CHRISTOPHER PLUMMER 「サウンド オブ ミュージック」(65)の貴族的で凛々しい男爵フォン トラップ大佐役のイメージが今でもヴィヴィッドに思い出に遺っていると思いますが,当人曰く、 「思い出すのも嫌だね。寄って来る人が「サウンド。。」と言い出すと我慢して応対するが。」 と正直で,ごまかしの出来ない人なのです。 英国人と思っている方も多いいと思いますが,カナダはオンタリオ州のトロントに1927年12月13日に生まれました。 長いことコンサートピアニストになるべく励んでましたが,ある時、舞台で演技をして,他人になる楽しさ開眼。 品のある端正な顔と長身のために気取っていると思われるでしょうが,実はひょうひょうとしたびっくりする程にざっくばらんで,気さくな俳優です。だからこそトラップ大佐のことなど思い出したくもない!と本音を吐いて,芸能界のごまかしルールなど無視。 1992 「マルコム X」 始めた会ったのは「マルコム X」(92)で、主役を演じたデンゼル ワシントンの役作りを褒めちぎつていました。 若い時にルックスの割には主役を演じる映画がないのは,持って生まれた反逆児の性格かもしれません。 「神より悪魔を演じる方が遥かに面白い。退屈な主役の役などより人に迷惑をかける男の方が現実的で面白いからね」 そして長いこと脇役,頭の良い悪役などを専門に手がけ,出演映画,テレビの多さと言ったら,テレビの多さと言ったら! 面白いことに同じカナダ人のドナルド サザーランドも立派な押し出しを持ち合わせ,クリストファーより主役を手がけてますが,中年後は,二人とも権力者,大悪人,時代劇の偉人や軍人と言った貫禄の役を山の様に手がけているのもおかしいです。ちょい役でも印象に残りますから,ストーリーの上で覚えていて欲しいところに利用するのに良いのでしょう。 お酒が大好きなのも,知られています。ここに載せた写真でも赤ら顔が覗けますでしょう。 北米人の中で (つまり英国人を除いて)シェイクスピア俳優としては指折りで,彼のハムレット,マクベス,などなどの舞台はつとに評判でした。 最近はやっと歳のせいか「サウンド オブ。。」に理解を示す様になったとか。 「ジュリー アンドリユースと一緒に仕事をするのは,グリーてイング カードに毎日
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Showing posts from January, 2013
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GINA GERSHON 「ショウガール」(95),ラスヴェガスの舞台で火山の爆発と共に,がーんと躍り出てきたジーナ ガーションを覚えてらっしゃいますか? ちょっとエヴァ ガードナーに似た黒髪グラマー美人でした。 主役はエリザベス バークレーと言う脚ばかり長くて,どこから見てもバービー人形のブロンド新人が演じてましたが,この映画のあとは殆ど,役がなく,彼女のライバルにして古参踊り子のジーナの方が,そのしつこそうな,欲望を顔にたぎらす,姐御肌の女優として,今だに活躍しています。 この映画でエリザベスとジーナがキッスとするシーンが注目されました。 「口紅がお互いに嫌だったわね。あのキッスはセクシュアルなものではなく,別れを告げると言う意味だと思うの。ショウガール同士のキッスだとセンセーショナルに書かれたけれど,もっと深い意味があるのよ。もっとのこの映画の観客はとてもそこまで読まないでしょうけど」 と実に淡々としていました。 監督はオランダ人で,これでもか,これでもか,と過剰な映画作りで知られるポール ヴァホーヴェン,「トータル リコール」(90)「氷の微笑」(92)です。 1962年6月10日,カリフォーニア州ロスアンジェルス生まれですから,今年51歳に。しかし肝っ玉と言うか,好戦的な姿勢は少しも衰えず,テレビや映画の脇役をしては,独りでガラパゴスとかアフリカの果てに冒険旅行に出かけてるそうな。 2012 「キラー ジョー」 顔も名前もぎんぎんのユダヤ系ですから、ギャングの情婦,とか,金の亡者のマダム,と言った役を演じるとスクリーンから噛み付いてきそうな迫力を見せます。 「バウンド」(96)では再びセンセーシヨンを巻き起こしたレズビアンの女性を熱演し,ジーナは性的女優として,有名に。 新作「キラー ジョー」(12)では全裸で登場,血まみれになって殺される継母の役と相変わらずなのです。このシーンの余りの血の量に息子役のエミール ハーシュが失神寸前になったとか! 「裸で映画に出るのは、年も年だからちょっと気になった、けど,実は家にいるときは裸でいることが多いの。配達が届いてもそのまま出て行きそうになる程,自然体なのよ」 とあっけらかんとしているのです。 「「エクソシスト」(73)が大好きだったから,是非ウイリアム
