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Showing posts from December, 2012
師走です。気をつけて道路など歩きましょう。 年末年始を日本で過ごすために,母の所に行ってきます。 お馬鹿な日本のテレビを見て,お鍋やおせちをたくさん食べてきます。 と言う訳でしばらくブログはお休みします。 良いお年を! 成田陽子
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SACHA   BARON   COHEN サーシャはアレキサンダーを縮小した名前で,サーシャ バロン コーエンは敬虔なユダヤ教信者、両親はイスラエル出身,1971年10月13日にロンドンで生まれたサーシャはオーソドックス ユダヤ教の家に生まれ,アッパー ミドルクラスの家に育ち,私立のボーデイングスクールから,イスラエルのキブツ生活を経て,ケンブリッジ大で歴史を学ぶと言う,典型的学業優先、のユダヤ系秀才なのです。 だからこそ,あの無礼きわまりない,呆れてものも言えないような,下品を通りこして、常識では不可能な喜劇を創作しては,演じてしまう根性と自信があるのでしょう。 又の名を,アリG,ボラット,ブルーノと使い分け,会見にも,役のまま出てきます。 2007 「スウィニー トッド」 2012 「レ ミゼラブル」 初めて彼を見たのは英国のテレビ番組「ダ アリ G ショー」(2000)でサーシャはアリ Gと言うギャングスタラッパーになりきって,知名人から政治家まで,無知蒙昧を装ってインタヴユーするのです。予期せぬ傍若無人な質問にユーモラスに答えようとする知識人も,彼の執念深く,何度も馬鹿な質問を繰り返すやり方に終いには怒り狂うのです。 それがサーシャ,いやアリGの狙いで,それが分かっていても,我慢の緒が切れてしまう,そして観客はアリの野獣的な取り組みに,エリートに対する羨望や恨みを晴らした気分になると。 「ボラット」(06)はカザクスタンから来たジャーナリストと言う名目で,アメリカの生活に顔を突っ込んで,大げさに感心したり,我が国のしきたりでは,と居間で大便をしてみたり,とおふざけがエスカレートしてきます。 この時、初めてあったのですが,もちろんボラットの格好と態度で現れ,女性記者の質問には答えないから,前もって男性記者に代弁してもらうように頼むこと,などとボラットが住む東ヨーロッパの異文化を利用して,知能犯の自分はメークと衣装の陰で,せせら笑っているのでしょう。 こう言う方法をとること自体,サーシャの巨大な自己PR欲と傲慢さを見せているのですが,次の「スウィーニー トッド」(07)では,主演のジョニー デップやテイム バートン監督に敬意を表して,ちゃんと普通の格好で現れ,まともに答えるのです。 そういう変幻自在な姿が
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ALBERT  FINNEY 「アメリカ人なら,感心するかもしれないが,英国でサーと呼ばせるのは,スノッブの他の何ものでもないと信じている.ミスターでたくさんだ」 と言って騎士の称号を断ったと言う,アルバート フィニーは,オードリー ヘップバーンに向かって「ビッチ」と言った世界中でもたった一人の男性だそうな。 もちろん映画の中の台詞ですが。「「いつも二人で」(67)と言うロマンテイックな映画です。 おまけに「アラビアのローレンス」(62)の主役も蹴ったのですと。法外な金がかかるのは,バカバカしいと。ピーター オツールが手がけて,結果的には良かったと思いますが,アルバートの勇ましい言動には定評があるのです。 「アラビアー」の代わりに出たのが「トム ジョーンズの華麗な冒険」(63)でした。そして若き26歳のアルバートの華麗にして,セクシーなこと! アルバートに初めて会ったのは「ミラーズ クロッシング」(90)の時。マンチェスター出身らしい,気取らない,それどころか,自己軽視が当たり前になっている姿勢が,事の他,新鮮でした。普通のスターの様にエージェントに仕事を頼まず,自分で連絡やギャラの交渉もするシンプルな生活を貫いている姿勢も頼もしいなーと感心しました。 「ビッグ フィッシュ」(03)の時はユワン マグレガーと共演して,二人でアメリカの南部のロケを大いに楽しんだ話をまるでパブにいる様に、ゆるゆると笑いながら,披露してくれて、これが英国人同士の気の置けない会話なのだなーと感じ入ったり。 このところハリウッド映画にぶっ続けに出ています。オーシャン12」(04)「ボ−ン」シリーズ (07と12)などなど。 2003 「ビッグフィッシュ」 そしておかしいのは最新のボンド映画「スカイフォール」でスコットランドのボンドの叔父貴(血はつながってないようですが)の役で,激しいテンシヨンのボンドと全く対照ののんびりじいさんを演じて,珍しく家族的なシーンを見せたり,今までに無い奇妙なスピードとバランスを展開します。
