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Showing posts from August, 2012
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RACHEL   WEISZ レイチェル ワイズに初めて会ったのは確か「輝きの海」(97)と言うヴァンサン ペレズとのロマンテイック ドラマに出た時でした。15年前ですが当時27歳のレイチェルはまだ無名の英国人女優で,いやあ,ひどく田舎っぽい 外見でした。ゲジゲジの眉にまだ少女期のぽっちゃり脂肪が残っているような顔にぼてっとした体で,そうです,ケイト ウィンスレットとそっくりのイギリス女性頭脳派の外見は二の次のタイプです。 レイチェルは1970年ロンドン生まれ,ハンガリー系のユダヤ人ですから教育に重きをおく家庭でケンブリッジ大に入り ここで劇団を結成。 舞台から映画,そしてハリウッドの娯楽大作「ハムナプトラ」(00)続編の2(01)などに出て,アメリカの雑誌のグラビアを飾る様になり,もちろんスタイリストがセッテイングするため,髪もメークもドレスも完全改良され,その上に(おそらく周囲のアドヴァイスもあって)体重も落としてすっきりとして ゴージャスな美女に変身。これもケイト と同じルートでした。 「ナイロビの蜂」(05)。。。何と言うタイトル!これは私めの大大好きなジョン ルカレの原作で「コンスタント ガーデナー」(念入りな庭師、とでも訳しましょうか)と言うアフリカはケニヤを舞台に,英国の外交官(レイフ ファインズ)と彼の妻 (レイチェル)が繰り広げるロマンテイック スリラーなのです。全てが念入りでていねいで 庭いじりが好きなレイフがケニヤで失踪した妻の行方を探すうちに製薬会社と政府の陰謀が絡んでくる,そして良家の子女の妻が実は名うての政治活動家だった事などが分かってくると言うアフリカの赤い土の匂いが漂ってくるドラマでした。 この役でレイチェルはアカデミー助演女優賞を得ています。 “ レイフの信じられないような才能と努力が私のつたない演技力を引き上げたのです。私自身若い時から社会活動に強い関心を持ってましたから この役はほとんど私の生き方と 同じと言えましょう。アフリカのロケは体の奥が疼くような 原始的なパワーとスピリットを与えてくれました。” すっかりエレガントでスリムになったレイチェルはアメリカ人監督のダレン アノロフスキーと結婚,彼女とヒュー ジャックマンが共演した「ファウンテイン」(06)はアノロフスキー監督の野心作でしたが多くの人
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BEN    KINGSLEY 「ガンジー」(82)がベン キングスレーだと思う人も居るぐらいの巨大偉人伝記映画でしたが,現在の当人もほとんど巨大偉大俳優の自信と大志にみなぎっています。 1943年12月31日に英国はヨークシャーのスカーボローにマスレム教 インド人の医者の父と英国人の女優の母親の間にクリシュナ バンジーとして生まれ,小さい時から俳優に憧れ,大学を辞め、1966年にロンドンの舞台で「スマシング デイ」のギター兼ナレーター役でデビュー。 この舞台はビートルズのマネージャーのエプスタインが制作者でベンの才能に痛く感心し,ジョン レノンとリンゴ スターに紹介,二人はミュージシャンになれば絶対に成功すると薦めたそうですが,既に俳優になると決意しているベンは 断ったとか。 ガンジーならぬキングスレー トリオ(?)が世界中を風靡したかもしれないと言う運命の不思議です。 1970年後半までクリシュナ バンジーと言う名前を使っていたもののエスニックの役ばかりになるとベン キングスレーと変えます。キングスレーは彼の父方の祖父のザンジバーのスパイス商に由来するそうな。 1980年、サー リチャード アッテンボローの公募に見事に受かってガンジーの役を得て堂々3時間半の映画の主役を務めオスカーはもちろん世界中の演技賞を受賞したのでした。この後ベンは自分のインド人の血を極力消すように努力を続けますが来る役,来る役,静かなインテリの役ばかりと言う状態が続いたのです。 「バグジー」(91)のギャング役では再びオスカー候補,「シンドラーのリスト」(93)のユダヤ人の役でオスカー助演賞を得て今やインド系ではなく ヴァラエテイーのある役を手がける様に。 さて初めて会ったのは「ウィザウト ア クルー」(88)の言うマイケル ケインと共演したシャーロック ホームズ 2011「ヒューゴの不思議な発明」 をたねにした英国喜劇で,当時45歳のベンは何となくハリウッドの空気が肌に合わないようなそぶりをしていたのを思い出します。 次は「シンドラーのリスト」の時で,スピールバーグと意気投合したと嬉しそうでした。権力がある人とか大物が好きなタイプなのでしょう。 英国人記者が “ 彼が出ている映画は絶対に見たくない。 何と言うか勿体ぶった演技とどこかに卑屈さが見
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EMMA   STONE 芳紀24歳の美女,エマ ストーンはアリゾナ州スコッツデールで生まれたスウェーデン系ゆえの金髪色白碧眼なのです。15歳になって母親とロスアンジェルスに移り本格的に 女優志願。 個性を出すために金髪を赤毛に染め,「スーパーバッド」(07)でデビュー,隣のお姉さんにしてはちと目立ちすぎでしたが 持ち前の自己軽視のユーモアでタフな若手市場を乗り切り,「イージーA」と言うナサニエル ホーソンの古典,「スカーレット レター」(緋文字)をもとにした高校純情ドラマで主役。 スタジオの要求でありとあらゆる機会に出席して 売り込む姿はちと痛々しかったけれど これもスターになるお努めと 健気にこなしていました。しゃがれ声が何とも言えずセクシーで そのうち啖呵を切る姉御になりそうだなと。 「ヘルプ」(11)では黒人のメイドの生活を書くジャーナリストと言う役でちりちりの髪型で熱演,かなり上っ面だけの南部の白人家庭の黒人差別ドラマでした。 そして今年の「アメイジング スパイダーマン」のスパイダーマンの恋人役に抜擢され,金髪に戻って高校生役を好演,撮影中にスパイダーマン役のアンドリュー ガーフィールドと仲良くなって この春のプロモーシヨン イベントがメキシコのカンクーンであった時,人目も構わずぴったり密着してダンスを踊っていました。 若いロマンスって素晴らしいなーとしばし見とれてしまいました。 2012 「アメイジング スパイダーマン」 エマ自身はかなりきつそうな性格ですから 英国育ちのきまり悪がってばかり居るアンドリューを突っついて 良いバランスのカップルになるかも。