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JOSH BROLIN ご存知ジェイムス ブローリンの息子にして,バーブラ ストライザンドの義理の息子にして、ダイアン レーンの夫と言う華麗なる芸能ファミリーの一員です。 1968年2月12日、カリフォーニア州ロスアンジェルスと生まれたのも映画のメッカで,幼少のみぎりより親父の様に俳優になりたいと余り悩んだりしなかったよう。 85年,17歳の時に「グーニーズ」で映画デビュー。子供映画としてはカルト級の作品で,ショーン オステイン,コーリー フェルドマン,マーサ プリンプトンと言った当時のテイーンスター連中がやたらにうるさい音響の中で宝探しをする騒がしいお話で、ステイーヴン スピールバ−グが原作,あのリチャード ドナーが監督を手がけたというもの。 2007 「ノー カントリー」 その後テレビの「ヤングライダーズ」(89−92)などで活躍,アクシヨンに強いタフガイのイメージは,ほとんど父さんと同じです。 「ノー カントリー」(07)での欲張りのシェリフ役は それまでのオーケー中堅俳優だったジョッシュのステイタスを演技派と言うレッテルにアップ。顔つきも締まって,強面の陰がでてきました。 実は何度も会っていますが,これは!と言うコメントを全く覚えていません。やはり2代目のイージーなところがあって余りハングリーにならず,マイペースで仕事をしているせいでしょうか。 腕が体に比べて,めっぽう短いと言う特長も観察眼の鋭い方はご存知でしょう。 「メン イン ブラック3」(12)ではウィル スミスのぶっきらぼうパートナー,トミー リー ジョーンズの若い時のエージェントを怪演。顔つきから,独特の間をあける物の言い方,偉ぶった態度に動き方、声までそっくりにジョーンズの真似をして,喜劇タッチも抜群と言う才能を披露しました。ジョーンズご本人もにんまりと褒めていましたから。 目下「ギャングスター スクアッド」(13)と言う天下のギャングスター、ミッキー コーヘンをショーン ペンが演じ,ジョッシュは刑事役と言う映画が公開中ですが,格好ばかりで,中身は空っぽ,へっぴり腰のタフガイたちとこっぴどく批判されてます。
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JENNIFER LOPEZ ずっと前まだジェニファー ロペスが「マネー トレイン」(95)で、地下鉄の車掌か警官の役をしている撮影現場を訪れたのですが,全くメークをしていない彼女を殆どの記者たちは,テーブルなどを片付ける南米から出稼ぎに来たクリーニングおばさんと勘違いをしたのですから! 2013 「パーカー」 「セレナ」(97)と言うテレビ映画で若くして死んだメキシコの歌姫を演じて,スター街道を前進し始めたのですが,当時の写真の純情そうで,可憐なこと! 今度探してポストしますね。 ニユーヨークのブロンクスに1969年7月24日に生まれ小さい頃から芸能界に憧れ,唱ったり踊ったりに励み,持ち前のガッツとラテイーナの情熱で,徐々にテレビの役など得ます。当時の彼女は清楚で,綺麗で,現在のばばばーんと言うダイナマイトのような迫力はありませんが,微笑ましい程にひたむきさに溢れていました。 インタヴユーに答える度に「ユー ノウ ホワット,とか,ユー ノウ,ユー ノウを繰り返し,誰かが面白がって数えたら400回ぐらい使ったと言う程にストリート会話ばかりで,それも又懐かしい思い出です。向きになって,意地っ張りそうに話す姿勢も削る前のダイアモンドと言えましょう。 「アウト オブ サイト」(98)ではジョージ クルーニーと組んで,熱っぽいセクシーさを漂わせ,「ザ セル」(00)ではヴィジオナリーの監督,ターセルと石岡瑛子の衣装でエキゾテイックな映像が美しく,豊満な肢体のジエニファーが芸術作品の様にセル(箱)に入っていました。 「メイド イン マンタッタン」(02)はお手伝いのメイドとマンハッタン製とかけた題名で,レイフ ファインズ扮する英国貴族とホテルのメイドのジエニファーが繰り広げる文化と身分の違いのロマンスで,それなりに面白いものでした。 この頃 ベン アフレックとロマンスが始まり,この関係がちょっとばかり「メイド イン」と似たところもあって,激しく張り切った彼女が女王の様にめかしこんで,ボストンの野球帽によれよれシャツが好みのベンにタキシードやトップファシヨンの紳士服を着せ替え人形の様に着せ,ベントレーだか,ロールスロイスでお出かけするのがタブロイドを飾ってました。 おまけに二人が恋をする映画「ジーリ」(03)まで作らせて,その内容の
