SOFIA BULGARIA IN SNOW MARCH 5 AND 6 2015
SOFIA BULGARIA IN SNOW 3/5 to 3/6 2015
3月4日ソフィア到着。乗り換えのミュンヘンもソフィアも雪で真っ白。
タクシーがこれ又おんぼろで,エンジンがしょっちゅう止まって,雪のぬかるみを滑るわ,他の車にぶつかりそうになるわ,で疲れた上によけいなストレスを貰って,新しいというセンス ホテル (SENSE HOTEL ) へ到着しました。
目の前がピンクの壁がエレガントなオーストリア大使館,横がイタリー大使館,その後ろにかの有名のアアレキサンダー ネフスキー大聖堂の金色のドームがそびえているという素晴らしいロケーションです。ホテルはハイテック系で,モノトーンのインテリアが寒さを倍増しますが夏には最高の広いテラスが部屋の外に付いてます。
古い町の古いホテルの数世紀の埃を吸ったような厚い絨毯やカーテンや金箔,尊大で慇懃無礼なフロントなどを敬遠して,若いスタッフが張り切る新しいホテルの方が清潔で,気が楽なのです。
この町には大きな交差点でさえ余り信号がなく(!)、渡るのは運転手の好意にすがるという,我々には至極危険なもので,雪で滑る上に,好意を示す運転手は余り無いと言うひどい状態です。
お金を獲るガイドが道を渡る手伝いをするエジプトのアレキサンドリアの殺人的な交通やバンコックの信号無視運転とは違った状況で,観光客には困った問題でしょう。おまけに深夜を過ぎると全信号がストップし,ローレス タウン(無法地帯)となるのですって!
夜は、近くのペクトパ(PECTOPAH)と言うレストランに行き,わたくしはガーリック ビーフ,ハンスはポーク ネックと肉肉しく,しつこそうなデイッシュを注文,ウェイター達はたどたどしい英語しか話しません。
一口食べて,わたくしは直ぐに紙ナプキンに戻しました。何とビーフレバーだったのです。レバーが大嫌いな上に,アブラっぽくて,中がレアではありませんか! 英語版メニューには「ガーリック ビーフ」としか書いてなく,レバーなどという説明はゼロ,でも出て来たときは黒光りして,韓国バーベキューのブルゴギの様においしそうでした。
でも付け合わせのポテトやサラダがおいしかったので、まあ半分満足。
ポークネックは豚の首で、これが又、ソーセージのような外見に凄い油っぽさのお肉でハンスも半分でダウン。ふたりで地元のピルゼン系ビールで口を濯ぎます。
食後のドリンクはラキア(RAKIA)と言う葡萄が元の、強いシュナップスでハンスはごくごくと楽しんでいました。
そして翌朝の6日,外の世界は真っ白。ホテルの窓から大聖堂が白衣をまとって立っていました。
朝は雪だらけでさらに巨大になったむく犬に出会いました。これは飼い犬ですが野良犬が多くて,おとなしいですが触っては駄目とあります。濡れて汚くて,とても触りたくはありませんが路上でけんかをしていた2匹を獲ろうとしたら,カメラを見てポーズなどするのでした。
映画祭の会場をやっと探して訪ねるとまだ準備が出来てなくて,映画のセットのように古い家具が置いてある部屋は空っぽ,学生アルバイトのような係員は全く悪びれずに,明日戻って来て,なんて言います。会場の外には茶色く古ぼけた映画祭の上りがあって、ここでこの行事のスケールをまず知りました。昨日からスタートした筈なのにこの有様ですが予算が低い映画祭になれているので,文句など言いません。台湾では全く会話が通じなくて,すったもんだしましたし,何処か忘れましたが1度も映画を見なかったところもあります。最もこれは場所が楽しくて,3年前の映画やレトロスペクト(思い出の名画集)とか字幕がない映画を見る気にならなかったせいもありますが。
さっき映画祭のゲストサービス(と言う部門があるのだ!)から電話があって,パスの用意が出来ましたと。やれやれ又明日、車を警戒して,雪の道を歩いて行かねば。
外に行くのが億劫にしておっかなく,テレビはつまらないので、ブログなどに時間をさいている,何となく勿体ない時間を過ごしています。
3月4日ソフィア到着。乗り換えのミュンヘンもソフィアも雪で真っ白。
タクシーがこれ又おんぼろで,エンジンがしょっちゅう止まって,雪のぬかるみを滑るわ,他の車にぶつかりそうになるわ,で疲れた上によけいなストレスを貰って,新しいというセンス ホテル (SENSE HOTEL ) へ到着しました。
目の前がピンクの壁がエレガントなオーストリア大使館,横がイタリー大使館,その後ろにかの有名のアアレキサンダー ネフスキー大聖堂の金色のドームがそびえているという素晴らしいロケーションです。ホテルはハイテック系で,モノトーンのインテリアが寒さを倍増しますが夏には最高の広いテラスが部屋の外に付いてます。
古い町の古いホテルの数世紀の埃を吸ったような厚い絨毯やカーテンや金箔,尊大で慇懃無礼なフロントなどを敬遠して,若いスタッフが張り切る新しいホテルの方が清潔で,気が楽なのです。
この町には大きな交差点でさえ余り信号がなく(!)、渡るのは運転手の好意にすがるという,我々には至極危険なもので,雪で滑る上に,好意を示す運転手は余り無いと言うひどい状態です。
お金を獲るガイドが道を渡る手伝いをするエジプトのアレキサンドリアの殺人的な交通やバンコックの信号無視運転とは違った状況で,観光客には困った問題でしょう。おまけに深夜を過ぎると全信号がストップし,ローレス タウン(無法地帯)となるのですって!
