LESLIE CARON
レスリー キャロンは1931年7月1日にフランスはブローニュに生まれました。母はアメリカ生まれのバレリーナ、父親は科学者と言う家庭に育ちもちろんパリのバレー教室で修行。シャンゼリゼ バレー団で巡業中に ジーン ケリーにスカウトされ 有名なミュージカル 「巴里のアメリカ人」(51)で映画デビュー。
小柄でキュートな顔のレスリーはアメリカ人男性にしては小柄なケリーの格好のダンス
パートナーとなりました。
「リリー」(53)ではアカデミー賞候補に。戦後日本の少女だった私めは「足ながおじさん」(55)が大好きでした。
「恋の手ほどき」(58)とか「ファニー」(61)なども良かったですね。
ハリウッドのダイナミックなミュージカル女優たち、ミッチー ゲイナーとかシド シャリース、アン ミラー たち とは違うフランスのエスプリと言うのか ぴりりとスパイスが効いた存在でした。
もっとも私めは エレガントでミステリアスなシド シャリースが大好きで将来はミュージカルに出ようと宝塚歌劇団に入るのが最初のステップか などと真剣に
考えていたこともあったのです!!。家にお客様が来るとテーブルの回りで足をあげたり くるくる回って 見て来たばかりのミュージカル映画のナンバーをを披露していたものでした。
レスリーは後にシリアスな女優となり「パリは燃えているか」(66)などにも顔を出しています。
この写真はレスリーが久しぶりにハリウッドに来て出演した「ル デイヴォース」(03)の時のもので 主演はケート ハドソン(ゴールデイー ホーンの娘)でフランスでのロマンスを描いた軽い映画でした。
“ パリに住んでいると生きているって言う感覚が濃厚になります。食べ物のせいかしら? ともかく私はもうアメリカには住みたくないですね。”
と静かに言って 相変わらずシックで 体の線もしっかりと整って とても72歳には見えませんでした。
レスリー キャロンは1931年7月1日にフランスはブローニュに生まれました。母はアメリカ生まれのバレリーナ、父親は科学者と言う家庭に育ちもちろんパリのバレー教室で修行。シャンゼリゼ バレー団で巡業中に ジーン ケリーにスカウトされ 有名なミュージカル 「巴里のアメリカ人」(51)で映画デビュー。
小柄でキュートな顔のレスリーはアメリカ人男性にしては小柄なケリーの格好のダンス
パートナーとなりました。
「リリー」(53)ではアカデミー賞候補に。戦後日本の少女だった私めは「足ながおじさん」(55)が大好きでした。
「恋の手ほどき」(58)とか「ファニー」(61)なども良かったですね。
ハリウッドのダイナミックなミュージカル女優たち、ミッチー ゲイナーとかシド シャリース、アン ミラー たち とは違うフランスのエスプリと言うのか ぴりりとスパイスが効いた存在でした。
もっとも私めは エレガントでミステリアスなシド シャリースが大好きで将来はミュージカルに出ようと宝塚歌劇団に入るのが最初のステップか などと真剣に
考えていたこともあったのです!!。家にお客様が来るとテーブルの回りで足をあげたり くるくる回って 見て来たばかりのミュージカル映画のナンバーをを披露していたものでした。
レスリーは後にシリアスな女優となり「パリは燃えているか」(66)などにも顔を出しています。
この写真はレスリーが久しぶりにハリウッドに来て出演した「ル デイヴォース」(03)の時のもので 主演はケート ハドソン(ゴールデイー ホーンの娘)でフランスでのロマンスを描いた軽い映画でした。
“ パリに住んでいると生きているって言う感覚が濃厚になります。食べ物のせいかしら? ともかく私はもうアメリカには住みたくないですね。”
2003 「ル デイヴォース」 |
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