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CHER 本名はシェリリン サーカシアン ラ ビエーとアルメニアやインデイアンなどの血が混ざった長い名前です。 シェールに初めてあったのは,「「イーストウィックの魔女たち」(87)でジャック ニコスソンを相手に魔女を演じた時。まだ整形手術も初めの頃で,長めの顔と長い黒髪,それにかなりの長身で,舞台映えする,歌舞伎の女形のような性別の分からない妖しげな魅力がありました。 18歳でソニー ボノと結婚し,「アイ ガット ユー ベイビー」などの大ヒット曲を出した歌手でしたが,81年に ロバート オルトマン監督の舞台に出て,そのままその映画化に出演。タイトルは「Come Back to the Five and Dime, Jimmy Dean, Jimmy Dean」日本語の題は「我が心のジミー デイーン」(82)。 1990「恋する人魚たち」 「マスク」(85)も良かったし,「月の輝く夜に」(87)のシェールは,ニコラス ケイジを相手にお互いに人並みから外れた同志の愛情を新鮮に映して,アカデミー賞を受賞。この授賞式の黒いレースのスケスケの衣装は,まるでレビューショウのフィナーレに階段から降りて来る羽飾りの踊り子のようでした。オスカーの歴史に残る斬新な?ドレスとして有名です。 「ムッソリーニとお茶を」(99)の会見では,独特のしやがれ声で,ケラケラと笑いながら、 「50歳を過ぎると化け物っぽくしないと注目されないのよねー。ハリウッドは中年女優が目の前に立っていても,後ろの若いぴちぴちを観察しているのですもの。一人暮らしにもなれて、さばさばしているわ」 と女帝のごとくと言うか,丸山明宏のようでした。 一番最近 会ったのは,ラスベガスの「ファイナル ツアー」で2009年でした。彼女の「引退ツアー」は,「閉店出血大セール」で,何度も繰り返し,もう業界のジョークでもありましたが,この時は 「もう63歳,階段を唱いながら降りたりするのが怖くて」 と正直に告白。もっとも舞台の上では,常に若い美男子のダンサーがシェールにくっ付いて,転んだりしない様にエスコートしていましたが。 この時ちょうど「バーレスク」(10)と言う映画を撮り終えたところで,7年ぶりの映画出演でした。 「デジタルで顔を若く変えてもらえるかと思ったら,主役のクリステイ
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RUPERT   FRIEND ルパート フレンドは英国はオックスフォードシャー1981年10月1日生まれの31歳。 端正な正統派2枚目ですがまだまだあまり名前は知られてません。せいぜいが「プライドと偏見」(05)でミスター ウィッカムを演じて,主役を演じたキーラ ナイトリーと親しくなり,美男美女の新カップルとしてパパラッチに追いかけられ,二人のじゃれあっている写真が世界中に出回った事ぐらいでしょうか。 スター女優の美青年ボーイフレンドと言う扱いに辟易したルパートは,自ら制作,脚本を手がけた短編映画を作り,二人で共演したりして,誇りある古典劇俳優の才能を見せましたが,結局はその直後に二人は破局。 「ヴィクトリア女王/世紀の愛」(09)では勝ち気な女王をエミリー ブラントが好演,ルパートは女王の永遠の愛人にして夫のアルバート公を演じて,ルックスのみでなく,演技力もそれ以上と言う力を見せました。当時の華麗な軍人の制服や宮廷の衣装が良く似合うクラシックな顔と姿もタカラズカに迫る美しさ? 同年の「わたしの可愛い人シェリ」ではミシェル ファイファーに愛される年下の愛人と言う役を再び美しく愛らしく演じて,コスチューム ドラマのプリンスがおはこの様になってきました。 しかしここに来て じゃーん!前のページのクレア デーンズが主演して,目下アメリカのナンバーワン人気テレビドラマ「ホームランド」に登場! それもミステリアスにして暴力的で,タフで,頭が切れるCIAの腕効きエージェントと言うアメリカ人の役。 ダミアン ルイスがどうもモスレムに洗脳されて,テロリストになったらしい米国軍人を演じて,又もや英国人俳優がアメリカ人の政府の役人とは。主要キャストにここまで英国製を出すのもびっくり。 2009「ヴィクトリア女王 世紀の愛」 でもプリンスのイメージをかなぐり捨てて,ルパートは執念を燃やす調査官として,画面に濃く出てきます。 先日アメリカ人俳優がうなだれて,良い役をほとんど英国人かオーストラリア人の俳優に獲られてしまう!  と嘆いてましたが,ジムで筋肉を付けるのに励んでいるアメリカ人と長いこと演劇学校でハムレットやオセロなど演じてきた英国人の演技力の巾と深さのちがい。 それとアメリカ人にはエージェントや広報係が寄生虫の様に貼りついているため,ギ