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AARON ECKHART アーロン エックハートはアメリカ人スポーツ選手によく見るルックスと体型ですね。例えば目下スキャンダルの真っ只中の自転車選手のランス アームストロングにそっくりですし,フットボールのクオーターバックなど指揮を執るポジシヨンの選手によく見るちとニヒルで責任感が強そうな面構え。 モルモン教なのですよ。一家そろって。父親はコンピューターの専門家,母親は詩人にして子供の本の作者,生まれたのはカリフォルニアですが13歳の時に一家で英国に。ここで演劇に目覚めたアーロンですが,サーフィンボーイでもあったのでオーストラリアはシドニーの高校に行ったり,モルモン教の布教にスイスやフランスにも渡ったとか。 2010 「ラビット ホール」 日本の街角で白いシャツに黒いタイとズボンの宣教者よりグレードアップな国に行かされたのは,父親の影響かしらん? ま,グローバルな若き青春を経て,モルモン教の大学,ブリガムヤング大に入学したのが94年,そこで異色監督のニール ラビュートと知り合います。 ラビュートのデビュー作(韻を踏んでます)「イン ザ カンパニー オブ メン」(97)と言う映画で,嫌みなレイデイースマン(女たらし)を演じて,独立映画の新人賞を獲り,彼のドライなユーモアといささか意地の悪そうな顔がもてはやされるように。 「隣の愛人」(98)など以後のラビュート作品にほとんど出演して,同時に「エリン ブロコビッチ」(00)の主役でオスカーを受賞したジュリア ロバーツの親切な友人役を快演し,ハリウッドの2枚目のステイタスを得ます。 余りライムライトを求めないタイプで,いつも誰かの陰でごそごそして,一応の会見の義務は果たしますが、マスコミに媚びたり,不必要なことをくっちゃべったりしません。崇高な姿勢がともすれば,距離を置くエリート志向とも受け止められました。 「ダークナイト」(08)ではバットマンの敵役をして,パワフルな存在を見せましたし,「ラビットホール」(10)では息子を事故で亡くしたニコール キッドマンの亭主を困惑顔で演じ,悲劇のどん底から這い上がれないドラマテイックな妻を持つと夫は他の女性に気を取られると言う現実を生々しく見せてました。この映画ではニコールが夫の役はぜひともアーロンで!と要請したのですって。撮影中は二
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MARIA BELLO ちょっと筋肉質の体と鼻っ柱の強そうな顔がマリア ベローの強みでしょうか。 「ヒストリー オブ ヴァイオレンス」(05)でヴィーゴモーテンセンと階段の途中で野獣のようなセックスを見せてましたが、あれこそ歴史的暴力(ヒストリー オブ ヴァイオレンス)的性的行為でした。あとで彼女は「ヴィーゴが夢中になって,監督(デヴィッド クローネンバーグ,異常性的行為を撮る権威)も夢中になって,私も伝染病がのり移った様に,高い熱が出た朦朧とした状態で必死で暴れて,セックスをして,又暴れて,と言う行為を繰り返し,あとで体を見たら,もう紫色に腫れての痣だらけ。 これが例えばナオミ ワッツとかジュリアン ムーアだったら,あれほど荒れ狂ったりしなかったのでは? ま,ジョデイー フォスターだったらヴィーゴもかなわなかったかもしれませんが。 ともかくベローには逞しさから発散する独特のエロテイシズムがあります。 1967年4月18日 ペンシルヴァニア州のノリスタウン生まれ。ポーランドとイタリアの血を引いているそうな。 弁護士になるべく,ビラノバ大学に入ったものの演技の道を選び,オフブロードウェイの舞台へ。 2008 「ハムナプトラ3」 弁護士を志したからだからでしょうか,当人からは,知的で,理性が備わった凛とした性格が伺われます。 「ER・緊急救命室」(97)のレギュラーとなって注目され,「ペイバック」(99)ではメル ギブソンと,「シークレット ウィンドウ」(04)ではジョニー デップと共演するようになります。どれもアクシヨンが混ざった男っぽいドラマで,「ハムナプトラ 3」ではブレンダン フレイザーの相手役として、たまさかぼーっとするブレンダンを叱咤激励して,頼りになる姉御と言う存在でした。 最近の好演は「カンパニー メン」(10)です。トミー リー ジョーンズ,クリス クーパー,ベン アフレック,ケヴィン コスナーと言ったビッグメンの中で,大の男どもをあっと言わせる女性起業家を毅然と熱演して,キャリアーウーマンの鑑のような役でした。
