JUDY DAVIS
内気そうでいて、内面に強靭な意志を持つ女性を演じたらぴかいちのジュデイ デイヴィスは私めの大好きな女優の一人です。
「わが青春の輝き」(「マイ ブリリアント キャリアー」)(79)はジュデイが最初から最後迄,ピカピカ光ってます。金持ちの子息と結婚する筈で,彼を愛しているにもかかわらず,無学な家庭の家庭教師になって,独立精神を貫くと言うストリーは,若い女性必見の心が弾み,勇気が湧いて来る映画です。
おまけにこの子息を若くて,細身のサム ニールが健気に演じているのですから。原作はマイルス フランケン,監督はジリアン アームストロング,共演のヘレン 伯母さんをウェンデイー ヒューズとオーストラリアの才能が一挙に集まった美しい画面の作品。24歳のジュデイーは,若々しく,知性にあふれ,華奢な体に,巨大な信念を持つシビラを彼女になりきって演じて,色々な賞の候補になりました。
1955年4月23日,オーストラリアはパースに,1831年に英国からパースに移住した家族の子孫を両親に持ち,強いカトリック信者の両親はジュデイーを修道院に送ります。押し付けられるのが大嫌いな彼女はすぐに退学して,ロックバンドに入り,アジアを巡業したとか。
女優を志したジュデイーはシドニーの演劇アカデミーに入学して、メル ギブソンと同級生になり,二人で「ロミオとジュリエット」を演じたそうで,このビデオが残っていたら是非見たいものです。
ギブソンを始め回りの映画人仲間と組んでこの後,オーストラリアに「新しい波」を巻き起こしたのも彼女の新しいものへの挑戦のスピリットの現れでしょう。
「インドへの道」(「ア パッセイジ ツー インデイア」)(84)の主役を可憐に演じて,最初のオスカー主演女優賞にノミネートされました。この映画は巨匠,デヴィッド リーンの遺作となってしまいました。
「優秀な監督は得てして,殺人者のような本能を持っている。彼らの目的を遂げる為に私たちは,刺だらけの荒野を裸足で行進するのよ」
とコメントしたりしてますが,果たしてリーンの事でしょうか?
「即興曲 愛欲の旋律」(「アンプロンプチュ」)ではヒュー グラントのショパンのパートナー(?)になる男装の麗人,ジョルジュ サンドの役をエレガントに,デカダントに,スタイリッシュに演じています。
彼女自身165センチの小柄で,絶対に日焼け出来ないとこぼしている,真っ白でチョークのような肌を持っているので,こう言うエキセントリックな役をすると,体内からちょっぴり,病的な雰囲気がにじみ出て来て相乗効果が出て来るのです。
1984年にスコットランド生まれ,オーストラリア育ちの俳優,コリン フリールスと結婚,二人の子供が居て,時どき共演したり,舞台を手がけたりしていますが,夫の暴力沙汰がニユースになったりもして,結構ドラマに溢れているようです。
90年の「シェルタリング スカイ」に是非出たいと努力したようですが,残念,デブラ ウィンガーが役を獲得。
しかし91年には「裸のランチ」(「ネイケッド ランチ」)と「バートン フィンク」と言う2本のオリジナルにして,斬新な映画に出ています。
ウッデイー アレンと妙に息があって「夫たち 妻たち「(「ハズバンズ アンド ワイヴズ」)(92)では2度目のオスカー賞候補に,「地球は女で回っている」(「デコンストラクシヨン ハリー」)(97),最近では「ローマでアモール」(2012)などなど、神経質な妻役,恐妻役などアレンと波長の合ったコンビを見せてます。
「オスカー賞に出席するのはシンデレラみたいなものね。期待に胸を膨らませて,王子様に会って,12時になったら夢の中のように何もかもが無くなってしまうような」
と白状するジュデイーはインタヴユー嫌いとしても知られています。
「もともと恥ずかしがりやだった私は役があればその下に隠れて,自由奔放に動けるけれど,自分自身をさらけ出すなんてとんでもない。それに誰がこの退屈な私の事を知りたがるの!自分の事ばかり話すなんて、とんでもありません」
「ジュデイー ガーランド物語」(「ザ ライフ オブ ジュデイー ガーランド」)(01)での主役と「ザ レーガンズ」(03)ではレーガン大統領夫人のナンシーを演じて,それぞれエミー賞などにノミネートされました。
彼女こそ,最も過小評価されている女優の一人ではないかと信じています。
