RUPERT EVERETT HIS NEW BOOK
RUPERT EVERETT HIS NEW BOOK
今朝(11月19日)イタリアはトスカーナに滞在している ルパート エヴァレットとズーム トークをしました。
コロナ期だと言うのに、ロンドンやらフランス、イタリーを行ったり来たりしている様子、豪華な赤いソファに座って、背後には華麗なアンテイークの屏風、赤葡萄酒を飲みながらという相変わらずのデイレッタントな雰囲気に溢れています。
最近出版した著書、「世界の果てまで:オスカー ワイルドとの旅」TO THE END OF THE WORLD: TRAVELS WITH OSCAR WILDE を記念してのインタヴューですが、同時に、ポルノ業界を描いたTVシリーズ「アダルト マテリアルズ」ADULT MATERIAL にストレートな老人役で出演しているためのプロモーションも兼ねています。
以前はツンツンと尖っていたルパートですが61歳になって、ぐんと落ち着いて、包容力が出てきたロマンス グレイとなって、違う魅力が出てきました。
この日のハイライトは間もなく結婚のニュースを肯定したこと。
「うーむ。やっと結婚しても良いかなという気分になったのだがまずは彼にプロポーズしないと。結婚式はもちろん親しい仲間だけのごく小さな集まりになるだろう」
と相手が承諾する事に全く疑問を持ってないのもルパートらしい自信と態度です。
エンリケ ENRIQUE というフィアンセはブラジル人の会計士!年齢は20歳ぐらい下だそう。
犬を連れてヨーロッパをドライブしたり、ロンドンの母親に会いにクリスマスに戻り、すぐにブラジルに義理の家族に会いに行く、などコロナなど気にせずに旅行を続けている様子。
「ラッキーなことにプライベートジェットで旅行出来るから、あまりトラブルはないのだよ」
と流石にセレブならではのトラベル スタイルなのでした。
ルパートの最新著書 |
ルパート と オスカー ワイルド |
エンリケ と ルパート |
ルパートの母御:息子の同性愛は理解できても、感情的にはまだ難しいそうです。 |
大好きな英国俳優のルパート エヴェレットのこともこのブログに書いてないのを発見。
色々とマダラなワタクシの人選がよく分かります。
ルパートがカミングアウトしたのが89年、彼が30歳の時でした。
イアン マッケレン IAN MCKELLEN がカミングアウトしたのがその1年前の88年、イアンが49歳の時。
英国人俳優はかなりの数がアウトしていますが、ことアメリカになるとまだまだ安全を選択しているようです。
何が仰天したかって、若い頃に大好きで欠かさず観ていた
「ペリー メイソン」PERRY MASONや「アイアンサイド」IRONSIDE などのTVシリーズの主役で巨大な頭に巨大な体、ハンサムとは言え、おっかない顔で法廷を牛耳っていたレイモンド バー RAYMOND BURR (1917年3月21日−1993年9月12日)が実はゲイだったと言う衝撃の事実!!