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ALAN ARKIN 今年のアカデミー賞助演男優賞候補です。アラン アーキンは「アルゴ」(12)で手練手管,海千山千のプロデユーサーの役をいとも簡単そうに演じて,しかし、しっかりと画面を引き締めていると言う名人芸を見せてます。 1934年3月26日にユーヨーク生まれ,今年 79歳になりますが,細身で苦み走ったタイプですから長生きする筈。 フォークグループの「タリアーズ」と言うバンドのリード歌手にしてギターリストとしてならしていた時に「バナナボート ソング」を作り,これをハリー ベラフォンテがカバーして大ヒット。ブロードウェイでミュージカルにも出ていたそうな。それから61年に舞台俳優に,そして映画へ転向。 「アメリカ上陸作戦」(66)ではアカデミー主演男優賞候補に。翌年の「暗くなるまで待って」(67)ではオードリー ヘップバーンを恐怖に陥れる殺人者の役を演じて評判になります。 渋い味を活かしての脇役として活躍し,「リトル ミス サンシャイン」(06)のポルノ雑誌が大好きで,罵詈雑言を吐き,しかし心は錦のじいさんを怪演して,見事アカデミー助演賞を受賞。 2012 「アルゴ」 そして「アルゴ」です。巨漢ジョン グッドマンと組んで架空の映画を制作し、ベン アフレック扮するCIAエージェントの作戦を陰ながら助けるのですが、ハリウッドのスタジオでベン一行の安否を気遣いながら,電話を待つシーンは久しぶりのサスペンス溢れるものでした。 「ベンの監督ぶりには実に感心した。若いくせに渋いテイストを持つのが良い。普通のアメリカの監督だと一行が飛行機に無事に乗った後,飛行機が離陸する時に張り切った音楽をかけるに違いない。乗客が拍手をするとか。しかし機内は静かで,おもむろに乗務員の「カクテルのオーダーを取ります」と言うアナウンスが流れて,観客はやっとほっとする。 このテクニックは憎い程に繊細で,渋いだろう。ベンの才能には脱帽したね」 2009「50歳の恋愛白書」 アーキン自身,音楽家,俳優,監督,作家とマルチ タレントの人だけに,この賞賛にはずっしりと重みがあります。
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SALLY FIELD 今年のアカデミー賞にノミネートされたスターたちを紹介しましょう。 まずは「リンカーン」で20ポンド太って,主人公の妻を演じたサリー フィールドから。 何度も書いてきましたが,デビー レイノルズと同じような庶民的,隣のお姉さんで純情で可愛いくて、息子の嫁さんにしたいタイプは余り好きではありません。 超現実の映画で見るなら,ローレン バコールとかエリザベス テイラー,グレース ケリーのような近寄り難いグラマラスな女優を見たいではないですか。とまあ個人的偏見を吐いて,さてサリーです。 初めて会ったのは,「マーフィーのロマンス」(85)と言うジェイムス ガーナーと共演した映画の時。当時39歳のサリーは,小柄で,はきはきとしゃべる優等生でした。ガーナーが、おっとりとして、自分のことなどしゃべるのも面倒くさいと言う態度だったので,サリーは彼の分まで,ペチャクチャ話していたのを思い出します。 1946年11月6日カリフォルニア州パサデナに生まれ、 2012 「リンカーン」 コロムビア撮影所の演技教室(こう言う施設もあったのです)に通って1965年,19歳の時 テレビシリーズ「ギジェットは15歳」(65−66),続いて「いたずら天使」(67−70)に主演して一躍アイドルスターに。 「大西部への道」(66)で映画デビュー。 「ノーマ レイ」(79)で最初のアカデミー主演賞。 「プレース イン ザ ハート」(84)で2度目のアカデミー賞を受け「みんな私のこと好きなのですねー!」と叫んだスピーチは、いかにも彼女らしくて、アカデミー賞のハイライト シーンに必ず出てきます。 バート レイノルズとのロマンスが有名でしたが,あのワイルドなプレイボーイのバートと良い子のサリーとは似ないもの同士の関係なのかしらと勘ぐったりもしました。 「マグノリアの花たち」(89)や「フォレスト ガンプ・一期一会」(94)の事になると脇役として,ほのぼのとしたおばさんの味を添える様になって,かわい子ちゃんは影をひそめて、大女優の貫禄が出てきたのです。 「リンカーン」ではダニエル デイ ルイス (1957年生まれ)より11歳年上ですが,絶対にこの役は私がやりたい!!とスピルバーグ監督に執拗に迫ってものにしたとか。 撮影の間,ダニエル
