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Showing posts from December, 2016

MAUI BEACHES ULUA MAKENA

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MAUI  BEACHES 私たちが滞在している場所はマウイ メドウズという丘の中腹で、一番近い浜辺は、ワイレア地区のウルア ・モカプ ビーチ と言って、海岸際に立つホテル群の横です。 クリスマスとニューイヤーの休暇シーズンなので浜辺はかなり混んでいて、サメの警告などものかわ、ビキニ姿の女性やサーフィンパンツの男性、子供が大勢、海の中で泳いでいます。 砂はちょっと茶色ですが、とても柔らかく、浜辺には所々に黒い岩が突き出ていますが、海に入るとずーっとなめらかな砂が続いて歩きやすく、波は静かにうねって、心地の良い湾になっています。 80センチ4方のトランポリンのような台に小さなボールをぶつけて、跳ね返ったボールをラケットを使って3、4人で打ち続けるゲームが流行っていました。 子供がいる家族は万国共通で砂浜に穴を掘って、海水を貯めたり、自分の体を穴に埋めたりのお遊びをしています。 ピーターと一緒に行ったのは、もう少し離れたマケナ ビーチで、ローカルの人々の穴場だそうで、さらに隔離された場所でした。 日本はもう来年ですが、こちらはまだ2016年最後の日。 改めて新年のご挨拶を明日しましょう。 ウルア ビーチです。 マケナ ビーチ。 ウルア ビーチの柔らかな波。 マウイメドウのあるKIHEI はマウイ島のくびれたウエストの南にあります。マケナビーチはそのまた南です。 ワイレア ビーチ付近の朝焼け。 勇姿! キヘイに30年も住んでいる友人のマイク。 マケナの海岸。 マケナ ビーチのピクニック エリア。左側がピーター。ハワイの指メッセージです。

DEBBIE REYNOLDS 1941-2016

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DEBBIE   REYNOLDS   1941-2016 娘のキャリー フィッシャーのお葬式の用意をしている時に心臓が止まってしまい、娘の急死の翌日に後を追って亡くなったデビー レイノルズ。12月28日、84歳でした。 なんと言う悲しい連続の死亡ニュースなのでしょう。 ネットの若い人たちはキャリーの名前を知っていても、デビーのことをまず知らないようですし、オールドファンはすでに亡くなっていたと思った、などというコメントを出しています。 デビーには何度も会っていますが、いつも、究極のショウマンシップで、そのエネルギーと同じルーテインを繰り返す芸に対して、全く照れない、プロ意識に感心してしまいます。 単なるインタヴューでも、最初からステージの挨拶のように、皆様、おかげさまでもう30年も踊っているデビー レイノルズでございます! 今日は皆様に長いことコレクションしてましたドレスをご覧にいれようと思って、ほーら!!このとうり、キラキラ光るドレスを着て参りました! などとプレゼンテーションを続けてしまうのでした。 昔から、隣の家のキュートな女の子、というイメージで売っていたデビーだからこそ、夫のエデイー フィッシャーをエリザベス テイラーに盗られた時は世界中が「かわいそうなデビー」に同情したものです。それまで二人は親友同士だったそうで、リズはそのちょっと前に夫のマイク トッドと飛行機事故で亡くして、半狂乱だったとか、それをデビーとエデイーが慰めているうちに、グラマラスなリズにエデイーが走ってしまったそう。 なんとも懐かしい往年のハリウッドの特大スキャンダルでした。 デビーはにこやかに、愛想よくしているスターのサンプルで、いつもいつもサービス精神にあふれて、それが時たま「そこまでしなくとも」と胸が痛んだものです。 とことん 相手を大事にするあまりに、賭けで財産を無くした夫が亡くなると莫大な借金を背負いこんだり、大好きなハリウッドの映画に使われた衣装を何千着と集めて博物館を企画して、うまくいかずに倒産しそうになったりと、舞台や撮影以外のところでは、とびきり不器用だったのも、いかにもデビーらしい人生でした。 1932年4月1日テキサス州のエルパソ生まれ、ミス バーバンク(ロスアンジェルス市の北にある町)に選ばれて、そのまま映画に移行、厳格な父親は

LAHAINA PAIA

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LAHAINA    PAIA パイア のカフェで長く待たされて、やっと朝食をいただきました。 ラハイナ、パイア、どちらもマウイ島の人気者の街です。 26日はまず朝食を食べにパエアの自然食を専門とする(と友人が強調)なんとかというカフェで、オムレツとサラダとトーストを食べました。友人宅のあるキヘイ(正確にはマウイメドウズ)から約30分、晴天から途中で突然雨が降り出したりする、不安定な島のお天気です。 クリスマスの翌朝なのでものすごい混雑、ひどくお腹が空いていたので、みんなイラついていました。お味? 別にわーっと驚くほどでもありません。 それからドライブして、大きな亀が出没するビーチへ。 浦島太郎を乗せられそうに巨大な亀がウロウロしています。 波が高く、赤い旗が立っていますがサーファーやカイトサーファーたちはこのチャンスとばかり波に乗っていました。 それからマウイ島でも観光客でごった返すので有名なラハイナへ。カフェ、レストラン、お土産や、宝石店が軒を並べて、呼び込みも激しく、人混みもすごくて、江ノ島のようですが、ここには世界で2番目に大きいバニヤンの木があります。かなり大きな公園を全て覆っている枝の多さで、1本で森を作っています。1番大きいバニヤン トリーはインドにあるそう。 ここでフリートウッド マックの名前がついたレストラン・バーに入って、ハッピーアワー(ここでは2時から6時ですが、普通は5時から7時に決められた、ドリンクやおつまみが半額になる時間帯)を利用して、白いワインに一箇1ドルの牡蠣を3ダーズ注文。その他にも、揚げたエビといか、ローストしたカリフラワー、フィッシュ タコス、などなどをいただきました。窓から海の上のヨットなどが見えて、良い雰囲気のバーです。ハンサムな男性の歌手が、ひとりで舞台でギターの弾き語りをしているのも、なかなかでした。 ピーターの家の裏にはビニール製の掘建小屋があって、これを彼は「メン ケイヴ」(男の洞窟)とよんで、ここでビールを飲んだり、昼食をとったりします。子供のおままごとに似通った、男のお遊びごとの一環と言えましょうか。 ラハイナ の世界で2番目に大きなバニヤン トリー。 アート フェステイヴァルをしている公園からバニアン トリーを見上げるアングル。 波が荒い ホーキ

