JENNIFER BEALS
JENNIFER BEALS
「フラッシュ ダンス」(83)でしなやかな体と感性のある細い顔立ちに長い黒髪で憑かれたように踊るジェニファー ビールスはこの役で一挙にスターに。
実際に踊ったのは,ジェニファーの体に似ている数人のプロのダンサーで,彼女自身はアップの時や止まったポーズの時しかダンスの場面では出てないと言うのも映画ならではの魔法のトリックです。
初めて彼女に会ったのは「バンパイア キス」(89)と言うニコラス ケージが吸血鬼に噛まれたと騒ぐ映画で,ケージのパーフォーマンスが余りにもオーバーなため,当人が実際に噛まれたのではないか、とジョークになったりもしました。ジェニファーは当時25歳,小麦色の肌と大きな瞳がエキゾテイックで,柳のようにひょろりとした体も,どこか、はかなげでセクシーでした。
1963年12月19日 イリノイ州のシカゴ生まれ,父親は黒人のスーパーマーケットの経営者,母親はアイリッシュ系の小学校の先生で,ジエニファーは「バイレイシャル(2重人種ー混血)だった私は,白人でも黒人でもなく,孤立していつもアウトサイドにいました。でもそれが女優としての勇気と根性の源になったのかもしれません」
と白状しています。
優秀な成績で高校を出たジェニファーは名門のイエール大学の米国文学部へ。子供の時から女優になりたかった彼女は高校生の時タレントスカウトに見出され,まず「マイ ボデイーガード」(80)に小さな役で出て、大学1年の時に「フラッシュ ダンス」の主役を獲得。
86年にはインデイー系映画の監督,アレキサンダー ロックウエルと結婚,彼の作品「イン ザ スープ」(92)にはベテランのセイモア カーセルと共演。まだ新人のステーヴ ブセミが主演でした。
この時に週刊文春用にジェニファーとサンタモニカのコーヒーショップでワン オン ワンのインタヴユーをしたのですが,黒人の父親の事にはあまり触れたがりませんでした。
気さくで,優しい女性で,この時にお財布を忘れた私がレジで「後で払いに戻ってきます」「いや信用出来ない」などと言う問答をしているのを聞きつけて,自然にさりげなく払ってくれました。コーヒー代ですから大した事はありませんでしたが,そのさりげなさに大人の品格を感じたのです。
あまり物忘れをしないわたくしめのもっとも大きなハプニングでした。カメラなども持って行かなくては、とちょっと焦ったのですが,スターに払ってもらった良い想い出になりました。
その後も,「青いドレスの女」(95)や、テレビの「Lの世界」(04−09)で会見をしましたが,30歳を過ぎても,新鮮でつややかな姿勢を保って,気持ちの良いベテラン女優に。「L..」ではレズビアンの画廊のマネージャーを演じて,ゲイとレズに対しての公平で,優しいコメントを出しています。
「いつ竜巻や地震,津波や崖崩れが起こるか分からない時勢に,愛する相手と一緒になれない状況など間違っています。異性でも同性でも恋人と晴れて結婚する平等の機会を与えるべき。そしてお互いの愛を思う充分に分かち合えるように」
色々と写真がある筈なのですが,この「イン ザ スープ」からのグループショットが出てきましたので,まずはこれを載せます。
ロックウェル監督とは別れ,カナダ人の実業家と再婚,子供がひとり生まれています。彼女は写真家としても優れていて,時どき個展などが開かれるようです。
「フラッシュ ダンス」(83)でしなやかな体と感性のある細い顔立ちに長い黒髪で憑かれたように踊るジェニファー ビールスはこの役で一挙にスターに。
実際に踊ったのは,ジェニファーの体に似ている数人のプロのダンサーで,彼女自身はアップの時や止まったポーズの時しかダンスの場面では出てないと言うのも映画ならではの魔法のトリックです。
初めて彼女に会ったのは「バンパイア キス」(89)と言うニコラス ケージが吸血鬼に噛まれたと騒ぐ映画で,ケージのパーフォーマンスが余りにもオーバーなため,当人が実際に噛まれたのではないか、とジョークになったりもしました。ジェニファーは当時25歳,小麦色の肌と大きな瞳がエキゾテイックで,柳のようにひょろりとした体も,どこか、はかなげでセクシーでした。
1963年12月19日 イリノイ州のシカゴ生まれ,父親は黒人のスーパーマーケットの経営者,母親はアイリッシュ系の小学校の先生で,ジエニファーは「バイレイシャル(2重人種ー混血)だった私は,白人でも黒人でもなく,孤立していつもアウトサイドにいました。でもそれが女優としての勇気と根性の源になったのかもしれません」
と白状しています。
優秀な成績で高校を出たジェニファーは名門のイエール大学の米国文学部へ。子供の時から女優になりたかった彼女は高校生の時タレントスカウトに見出され,まず「マイ ボデイーガード」(80)に小さな役で出て、大学1年の時に「フラッシュ ダンス」の主役を獲得。
86年にはインデイー系映画の監督,アレキサンダー ロックウエルと結婚,彼の作品「イン ザ スープ」(92)にはベテランのセイモア カーセルと共演。まだ新人のステーヴ ブセミが主演でした。
この時に週刊文春用にジェニファーとサンタモニカのコーヒーショップでワン オン ワンのインタヴユーをしたのですが,黒人の父親の事にはあまり触れたがりませんでした。
気さくで,優しい女性で,この時にお財布を忘れた私がレジで「後で払いに戻ってきます」「いや信用出来ない」などと言う問答をしているのを聞きつけて,自然にさりげなく払ってくれました。コーヒー代ですから大した事はありませんでしたが,そのさりげなさに大人の品格を感じたのです。
あまり物忘れをしないわたくしめのもっとも大きなハプニングでした。カメラなども持って行かなくては、とちょっと焦ったのですが,スターに払ってもらった良い想い出になりました。
その後も,「青いドレスの女」(95)や、テレビの「Lの世界」(04−09)で会見をしましたが,30歳を過ぎても,新鮮でつややかな姿勢を保って,気持ちの良いベテラン女優に。「L..」ではレズビアンの画廊のマネージャーを演じて,ゲイとレズに対しての公平で,優しいコメントを出しています。
「いつ竜巻や地震,津波や崖崩れが起こるか分からない時勢に,愛する相手と一緒になれない状況など間違っています。異性でも同性でも恋人と晴れて結婚する平等の機会を与えるべき。そしてお互いの愛を思う充分に分かち合えるように」
色々と写真がある筈なのですが,この「イン ザ スープ」からのグループショットが出てきましたので,まずはこれを載せます。
ロックウェル監督とは別れ,カナダ人の実業家と再婚,子供がひとり生まれています。彼女は写真家としても優れていて,時どき個展などが開かれるようです。
1992 「イン ザ スープ」Seymour Cassel, J Beals, Alexandre Rockwell |
Comments
Post a Comment