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CLAIR   DANES クレア デーンズ 「ロミオ&ジュリエット」(96)でロミオのレオ デイカプリオの相手役をして,一躍有名になって,当時はレオファンから羨望と妬みの目で見られたクレア デーンズはニユーヨークのアーテイスト一家に生まれ,小さい時から,野望をたぎらせていたそう。 テレビシリーズの「アンジェラ・15歳の日々」(94−95)に主演した時に,初めて会ったのですが,当時15歳の彼女は髪の毛,全部をピンカールの様にとめ,肌色なので裸のように見えるドレスを来て,軍隊ブーツを履くと言ったアングラ ファシヨンで現れ,口をとんがらせて、 「将来はジョデイー フォスターの様になりたい。自分を小刻みに売りたくない。演技力で勝負して行く」 と力んでいる姿が,ボーイッシュで可愛かったのを覚えています。 1979年4月12日生まれですから,今33歳。 「ホーム フォア ザ ホリデー」(95)では憧れのフォスターが監督を手がけ,後に彼女にならってイェール大学に入学,オリヴァー ストーン監督の「U ターン」(97)、「めぐりあう時間たち(02)などの良質の映画を選んで出演。 2009年には英国俳優のヒュー ダンシーと結婚、 最近はテレビでの活躍が光っています。 まず「テンプル グランデイン」(10)では自閉症を抱えながら,見事に生きて行く実在の女性を演じてエミー賞を受賞。 そして現在人気ナンバーワンの「ホームランド」(11−)では中東専門のCIAエージェントを激演。余りハードに働いて精神安定剤を服用中と言う不安定な状態の時に、捕虜になってから凱旋帰国した米国軍人(英国人俳優のダミアン ルイス)が実はモスレムに改宗し,テロリストではないかと疑いながらも,ベッドインなどしてしまい,猜疑心と恋心に揺れ動く独身キャリアウーマンをヴィヴィッドに見せてます。 今朝クレアに男の子が誕生と言うニュースが入ってきたので,さっと書いて見ました。 2007「スターダスト」 グレートと言う名前をつけると「グレートデーン」になるわいな,と犬好きの妄想で勝手に偉大な犬種を思った次第です。
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RYAN  REYNOLDS カナダ出身のグッドルッキングのだんトツがライアン レイノルズでしょう。 同じカナダ人で同じ名前のライアン ゴスリングももててますが,それより演技力に集中力を払っているようですし。 メイド イン カナダは今いち激しさに欠けると言われますが、ブレンダン フレイザー,マイケル J フォックス,ジム ケアリーにセス ローガンなどなど,まあどちらかと言うとミルクトーストのグループですね。 しかしまあレイノルズ君のもてもて様は凄いものです。 年上のサンドラ ブロックと交際したり,突然,あのホットなスカーレット ジョハンセンと電撃結婚をしたかと思うと 2年足らずで別れ,すぐに次のホット女優,ブレーク ライブリーと交際中でなく,ゴールインしてしまうのですから。 まだ小粒ですが,結婚好きにかけては,エリザベス テイラーのようです。 2009「あなたは私の婿になる」 私めの歯医者さんのアシスタントもライアン様々で,「ちょっと寄り目じゃない?」などと言おうものなら,良い歯まで抜きそうなのです。 1976年10月23日カナダはバンクーバー生まれ。 オールアメリカンのスポーツマンの爽やかさが特長ですから ロマコメに重宝され,「グリーン ランターン」(11)でアクシヨンヒーローの主役に。 同じ頃に公開された,やはり緑色のヒーロー「グリーン ホーネット」(11)(主役は同国人にして喜劇俳優のセス ローガンと皮肉な偶然)の方が遥かにヒットしましたが。 ともかく素顔は,あくまでも軽快な好男子で,頭も良くて,パーフェクトなのです。 しかしあれほどの美女たちが熱中するのは、なんとも不可解!