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CANDICE   BERGEN ブラック & ホワイトの写真から分かる様にこのキャンデイス バーゲンとのツーショットは1988年 彼女がテレビ シリーズの「TVキャスター マーフィー ブラウン」の主役をスタートした時。1946年5月9日 ベバリーヒルズ生まれですから 42歳。まあ お互いに若かった事! 1988  「グループ」(66)は私めの大大好きな映画のひとつ。東部の名門女子大のOG8人が集まって 嫉妬,階級差,美貌、性的関係、レズビアン等の思い出と情念がふつふつを湧き出てくるハイクラスのメロドラマ。 キャンデイスはご存知、腹話術師のエドガー バーゲンと 美しいモデルのフランセス ウェスターマンとの間に生まれ ベバリーヒルズの華やかな生活を嫌い14歳でスイスに留学,帰国後は大学で美術史を専攻,カメラが好きになり、 ニユーヨークでモデルをしていた時にその気品ある美しさに 魅かれたシドニー ルメットに スカウトされて,この「グループ」で映画デビューとなったのです。 次の「砲艦サンパブロ」(66)ではステイーヴ マクイーンと共演して 素人にしてはずばぬけた度胸を見せてました。 古典的な美貌からグレース ケリーの再来などと騒がれたものの おそらく彼女自身に余りハングリーな欲望が無かったために大して活躍もせず 「ソルジャー ブルー」(70)で全くメークなしの西部の女性を演じて 当時女優と言えば 寝ている時から 牢屋につながれていても しっかり髪はセットされ アイライナーが引かれているのが普通だったため きれいなだけにびっくりしたのです。 「結婚ゲーム」(79)ではアカデミー助演賞にノミネートされたり,「ガンジー」(82)では実際の腕前を見せる フォトジャーナリストの役で評価され,そのモメンタムで 本物の写真家となり「ライフ」,「コスモポリタン」,「ヴォーグ」などに映画撮影中のショットはもちろん,来中時の ニクソン大統領やチャプリンの写真を撮って実力が認められるなど 美しい外見と美的感覚と技術の腕前が備わったトリプルスレットなのでした。 88年の会見では テレビの仕事が規則正しいために子供の世話が出来ると母親の情愛を見せてましたが 目の前のキャンデイスはルックスも体も完全なプロポーシヨンの美の神のようでした。おまけにソフト
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MICKEY    ROURKE 前回のキャサリーン ターナーのデビュー作「白いドレスの女」(81)にミッキー ロークが謎の若い男として出ているのですよ! 当時既に28歳,翌年の「ダイナー」でヤング スターの座を得ますが。次が「ランブルフィッシュ」とミッキーは人気街道まっしぐら。 「イヤー オブ ザ ドラゴン」(85)頃に始めた会ったのでしょうか。ちょっと崩れた怪しい雰囲気の美青年でいかにも町の向こう側で育ったと言うすねた姿勢も魅力のひとつでした。アメリカのマスコミからは既に態度が悪いなどと叩かれていて 日本人のインタヴユーではニキニキと嬉しいそうで、わざとF−ワードをちりばめて話すのです。その悪振り がバカバカしいと言うのか,微笑ましいと言うのか。 2008 「レスラー」 昔を思い出してふざけるミッキー その後のボクサーとしての挑戦と凋落は思い出しても心ではなく,脇腹あたりが痛んできます。 “ブラッド ピットやマット デーモンたちはみんな大学に行ったりしたミドルクラスの家庭に育っている。僕は貧乏どころか近所はドラッグ中毒、娼婦,犯罪人のたまり場のようなところに育ち 出口はチンピラになるか ボクサーになるかぐらいしか考えられない状況だった。根っから考え方が違うわけ。別に大学出を羨ましがっているのではなく,そう言う選択の無い家庭に生まれると考えが固まっちゃうのさ。” と後で述懐してましたが,下手な生き方のお手本のようでした。 ボクシングで崩れた顔や体を整形手術で直したと言うか,つじつまを合わせたような外見になってカムバックしたのが 2010 「インモータルズ」今度美男スターだった事の写真を探します。 2005年の「ドミノ」と「シン シテイー」でこの時に久しぶりにあったのですが 相変わらずのけばけばファシヨンで たらこのような指に女性用ブレスレットのような巨大な指輪をして ラスヴェガスの旅芸人のようでちょっと胸が痛みました。 「レスラー」(08)で清水の舞台飛び下り演技を見せ、 そしてほとんど彼自身の半生のようなストーリーも手伝って 見事アカデミー賞の候補に。この時の会見ではずっと神妙になり,キャリアーを回転する役を得たと嬉しそうでしたが、 手の中に入りそうなチワワー犬を愛しそうになでなでして、 寂しい生
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KATHLEEN   TURNER 「白いドレスの女」(81)のキャサリーン ターナーの 美しさと瑞々しさは衝撃的な程でした。フロリダの浜辺に 蠱惑的に現れて 謎めいた行動をとって 白いドレスの裾を翻して消えてしまう。ハリウッドの新星登場とキラキラ輝いてました。原題は「ボデイー ヒート」とずっと官能的で キャサリーンの映画デビューでもあり監督のローレンス カスダンの処女作でもありました。 1954年6月19日 ミズーリ州スプリングフィールド生まれですが外交官だった父親について世界中を点々としたそうで,彼女の鼻っ柱の強さと洗練された雰囲気は中西部の おぼこ娘とは全く違います。 「ロマンシング ストーン」(84)などのアドベンチャー 2012  [PERFECT FAMILY] もので切れの良いアクシヨンを見せているのは 元体操選手だったためでスポーツ全てに秀でているそうな。 初めて会ったのは「男と女の名誉「(85)ですが実は 余り記憶が無く,「偶然の旅行者」(88)での会見では 新顔のジーナ デイヴィスに注目を譲って,デビュー作で組んだカスダン監督とウィリアム ハートとの小粋な会話を 披露してました。ウィリアムもいつか紹介しますが東部のエリートの生まれで 自分の優越感を全く隠さない変人タイプで似た様に不必要にへりくだらないキャサリーンととびきり豪快な知的トークを展開してくれます。 どこかの国の芸能人の様に ‘オネガイしまーす!’と言えば 全て良しのマスコミ体制とは違い,知的でウィットに溢れた 答弁はアドヴァンテージにつながります。 “ 撮影現場は異常な緊張が張りつめ,役になりきった俳優連中は仕事が終わってもなかなか自分に戻れず,火照った興奮状態を沈めるためにアルコールに手を出し,肉体が恋しくなれば手近かな相手とベッドに行く。私は共演男優とはまず セックスはしなかったけれど クルーの中から目ぼしいのを探したわね。” 等と大胆な発言をさらりと言ってのけるあたりが彼女の強みでもありました。 「ローズ家の戦争」(89)あたりからアルコール依存症になり,同時に脊髄の炎症とか複雑な関節炎が発生して痛みを消すためにアルコールと鎮痛剤の中毒に。肉体が副作用で 膨張したり多毛症になったり,9回も大手術を受け、ある時など医師に2度