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SAMANTHA MORTON またまた英国製です。派手なメークやドレスを拒む,生粋の演技派タイプがサマンサ モートン。 1977年5月13日 英国のノッテインガム生まれですから今年36歳ですか。デビュー当時から地味と言うか、苦労を背負った女性の役が多かったせいか,もっと歳を取っているように思いますね。 小さい時から女優志願で13歳で女優スタート。 ウッデイー アレン監督の「ギター弾きの恋」(99)で,ショーン ペンがジャズギタリストに扮し、高名なジプシーのギター弾き、ジャンゴ ラインハートに憧れていると言う設定,サマンサは口の聞けない女性の役を熱演してアカデミー助演女優賞にノミネートされました。この時彼女はたった22歳。 次は「イン アメリカ」(02)の貧しいアイルランド移民の母親を演じて又もや同じ賞の候補に。ジム シェリダン監督のほとんど自伝だそうで,ニユーヨークで悲壮な表情で暮らし始める若い母親の役を健気に,頼もしく演じてました。 初めて会ったのは99年。当人は全く飾り気のないさらっとした性格が伺えて,こちらも相手がスターなどと言う気持ちが出て来ないので,自然な深い会話が出来ると言う居心地の良い会見でした。こう言う人がもっとハリウッドに居ると良いのですが。 02年に会ったときも変わらない素朴な女性で,わざとおしゃれをしないのでは? と思う程に,寝起きのままで現れた感じでした。人工美に対する抵抗と言う訳でもなく,少しばかりへそ曲がりで,インタヴユーと言う形式が嫌いなのでしょう。 「ザ メッセンジャー」(09)は非常に痛い映画です。ウデイー ハーレルソンとベン フォスターと言う普段は柄が悪い役専門の不良俳優がイラク戦争のベテランで,内地に戻った後の任務が戦死者の遺族に「メッセージ」を告げると言う,悲劇的なもので,サマンサは,夫の死を受け入れられない若い妻の役を熱演。 と書いて来ると実にサマンサの役は不憫なものばかり。 2009 「ザ メッセンジャー」 でも本人は,古着屋参りが趣味のような,ものを粗末にしない,自然を尊重する温かい心の持ち主と信じてます。
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JASON STATHAM 今回は,もう少し若くて,元オリンピック ダイヴィング選手だったぴちぴちの若手スターを。 ジエイソン ステータムをご存知ですか? 英国はロンドン生まれの都会風アクシヨン俳優。 全く演技の経験がないまま,町で知り合ったガイ リッチーの「ロック ストック アンド ツー スモーキング バレルズ」(98)に詐欺師の役で出演,ガイはこの映画で新鮮な視点と軽快なウイットを持つ新しいジャンルの映画監督として注目され,ほどなくマドンナの夫になったと言ういきさつもあり,ジェイソンはと言うとしなやかな肉体と素早い頭の回転にロンドン下町のアクセントを操る不良っぽさが受けて,2年後に又もやガイの「スナッチ」(00)に出演,次々にアクシヨン映画に顔を出し,「トランスポーター」(02)では主役。 翌年には「イタリアン ジョッブ」(03)と言うリメークで,マーク ワールバーグと並んで激しいカーチェイスを繰り広げて、1969年のオリジナル(マイケル ケイン,ノエル カワード,ラフ バローネなどが出ています)を凌ぐとさえ言われた映画に出ます。 シグネチャーとなった「トランスポータ−2」(05)で又粋な身のこなしと不可能な挑戦に挑む男を再演。 ガイと3度目の作品は「リヴォルヴァー」(05)と飽かずにアクシヨン映画に登場し,「トランスポーター3」(08)もしっかり主演しました。 「理想を言わせてもらえれば,もう少しおとなのトーンがある映画に出たいのだが。例えば「ボーン」シリーズみたいな作品に。しかし観客は僕のステレオタイプの映画を好むようだから,下手に違うことをしない方が良いのかもね。よく分からないなー。難しいよね。誰でもしたことの無いことに乗り出したいのだが。。。」 とぶつくさ言ってましたが,当人は結構、しれっとして,もともとがシエイクスピア俳優でもないので,謙遜と言うか,身の程を心得ているふしが見え,それが又,彼の大らかさを見せて,良い性質の人だなーと感心したましたね。 「エキスペンダブルス」(10)ではスタローンやブルース ウィリス,シュワルッツネガーと言った老アクシヨンスターに混じって,壮年の現役として彼らを補佐すると言う斜めに構えた役を楽しそうに(いや苦しそうにも見えました)演じてました。 さて新作「パーカー」(13)ではジ