新しいところでは 「THE SURREALIST 」と 「THE YOUNG AND PRODIGIOUS SPIVET」が共に2014年に公開されるとか。
内気そうでいて、内面に強靭な意志を持つ女性を演じたらぴかいちのジュデイ デイヴィスは私めの大好きな女優の一人です。
「わが青春の輝き」(「マイ ブリリアント キャリアー」)(79)はジュデイが最初から最後迄,ピカピカ光ってます。金持ちの子息と結婚する筈で,彼を愛しているにもかかわらず,無学な家庭の家庭教師になって,独立精神を貫くと言うストリーは,若い女性必見の心が弾み,勇気が湧いて来る映画です。
1991ごろ |
1955年4月23日,オーストラリアはパースに,1831年に英国からパースに移住した家族の子孫を両親に持ち,強いカトリック信者の両親はジュデイーを修道院に送ります。押し付けられるのが大嫌いな彼女はすぐに退学して,ロックバンドに入り,アジアを巡業したとか。
女優を志したジュデイーはシドニーの演劇アカデミーに入学して、メル ギブソンと同級生になり,二人で「ロミオとジュリエット」を演じたそうで,このビデオが残っていたら是非見たいものです。
ギブソンを始め回りの映画人仲間と組んでこの後,オーストラリアに「新しい波」を巻き起こしたのも彼女の新しいものへの挑戦のスピリットの現れでしょう。
「インドへの道」(「ア パッセイジ ツー インデイア」)(84)の主役を可憐に演じて,最初のオスカー主演女優賞にノミネートされました。この映画は巨匠,デヴィッド リーンの遺作となってしまいました。
「優秀な監督は得てして,殺人者のような本能を持っている。彼らの目的を遂げる為に私たちは,刺だらけの荒野を裸足で行進するのよ」
とコメントしたりしてますが,果たしてリーンの事でしょうか?
「即興曲 愛欲の旋律」(「アンプロンプチュ」)ではヒュー グラントのショパンのパートナー(?)になる男装の麗人,ジョルジュ サンドの役をエレガントに,デカダントに,スタイリッシュに演じています。
彼女自身165センチの小柄で,絶対に日焼け出来ないとこぼしている,真っ白でチョークのような肌を持っているので,こう言うエキセントリックな役をすると,体内からちょっぴり,病的な雰囲気がにじみ出て来て相乗効果が出て来るのです。
1984年にスコットランド生まれ,オーストラリア育ちの俳優,コリン フリールスと結婚,二人の子供が居て,時どき共演したり,舞台を手がけたりしていますが,夫の暴力沙汰がニユースになったりもして,結構ドラマに溢れているようです。
90年の「シェルタリング スカイ」に是非出たいと努力したようですが,残念,デブラ ウィンガーが役を獲得。
しかし91年には「裸のランチ」(「ネイケッド ランチ」)と「バートン フィンク」と言う2本のオリジナルにして,斬新な映画に出ています。
ウッデイー アレンと妙に息があって「夫たち 妻たち「(「ハズバンズ アンド ワイヴズ」)(92)では2度目のオスカー賞候補に,「地球は女で回っている」(「デコンストラクシヨン ハリー」)(97),最近では「ローマでアモール」(2012)などなど、神経質な妻役,恐妻役などアレンと波長の合ったコンビを見せてます。
「オスカー賞に出席するのはシンデレラみたいなものね。期待に胸を膨らませて,王子様に会って,12時になったら夢の中のように何もかもが無くなってしまうような」
と白状するジュデイーはインタヴユー嫌いとしても知られています。
「もともと恥ずかしがりやだった私は役があればその下に隠れて,自由奔放に動けるけれど,自分自身をさらけ出すなんてとんでもない。それに誰がこの退屈な私の事を知りたがるの!自分の事ばかり話すなんて、とんでもありません」
「ジュデイー ガーランド物語」(「ザ ライフ オブ ジュデイー ガーランド」)(01)での主役と「ザ レーガンズ」(03)ではレーガン大統領夫人のナンシーを演じて,それぞれエミー賞などにノミネートされました。
彼女こそ,最も過小評価されている女優の一人ではないかと信じています。
新しいところでは 「THE SURREALIST 」と 「THE YOUNG AND PRODIGIOUS SPIVET」が共に2014年に公開されるとか。
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