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JUDE   LAW 美男俳優には損な時代かも知れません。特に演技力で勝負したいグッドルッキングには。 ジュード ローの現代版ハムレットの舞台を見ました。 意気込みと熱意が満載でもちろん演技力も冴えていましたが 肩の力がもの凄く入っていて 観ているこちらも大キンチョール。例えばこれをフィリップ セイモア ホフマンが演じたらもっと巾のあるハムレットでこちらもうっとりと楽しめたかもしれないなー,舞台では70歳が17歳を,太り目の10人並みのルックスが苦悩で悩む孤独な王子を演じても 大丈夫なのですから と思ってしまいました。 ハンサムな俳優は演技力に力むのです。美人女優も同じ。 2007「スルース」 表面の恩恵だけでは満足しないのは我々にはかり知れない 葛藤なのでしょうが。 ジュードとは97年の「オスカー ワイルド」以来何度も会って来ましたが ツーショットを見ると いつもアングルを決めて 気取った顔を浮かべています。カメラを向けられると本能的に“グラビア用”になるのも 10枚ぐらい並べて全てが同じなのを見ると何ともはや です。 いつもの弁解ですが いつかズラーと載せましょう。 しっかり彼に “ヘイ!ジュ−ド!”と言ってみたのも ずっと昔のような気がします。 「ガタカ」「真夜中のサバナ」と前に挙げた「オスカー ワイルド」はどれも97年,ジュードが25歳の時で このころは 頑張りやで真面目で健気さがひしひしと伝わって来ました。年上で気が強そうな女優のサデイー フロストと結婚したばかり。 「リプリー」(99)では金持ち息子のデイツキー役をして “ 僕自身はミドルクラスの不自由はしないものの 裕福でもない家庭に育ったけれど 金持ちの友達の家でふーんと思った事は 高級そうな時計やカフスボタンを全く気にせずにそこらへんに放り出す事で 誰かが、これ良いな と言ったりするとあげるよ なんて言う態度だし,誰がが黙ってポケットに入れたりしても 後で騒いだりしない,ノンシャランとした姿勢が印象に残ったね。デイッキーの役作りにも そう言う気さくだけれど どこかでステイタスを保つ気位みたいなものを取り入れてみた。” と話してましたが 又触れますがフィリップ セイモア ホフマンの登場はこの映画のハイライトでした。デイッキーの 金持ち仲間の友達で もう
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ROBERT    DUVALL 「ゴッドファザー」(72)や「地獄の黙示録」(79)での役のイメージから取っ付きにくい演技派の頑固の固まり 2003「ワイルド レンジ」 と思われているかも知れませんが ロバート デユヴァルは そこらの床屋で耳の毛などを切ってもらっているような気さくなおじさんです。もっとも初めて会ったのは「カラーズ」(88)と言うショーン ペンと警官のパートナー同士になる映画の時で 既に57歳,渋く枯れて来たロバートでした。もっと若い時には 激しく気難しい面も見せていたかも知れません。 1991 「ザ ペーパー」 1997 「THE APOSTLE」 1931年1月5日 カリフォルニア州サンデイエゴに生まれたのは父親が海軍の大将だったためで,ここには米国海軍の 基地が在る事と退役海軍軍人達がたくさん住んでいるのです。家系は1700年前までさかのぼる名家だそうで 南北戦争のロバート E.リー将軍は直系の先祖ですと。イリノイ州の大学を出て素人女優だった母親に勧められて演劇に興味を持つ様に。少年時代はもっぱらスポーツに精を出していたそうな。 厳格な家に育ち 毎日曜日には教会に行き,ハリウッドの殆どが民主党支持の中,軍人の家系をのっとって 保守的な共和党支持を誇っています。 “ 大して知識も無い俳優達が政治的意見を吐いたり アフリカや中東に乗り出して 何やらほざくのを見ていると 非常に恥ずかしくなる。居心地の悪い思いにかられるばかりだ。” と厳しい批判も歯に衣着せずに言うあたりがいかにもロバートらしいではありませんか。 「アラバマ物語」(62)のグレゴリー ペックの隣人“ブー ” ラドリーの役が映画デビュー。既に31歳でした。 「THE APOSTLE 」(使徒,ある地方の最初のキリスト教伝道者)(97)はロバートが身銭500万ドルを投入、監督も兼ねただけに ひたむきに激しい 熱情を込めて アメリカの宗教心や南部の問題などを語っていました。日本に入っていないのは アメリカ人以外には まず受けない内容だったからですが アメリカを知るためにはとびきり為になる筈。 “ ニユーヨークの貧乏時代にダステイン ホフマンとジーン ハックマンのアパートの部屋を共有したのだが 僕とダステインは女性にもててね,そ
