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Showing posts from February, 2019

STEVEN SPIELBERG 2019

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STEVEN  SPIELBERG   2019 スティーヴン スピルバーグ監督に「シンドラーのリスト」(94)でワン オン ワン のインタヴューをした時の 記事が25年ぶりに「フィルム メーカーズ」 期待の映像作家シリーズ 第18巻 宮帯出版社 に掲載されてます。 本屋さんかアマゾンでどーぞ。 連絡があった時 キネマ旬報にこんな昔から書いていたのだな!と懐かしく思い出しました。 ユニバーサル スタジオ でのインタヴューの様子を今もはっきりと覚えていますが、これが最初のインタヴューではなかったはず。 はじめてのインタヴューは1985年の「カラー パープル」COLOR PURPLE でした。 うわ~、34年も前なのですね。 今、彼は「ウエスト サイド物語」(19)WESTSIDE STORY を監督中。あの1961年の同題の衝撃のミュージカルのリメークだそうですが、オリジナルの映画で情熱たぎる青春を大いに共鳴した世代としては、何となく不満です。 古典となった名画をリメークして成功した話をまず聞きませんし、ジョージ チャキリス や ナタリー ウッドのイメージが強すぎて若手俳優が取って代わると言う設定に抵抗してしまいますもの。 今も矍鑠としているリタ モレノが特別出演するそうで アンセル エルゴートとレイチェル ゼブラーが、トニー とマリアを演じるとか。 少し前に書いたスピルバーグのページをまた載せましょう。 2017  「ペンタゴン ペーパーズ」の時。 2015「ブリッジ オブ スパイ」 1961 リチャード ベイマー と ナタリー ウッド ジョージ チャキリス と ナタリー ウッド Sunday, January 24, 2016 STEVEN SPIELBERG STEVEN   SPIELBERG 独断と偏見のアングルで、しかし大量の愛情を込めてスターのことを書くのが、このブログの基本なのですが、今回は今では押しも押される巨匠となったステーヴン スピルバーグについての思い出をちょっと紹介しましょう。 初めて会ったのはおそらく「レイダース」(81)の頃だと思いますが、当時はまだ、夢だった映画作りを現実に手にしての情熱と少年ぽ

JODIE COMER

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JODIE  COMER ジョデイー コーマー, 今、最も輝いている新人女優、英国はリヴァプール生まれ、人気テレビシリーズ「キリング イヴ」KILLING EVE で、謎の美人殺人鬼を怪演中、私の目下のご贔屓であります。 2018年にスタートした「キリング。。」はアジア人女優のサンドラ オーが英国情報機関MI-6 のエージェントになってヨーロッパで活躍という「アジア人女性のスパイ」が注目されましたが、その敵になるヴィラネールという女性がセクシーで、若々しく、とんでもない手段で殺人を平然と、と言うより、楽しんで行うという行為があまりにショッキングで、面白く、すっかり主役を食ってしまっています。 そして実際にジョデイーに会ってみたら、その純情さと素直さ、25歳になってもまだ両親と一緒に住んでいるのが嬉しくてならない という甘ったれの子供っぽさにすっかり魅せられてしまいました。両親と同居ですからもちろん、ステデイーな恋人もまだ居ない様子。 スクリーンの上で見せる仰天の悪行と恐ろしい表情とのコントラストにもびっくり。 演技の方も豪快で、先日はパスタをグロテスクに食べるシーンで太いパスタが喉に詰まって危ういところで窒息死しそうだったとか。駆けつけた救急隊に一命を得たと言います。注意深くしようとか、綺麗に見せようといった意識のない、ストレートで大胆な体当たり演技がまたスクリーンにも反映しています。 1993年3月11日、リヴァプールに、フォード自動車会社からスポーツマッサージ業に転向した父上と公共交通機関に勤める母親という、典型的ブルーカラーの家庭に育ち、高校時代に演技力を認められ、エージェントを雇ってテレビなどに出るようになったという見事にシンプルな生い立ち。 リヴァプール人は「スコウサーズ」Scousers と呼ばれて独特のアクセントや習慣を持っているために英国でも一目置かれているそう。もちろん「ビートルズ」が生まれた場所ですから、世界中からのファンが今だに引きも切らずに訪れて、観光バスに乗るとビートルズの歌をみんなで合唱するとか。 「ビートルズ」全盛時代に生きてみたかった。でもリヴァプールって言うと誰もがすぐにビートルズって反応するから嬉しいわよね。街中に記念物が散らばっているからわざわざ 訪れたりしないけれど。 両親と暮らしているのはそれが一