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MELISSA     LEO 目下大評判の「フライト」(12)はデンゼル ワシントンが,ドラッグはするわ,アル中だわ、女遊びはするわ,と勤務寸前まで,遊んでいる機長を,見事にリアルに演じているのですが,最後の方の裁判のシーンで登場するメリッサ レオが又かっこ良いのです。航空機構の弁護士ってな役なのですが,真っ赤なスーツを着て,科学的なデータをもとに機長をやり込めて行きます。非情でなく,バランスの取れた道徳観でデンゼルを追求してく姿は,まるでペリー メイソンのごとくで,どちらに転んでも我々は拍手を送りたくなる二人の息詰る競演なのです。 メリッサ レオが一般の人の目に留まったのは「フローズン リヴァー」(08)でしょう。カナダとの国境の、川が凍り付く(ゆえにタイトルになっている)寒い街で,知り合いのインデイアン(いやネイテイヴ アメリカン)の女性と生活費を稼ぐために,違法移民をカナダからアメリカに運ぶ仕事をしています。彼らの生活は貧乏のどん底で,夫に逃げられたメリッサは,息子の世話に、ほとんどのこってないエネルギーを使いますが,もちろん息子はぶーたら文句ばかり。 2012「フランシーヌ」 鏡など覗く余裕も無いような彼女は髪を振り乱し,鼻水垂らさんばかりに働き続けて,国境保安官をやりすごすのです。 この,見ているだけで、しもやけが出来てしまうオリジナルの映画でメリッサのおばさんパワー爆発が見もの。 1960年9月14日ニユーヨーク生まれですから今52歳のベテラン、下積み生活が長かっただけに,貧乏な新人たちを自分の家に置いてあげたりする賄いのおばさん的世話好きな性格が覗けます。 昼メロで腕を磨いたあと「ホミサイド/殺人捜査課」(93)と言うテレビシリ−ズで人気が出てきて,徐々に映画の脇役をこなしてきました。 「21グラム」((03)とか「メルキアデス エストラーダの3度の埋葬」(05)などなど。 「フローズン リヴァー」の人間味溢れる演技でアカデミー賞候補になり,「ファイター」(10)のボクサー兄弟(と数人の娘たち)の母親役で堂々のアカデミー賞助演女優賞を受賞。 最初のアカデミー賞サーキットで,地味な女優と繰り返していわれ,2回目のアカデミー狙いの時は,自分でカメラマンや衣装係を雇って,豪華なセッテイングを背景に,セクシーにして
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IAN  MCKELLEN 「リチャード3世」(95)の大悪君主から「ロード オブ ザ リングス」(01)の賢人ガンドルフ,そして「X−メン」(00)の大悪漢マグネトと長身と貴公子的ルックスが画面に登場すると思わず膝まずいてしまいそうなオーラを放つイアン マツケラン。 1939年5月25日,英国のランカシャー生まれですから現在73歳。「ロード..」3部作はニユージーランド ロケ約2年,新シリーズの「ホビット」(12−)も3部作でニュージーランド ロケ18ヶ月と言う長い島流しにも,嬉々として参加するリーダーシップに溢れる冒険魂の持ち主です。 ご存知でしょうが,英国演劇界で初めて公式に自分はゲイであると発表したのが88年,世界中の演劇界はゲイで溢れているとは言え,役が狭まれる,ファンが離れる,ダブルライフのスリルを楽しむ,などなどの個人的理由から,わざわざカミングアウトする俳優はまだまだ少ないのです。 ルーパート エヴァレットも続いて、公式にゲイ宣言しましたが,当時の解放宣言をひる返して、今は「主役を目指していたら,隠れていたまえ」と警告しているのですから。 アメリカや西洋の街でレインボウ カラーの飾りが電柱などについている通りはゲイ フリー 地区だったご存知ですか? 