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CHARLOTTE   RAMPLING 目の光がこの世の人とは思えないワット数を持ってぎらりと光るのが怖くもあり,怪しく魅かれてしまう魔力を持つ シャーロット ランブリング。アメリカのハリウッドを見渡しても せいぜいローレン バコールぐらいでしょう。あれほどの自信と悪女的,猟奇的な魅力と,研ぎすまされた体と顔の持ち主は。 1946年2月5日に英国のスターマーに生まれたから今年 66歳。若い時にヌードになることをためらわない女優はごまんと居ますが シャーロットは「スイミング プール」(03)などで60歳近くても平然とオールヌードになって出て来ます。ヘレン ミレンも然り。ヨーロッパ人の裸に対する考え方が違うとは言え 彼女達の怖いような裸身の覇気が映画の画面にプラス効果をもたらし それをよーく承知のプロ なのですね。 父親は大佐、のちにNATOの司令長官になったゴッドフリー ランプリングと言って32年のオリンピックの陸上で2個も金メダルを獲り 100歳まで生きたと言う伝説的な存在,シャーロットはフランスのヴェルサイユにある淑女の学校と英国の上流階級の子女の学校で教育を受け,フランス語はぺらぺら,ユニークな美貌を認められてモデルとしても 活躍。 65年の「ナック」と言うカルト映画でデビューしてから演技を本格的に学び,若いくせにデカダントな雰囲気を醸し出す女優として名監督達に乞われます。 やはりハイクラスに生まれて育ったなりの驕慢さ とか 自己満足から来る物欲しさの欠如,などは演技のみで出すのが難しい筈。特に若い時は。 ウッデイー アレンと共演した「スターダスト メモリー」(80)ではそこに居るだけで ウデイーの影が薄くなる 謎めいた女性の役を手がけてました。 大島渚の「マックス モン アムール」(86)ではチンパンジーと仲良くなる女性を怪演。これも当時は顔を背けた人も多い作品でしたが 今はカルト ステイタスの古典です。 “ 私はメリー ポピンズの役などには全く興味がありません。悪い女の役の方が遥かに演じていた楽しいから。” と言うシャーロットのコメントに私めは激しくうなずいたのです。もともと悪役志向でしたから。 「スイミング プール」(03)の会見はロンドンであり 古いホテルの部屋に現れたシャーロットはどことなく超現実の人物の
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KIANU   REEVES 一時は一世を風靡した世界的スターでしたが 最近はぱっとしない(と我々が言うだけで 当人はロブ パッテインソンやらジャステイン ビーバーに焦点が移った!わーい!とほっとしているのかもしれませんが)キアヌ リーヴスはこの9月2日にナント48歳!!,後2年で50になるのです。 2006 「イルマーレ」もっと昔のツーショット探します! 父親がハワイの中国系でキアヌと言う言葉は彼の島では、そよ風を意味するとか。国際的ヒッピーがたむろしたレバノンのベイルートで生まれてカナダのトロント育ち。母についてシドニーからニユーヨークと頻繁に引っ越しをしたそうで、 彼の得体の知れないエキゾテイックなルックスと奇妙な言動はグローバルな 環境で育ったからかもしれません。 初めて会ったのは「リバース エッジ」(86)ですから彼はまだ22歳,ロックバンドの方が性に合っていると言いたげに 心ここにあらず,そわそわ,きょろきょろ,がたがたと貧乏揺すりをするような異星からやってきたような変わったヤングでした。教室で窓の外ばかり見て 叱られても 全く治らない永遠の夢見る少年で 何を聞いても あー とか、うーとか、アイ ドント ノーを繰り返してました。 スタジオから派遣された広報担当が焦って取り繕うとしても 全然気にしないノホホーンとしたお気楽さが微笑ましかったのを覚えています。 「マイ プライヴェート アイダホ」(91)ではリヴァー フェニックスと役作りと言ってドラッグを色々と試したそうで 二人は大の仲良しに。リヴァーがこう言えば,キアヌが えへへと力なく笑って そうかもなーなどとこちらの腰を折る重心の無い返事をして、この時のインタヴユーは惨憺たる内容でした。監督のガス ヴァン サンが盛り込んだゲイ エロテイシズムが不思議な情緒を湛えてましたが  スペイシーな二人の とりとめの無い雰囲気が今となっては懐かしいばかり。 後にリヴァーがドラッグで急死してから キアヌはますますマスコミを避け 閉じこもり症状や ホームレスに混じって いる写真など撮られて変人振りが昂じて来ましたが リヴァーの弟のワーキンの世話をしっかりしたりと言う健気な姿も覗かせていました。 「スピード」(94)「マトリックス」(99)などでキアヌは一大人気スーパースター
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MAGGIE    SMITH デイム マギー スミスは英国の国宝級女優です。私めにとっては、大好き,と言うレベルではなく 彼女がスクリーンに登場すると喉をごくんとし 舌舐めずりをし お皿まで舐めてしまう程に好物なのです。 デイム マギーがスクリーンに出てくると妖怪の様に周りの人物をことごとく 消してしまい、彼女の後ろには後光が射しているような。 ジュデイー デンチと同い年の1934年どころか同じ12月生まれ,マギーは12月28日,ジュデイーは12月9日 と,な、なんとジュデイーの方が20日近く年上なのですが マギーはもう30年ぐらい前から70歳のグランド デイムの役 (貴婦人とかお妃とかハリポタの魔法使いの先生など)と同義語だった感じで 貫禄も外見も仕草も声の出し方も遥かに年上のイメージが根付いています。 マギーとジュデイーは親友の仲で性格の 差を重んじ、お互いに尊敬しあっているそうで 何とも羨ましいではありませんか! デンチもヘレン ミレンもデイムの勲章をエリザベス二世から授かってますが マギーほど デイムと言う位がふさわしい現役も他にいません。 ロンドン郊外のイルフォードに34年に生まれ 父はオックスフォード大の病理学者, と言うインテリ家庭に育ち、 オックスフォードの演劇スクールを出たマギーは59年にオールドヴィック劇団に加わり[オセロ」の舞台でローレンス オリヴィエと共演,そのまま映画版(66)に出演して 彼女のデスデモーナ役は世界中をあっと言わせるパワー演技でアカデミー助演女優賞にノミネート,若い名女優の名声がスターとしたのです。 マギーの若い頃のシグネチュア映画は何と言っても「ミス ブロデイーの青春」(69)でしょう。オールドミスのブロデイー先生が自転車に乗って通学し 若い女生徒たちにエキセントリックな女性像を見せるお話で この役で彼女は堂々のアカデミー主演女優賞を受けます。この時共演したロバート ステイーヴンスと結婚して息子が二人,74年に離婚、 同じ74年に脚本家のベヴァリー クロスと再婚しているなど私生活の方はオールドミスからは、ほど遠いのですが あまりにミス ブロデイーのイメージが強くて 今だにエキセントリックな独身女性の生活をマイペースで楽しんでいる のではないかと思ってしまいます。 199
