GENE     HACKMAN






ジーン ハックマンとダステイン ホフマンはニユーヨークで全く売れない下積時代に共同生活をしていたのです。最初はジーンが一人で1寝室のアパートに住んでいて ここにダステインが転がり込み 台所の床に寝ていたとか。 数日のはずが全然出て行かないので 我慢できなくなったジーンが別の部屋を借りたとか。ジーンは引っ越しやのアルバイトの仕事をして 一人で冷蔵庫を背負って階段を上がったりする力持ちだったのですって。 居直るダステインと黙って行動するジーンの二人の性格が垣間見えるようです。二人で屋上に行きボンゴとコンガをぶっ叩いて マーロン ブランドのまねをしたりしたそうです。


ジーンは1930年にカルフォーニア州のサン バーナデイーノに生まれ ひどい貧乏家庭で16歳で年齢をごまかして海兵隊に入隊 GIビルで演劇学校に入って俳優を目指し 1967年にジーンは「俺たちに明日はない」でデビュー、同じ年にダステインは
「卒業」でブレーク。


初めてジーンに会ったのは おそらく「ミシシッピー バーニング」(88)ではなかったかと思います。当時既に53歳だったジーンはかなりシニカルで 自己宣伝などとんでもないと言った静かな人となりを見せ 言葉少なに “ 映画は好きだが それに付随するプロモーシオンやプレミアとか授賞式とかは好きではない ” と素直に白状してました。


「フレンチ コネクシヨン」(71)の思い出も 相手が興奮するのを白けた表情で
眺めて “ もうずっと前のことで カーチェイスとかばかりが知られて困惑しています。しかしポパイ ドイル刑事は好きな役ですね。 ”
と短く答えるのみ。次の「フレンチ コネクシヨン 2」(75)は 題名に沿って
フランスまで行くストーリーが楽しめた。”
とあくまで控え目でした。


“ 僕はスターになる為に俳優になったのではない。あくまで演技を見せる俳優でありたい。” と毅然としている姿はとびきり素敵でした。


最後にあったのは 旧友 ダステインと共演した「ニユーオーリンズ トライアル」(03)で会見の場所はニユーオーリンズでした。相も変わらずダステインは騒がしく
法律のこと 南部の慣習などの講釈を長々しくしてくれて その後に現れたジーンは
2003 「ニユーオーリンズ トライアル」
日系ハワイ人のピアニストの奥さま、ベツツイー 荒川さんを同伴してにこにこと
柔らかな微笑を浮かべていたのを覚えています。この奥様が1984年にヘルスクラブでタオル係をしていたとき 知り合ったそうで 1961年生まれのエレガントな女性でした。1991年に結婚して 今はニユーメキシコのサンタフェに住んでいるとか。


2004年の「ムースポート」と言う喜劇に出た後 半分冗談で もうリタイアーする
と言ってましたが そのまま映画には顔を出していません。
絵画をたしなみ フィクシヨンの小説を書くのが毎日の楽しみと言っていたので
空気のきれいなサンタフェで 奥様のピアノを聴きながら 絵など描いているのでしょう。



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