私にも親しいゲイの友達が居て,そう言う情報は彼らが教えてくれるのですが,まだまだ嫌がらせや,暴力を振るう思慮のない人々がごまんと居る訳で,公共の立場の人には難しい判断でしょう。 2012 「ホビット」(THE HOBBIT:AN UNEXPECTED JOURNEY) さてイアンは,同性愛者の権利を守るために情熱的に活動し,英国では初めてゲイとして騎士の勲章を授かったのが 1991年。 運命の皮肉は,イアンがカミングアウトしたBBCラジオ番組の司会者も騎士受賞のリストに乗っていた事。この司会者が,大変な保守主義者で,ゲイと言う言葉を使わずに,あいつらと言ったために,ゲストのイアンが怒って,「私もあいつらの仲間です!」と答えたのが始まりだったのです。 イアンに初めて会ったのは「リチャード3世」撮影中の93年でした。カンヌ映画祭で,会見があり,公開を前にお披露目があったのです。 時代を1930年代のヨーロッパの暗黒時代に移して,真っ黒な軍服姿を着て身体障害者のリチ
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TONI   COLLETTE オーストラリアのシドニー映画祭,1994年6月。ここでトニー コレット主演の「ミュリエルの結婚」(94)を見て,それから監督に会ったのです。その少し前まで有名だったクロコダイル ダンデイーを演じたスター,ポール ホーガンと同じ名前の監督は、P. J. ホーガンと呼んで欲しいにと言ってました。クロコダイルより遥かにすてきな、映画スターのようなルックスの気持ちの良いポールでしたし、あとからトニーに会ったときは,背が高く,手足が長く,すっきりスリムで スマートなのにびっくり。何たってミュリエルは太っちょで田舎っぽい女の子だったので。 役のために20キロ余り太って,ださく変身したとか。 このシドニー旅行は思い出が詰まっていました。まずパートナーのハンスに会った事。もう18年前ですねー。それからこの6月12日はロスアンジェルスで,あの O.J. シンプソンがブロンコの後部席で銃を頭に当てて,自殺するとわめいた日なのです。シドニーのテレビでも延々と生中継をしていました。 さてトニーは1972年11月1日,シドニー生まれ。 「ミュリエル」で共演したレイチェル グリフィスも同じ様に,アメリカに上陸して,同じように着着と女優街道前進を遂げました。 ハリウッドに来たトニーは,M.ナイト シャラマン監督の「シックス センス」(99)の違う世界が見える少年の母親を演じて,見事にアカデミー助演女優賞にノミネートされ,ロンドンやシドニーを行ったり来たりの世界的な脇役女優に成長します。 当人はケラケラと楽しそうに笑う,いかにも太陽とビーチのシドニー生まれで,隣のお姉さんの気さくな態度で,相手の体をばしばし叩いて,冗談を言ったりします。 レイチェルがテレビシリーズのレギュラーになって人気が出てきた様に,トニーも「ユナイテッド ステイツ オブ タラ」と言うコメデイー番組に主演し,09年にはエミー賞を獲得。 最近は「リトル ミス サンシャイン」(06)でのミス 少女コンテストに出る女の子の母親を手がけたり,今年は「ヒッチコック」(12)のヒッチの秘書を軽妙に演じて,独特の変わった風味を添えてます。 1999「シックス センス」 1994「ミュリエルの結婚」ハンス、トニ、右端は監督のJPホーガン 「めぐりあう時間たち」(02)も「