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ZACH     GALIFIANAKIS ザック ガリフィアナキスと言う名前は何とも覚えにくい名前ですが、オナシス、ジョージ チャキリス、オリンピア デユカキス、テリー サヴァラス、と同じ様に最後が “ス” で終わる名前は誇り高きギリシャ人を示しています。ザックの本名は、ザカリウス ナイト ガリフィアナキスと古代の偉人のアルキメデスのような響きを持つ大層な名前で 当人もしっかり伝統を保って、酒の神 バッカスのごとき見事なひげを大事に蓄えてます。 「ハングオーバー」(09)は結婚式の前の独身最後のはめ外しパーテイーをラスベガスでしようとやってきた男友達の 異常なハプニングを描いたオバカ喜劇で 英語では“ 二日酔い ”と言う意味です。ザックは中でも 生真面目な顔で 赤ん坊をおぶって ドタバタと駆け回るヒゲ親父の役を 熱演。無表情が独特の笑いを引き出す、ビル マレーに似たコメデイアンで どこか憎めない親しみやすさが魅力でした。 2010「デユー デイト」 この時初めて会ったのがですが 憮然とした顔で  “ ギリシャ、ギリシャと騒がれるけど別に毎日 オリーヴオイルにゴート チーズを食べて “ その男ゾルバ ”のダンスを踊っている訳じゃないんだから! それでも一応ギリシャ正教の教えのもとに両親から厳しいしつけを受けましたよ。コメデイアンの素養はそう,3歳ぐらいからあったのじゃないかな。でも高校の時にピークになって 隠れゲイの レッドネック(ゲイや黒人,アジア人を差別するカウボーイのメンタリテイーの人々)のキャラを作り出し これが凄く受けてね。それでも保守的な家の伝統に従ってきちんと大学に行きコミユニケーシヨンなど勉強した。” と他人事の様に話していました。 1969年10月1日 ノース カロライナ州のウィルケスボーローに生まれたザックの父はオイルヒーターのセールスマンで母親は地元のアートセンターを経営,伯父はもと州議会の議員と言う家庭に育ち、かなり、のほほんと過ごした様子。 “ 子供の頃7年間も新聞配達をしたしボーイスカウトにも入っていたから地元の人たちの殆どと接触したことがあるね。スモールタウンの醍醐味をじっくり味わって成長した。 眉毛とかヒゲとかが濃くて 若い時は一文字の眉になって 巨大な毛虫のようだったのだよ。ユニブロー(一本の
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JENNIFER   LAWRENCE まだほやほやの旬のニユー フェース、ジエニファー ローレンスをご存知ですか? 2012 「ハンガー ゲームズ」 2010年の「ウィンターズ ボーン」でオザーク マウンテインの凍り付いた寒い山の中で、麻薬取引をしている父親を捜し回ると言う、どん底の暮らしを強いられる17歳の娘をぞっとするようなリアル感で演じてアカデミー主演女優賞にノミネートされたジェニファーは1990年8月15日 我らが終戦記念日に生まれた22歳の張り切り娘です。 14歳の夏休み。ケンタッキー州ルイビルで生まれたジエニファーは ニユーヨークに行ってオーデシヨンを受けてみたところ 良い資質を持っていると褒められ すっかり自信を得て その励みに乗って高校を早めに卒業したのだそう。  2008年の「あの日欲望の大地で」でベネチア映画祭の新人賞を受けたのです。 そして何千人もの候補者の中から「ハンガー ゲームズ」の女主人公役に選ばれ 今やテイーンのスーパー スターに。 当人は全く気取らない、着飾らない、開けっぴろげな性格で “ショッピングなんて時間の無駄。もっと大事なことがたくさんあるから女の子がキャーキャー言ってる流行の靴だの ドレスなんかに全く興味がないわ。トレンドなどに巻き込まれないで 憧れの女優達、メリル ストリープとかジョデイー フォスターのような教養も自分の生活もしっかり持っている地盤を築き上げなくては。” と三角のあごを尖らせるのでした。 「ハンガー ゲームズ」はハリポタより少し年を取った女の子のベストセラーの映画化のため 原作のファン達はやれジェニファーでは年を取り過ぎ、とか 髪の毛の色が違う、体の形がイメージではない 等と反対の声が渦を巻きましたが 映画が公開されるや みんなこぞって彼女の勇敢な行動とゲームを操るテクニックに感心したそうな。 “アーチェリーとオールラウンドのアクシヨンをリアルに見せるため10ヶ月も特訓を受けて かなり腕も上がったのよ!ここで習ったサヴァイヴァルのテクニックはこれからの生活にとっても役に立ちそう。” ノーナンセンスでほとんどぶっきらぼうに話すのも妙に媚びる新人の中ではとびきり新鮮。 “共演のレニー クラヴィッツ(有名なミュージシャン)が私の努力のご褒美に世界中の何でも美味しいレ
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ALEC   BALDWIN 初めてアレック ボールドウィンに会ったのは88年の「結婚の条件」と「ワーキング ガール」の時。1958年生まれですから その時は30歳になるかならないかのスリムな 長身、セクシーでグッドルッキングな若手でした。 よく似た弟が三人、全員が俳優、みんな真っ黒な髪で毛が濃く どんなに騒がしくて 混んだ家に育ったのか お母上の苦労が忍ばれました。ちなみに姉上と妹もいますが。こういうとき家庭を持った女性は お風呂の流し口がさぞ詰まる事故が多いだろうな 等と要らぬことを想像して 合計4人の毛むくじゃら息子どもの嵐のような毎日の世話を気にしてしまうのです。 その毛むくじゃらで思い出しました。美男美女の結婚と 騒がれてワイフになったキム ベイシンガーはアレックの体毛が嫌で 彼は胸毛も背毛(?)もしょっちゅう剃らされたとか。またどうでも良い情報ですが。 “ ハリウッドのたるんだ体制に風穴を開けてやる!もっと オリジナルな映画を作り リべラルな考えを投入したい! スターとか セレブとか言われる程バカバカしいことは無い。俺たちだって ただの俳優で 仕事を探して 苦労しているのだ。浮ついた気分で良い気になってる輩ではないのだから。” 東部のリベラル主義を全身でアピールするアレックは政治に 強い関心を持っていて 若い時から勇ましい雄叫びをしてました。その上体育会のメンタリテイーも多分にあって 家の前で待機するパパラツイーにパンチを浴びせて反対に逮捕されたり 頼もしくもあり 短気なところもあって 会見の話はいつもカラフルです。 「レッド・オクトーバーを追え!」(90)で米国海軍士官 にしてスパイのジャック ライアンの役を007と並ぶぐらいに クールにスタイリッシュに演じ ショーン コネリー 扮するロシアの潜水艦艦長と知的バトルを繰り広げ、このシリーズの中でも一番スリリングではないかと思います。 米国版007シリーズの主役を約束されたにもかかわらず 拘束や迎合を嫌うアレックは何と次の映画でのライアン役を断ってしまうのです。ハリソン フォードが後を次いで さらにはベン アフレックと007と同じ様に逞しいハンサム男優が引き受けてます。 「ゲッタウェイ」(94)ではキム ベイシンガーと夫婦共演、おまけに熱いベッドシーンで本