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MIRANDA RICHARDSON 英国の中堅演技派女優です。ミランダ リチャードソンと言う名前のために、幾度となく、ヴァネッサ レッドグレーヴの娘たち(夫君の名前がトニー リチャードソンだったために)、故ナターシャとジョーイ リチャードソンの姉妹の姉貴だと思われて、その都度、「違う家族です」と答えてきたとか。 若い頃は、性的パワーが充満で,おまけにブロンドだった為英国版マリリン モンローのような存在でもありました。 「ダンス ウィズ ストレンジャー」(85)ではルパート エヴァレットと組んで、1955年のロンドンの運命的な出会いをセクシーにエレガントに見せてます。まだカミングアウトしてないエヴァレットが、女性を求める2枚目としてきらりと光っていますし、ミランダは英国最後の死刑台に上ったルース エリスと言う女性を美しく、リアルに演じています。 1958年3月3日のおひな様の日に英国はリバプールの近くで生まれ、親族の中に演劇界で働く人がゼロと言う環境に育ったので、ゆくゆくは獣医になろうと思っていたそうです。しかし女優の道を目指し、ブリストル オールド ヴィック演劇学校に入学、同期にダニエル デイ ルイスがいたとか。 「クライング ゲーム」(92)での謎の美女役も、アイルランドの抵抗軍やスパイがはびこリ、どんでん返しの性のトリックなどのドラマの中で、際立っていました。ステーヴン レイと言う地味ながら、渋い演技を見せる俳優が主役で、この作品以後、私めは彼のファンとなって、後を追ってますが、今だに主役の陰で場面盗み専門に徹しているような憎い存在です。 何回かインタヴユーしましたが、いつも礼儀正しく、エレガントで、自嘲的なコメントを巧みにちりばめる頭の良い女優で,ハリウッドの同年代の女優の持つ年齢の焦りなどちらりとも見せません。 「若い女性の魅力と張り合うなんて不可能でしょう。50歳を過ぎた女優には、年輪と言うたまものがあるし、主役の母親やおばさん、高慢な王妃に不気味な魔法使いなんて役を手がける楽しさは格別ですもの」 そして美容法については、 「あのね,高い化粧品だからって効果があるとは限らないのよ。安い方が私は安心して気楽に使えるから好き。それからひとつのメーカーをずっと使わずに、時どき換えるのも、良い刺激になると思うの」 と嬉し
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JOHN CUSACK 英国にはキューザックと言う苗字の演劇界のダイナステイーがありますが (ジェレミー アイアンズの夫人、シネード キューザック(Sinead Cusack)も名女優なら彼女の父上(シリル(Cyril Cusack)も兄弟も全員舞台や映画で活躍したのです) アメリカのジョン キューザックも父親から、姉(ジョーン(Joan Cusack), 喜劇を得意とする脇役女優)も弟妹も映画関係と米国版ダイナステイーなのです。血縁関係は無いとの事ですが、遠い昔につながっていたと考えるほうが楽しいですよね。 2007 「1408号室」 おちょぼ口と色白の肌、しれっとした表情が日本の若殿様見たいですが、本人は演技にかけては相当なこだわりを持っている職人肌の俳優で,若い時はアイドルスターと騒がれましたが、その時も媚びたり、売り出そうと努力したりしてません。 ずっと昔、まだ初めてのゴールデン グローブ授賞式に行った時、「すてきな片想い」(84)に主演していたジョンは若手代表と言う使命を持って出席、ちょうど、まだ少女だった娘がエレベーターに乗り、中に彼がのそっと立っていて、その晩、大ファンの娘は、その偶然のエレベータ乗り合わせばかり考えて、ずっと興奮状態でした。 当時の何とも可愛いジョンの写真をいつか載せますが、「リスキー ビジネス」などのトム クルーズや「ブラット パック」と呼ばれたショーン ペンやエミリオ エステベス/チャーリー シーン兄弟らのヤング アンド ワイルド グループとは一線を画した自分だけの世界を持っていたようです。 「エイトメン アウト」(88)での1919年、シカゴの野球チーム、「ホワイトソックス」が贈賄疑獄に巻き込まれ 「ブラックソックス」と呼ばれた事件の映画化では、しっかりプロ野球選手を熱演 、「グリフターズ」(90)で前に紹介したアネット ベニングの恋人の若い泥棒役、しばらく後の「ジョン マルコビッチの穴」(99)でのキャメロン デイアスとの人形使いの夫婦役など、独特の工夫と演技派の熱情がみなぎる役作りを見せてます。 大音楽狂でもあるジョンは、自分で制作、主演した「ハイ フイデイリテイー」(00)で、ぼろレコード屋にたむろする、愛すべきビニールレコードおたく人種を情感たっぷりに見せてくれました。 当時のジ
