RIVER  PHOENIX






本名は リヴァー ジュード ボトム と言うのですよ。何と言っても「スタンド
バイ ミー」(86)の少年冒険団のひときわ光る美少年でした。


両親がヒッピーだと苗字は自然賛歌に変えられるわ 南米の街角で 歌や踊りを踊って生活費を稼がなくてはならないやら 彼の生き方もそのうち 映画になるでしょうね。


フェースブックにリヴァーの事を載せて “ 弟のホアキンと余りに似ていないから牛乳配達のせいかも ” と書いたら
“ へえー 実の兄弟とは知らなかった!!” と言うオドロキの反応が数個あったので ああ時代は遠くなったのだなーと ちょっとがっくり。そして せめてここに 私めが見たリヴァーの健気で 繊細で 才能にあふれていて ハリウッドの
誘惑に墮ちてしまった 悲劇的な短い人生を紹介したいと思った次第。




初めて会ったのは「モスキトー コースト」(86)でハリソン フォードの息子を演じた時。漂流する父親と子供達のドラマで とっても良い映画です。近眼で眼鏡をかけたハリソン パパが大波に眼鏡をさらわれた後も 平気で舵を取っていたのが近眼の私めには不思議だったのが思い出されます。


黒髪でジプシーのような野性的な母親と一緒に現れた当時16歳のリヴァーは
輝くようなブロンドに透き通った青い眼 長身に長い手足とトロイ ドナヒュー
の再来のようでした。また古いお話ですが ともかく 人気スターになる事間違いなしのグッドルックスと恥ずかしげな表情が実に初々しかったのを思い出します。


「旅立ちの時」(88)は私めの一番大好きな作品。 リヴァーがピアノ少年になって政治活動家の親の為にまともな生活が出来ず 隠れ家で 紙に書いた鍵盤で必死に練習する様には涙が出ます。この役でアカデミー賞の候補になったほどの
激演でした。


「インデイ ジョーンズ/最後の聖戦」(89)では再びハリソン フォードと共演。超娯楽作品に出る様になり リヴァーはスーパースターに。


「マイ プライベイト アイダホ」(91)の時は 共演のキアヌ リーヴスと大いに気が合ったと楽しそうで 公然とドラッグ中毒者の役の為にちょっと試したよー 等と二人でふざけたりしていましたが。


「スニーカーズ」(92)の会見の前にホテルのバーでぐびぐびと強いお酒を飲んでいる姿を目撃。会見で転んだり 意味のない内容の返事をしたり と言う行動をとってましたが スター街道スピード前進の若手を見てきた記者達は 又か と思うぐらいで 大して心配したりしませんでした。


1991年頃
最後の会見は「愛と呼ばれるもの」(93)の時で 既にスターと言うステイタスにうんざりしている23歳でした。


そしてその年のハロウィーンの夜 (10月31日)ハリウッドのヴァイパー ルームと言う当時ジョニー デップが共同オーナーだったクラブでドラッグの
過剰使用の急死。一緒にいた弟のホワキンのショックは凄まじく 未だに
兄貴の事は語りません。


今私が散歩する時に使う鍵は 「スニーカーズ」で貰った赤い靴の紐で縛ってあって 毎朝 ロバート レッドフォードとリヴァーが共演した泥棒物語を思い出しては タメ息をついたりしています。

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