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EVAN   RACHEL   WOOD たまには可愛くて若い女優を載せましょう。もっともこの エヴァン レイチェル ウッドは綺麗ですが鼻っ柱の強い かなり風変わりな若手です。 1987年9月7日 ノースカロライナ州ラリー生まれですからまもなく25歳。父親は劇団の団長、母親は女優、兄弟も全員俳優と言うシアトリカルな家庭に育っただけあって エヴァンは四六時中、全身をドラマの中に浸して生きているような女優です。 「インタヴー ウィズ ヴァンパイアー」(94)のオーデシヨンに最終選考で落ちたのが5歳のとき。受かったのはあのクリステン ダンストでした。 学校の成績は抜群で15歳で高校を卒業。(と言ってもこのエヴァンですから学校の集団行為が嫌いでホーム スクーリングを受けたそうな。) 2009 「人生万歳!」 衝撃の主役デビューは「サーテイーン・あの頃欲しかった愛のこと」(03)と言う映画で反抗期の13歳を生々しく 痛々しく熱演したとき。 英語でテイーンエイジャーというと13歳から19歳までの 数字にテイーンがつく期間で13歳はそのスタートになる訳です。 ホリー ハンターが母親役で例によって経済的に不自由、夫とは別れ 不満度ハイレベルと言う状況で 娘は始めのうちは優等生だったのが 何せテイーンになるとホルモン亢進 精神的に不安定になるのが当たり前で 隠れて自分の体に傷をつける症状を見せ始めます。こういう娘を画面で見ると ほとんどの女性は嫌だなーと母親に同情しますが エヴァン レイチェルのリアルで 率直な感情表現が、あーこの子も悲しいのだ、助けを叫んでいるのだ、と理解出来るのでした。 同じ年に「ミッシング」でヒーラー(癒し師)のケイト ブランシェットの娘を演じています。トミー リー ジョーンズがブランシェットの父親で誘拐された孫娘(エヴァン)の捜索を手伝うのですが、 ニユーメキシコの岩山を舞台に、インデイアンの神話の魔術等も出て来て ロン ハワード監督のちょっと変わった面白い作品でした。 さてエヴァンはハリウッドの “イット ガール” として注目を集め 頭が良くて反抗的 と言うタイプの娘役を繰り返すのですが いつも異なるアングルで演じて おまけに整った美人顏がちょっと怖い感じで そこらのキュート!だけが取り柄のヤングとはひ
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JANE    FONDA こちらは8月9日ですが日本は10日, なでしこジャパン 銀メダルの記念日と私めの久方ぶりの月刊文藝春秋掲載 の嬉しい日です。9月号です。芥川賞も載ってますからぜひ本屋さんにおみ足をお運び下さい。 ジェーン フォンダの74歳のスーパーウーマン振りを老いゆく日本人への励みと言うかこれほど張り切っている女性も居ると言う見地で書きました。 ジェーンに初めて会ったのは「私が愛したグリンゴ」(89)と言うグレゴリー ペックと共演のアンブローズ ビアース(アメリカの作家)が1913年にメキシコのパンチョ ヴィラに出会った時の実話をもとにした映画でした。 いかにも完全主義者の緊張感が張りつめたスーパーウーマンで リストマニアなのだと告白していました。 “ 買い物のリストから読みたい本のリスト、夫にしてもらいたい数々のリスト、家事のリストに子供達へのリストとリストを書くのが強迫観念のようで それを終えるなり 始末してから その箇条を消すのが実に嬉しいのです。” 実は私めもリストマニアの傾向があって この発言に大いに 同士を得た密かな喜びを感じました。 今日はジェーンのインタヴユーが大手雑誌に載ったと言う 快挙の嬉しさでいっぱいです。その昔はけっこうハリウッドのスターの記事が載りましたが最近はハリウッドのみならずアメリカと言う国に対する興味も尊敬の念もがくっと減ってせいぜいスキャンダルぐらいしか載りません。 実は今回も色々と難航しての決行でした。 肉体派から演技派、エキササイズの女王から反戦のシンボル、裏切り者からファーストレイデイー志望までジェーンの 人生は見出しで区切るようなカラーフルなもので 現在もしっかり 美容整形とシニア用エキササイズでシェイプアップし婚約者とのロマンスを楽しんでいるヴァイタリテイーの かたまり。 そのうちに古いジェーンのとっておきのおしゃべりと写真を載せます。 2012   [PEACE   LOVE & MISUNDERSTANDING] 今回は号外編 本屋に走ろうであります。

GENE ROWLANDS

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GENA   ROWLANDS 1934年6月19日 ウィスコンシン州カンブリア(マデイソンと言う説も)生まれですから今年78歳。この写真は1991年「ワンス アラウンド」リチャード ドライファスと共演、スウェーデンのラセ ハルストラムの米国監督デビュー作品でした。 当時57歳のジーナ ローランズは豊かなブロンドの髪が まぶしい成熟した美しさに輝いてました。 “ この間スカーフをこうやって首に巻く方法を教えてもらったの。これだとしっかり収まって 皺が気になる首も隠れてとっても良いのよ。” とスタイルのアイデアをしえてくれました。 もちろん 「グロリア」(80)と「こわれゆく女」(74)がジーナの若い時のパワフルな作品ですが 50歳をとっくに過ぎても スタージカラを放出してました。 ジーナはヴァージニアを短くした名で 父親は上院議員、母親は画家と知的で恵まれた家庭に育ち その上流風美人のルックスでモデルなどしつつ 演劇学校へ。そこで運命の男性 ジョン カサヴェテスと巡り会い 54年に結婚。 貧乏監督のジョンは自分の家を使って 初期の作品を撮影、 1991 「ワンス アラウンド」 子供達は自宅にしょっちゅう 大勢の人がたむろし 床にはケーブル、ドアははずされたり とんでもないところに出現したり の生活が普通だと思っていたそうな。 