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KRIS    KRISTOFFERSON 見るからに体制に反抗するリーダーのようなクリス クリストファーソンは、最高レベルのエリートの教養と知性をわざと隠しているようなところが,反逆児たる所以なのでしょう。 「スター誕生」(76)のバーブラ ストレイザンドとの共演がもっとも知られた主演作でしょうが,この映画はこれで3度目の映画化なのです。 クリスはテキサス州ブラウンズヴィルに1936年6月22日に生まれ,父上は空軍の大将で息子を軍人にしたかったそうな。しかし何と言っても反抗児のクリスは,ボクシングやフットボールで活躍したり、勉強にも強く、全米でももっとも優秀な学生に与えられるロードスカラーの栄誉を得て,英国のオックスフォード大に入学して文学を専攻,その後,父親を満足させる為かどうかは分かりませんが,陸軍に入り,西ドイツで4年半程過ごして,大佐の位を得たばかりか、ヘリコプターのパイロットとしてもならす、と言う珍しい進路を取ってます。 ロードスカラーのOBにはビル クリントン元大統領や異色監督のテレンス マリック等がいます。 次はアメリカの士官養成のエリート大,ウェストポイント陸軍士官学校で教師を務め、それから ナッシュビルに住む様になります。 ここでスタジオのトイレ掃除等しつつ,チャンスを狙い,ジョニー キャッシュに自分の曲を見せたところ,全く無視されたとか。ヘリコプターのパイロットの仕事もしていたクリスは,ある日ジョニーの家の庭にヘリコプターを着陸して,自作の曲を手渡して,やっと認められたと言う華々しいエピソードは有名です。 そのうち売れ出して、カントリーのシンガーソングライターとして70年代の初め「サンデー モーニング カミングダウン」とか「ミー アンド ボビー マギー」等数々のヒットを出しました。 「ハイウェイメン」と言うバンドはクリスとジョニー キャッシュ,ウエイロン ジェニングスとウイリー ネルソンと言う凄い顔ぶれのメンバーでした。 映画デビューは「ラスト ムービー」(71)。音楽も担当してます。 トラバドールと言うクラブで唱っているクリスを見て,サム ペキンパーが「ビリー ザ キッド・21歳の生涯」(PAT GARETT & BILLY THE KID)(73)に起用したのが二人の友人関係の始まりです。 そ
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ANDY   GARCIA キューバ人の情熱と誇りを全身に込めて,いつも格調高く,エレガントに振る舞うアンデイー ガルシア。 初めて会ったのは87年の「アンタッチャブル」で青二才の,しかし根性を秘めた若い警官を演じた時。オールドプロのショーン コネリーが目を付けた,激しい目つきの若者でした。 「ブラック レイン」(89)の会見で、ほとんど号泣したアンデイーの表情は一生忘れません。 ー松田優作の思い出をお話しして頂けますか。 「ユーサクが病気だとは知っていたが,まさかあんなにすぐに亡くなってしまうとは!!僕の映画に対する情熱をユーサクはよく分かってくれて,兄弟のような気持ちをお互いに持ったのだよ。日本人のプライドと愛国心と義侠心が僕のキューバに対する気持ちと似ていて,僕らは血がつながっているねって誓い合ったのだから。撮影現場で彼ほど勇気と情熱を見せるのは,特にハリウッドのマイケル ダグラスとかのベテランの前では難しいのに,ユーサクは,全く躊躇しないんだ。だから僕も凄く力づけられたし,ユーサクがハリウッドに来たら一緒に仕事をしようって約束していたのに!」 と目が真っ赤になったかと思うと涙がぼろぼろこぼれてきて,ほとんど しゃくり上げる程の泣き方でした。こちらまでもらい泣きしてしまいました。 1994「男が女を愛する時」 ちょうど「ラスト エンペラー」(87)でジョン ローンが東洋の2枚目スターとして注目されていただけに,「ブラック レイン」を見た私めは,松田優作こそ,日本の誇る国際スターのチャンスがとうとう来た!と狂喜していたのです! それがあんなにすぐ逝ってしまって。。。 以来アンデイーに会うといつも,あの泣き顔が浮かんで,どうもセンチになってしまうのです。 自分に厳しい分,相手にも厳しく,お馬鹿な質問をしたりすると答えてくれません。いつも良い仕立ての趣味の良い服装をして,典型的ラテン男性の華美なスタイルとかはせず,品の良い、洗練されて知的な雰囲気を漂わせます。 1990年代はじめの会見はいつもビバリー ヒルトン ホテルで行われ,アンデイーは懐かしそうにこう言ってました。 「僕がハリウッドに来て初めてしたアルバイトがこのホテルのウエイターだったのです。だから今だに仲間が居て,お互いに昔話をしたりするのが楽しみ」 こ