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MINNIE DRIVER 初めてミニー ドライヴァーに会ったのは「サークル オブ フレンズ」(95)と言う映画で、アイルランドの田舎からダブリンの大学に入学、ここで熱い恋を経験する若い娘を演じた時。アメリカの当時のアイドル、クリス オドネルが主演,後に有名になるアラン カミングスやコリン ファースが顔を出している若者のエネルギーがたっぷり画面から覗ける映画でした。 英国の自動車のミニ クーパーの運転手みたいな名前ですが 2010「BARNEY'S VERSION」 本名はアメリア フィオナ ドライヴァーと言い、ミニーは子供の頃からのニックネームだそう。 父親は裕福なビジネスマン、なんと母親は彼のミストレスだそうで,ミニーはその事実を全く知らずに育ったそうです。 よくお妾さんの子供は、成功すると言われますが、彼女のガッツもこのあたりから由来しているのかも。 マット デーモンとベン アフレックがオスカー脚本賞を受賞した「グツド ウィル ハンテイング」(97)では、主役の天才的数学者マットと恋に落ちる役を演じ、オフスクリーンでもロマンスが展開しました。 この頃ミニーは、長身と変わったルックスでハリウッドの人気者になり、グラマラスなドレスをエレガントに着こなしてスタイル アイコンとして毎週の様に雑誌のページを賑わせてました。 「ハリウッドが私を歓迎してくれる限り 大いに楽しむわ!」とミニーは自信にあふれて、アメリカ人の女性とは違った大胆不敵な姿勢を誇示して、それなりに興味深い存在でしたが。。。 彼女のすっかりアメリカナイズされた生活をスコットランド出身のユワン マグレガーが 「ハリウッドの水に染まって、喜んでいる姿を見ると嫌な気持ちになる。イギリスで仕事に集中するべき」 などと批判してましたが、その当人のユワンが今、ロスアンジェルスに家族と住んでいるのですから。 そして、ジョッシュ ブローリンとなど数々のロマンスを経て、余りヒット作に恵まれなくなったミニーはロンドンに戻ってしまったと言う皮肉な結果に。 「ガヴァーネス」(98)(家庭教師)と言う映画では、1800年頃のロンドンのユダヤ人の女性に扮し、スコットランドの田舎の領主の家の家政婦の職を得て、ここでトム ウィルキンソン演じる領主とその息子(若いジョナサン
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EDDIE REDMAYNE アカデミー賞候補が今朝発表されました.ほとんどのスターなり監督に今年インタヴユーしていますが、最年長と最年小の女優たちには残念ながら、会ってません。 「アモール」(12)のエマヌエル リヴァ(85歳)と「ビースツ オブ ザ サザーン ワイルド」(12)のケヴェンザーン ウオリスと言う撮影当時6歳,現在9歳の黒人の少女です。リヴァはその昔、岡田英二と「ヒロシマ モナムール」(「二十四時間の情事」)(59)で共演している地味で格調高いフランス人女優です。 2012「レ ミゼラブル」 候補者たちの事を書くと、仕事のような気分になるので、今日は、血統書付きのハンサムな新人を紹介しましょう。 エデイー レドメインは、1982年英国はロンドン生まれ、イートン校ではウイリアム王子と同級だったとか、ケンブリッジ大では芸術史を専攻、父親は高名な実業家でエデイーは5人兄弟のひとりだけスポーツに秀いで、さらに役者の道を選んだのですと。 性的な悩み、父親との葛藤に苦しむ若者の役を得意とし、色々な舞台で賞賛を得ます。 映画ではロバート デニーロが監督した「グッド シェパード」(06)で出たり、ハリウッド版「黄色いハンカチ」(07)や「「エリザベス ゴールデンエイジ」(07),「ブーリン家の姉妹」(08)などの時代劇にも顔を出しています。 この頃名門ブテイークのバーバリーのモデルとしても活躍、品のある、繊細なルックスが効果的に使われてます。 2010年にエデイーは、折しもシーラ ラブーフと別れた 英国若手女優のケーリー マリガンとデートを始めて、タブロイド紙を賑わせましたが,このロマンスは長続きしませんでした。 ミシェル ウイリアムズが可憐なマリリン モンローになった「マリリン7日間の恋」(11)で、エデイーは撮影現場の助手にして、ノイローゼ気味の大スターマリリンをエスコートして、気晴らし旅行に出かけ、ここで二人で裸になって水遊びをしたり、どうもベッドにも行ったらしい、若い毛並みの良い青年を演じました。礼儀正しく、ていねいにマリリンのお守りをする眉目秀麗な若者の役は、ハリウッドの注目を引きました。 そして大作ミュージカル「レ ミゼラブル」(12)のマリウスの役を得ます。 7歳の時に「レミズ」を見て以来ずっと大好きな