「こわれゆく女」の原題は A WOMAN UNDER INFLUENCE  と言って精神状態が不安定な女性を主人公にした初めての作品だと言うことでピーター フォークが夫を演じ、ここに使われた家はジョンとジーナの住まいだそうで そう知って再び見ると誠に撮影用に便利な作りで 寝室のドアが磨りガラス張りだったりして おかしいのです。 「グロリア」はジーナの肝っ玉おばさんぶりが凄くて これをシャロン ストーンが99年のリメークに同じ様に 両足を開く仁王立ちをしてガンを構えて頑張ってましが やはり監督が夫、主演が妻と言うコンビの強さにはかなわなかったのです。 “ ジョンは俳優としては素晴らしかった。でも監督としては完全主義者で鬼のようでした。こう言っておきましょう。 アーテイストとしての彼を深く愛してましたが夫としてのジョンは嫌いでした。” ジョンは1929年に生まれ 1989年に亡くなっています。ふ
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HEATH    LEDGER もう亡くなってから4年! この写真の明るくて可愛いこと。 オーストラリアの僻地 パースで生まれて育った若者の希望に溢れたエネルギーが写真から飛び出てくるような。 ヒース レジャーに始めた会ったのは、「パトリオット」(00)で同じオーストラリア人(生まれはアメリカでも 気質はオーストラリアでしょう)のメル ギブソンの息子役を演じた時でした。 “ パースは地球の果てで住んでいるのは少年少女とお年寄りばかり、若者は脱出してしまう,平和だけど おそろしく退屈な町!” と自分の町の悪口を言ってましたが 本音はおそらくホームシックだったでしょう。2008年1月22日に急死したあとにヒースの両親や姉妹達がアメリカに来たときの家族団結と悲しみにうちひしがれた表情を見て 愛情深い家庭に育ったのだなあと言う印象を持ちましたから。 「嵐が丘」の愛読者だった母親が主人公ふたり、ヒースクリフとキャサリンの名を子供達につけたのも微笑ましいし、 その姉の影響で俳優に興味を持ったとか。 2000 「パトリオット」 「パトリオット」「ROCK YOU!」(01)「サハラに舞う羽」(02)と時代劇が続いて 士官の制服がヒースのハンサムで健康そうな顔と体を引き立てていました。アメリカ人の顔はあまりに混ざっているために時代劇にでるとそぐわないことが多いのですがヒースは英国人の血が濃いのでしょう。リチャード ギアがランスロット(円卓の騎士)だかを演じた時の不調和な存在、ブルース ウィリスやキアヌ リーヴスはまず時代劇に出ませんし。 ともかく会見でのヒースはいつもおどけて 若さと馬鹿さを 交互に見せて楽しんでいるひょうきんなところがありました。 「ブロークバック マウンテイン」(05)でゲイのカウボーイを熱演したころから 役作りに凝り始め 同時にヤクも始めたようです。 「ブロークバック。。」の会見ではアン リー監督がロケ現場で釣りをして あとで料理して食べるときに “ 目ん玉を食べたんだよ! これが美味しい部分だし栄養もあるのだからって!” とヒースの目ん玉も落っこちそうでした。 妻役をしたミシェル ウィリアムズと親しくなって翌年のアカデミー授賞式にふたりそろって出席した時のキラキラした存在、ミシェルの目にしみるような黄色の
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CAREY    MULLIGAN この写真はケアリー マリガンが「17歳の肖像」(09)の会見で いやなんとも栄養不良の寂しい女の子が無理矢理お化粧をして デザイナー グッズのドレスを着たみたいで 何とも不健康ですが この時「ウォール ストリート」(10)の撮影で オリヴァー ストーンにしごかれ 同時に 恋人役をしたシャイア ラブーフとのロマンスも発展中で 疲れ果てていたのでしょう。この子供二人のような恋愛は すぐに終わってしまったようですが。 ケアリーの作品で何と言っても心に痛いのは「私を離さないで」(10)でしょう。英国に育った日本人の作家 カズオ イシグロが著した「NEVER  LET ME GO 」というSF小説の映画化ですが、キーラ ナイトリーとアンドリユー ガーフィールドと彼女の3人の英国若手スター達がクローン人間を演じてそれはそれは哀しく 胸を突かれる叙情詩のような作品です。SF小説が原作と言っても 原作も映画も全く特殊撮影が出てくるような場面は無く ひたすらに片田舎の古びた 2009 「17歳の肖像」 家と家具に、懐かしいおさがりの手編みのセーターの元の所有者の残り香が匂ってくるような 手作りの雰囲気に満ちています。そしてケアリーが扮する世話役の任務の悲劇的な事と言ったらありません。この若者達は同じ体を持つ人間が病気になったりすると臓器を提供するのです。既に4個も内臓を提供してベッドで動けなくなったキーラの世話を焼く彼女のかいがいしさ、ケアリーはクローン グループの中で優等生だったために世話役に選ばれ 弱って行くクラスメート達を励まし 看病するのですがいつか彼女も提供する側に回らなくてはならないと言う体の奥が疼くサイエンス ホラーなのです。 あの猟奇的に美しいシャーロット ランブリングがこの学校の校長で遠くを見ているような不思議に怖い目が効果をあげてます。 「ドライヴ」と「シエーム」は共に2011年の映画で、都会の孤独と言うと月並みですが 才気ある若者のやるせなさを荒涼とした風景の中に描いている傑作でケアリーはそれぞれ 近くにいて遠い女性なり妹の役をひっそりと好演。どちらも主演のライアン ゴスリングとマイケル ファスベンダーの激演をサポートする難しい役で ケアリー独特の物欲しそうな、あきらめたような表情が生きてい
