WILL SMITH 2015
WILL SMITH 2015
何時もおふざけっぽい,ガキっぽかったウイル スミスも もう47歳!オスカー候補確定の「コンクッション」(15)では耳を後ろに引っぱり、付け鼻におでこにも肉付けをしてのメークで仰天の面変わりに加えて、ナイジェリア出身の実在の医師と言う役の為に,微妙なアクセントもしっかり練習して、ほとんど別人の様な登場を見せています。
グーグー ムバサ ロウのページで少し触れましたが、ナイジェリア生まれのベネット オマル(覚えやすい名前です)はピッツバーグの解剖医として尊敬を受けてますが,死体に向かって話しかけたり、疑問点が出ると長い時間をかけて執念深く検査をするので上司からは煙たがられています。
ピッツバーグ ステイーラーズ(プロフットボール団)の選手が数人続けて脳震盪の後の精神状態がおかしい事、自殺した選手の脳を調べると組織にダメージがあること、などを発見。これを医学ジャーナルに報告するのですが,アメリカ ナンバーワンの娯楽スポーツ,アメリカン フットボールの組織、NFLがすぐにもみ消しにかかります。
ダヴィデとゴライアスの戦いに例えられた一介の医師と強力な組織のバトルが展開するのですが、アメリカの恐さをあまり分かってないナイジェリア人のオマル医師は平然と向かって行く、その姿勢が頼もしいやら、おかしいやら,可愛そうやらと言う感情を誘発して、それをウイルがていねいに演じています。
会見に現れたウイルは上機嫌で,久しぶりの力を込めた役作りに満足している様子。最近は息子の映画入りに親馬鹿ぶりを見せたり,何かというと離婚近しと騒がれたり、主演作も余りヒットしなかったので、余計、朗らかで嬉しそうでした。
「教育こそ全てだよね。オマル医師も高等教育をナイジェリアとアメリカで充分に受けたからこそ,あれだけの自信と信念を持っていたのだと思う。僕の父は空軍にいて,母は州の教育理事会の役員だったから、僕が大学に行かないと言った時,もの凄く失望していた。毋などなかなか立ち直れない程だった。私立の学校に通って,数学も理科も良い成績だったし,母が理事をしていた事、僕のマイナリテイーのアドバンテージを考慮に入れるとMITの模擬試験でも、結構良い点を取ったから,入れたと思う。だから僕の略歴にMITに受かったなんて書いてあるようだが,それは間違い。
毋は躾けに厳しくて、うちでは完全なセンテンスの英語の会話しかしてはいけないんだ。東部の上流社会だって,あんな風にものを言わないだろうけれど、うちではそれが掟だった。だから外に行って思う存分悪態をついて,それがラップ音楽に発展したという,母にとっては思いもかけない僕の出世ポイントとなってしまった」
といたずらっ子の表情が可愛いのでした。
「息子が今フットボールを始めたから父親としてはかなり複雑な心境でこの役に取り組んだね。全米中の親たちがこの映画を見て,あらためて格闘スポーツの恐さを感じるだろう。アメリカン フットボールは防具をしっかり身に付けている為に、かえって複雑な負傷が多いと言うのも分かるよね。
同じように体当たりするラグビーやサッカーはパッド無しのためによりシンプルな怪我が多いそうだし。
脳のダメージは本人ももちろんだが何よりも家族が辛い思いをしてしまうからね」
と真面目な話になるとさすがに47歳の責任に溢れた父親の顔になるのでした。
ウイルの初期の当たり役「私に近い6人の他人」(93)(原題は、SIX DEGREES OF SEPARATION)は母親にエリートの文化教育をされた彼の本量が発揮されています。マンハッタンのハイソの家に突然現れて「財布をすられて一文無しですが,実は僕はおたくの息子さんとハーバードで同級なのです。明日父のシドニー ポアテイエの講演に出ないと。ご一緒に出席しますか?」
などと言ってハイソの夫婦は最初は疑ってかかるのですが,余りに彼の仕草や話の内容が的確な為に同情し始めるという舞台劇で成功した洒落たドラマでした。ペテン師なのか、本物なのか、その辺りの駆け引きを若いウイルがとびきり初々しく上手に演じています。
1968年9月25日ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ、97年に再婚した女優ジェーダ ピンケット スミスとの間に1男1女(既にふたりともタレントとして活動中)と言う絵に描いたようにハリウッドで成功した完全に近い
芸能ファミリーの家長の役をしっかりと操縦しています。
93年から目近にウイルを見てきましたが,スマートで笑いの価値を心得た楽しいスターです。
ツーショットもたくさんあるのですが,怠慢故に何処かにほったらかしてあります。
中年なって,更に渋みが出て、磨きがかかってきました。これからの彼の挑戦が楽しみです。
何時もおふざけっぽい,ガキっぽかったウイル スミスも もう47歳!オスカー候補確定の「コンクッション」(15)では耳を後ろに引っぱり、付け鼻におでこにも肉付けをしてのメークで仰天の面変わりに加えて、ナイジェリア出身の実在の医師と言う役の為に,微妙なアクセントもしっかり練習して、ほとんど別人の様な登場を見せています。