TYROLEAN ALPS & TONI SAILER FEB 2019

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TYROLEAN  ALPS  & TONI SAILER            FEB  2019 オーストリアのインスブルックからロンドンへの飛行機は無愛想なサービスで知られるブリティッシュ エアー。 お水さえも有料で、フライト アッテンダントはつんつんしている輩が多く、どこの国から離陸しても英語のみのアナウンス(例えばオーストリア発だと普通はドイツ語の説明も付けます)、大英帝国の傲慢さが垣間見えます。 機上からのアルプスの眺めは絶品、晴れた空がバックですとどこを撮影してもカレンダーか絵葉書っぽくなりますが本当に綺麗でした。 窓から撮った怠慢なショットですが思い出のためにも載せてみます。 オーストリアのチロル地方では色々なところに「トニー ザイラー」TONI  SAILER  と書いてあるお店を見かけました。 おそらくカフェでしょう。 あのスキー選手出身の美男俳優は日本でも人気があって、私もよく覚えています。 「ブリッツ フロム クリッツ)BRITZ FROM KRITS  (クリッツの稲妻)と呼ばれたように、チロル地方のクリッツビュール KRITZBUHEL  に 1935年11月17日に生まれ、2009年8月24日 ガンのためにインスブルックで亡くなりました。 トニー ザイラー。ちょっとトム クルーズに似ています スキー選手を引退した後、1959年の「12人の娘と一人の男」、61年の「オン シン アイス)(薄い氷の上で)などなど、青春スポーツロマン映画でスクリーンを飾っていました。 古き良き時代の懐かしい 健康的でハンサムなスターです。 1971「オン シン アイス」 可愛らしい現役時代のトニー ザイラー。 飛行機からのアルプス インスブルック空港 空港で買ったスイスのアイステイー、マリファナ入り!

ISCHGL AUSTRIA # 3

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ISCHGL  AUSTRIA  # 3 イシュグル3日目は自由行動の日。ヨーロッパ人はほとんどスキーが上手なので1日中ゲレンデで滑ってましたが (中級か上級以外はだめ、という急降下にして、長ーいコースばかり。かなりの人がスイスの国境まで滑っていったのです) 北ドイツ生まれでもハンスはスキーは全く駄目で、二人で近所を散策しました。 お土産屋とスポーツ用品店ばかりの街に時々高級ブテイックや、宝石屋があるのはリッチな人々の気まぐれショッピングのためでしょうか。 雪に埋もれた墓地には、金と黒の豪華な飾りがついたお墓があってとても綺麗でしたし、教会の中の聖壇やステンドグラスなども立派なものでした。 何しろ、雪や氷が道に残っているので緩やかな坂でもけっこう滑って危険なのでいつものようにずんずんと歩けません。 ハムとチーズのトーストサンドウイッチとビールの昼食を取ってからホテルにあるプールへ。 リゾートホテルの温水プールにはよくあるジャクジのジェット流や肩のマッサージ用の滝のような水が上から噴出する装置がついていて、大いに利用して、周りにあるサウナ、ステイームルーム、アロマ セラピールーム などなどに出たり入ったり。 部屋に戻ってゆっくりしてから予約しておいたチーズ フォンデューを美味しくロゼ ワイン と典型的チロルのお料理を堪能したのでした。ちぎったパンの量とチーズの量が合わないと言うか、あまりにチーズを食べすぎたせいか、お鍋が空っぽになってしまい もう少しチーズだけ追加しようと思ったのですがデザートで補強と合意して、やはりローカル名物のかなりカロリーが高い、バターが豊かに香るカイザー シュマ ーム Kaiserschmarm を頂きました。 明日はロンドンに飛ぶので、スノーシューズなどかさ張る物を何とか詰めてのパッキングの夜です。 イシュグルの街の真ん中にあるキリスト像。 雪に埋もれた墓地。華やかな飾りが素敵でした。 可愛らしい教会 教会の黄色とマッチ?したセーター。 教会の中。お墓の飾りと似たデコレーションです。 戦没者の碑 カイザーシュマーレン 前日に昼食を食べたゾーン レストラン 前っ実に夕食を食べた ストーヴァ