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2012 「 HOPE  SPRINGS  」 TOMMIE   LEE    JONES じゃがいも顔が恐ろしくも 愛らしくもあるマルチタレントの トミー リー ジョーンズの頭がとてつもなく、ごつくて 巨大なのは脳細胞がたっぷり詰まっているからに違いありません。 何しろ1946年9月15日にテキサスのサン サバで生まれ 父親は牧場主にして石油掘り、母親は美容院経営の一人っ子(両親の注目を独占したふしが伺えます。)小学校の時から勉強に体育に秀で 奨学金で有名私立校から万能少年の トミー君はハーヴァード大に、ここで後に副大統領になり ノーベル平和賞を取ったアル ゴアと同室に。在学中に演劇サークルに入り 古典劇に凝ったりして それでも成績は群を抜いて 69年に最優秀学生として卒業。 それから ニユーヨークに出て、他の俳優志願と違い すぐに役を得ます。それが「ある愛の詩」(70)のライアン オニールのルームメイトと言う役で 煙草を吸いながらポーカーに興じるシーンをあまりに苦々しく演じて おまけにあの顔ずらですから メロドラマにそぐわないと監督はカットしてしまったそうな!! 何と言う恥辱!しかしそんな事に構ったりする凡人ではないトミーは前進を続けます。 「逃亡者」(93)はハリソン フォードが無罪の逃亡者 で彼と執念深く追いかける刑事をトミーが演じ 深夜の捜索で檄を飛ばす刑事の迫力は凄く とてもハリソンには勝ち目がなさそうでしたが もちろんハンサム ハリソンが逃げ延びるのです。この役でアカデミー助演男優賞を取ったのはトミーでハリソンは今だに獲ってないと言うのがみそですね。 さぞや溜飲を下げた事でしょう。 会見の彼はどうして俺はこのようなたわけた事をしなければならないのか と見るからに不愉快な顔で現れ もさもさと “ アイ ドント ノー。” を繰り返し “ 脚本にそう書いてあったから。” と愛想など死んでも言いません。 「メン イン ブラック」シリーズはウィル スミスの愛嬌 満タンに トミーのブッキラボー満点が最高の面白さを生んでいて 異星人退治のプロットを利用した日本で大人気のコマーシャルがここで生まれたのでしょう。 新作「ホープ スプリングス」(12)ではメリル ストリープの夫役。この会見には珍しく相好を崩して現れ、けたけたと笑
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PENELOPE   CRUZ スペインはマドリード生まれの全身弾力ばねのようなエネルギー美女、ペネロペ クルズは今年の4月に36歳。いつもスクリーンから飛び出そうな短距離選手みたいで、撮影中も 他のスターによると大変なワーカホリックで 現場を駆け回り おまけに共演男優とのロマンスもたくさんと言う小柄なスーパースタミナ女優なのです。 2009 「ナイン」 小さいころはバレリーナを目指し 15歳頃にモデルとして働き 演劇学校にも通い18歳の時に「ハモン ハモン」(92)で一挙にスペインのアカデミー賞、ゴヤ賞にノミネートされ、とこれまた超スピーデイーな出世ぶりです。 「ハモンハモン」(JAMON JAMON)  はスペインの金持ちと貧乏人の生活を描いた喜劇で美しいペネロペがボスの息子を好きになり妊娠してしまうと言うカソリックの重罪が加わります。ここで実生活で将来の夫になるハビエ バルデムに会い、最初のデートをしたようです。ハモンはスペインのハムでハモン ハモンと並ぶと子供用の童謡だそうな。 もちろんこのタイトルは性的な意味を含んでいて ハビエは闘牛士を志している若者で彼もペネロペに密かに恋をしていて 鏡の前で裸で闘牛士の振りをするシーンはパワーフル! この若い肉体をハムに喩えていますし、 ボスの息子がペネロペの乳首にキッスするシーンでは “こっちはオムレツ、こっちはハムの味がする。”と言ったり と言う訳です。 初めて会ったのは多分「ハイロー カントリー」(98)でアメリカに全くなじんでなかったペネロペは 後に見せる 自己主張を全く見せず と言うより 時差かスケジュール がきつかったためか だらんとした感じで 子供がかぶるような帽子をかぶって、ノーメーク、 意気消沈とした姿はまるで小学生のようでした。今では考えられない緊張のない ペネロペはそれはそれで可愛いものでした。この時の写真を今度探して来ましょう。 次は何でもお料理して男性達を魅了すると言うペネロペの魅力のみにすがったような映画「ウーマン オン トップ」(2000)の会見。すっかりアメリカになれ、メークもずっと洗練されて まだたどたどしい英語でしたが コケテイッシュな魅力に溢れて、たった2年での目覚ましいハリウッド化にびっくり。 “ 私が一番好きなのは寝る事! 小さい時
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JON    VOIGHT 「真夜中のカウボーイ」(69)で田舎者丸出しでお馬鹿カウボーイのジョン ヴォイトとドブネズミのようなダステイン ホフマンが繰り広げるニユーヨークの底辺の人々の生き方はショッキングでした。どこもかしこも油っぽくて きれいにしようとしても汚れがじっとり染み込んでいる大都会の裏側の世界の中でのっぽとちびが妙な友情に結ばれ 太陽を求めてフロリダに行くくだりは観た人の心を激しく揺さぶるはず。ジョンもダステインも主演男優賞にノミネートされ、ジョン シュレシンジャー監督がオスカー監督賞を獲り、作品賞、脚本賞も獲った今や古典作品です。 それより今の人達はアンジェリーナ ジョリーの父親で二人は仲が悪いと言う事の方に詳しいでしょうが あれだけ強烈な娘ですから 劇的な喧嘩と仲直りを繰り返して 激しく共存していくに違いありません。 2004 「ナショナル トレジャー」 1938年12月29日ニユーヨークのヨンカーズ生まれですから今73歳、父親はチェコ系のプロゴルファーでジョン の腕もまあまあだそうな。2度目の結婚が71年のミシェリーヌ ベルトランで二人の間にアンジェリーナともう一人男の子が出来ましたが76年に離婚。 すぐに「帰郷」(78)でヴェトナム帰還兵を熱演してアカデミー主演男優賞と受賞していますから 家庭のトラブルが 仕事への集中力を高めるタイプの俳優なのかもしれません。 初めて会ったのは「暴走機関車」(85)で47歳、長身、 金髪、セクシーな二枚目でした。黒澤明の脚本がベースで アンドレイ コンチャロフスキー監督、エリック ロバーツ (ジュリアのお兄さん、この二人も仲が悪くて有名)が共演の息も詰まるサスペンスに満ちた超アクシヨン映画です。 アラスカの荒野をエンジンもブレーキも無しで爆走する機関車が主役とも言えましょう。 少し前に逆上って 72年の「脱出」(原題はDELIVERANCE, 宗教上 悪い状況から向上するといった意味)も物凄く怖い映画です。バート レイノルズらと一緒に川に釣りに行く週末が仲間の一人 (ネッド ベテイー)が地元の悪にレイプされ、そこから地獄のような光景が広がります。人間の悪があくどく 醜く 描き出された大人の ドラマでジョン自身も “ 思い出してもぞっとするような撮影現場だった。ジョ