グーグー ムバサ ロウのページで少し触れましたが、ナイジェリア生まれのベネット オマル(覚えやすい名前です)はピッツバーグの解剖医として尊敬を受けてますが,死体に向かって話しかけたり、疑問点が出ると長い時間をかけて執念深く検査をするので上司からは煙たがられています。
ピッツバーグ ステイーラーズ(プロフットボール団)の選手が数人続けて脳震盪の後の精神状態がおかしい事、自殺した選手の脳を調べると組織にダメージがあること、などを発見。これを医学ジャーナルに報告するのですが,アメリカ ナンバーワンの娯楽スポーツ,アメリカン フットボールの組織、NFLがすぐにもみ消しにかかります。
ダヴィデとゴライアスの戦いに例えられた一介の医師と強力な組織のバトルが展開するのですが、アメリカの恐さをあまり分かってないナイジェリア人のオマル医師は平然と向かって行く、その姿勢が頼もしいやら、おかしいやら,可愛そうやらと言う感情を誘発して、それをウイルがていねいに演じています。
会見に現れたウイルは上機嫌で,久しぶりの力を込めた役作りに満足している様子。最近は息子の映画入りに親馬鹿ぶりを見せたり,何かというと離婚近しと騒がれたり、主演作も余りヒットしなかったので、余計、朗らかで嬉しそうでした。
「教育こそ全てだよね。オマル医師も高等教育をナイジェリアとアメリカで充分に受けたからこそ,あれだけの自信と信念を持っていたのだと思う。僕の父は空軍にいて,母は州の教育理事会の役員だったから、僕が大学に行かないと言った時,もの凄く失望していた。毋などなかなか立ち直れない程だった。私立の学校に通って,数学も理科も良い成績だったし,母が理事をしていた事、僕のマイナリテイーのアドバンテージを考慮に入れるとMITの模擬試験でも、結構良い点を取ったから,入れたと思う。だから僕の略歴にMITに受かったなんて書いてあるようだが,それは間違い。
毋は躾けに厳しくて、うちでは完全なセンテンスの英語の会話しかしてはいけないんだ。東部の上流社会だって,あんな風にものを言わないだろうけれど、うちではそれが掟だった。だから外に行って思う存分悪態をついて,それがラップ音楽に発展したという,母にとっては思いもかけない僕の出世ポイントとなってしまった」
といたずらっ子の表情が可愛いのでした。
「息子が今フットボールを始めたから父親としてはかなり複雑な心境でこの役に取り組んだね。全米中の親たちがこの映画を見て,あらためて格闘スポーツの恐さを感じるだろう。アメリカン フットボールは防具をしっかり身に付けている為に、かえって複雑な負傷が多いと言うのも分かるよね。
同じように体当たりするラグビーやサッカーはパッド無しのためによりシンプルな怪我が多いそうだし。
脳のダメージは本人ももちろんだが何よりも家族が辛い思いをしてしまうからね」
と真面目な話になるとさすがに47歳の責任に溢れた父親の顔になるのでした。
ウイルの初期の当たり役「私に近い6人の他人」(93)(原題は、SIX DEGREES OF SEPARATION)は母親にエリートの文化教育をされた彼の本量が発揮されています。マンハッタンのハイソの家に突然現れて「財布をすられて一文無しですが,実は僕はおたくの息子さんとハーバードで同級なのです。明日父のシドニー ポアテイエの講演に出ないと。ご一緒に出席しますか?」
などと言ってハイソの夫婦は最初は疑ってかかるのですが,余りに彼の仕草や話の内容が的確な為に同情し始めるという舞台劇で成功した洒落たドラマでした。ペテン師なのか、本物なのか、その辺りの駆け引きを若いウイルがとびきり初々しく上手に演じています。
1968年9月25日ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ、97年に再婚した女優ジェーダ ピンケット スミスとの間に1男1女(既にふたりともタレントとして活動中)と言う絵に描いたようにハリウッドで成功した完全に近い
芸能ファミリーの家長の役をしっかりと操縦しています。
93年から目近にウイルを見てきましたが,スマートで笑いの価値を心得た楽しいスターです。
ツーショットもたくさんあるのですが,怠慢故に何処かにほったらかしてあります。
中年なって,更に渋みが出て、磨きがかかってきました。これからの彼の挑戦が楽しみです。
2015 実物のベネット オマル 医師 |
2015 CONCUSSION |
2015 CONCUSSION with Gugu Mbatha_Raw |
2006 「幸せのちから」 |
1993「私に近い6人の他人」ドナルド サザーランドとストッカード チャニング |
1993「私に近い..」へザー グラムとエリック タル |
2015「コンクッション」 |
2001「アリ」 |
1997「メン イン ブラック」 |
Comments
Post a Comment