CARRIE FISHER 1956-2016

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CARRIE   FISHER    1956-2016 キャリー フィッシャーがロンドンからロスアンジェルスの機上で心臓発作を起こしたのが12月23日。 そして今日12月27日 60歳の短い命を閉じてしまいました。 青春スター、デビー レイノルズ と世界中の女性の心ををときめかせた歌手、エデイー フィッシャーの間に1956年10月21日、ビバリーヒルズに生まれ、ハリウッドのインナーサークルで、他のスターの家族やその子供達と一緒に成長し、リッチで、スポイルされた子供達がたどるドラッグの世界誘い込まれていき、1986年の「ハナとその姉妹達」の撮影後にドラッグ過剰致死になりかけ、3年近くのリハビリテーションを受けて、その経験を本にしたのが 「ポストカード フロム ザ エッジ」でした。 のちに映画化(90)され、メリル ストリープがキャリー(らしい女性)を演じ、母親役をデビー レイノルズの実生活の友人のシャーリー マックレーンが演じて、話題になって、以後キャリーはライターとして、特に映画のスクリプトを改良するライターとしてもてはやされるようになったとか。 何度か会見しましたが、いつも超自己軽視のコメントを吐く、大変なユーモアの持ち主で、ああ、こういう頭の切れる人だけに、クスリに走るのだなーと思いました。 おまけにバイポーラー、両極性精神不安定となり、この症状がいかに当人だけでなく、家族や友人のダメージを与えるか、早めの治療を呼びかける運動にも励んでいたのです。 昨年お終わりに公開された「スターウオーズ:フォース アウェイクンズ」(15)の会見に、愛犬と現れ、全く自分のための会見ではなく、一緒にバカなことを言って楽しもうという姿勢を貫いて、たいそうな減量に励んだ努力を、ちっとも美女になれなかったから、全くの無駄だったと自嘲したり、有名なレイア姫の耳の横のふたつの髷を「最初はドーナッツなんて読んでいたけれど、実際はマントヒヒのケツ」と形容したり、母親のデビーを「いつまでも止まらない、超長生命の乾電池みたいにはりきっぱなし」と説明したりのかなりクレイジーで、その実、愛情がたっぷりの話をしてくれました。 最近は「実は昔ハリソン フォードと一緒にベッドを共にしたことがあるんだ」などと告白して、ハリソンを慌てさせたりもして、いかにも、事後承諾で済ませてしまうキ

MAUI CHRISTMAS 2016

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MAUI  CHRISTMAS   2016 肌に心地よい湿気と強烈なジャスミン(ピカケと現地では呼びますが)とレイによく使われるプルメリアの花の香りが島中に充満しているマウイのクリスマスは、なんと言いましょうか、常夏だからというわけではなく、まことに奇妙な気持ちになりました。 これまでもアリゾナの砂漠やら、ニューヨークでクリスマスを迎えましたが、このハワイという島でのクリスマスは、見かけから入って、精神的な要素がほとんどなく、ドンチキお笑いゲームに始めから終わりまで徹して、笑いっぱなし、食べっぱなし、飲みっぱなし、のコメデイーを地で行っているようなものなのです。 何しろ気楽で、のんきな人々が多くて、24日のイヴは、パーテイーと言っても、ふらりと寄った人まで食事に紛れ込み、全てがテキトーなのです。この夜のメニューは中国風お鍋で、鳥のスープなのですが、薬味の香りが強烈でした。色々なお肉や貝柱がゴタゴタと入っていて、中では、春雨と蓮根がとても美味でした。 25日の大パーテイーはまず家の前のドアのところに50人分の靴やサンダルやビーチソーリが並び、無礼講というのか、ウクレレを弾いているかと思うと、おかしなゲームが始まって、知らない人々のこの日の下着の色まで言い当てるとか、日本のテレビのお笑いゲームみたいな光景が展開します。 持ち寄りの食べ物は、プライムリブから、揚げたチキン、どっさりのポケ、お刺身、エビフライ、餃子、チャーハン、キムチサラダ、紫のタロイモのマッシュ、ポテトサラダ、などなど、国際色豊かなのです。とても珍しかったのはベトナムのサラダで、エビの下に緑色の噛むとコリコリする野菜がほどよいスパイシーさで混ざっているお料理でした。 ホステスはバイタリテイー溢れる韓国系のビジネスウーマンのジョイス、サンタクロースの衣装を嬉しそうに着て、広がったスカートがゆさゆさして、こちらまで楽しくなる力を持っていますし、彼女の旦那様のジェフと息子は揃って、クリスマスの包み紙のような真っ赤なスーツに同じ生地のネクタイと満貫色というのでしょうか、もうチンドン屋さんのノリで、激しく、キメテいるのです。 誰もが、勝手に楽しんで、飲んで、食べて、知らない人同士が最も気楽に会話を進めるという、とびきり楽しいパーテイーでしたが、クリスマスという気分は感じられませんでした。大