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ANNETTE BENING 1990「グリフターズ」 「グリフターズ」(90)のアネット ベニングは小粋で,小悪魔っぽく,お利口で,セクシーと魅力一杯でした.真っ裸で走り回り,カーテンの後ろに隠れたり,今の若手女優には無い自然なコケテイシュさに溢れて,これを見たハリウッドきっての老練プレイボーイ,ウオーレン ビーテイーが一目惚れ(決して自白はしてませんが)して「バグジー」(91)に起用し,しっかり仕事上のラブシーンを経て,年貢の納め相手にしたのもよく分かります。 1958年5月28日,中西部の真ん中,カンサス州のトペカに生まれ,サンフランシスコの大学を卒業.ここで演劇を目指し,ブロードウェイの舞台に進出。 しなやかで,自分の知性をおおっぴらに見せない,とびきり頭の良い女性です.いつもシンプルなメークに,シックにして,アクセサリーなどゼロのミニマム ファシヨンがよく似合いますが,人工美と過剰な装飾が基本のハリウッドでは,こう言う自信に満ちた完全体の美人を敬遠する傾向があって 今いち 有名度や知名度は低いと言えましょう。 そして彼女自身も全くスターダムなどに興味を見せず,84年にビーテイーと結婚した後は,着々と4人も子供を産み,エレガントな母親ぶりを見せてきました。 義理の姉貴の,(そしていじめが好きそうな小姑です)シャーリー マックレーンもアネットの事になると褒めちぎるのも,身内を立てる彼女の鮮やかな腕前を見せてます。 選択に迷いを見せないところも,おとなの女性です。 2004「華麗なる恋の舞台で」 「リチャード三世」(95)ではシェイクスピア現代版で,堂々のイアン マッケランの悪王に劣らぬ力強いセリフ回しを見せてました。 「アメリカン ビューテイー」(99)で,売りに出ている家に入り、いとも自然に服を脱ぎ,下着姿になって,やおら大掃除を始める不動産屋のセールスウーマンの役も,彼女がすると,わざとらしさが無くて,見事にアカデミー賞候補に。 最近は「キッズ オールライト」(10)でのレズビアンの医者役が,実にリアルで,少し高慢で、こう言う女性をどこかで見たような,しかし余り仲良くなりたくないようなと言う親密感を感じさせていました。 4人の子供の長女のキャサリンが,14歳の時から自分は男だと言い張り,20歳
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ANTHONY QUINN 2013年の初ブログですから、とっておきのスターと思い,アンソニー クインとお孫さんとの写真から始めましょう。 1915年メキシコはチワワにアイルランド人の父(故にクインと言う苗字)とメキシコ人の母の間に生まれ,この父親は昔パンチョ ヴィラの革命軍に参加した事があるとか,アンソニーが少年の時ロスアンジェルスに移っています。 17歳の時に言語障害を矯正するために,舌の手術を受け,この時のリハビリテーシヨンで,演劇に興味を持つ様になったそうな。 セシル B デミル監督の「平原児」(36)にインデイアンの役で出演,翌年,デミルの養女キャサリンと結婚。 しかし妻の父からは大した役をもらえなかったと言う皮肉がつきます。 エリア カザンの「革命児サパタ」(52)でマーロン ブランドと共演,アカデミー賞助演男優賞を得ます。 54年にはイタリアに渡り,フェデリコ フェリーニの「道」(54)にフェリーニの妻ジュリエッタ マシーナと共演,ここからクインは国際的スターに。 正直なところ,この映画は私めの好きなタイプでなく,2度と見たくないと言うほとんど食べず嫌いの偏見を持っています。 「炎の人ゴッホ」(56)ではカーク ダグラスのゴッホに対して,クインはゴーギャンを熱演。2度目のアカデミー賞助演演技賞を獲ります。 「ノートルダムのせむし男」(57)の世にも美しいジーナ ロロブリジタを慕うカジモドの役は誠に醜く,悪夢に出て来るような恐ろしい存在で,少女の私めは,大好きなロロブリジタだけを見て,クインが画面に出て来ると目をつむったものでした。 再び私めの嫌いな映画「その男 ゾルバ」(64)です。既にイタリア人,メキシコ人,アラブ人,ギリシャ人,エスキモーなどなど濃く,精力的な男性を演じる事にかけては,もう達人の域でした。 1990 「老人と海」 念頭から余り好きではないスターの事を書いてますが,やはりクインの圧倒的重量感には,凄まじいものがありますから。 この写真は「老人と海」(90)と言うテレビ映画の時のもので,当時クインは75歳。さすがの貫禄でしたが,お孫さんを連れてきたりで,多少,好々爺の傾向が見えました。 2001年6月3日ボストンで86歳の生涯を閉じてます。