 女性でも兄弟や友達のを見てるだろうし 日常茶飯事の事じゃあないか。大騒ぎするなんてばかばかしいくて やってられないよ!”
とね。
最も大騒ぎの理由は 平然とマスターベーシヨンなどする行為とそのサイズだったのですが。
そして一番最近会ったのは 「プロメテウス」(12)でアンドロイドのデーヴィッド
をまさに怪演したとき。ロボットなのに 「アラビアのローレンス」など見ては
主人公のピーター オツールのまねをして 話し方から髪の毛の色まで変えてしまったりの密やかな楽しみを持ったり 人間に お前なんか感情がないだろう と言われて
静かに怒って 仕返しをする時の表情とか マイケル自身がかなり完璧な外見を持っている為に この怖さが倍増するのです。リドリー スコット監督は最初からファスベンダーを考えていたと言うのもよく分かります。
又ロンドンでの会見でしたが 飛脚も穿けない様な細いズボンに 洒落た上着を着て
赤毛のひげを蓄え どこから見てもセレブリテイーのアーテイストでした。
“ 次はまたステイーヴが監督する「12 YEARS A SLVE (奴隷として12年間)」と言う映画にブラッド ピットとチボテル エジオフォーと出る。それから 再び リドリー スコットが監督する「ザ カウンセラー」と言う映画にハビエ バーデムと出るんだ。良い監督に恵まれて凄くラッキー。”
とニキニキしてました。
その夜 ロンドンのクラブ「アクア」と言うところでプレミアのパーテイーがあって
そこでマイケルを見かけたのですが テラスのはじに陣取って 回りを友達やリドリー
スコットが囲んで 誰もそばに近づけない様に 戦術的なスタンスを取っていました。
おぬし やるな。のファスベンダーでした。
ファスベンダーと言う名前から察せられるとうり 父親はドイツ人、ハイデルブルグ生まれの35歳。母親はアイルランド人でマイケルが2歳の時に祖国のケリー郡キラーニーに移り ここでウェストエンド ハウスと言うレストランを始め (父親はシェフ) マイケルのアイルランド訛りの英語と流暢なドイツ語が培われたのです。
アイルランドの若者の典型的パターンでロック歌手を目指していたマイケルはギター,アコーデイオン、ピアノが弾けて 中でもギターに自信を持っていたようです。
ある日 コメデイーとドラマのクラスの掲示板が目に入り ここから演技熱が沸き
2012 GOLDEN GLOBE SHOW |
演劇学校で鍛えられたものの3年目には余りに純粋な台詞ばかり言う劇に不満を感じ
バーテンダーをしながらテレビと映画の仕事のオーデイシヨンに通い 小さな役を得て
スピールバーグ監督の「バンド オブ ブラザース」(01)ではバートン パット
クリステンソンを演じたそうです。テレビのシリーズで第2次大戦の新兵訓練から戦地に出て終戦までを描いた10回にわたる大作でした。大勢の英国若手俳優が顔を出しているので もう一度見てマイケルを確認しないと。
次のハリウッドの大作は「300」(06)で スパルタ戦士 ステリオス を演じてます。
そして英国の監督 ステイーヴ マックイーン(あのハリウッドスターを同じ名前ですが こちらは創作アーテイストで黒人なのです)の衝撃的な「ハンガー」(08)のボビー サンズ役に取り組んだのです。既にスリムな体をさらに飢餓状態にする為36ポンドも減らしてのリアルな役作りは英国映画界の注目を引きました。1981年に起こった北アイルランドのIRAのアクテイビストだったサンズのハンガーストライキはサッチャー首相の否定的な処置のために悲劇的な結果となり ボンズは英雄的な足跡を残したと言う実話でした。メイズ刑務所での党員達の英国に反抗する姿は目を覆うばかりの凄まじさでまず一生忘れられない映画になると思います。
“ ナッツとイチゴとイワシのカンだけを毎日食べて 体重を減らしているうちに 精神的な絶望感と抵抗精神にも襲われたね。小さい時からアイルランドの英雄 マイケル コリンズの話を聞いていたし 06年にはエジンバラの「アレジアンス」と言う舞台劇でコリンズを演じたのだよ。だからIRAの行動にも興味があったし。”
と後にマイケルは語っていました。
2012 [ PROMETHEUS ] |
「X メン:ファーストクラス」(11)で初めてロンドンでマイケルに会いました。
黒いソフト帽をかぶって どこから見ても男性モデルの様に完璧なスタイルでおまけに
あのクールなルックスですから 取っ付きにくそうですが ケラケラと笑って自分を重要視しない軽いのりの楽しい人でした。パブで会いたいような雰囲気と言いましょうか。映画で共演したゾーイ クラヴィッツ(ミュージシャン、レニーの娘)と付き合ったいたそうでこの事を聞くと
“もうデートしてない。つまらない事は聞かないでくれ” とけんもほろろでしたから
どうも女性関係の話題は禁物、つまり大もてで 困っているのでしょうと察した次第。
次にインタヴェユーしたのは 巨大な注目を引いた「シェーム」(11)でセックス
中毒の孤独な青年を演じたとき。再びステイーヴ マックイーン監督の作品で
“ ステイーヴの映画なら何でも出たい。彼の感性と才能にすっかり惚れているから。
もっとも初めて会った時は お互いに違う周波数を携えていて ボビー サンズの役は出来ない と断ったのだよ。それでももう一度考えて欲しいと言われて 引き受けた。当時の僕は頭でっかちで 自己中心で 猜疑心のカタマリだった。以来ステイーヴと僕は無二の親友と言うか 心の友になったのさ。”
「シェーム」での全裸シーンが余りにも注目されて かなり白けてもいました。
“ 血だらけの脳細胞が飛び散る場面なんて日常生活ではまず見ないだろう。でも男性の性器なんて男なら毎日10回は見るし 女性でも兄弟や友達のを見てるだろうし 日常茶飯事の事じゃあないか。大騒ぎするなんてばかばかしいくて やってられないよ!”
とね。
最も大騒ぎの理由は 平然とマスターベーシヨンなどする行為とそのサイズだったのですが。
そして一番最近会ったのは 「プロメテウス」(12)でアンドロイドのデーヴィッド
をまさに怪演したとき。ロボットなのに 「アラビアのローレンス」など見ては
主人公のピーター オツールのまねをして 話し方から髪の毛の色まで変えてしまったりの密やかな楽しみを持ったり 人間に お前なんか感情がないだろう と言われて
静かに怒って 仕返しをする時の表情とか マイケル自身がかなり完璧な外見を持っている為に この怖さが倍増するのです。リドリー スコット監督は最初からファスベンダーを考えていたと言うのもよく分かります。
又ロンドンでの会見でしたが 飛脚も穿けない様な細いズボンに 洒落た上着を着て
赤毛のひげを蓄え どこから見てもセレブリテイーのアーテイストでした。
2011 [ SHAME ] |
とニキニキしてました。
その夜 ロンドンのクラブ「アクア」と言うところでプレミアのパーテイーがあって
そこでマイケルを見かけたのですが テラスのはじに陣取って 回りを友達やリドリー
スコットが囲んで 誰もそばに近づけない様に 戦術的なスタンスを取っていました。
おぬし やるな。のファスベンダーでした。
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