あとになってゲイだったと発覚したロック ハドソン、
ROCK HUDSON タブ ハンター TAB HUNTER などがハンサムで、スリムだったせいか、ゲイは「キュートなタイプ」と勝手に考えていただけに、真実のバーには本当にびっくりしました。
もちろんあらゆるタイプの人々がゲイと知っているものの、
あのマッチョで、秘書のデラ ストリートと何となく、恋愛感情を交わし合う場面のほのかな性的魅力はホンモノと信じて疑いませんでした。
ルパートは後になって
「ゲイの同士よ!カミングアウトをしない方がハリウッドでは良いと思いだした。役が限られている危険があるし、まだまだ人々はゲイを大歓迎で迎える準備が出来てないから」
と警告を発しています。
ルパートは「アナザー カントリー」(84)ANOTHER COUNTRY で後に英国中を震撼させたケンブリッジ スパイ
CAMBRIDGE SPY の ガイ バージェスを演じていますが、当時の評判は美男子同士のゲイロマンスでした。共演のコリン ファース COLIN FIRTH と世にも美しい男子生徒の姿を見せてくれます。
オフ スクリーンでもルパートはコリンに首ったけになり、何度も誘惑したそうですがコリンは拒絶しっぱなしだったそう。
その後二人は仲の良い友人の間柄になってかなりの映画に一緒に出ているのは何とも微笑ましいことです。
80年代後半から2000年ぐらいまでルパートはハリウッド映画の洒脱な2枚目として大活躍、共演したスター女優たち、マドンナ MADONNA 、ジュリア ロバーツ JULIA ROBERTS たちとは大親友の仲になって頻繁にデイナー パーテイーなどが開催され、彼の辛辣なユーモアや英国人ならではの露悪的な表現などが大いに受けたそう。
彼がロスに住んでいた時、ちょっとした夕食会を催して、仲良しのマドンナたちを呼び、まず愛犬がテーブルの下でマドンナの足とセックスしっぱなし、気がついたらオーヴンの中のごちそうが焦げ付いただけでなく、台所が火事になりかけた、という「史上最悪の食事」の話をおもしろ、おかしく話してくれましたっけ。
ゲイだったために罪人として扱われたアイルランド出身のオスカー ワイルド OSCAR WILDE を信奉して、彼の原作の映画に数本出ていますし、2018年には念願だったワイルド自身を演じたばかりでなく、脚本、監督も努めた「ハッピー プリンス」HAPPY PRINCE を完成。
もう一つの願望は「ゲイの007ジェイムス ボンド」を演じることでしたが、結局実現せず、もう歳を取りすぎてしまいました。もっともイアン マッケレンがシャーロック ホームズ SHERLOCK HOLMES の最後の数年を演じた「 ミスター ホームズ」MR. HOLMES のような映画の可能性もありますが。
1959年5月29日 英国のバーナム デイープデイル
BURNHAM DEEPDALE ニにルーパート ジェイムス へクター エヴェレット RUPERT JAMES HECTOR EVERETT
Vとして生まれ、父親は陸軍の士官、祖父は海軍の中将にしてサーの位を授けられ、母方の祖父はドイツの男爵だったという、格式のある、しかし何とも規律が厳しそうな家庭に育ち、7歳の時に全寮制の学校に送られ、その後はベネディクト派の神父の学校と典型的なアッパークラスの教育を受けましたが、こういう教育環境では頻繁にゲイの頭角が現れることでも知られています。
俳優を目指してロンドンの演劇学校へ。
当時はお小遣い稼ぎに「ジゴロ」GIGOLLO をしてと白状していたので初めて会った時のインタヴューで、その事実を確かめると
さらりと「そうですよ。良い経験でした」と答えてくれました。
若い時は彫りの深い顔立ちに陰影を含んだ表情がとびきり古風にしてデカダンで「絵」になる俳優でしたが、今年の5月29日に61歳、年老いたオスカー ワイルドを演じた」ハッピー プリンス」ではさながら「ベニスに死す」で美少年を眺める老人を演じたダーク ボガードを思い出させる存在を見せてます。
一時はロンドンの家を出て郊外にある高齢の母親の家に移って母の世話をするという親孝行な面が報道されてました。
ワタクシの周りにもゲイの人が大勢いますが普通の人より遥かに鬱の状態になりがちです。陽気な時はバカ陽気になって、ブルーになるともう暗い青色の底に沈んでいるようで
そのアップダウンの繰り返し。
もちろん一般論で、個人差はあるでしょうがその分 アートや哲学を極める才能に恵まれているとも思っています。
それにしてもレイモンド バーのシークレットには改めて驚くばかり。彼の一生をちらりと読みましたが趣味の多さと広さ、人々を助ける寛大で寛容な心、そういう優しさが、男性的な俳優のイメージを維持する水面下での計り知れないほどの苦悩からのエスケープだったのかもしれません。
ルパートとのツーショットももっとあるのですが今は見つかりません。いつか出現した時に。
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