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EVA  GREEN エキゾテイックでミステリアスなエヴァ グリーンは1980年,パリ生まれ。父親はスウエーデン人の歯医者,母親は有名なフランス人の女優,マルレーヌ ジョベール (「雨の訪問者」(69))、エヴァより2分前に生まれた双子の姉のジョイが家族。 女優に等絶対にならないで!と言う母親の忠告を全く無視して,パリの演劇学校から,ロンドンの演劇学校に行ったエヴァをイタリアの巨匠,ベルナルド ベルトルッチが発見。 「ザ ドリーマーズ」(03)が彼女の映画デビューとなります。パリの60年代を背景にパリジェンヌのエヴァを巡ってふたりのアメリカ人の若者とのデカダンな日々,一日中ヌードで,トロア メナージ(3人でのセックス)等にうつつを抜かす内容は,ベルトルッチお得意の新人女優を自由に操縦する手管が功を奏し、けだるい性生活が淡々と展開、かなりの評判になりました。最初はジェイク ギレンホールが若者の役を手がける筈があまりに気軽なセックス描写に恐れをなして,マイケル ピットがピンチヒッターに。 バスタブに全裸の3人が入って彼女の恥毛がゆらゆらするシーンが印象に残っています。 次はリドリー スコットの「キングダム オブ ヘヴン」(05)での王の妹の役。エドワード ノートンがライ病の為に仮面をかぶった王を怪演、鍛冶屋のオーランド ブルームに魅かれると言う役どころでしたが,彼女の活躍した場面はほとんどカッテイング フロアーに,と言う不満の残った映画になったようです。 「007/カジノ ロワイヤル」(06)でピアース ブロスナンから継いだダニエル クレイグのジェイムス ボンドとベッドインだけでなく,心も通じる仲になる英国大蔵省のエージェント,ヴェスパー リンド役を獲得。 初めてのブロンド髪のボンドとのコントラストを見せる為にこの時のボンドガールには、黒髪豊かなアンジェリーナ ジョリーの名前も上がっていたそうな。 豊満なボデイーとは言えなくとも,知性と魔女的な魅力を持つエヴァはいつものボンドガール以上の存在感を見せました。 翌年の07年「ライラの冒険・黄金の羅針盤」では魔女の役を手がけて,一緒のシーンこそありませんでしたが,ダニエル クレイグが主演のおとぎ話の映画化でした。 「良い俳優になるより有名になる方が重要だと言うハリウッドの風潮は嫌い」 「
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BILLY  CONNOLLY ちょっと前まで,ビリー コノリーは怒りん坊で悪名高かったのですって。英国人記者の話ですが。 「ミセス ブラウン」(97)でジュデイー デンチ演じるヴィクトリア女王の厩番,ミスター ブラウンを演じた時に始めてビリーの会いましたが,最初から終わりまで,玄人のコメデイアンだし、パブや舞台裏でならしたジョークの連発で,怒りん坊とは全く思えませんでしたが、若い頃の体制に反抗する姿勢を聞くと、さもありなんでした。 何と言ってもスコットランドの労働者階級の街,グラスゴーに1942年11月24日に生まれ,大英帝国が大嫌い,スコットランド独立を叫ぶ、根っからの反逆児なのですから。 バンジョーがお得意で「ハンブルバムズ」(謙虚な浮浪者)と言うフォーク バンドでならし,後にゲリー ラファーテイーと組んで「ベイカー ストリート」を結成,同時にスタンダップ コメデイー でも名を馳せたのです。 