夜は、近くのペクトパ(PECTOPAH)と言うレストランに行き,わたくしはガーリック ビーフ,ハンスはポーク ネックと肉肉しく,しつこそうなデイッシュを注文,ウェイター達はたどたどしい英語しか話しません。
一口食べて,わたくしは直ぐに紙ナプキンに戻しました。何とビーフレバーだったのです。レバーが大嫌いな上に,アブラっぽくて,中がレアではありませんか! 英語版メニューには「ガーリック ビーフ」としか書いてなく,レバーなどという説明はゼロ,でも出て来たときは黒光りして,韓国バーベキューのブルゴギの様においしそうでした。
でも付け合わせのポテトやサラダがおいしかったので、まあ半分満足。
ポークネックは豚の首で、これが又、ソーセージのような外見に凄い油っぽさのお肉でハンスも半分でダウン。ふたりで地元のピルゼン系ビールで口を濯ぎます。
食後のドリンクはラキア(RAKIA)と言う葡萄が元の、強いシュナップスでハンスはごくごくと楽しんでいました。
そして翌朝の6日,外の世界は真っ白。ホテルの窓から大聖堂が白衣をまとって立っていました。
朝は雪だらけでさらに巨大になったむく犬に出会いました。これは飼い犬ですが野良犬が多くて,おとなしいですが触っては駄目とあります。濡れて汚くて,とても触りたくはありませんが路上でけんかをしていた2匹を獲ろうとしたら,カメラを見てポーズなどするのでした。
映画祭の会場をやっと探して訪ねるとまだ準備が出来てなくて,映画のセットのように古い家具が置いてある部屋は空っぽ,学生アルバイトのような係員は全く悪びれずに,明日戻って来て,なんて言います。会場の外には茶色く古ぼけた映画祭の上りがあって、ここでこの行事のスケールをまず知りました。昨日からスタートした筈なのにこの有様ですが予算が低い映画祭になれているので,文句など言いません。台湾では全く会話が通じなくて,すったもんだしましたし,何処か忘れましたが1度も映画を見なかったところもあります。最もこれは場所が楽しくて,3年前の映画やレトロスペクト(思い出の名画集)とか字幕がない映画を見る気にならなかったせいもありますが。
さっき映画祭のゲストサービス(と言う部門があるのだ!)から電話があって,パスの用意が出来ましたと。やれやれ又明日、車を警戒して,雪の道を歩いて行かねば。
外に行くのが億劫にしておっかなく,テレビはつまらないので、ブログなどに時間をさいている,何となく勿体ない時間を過ごしています。
午前7時のホテルの部屋からの眺め |
ホテルの部屋からの違う角度の眺め |
映画祭の会場 |
映画祭の会場 |
ホテルの近くの公園の像 |
交通整理用見張り台 |
アレキザンダー ネフスキー大聖堂 |
大聖堂の内側から前庭を見る。 |
ご存知ゴミ箱 |
お金持ちそうな奥方のむく犬 |
信号がほとんど無い町で渡るのに一苦労します。 |
ホテルの横の公園 鹿は銅像です。 |
到着してしてタクシーの窓から見た大将の像。 |
豚首肉 これが2個あったのです! |
牛レバー。これはハンスが1枚食べたあと。 |
ポーズをする野良犬 |
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