DINNER AT SALTIE GIRL IN HOLLYWOOD WITH KUNIHIKO MURAI
12月17日(日)
前の旦那様、成田邦夫氏の暁星学園の時のクラスメート、有名な作曲家の村井邦彦さんが御自宅で生牡蠣を一緒に食べましょうと誘ってくださった計画だったのですが、奥様が体調を崩して急遽、ハリウッドのシーフード レストラン、「ソルテイー ガール」塩辛い娘、おそらく鼻っ柱が強い娘、で牡蠣を食べることになりました。
初めてのお店で、ロゴの人魚もセクシーで、ピンクの照明やらインテリアがかなリ、ヤング アンド ヒップ風(若くて、クール)で入った時はちょっと仰け反りましたが、中に入ると落ち着けるテーブルセッティングでした。5時のお約束で、入り口には並んでいる人が居ましたが、お店の中を見渡すと既に村井さんは座ってメニューをチェック中。
最後に会ったのはおそらく「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD (19)の試写のあと、ハリウッドでは有名な「ムッソ & フランク」MUSSO & FRANK でステーキデイナーを食べた時ではないでしょうか。
その他の試写は「ア スター イズ ボーン」A STAR IS BORN (18)と「ザ ソング オブ ネイムス」THE SONG OF NAMES (19)でご一緒しました。特に誰も見ていないような小作品「ソング オブ ネイムズ」は、音楽が素晴らしいとプロらしい観点から喜んで下さいました。
さてまずは白ワインのサンセールで乾杯して、色々な種類の生牡蠣を一人当たり、16個ずつぐらい注文、小さいのは新鮮ですが、やはり適当なサイズの「お肉」が入っていないと食べた気がしません。目薬のようなスポイトにソースやケチャップが入っているのがちょっと、医学的存在で、もう少し、ビジュアルに食欲をそそる容器はないのかな、と思いました。
村井さんの新書 「モンパルナス 1934」のこと、成田氏のこと、映画のこと、お腹を壊したという弥生さん(夫人)のこと、などなど会話が弾み、メインデイッシュは3人同じでドーヴァーソウル、大きな二片の身が並んで、その上に2本の骨が乗っているという「デボーン」を演出したスタイルで登場。
2本目の「サンセール」が加わりました。
かなりボリュームがあって、村井さんはお留守番の奥様に残りを包んでもらってます。私達もドッギー バッグを頼みました。
デザートはたしか英国風ステイッキー プデイング2個を3人で分けて頂き、食べてすぐ、村井さんは急いで帰宅の途に付きます。
まだ、ワインボトルに残りがあったので村井さんが高額のお勘定を払ったあとも居座ってゆっくりと食後の予感を楽しみました。ごちそうさまでした。
翌日、まだ本調子ではないと言う弥生さんにカラフルな花束を贈って、せめてものお見舞いにと収めて頂きました。
村井さんの著書はこれで2冊読みましたが、特に「モンパルナス 1934」は 60年代、高校生だったワタクシは学校の近くの麻布 六本木あたりを散策していたので、ご本の中にイタリアン レストランのキャンテイーやら、当時のファッショナブルな有名人たちが出て来て、青春の頃の胸が痛むようなとびきり懐かしい思い出が蘇ってきたり、楽しく、切なく、一気に読んでしまいました。
村井さんを始め、ほとんどの登場人物が良いお家の坊っちゃん、お嬢様で、すぐに海外旅行に出かけて、現地でのコネクションが最高で、何ヶ月もホテルに住んでしまったりと、渡航費の制限にぎゅうぎゅうしていた私達には夢のような旅行やら、コンサートなどのお仕事のエピソードが満載です。
ぜひご一読をおすすめします。
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「ソルテイー ガール」の居心地の良いテーブルで村井さんと。 |
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ちょうど、交通信号みたいな色合わせだね、と村井さんの弁。 |
これは「モンパルナス 1934」の説明書きです。
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1960年頃の村井さんとヒロインのタンタン。 |
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相変わらず下手な自撮りです。 |
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ハンスは自撮りが嫌いなので表情も浮かないものになります。 |
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「ドーバー ソウル」アートのように骨が上に乗ってきます。 |
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入り口で並んでいる人々。寒いのでコートを着ています。 |
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A STAR IS BORN (18) の時の食事。弥生夫人と。 |
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ムッソー フランク レストランで。(2019) |
翼をください」「虹と雪のバラード」……。
日本を代表する作曲家が綴る初のエッセイ。
日本を代表する作曲家でアルファレコードの創業者、村井邦彦初のエッセイ集。同人誌『月刊てりとりぃ』に2011年から連載している「LAについて」を書籍化。今や国民的唱歌となった「翼をください」の作曲者で、荒井由実、赤い鳥、YMO、ハイ・ファイ・セット、ガロなど、多くのアーティストを世に送り出した著者の人脈は幅広く、60 年代末からパリ、ロンドン、LA、NYなど世界中を飛び回り、ビジネス的にも音楽的にも多くの要人と交流している。そこで出会った人々との思い出やエピソードは単なる交友録にとどまらず、日本のポップス史における貴重な証言でもある。居住地であるLAを中心とした交流を描きながら、関連する音楽、映画や舞台などに話が発展していく独特の内容は、優れた文化論としても読めるだろう。
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セクシーな「ソルテイー ガール」のロゴ。(ネットから) |
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入口正面のレセプション。(ネットから) |
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私達は上のソファの真ん中に座って、村井さんは向かいの椅子に座りました。(ネットから) |
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ピンク色が誘います。(ネットから) |
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生牡蠣とソースが入っているスポイト。(ネットから) |
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ドーヴァー ソウルと骨。(ネットから) |
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ロウ(生の甲殻類)のメニュー(ネットから) |
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魚のメニューの一部 (ネットから) |
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これは缶詰の魚のメニュー(ネットから) |
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