今回は新作「クワルテット」(12)と言うダステイン ホフマンが初監督のオペラを中心にした映画に出ていること、 来年(13)と再来年(14)の「ホビット」シリーズに出ていることでニユーヨークはマンハッタンの瀟洒なホテルで会見となりました。 ぼさぼさの白髪にデニムの上着につぎはぎだらけのズボン,まあるい眼鏡に,インデイアン ジュウェリーと60年代のヒッピーの出で立ちで「ヤーホー!ラブリー ツー シー ユー オール!」と現れました。 凄いスコットランド訛りで,おまけに大きな声が楽しい傍若無人ぶりです。 「デザイナーの服なんて糞食らえ!ですよ。あいつらはみんな制服を創っているのだから。ナチのユニフォームであれ,警官であれ,制服は大嫌い。だから僕は60年代のままの格好をしている。ヒッピーを貫いてます。スーツを仕方なく着るときは花模様の柄のやつを着ますよ」 あらゆる名詞の前に、F ワードをちりばめて,それが又彼のチャーミングな人となりを強調しているのです。 「「ホビット」の原作なんて読みませんよ。トルケンなどと言った作家の本は大嫌い。ああいう本を読む輩は,コーデュロイの上着なんか着ちゃって,胸に古典の本なんか抱えちゃって,ああいうタイプは嫌ですねー」 と気取ったスノッブの真似をするのが又、おかしいのです。 ひとしきりクラシックをおちょ
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JESSICA   CHASTAIN 私めの独断と偏見で判断すると今度のアカデミー主演女優賞はジェシカ チャステーンに決まりでしょう。 昨夜、ニユーヨークから帰って,あちらでは大勢のスターに会ってきたのですが,ジェシカの「HEIRESS」(女相続人)のブロードウェイの舞台が一番,印象に残っているのです。もちろんこれは舞台ですからトニー賞の部門ですが,彼女のモメンタムが最高。 既にナシヨナル レヴィユーアー賞を受賞の「ゼロ ダーク サーテイー」(12)でのCIAエージェントの役は華奢で女らしさを失わずに,あくまでオサマ ビン ラーデンの居場所を確信して,上司に訴える姿が何とも頼もしく,知力がみなぎって,思わず抱きしめたくなるような,素晴らしい演技なのです。 ちなみに「ゼロ ダーク サーテイー」は軍隊用語で夜中の12時半,オサマが死んだ時間を指しているそうです。 去年(2011)はジェシカの当たり年でした。 「テイク シェルター」ではマイケル シャノンが竜巻が来ると信じて地下壕を掘る夫のそばで,半分あきらめて静観している妻の役。 「ツリー オブ ライフ」では,ブラッド ピット演じる自己中心の夫の横で息子達をかばう妻の役。 「ヘルプ/心がつなぐストーリー」では南部の外見は安っぽくけばけばしくとも,心は優しく,黒人のヘルパーと親しくなる寂しい妻の役。 「英雄の証明」では,監督主演のレイフ ファインズと共演。「コリオラノス」と言うシェイクスピア劇の現代版の映画化でした。 「ワイルド サロメ」ではアル パチーノさえたじたじのサロメの役。 「キリングフィールズ/失踪地帯」では,ヘレン ミレンが演じるイスラエルのモサッドの女性スパイが若かった頃の役をファイトシーンも凄まじく激演。 と6本の映画で,それぞれ主役の男性の邪魔にならない様に,しかし、しっかり自分の位置を保っていると言う難しい演技を見せました。 1977年3月4日カリフォーニア州の州都,サクラメントに生まれ,父親は消防士,母親は菜食レストランのオーナーシェフ、小さい時から踊りや舞台が大好き,ジュリアード音楽院を首席で卒業,古典劇「桜の園」「オセロ」など多くの舞台を経て,映画デビューは08年の「JOLENE」。 今年はまず「ローレス」(12)と言う飲酒法時代のギャング映画でシャイア