BEYONCE


ビヨンドとバウンスが混ざって,遠くに飛んで行くようなニュアンスの名前のビヨンセですが,これが本名なのです。
1981年9月4日にテキサス州ヒューストンに生まれ、ビヨンセ ジゼル ノウルスと言うエキゾテイックな名前を付けられました。ビヨンセは母上の苗字だったとか。妹もソランジと言う異国情緒豊かな名前です。

7歳のときから教会の聖歌隊で歌い,父親の経営するダンスグループで踊って,母親の美容院で,髪と衣装を提供してもらい、ここで近所の4人の娘のグループが結成,後に「デイステイニーズ チャイルド」となります。

96年,ビヨンセが15歳の時,「キリング タイム」と言うシングルをコロンビア レコードから出し,ここからグループの人気がスピードアップ。

女の子の集まりの常として(男の子もそうですが)メンバーが抜けたり,辞めたりとチェンジがあって,アメリカですからマネージメントを任されていた父親が訴えられたり,色々ごたごたして,2001年には「インデペンダント ウーマン」と言う歌で11週間もトップと言う快挙をとげます。


さてビヨンセに初めて会ったのは「オーステイン パワーズイン ゴールドメンバー」(02)にフォクシー クレオパトラと言う役で映画デビューした時。21歳のビヨンセは,華やかで,若くて,むんむんとエネルギーに溢れてました。
スポットライトが栄養のように,注目されるとぐんぐん成長するスター パワーが充満してましたね。

次は「ザ ファイテイング テンプテーシヨンズ」(03)と言う黒人ドラマでシングル マザー役を健気に演じた時。
相手役のキューバ グーデイング ジュニアが彼女の才能に目を見張っていました。
「ドリームガールズ」(06)ではモデルになった「シュープリームズ」のダイアナ ロスを彷佛をさせるデイーナと言うグループのリーダー役を大熱演。この時の会見では,ぐんと貫禄も出て,一段とグラマラスになり,独特のソフトな,赤ん坊のような話し声が大柄な顔と体に似合わなかったのが印象に残っています。

「キャデラック レコード」(08)と言う映画の時にも会いましたが,往年の歌手のエッタ ジェイムスの役を演じているうちに,エッタのスピリットが乗り移ったようだったと不思議な現象について,一生懸命話してました。

スター歌手たちは,スター俳優と違って,取り巻きが多く,全ての世話をされるので,妙に子供のままでいるのです。世間知らずで,ひ弱で,ハンカチさえも持たずに,現れます。お付きがお好みのドリンクにしっかりストローを付けて、テイシューからのど飴迄届けてくれますし,巡業の時の注文リストと来たら,ホテルは最上階のフロア全て,ベッドのシーツはエジプト綿何パーセント(柔らかくて吸収が良い),水は全てエビアン,白い花を全部屋に,等と言うレベルから
トイレのトップ迄持参等と言うばい菌パラノイア迄いるのです。
それに歌手は一人きり,やり直し無しのパーフォーマンスですから、その集中力とストレスは俳優とは比較出来ません。
もちろん,舞台で一人芝居をする俳優も居ますが,スケールが違いますから。

さてつい最近ロンドンで公演中のビヨンセに会う機会がありましたが,デイーヴァの習慣に乗っ取って,現れたのは2時間後,その間,彼女の香水等が配られて,いらつく記者団の気をちとそらせたり。
映画は「エピック」で森の葉っぱの兵隊たちが森を枯らすカビ菌のワルと戦うと言うアニメで,ビヨンセは森の女王の声と主題歌を担当。殆どが真っ白な顔の登場人物の中で,ビヨンセをモデルにしているためダークな肌の女王がユニークな存在でした。

その夜ロンドンの郊外にあるO2と言う会場での彼女のコンサートに招待されましたが,若い女の子の嬌声と歓声の洪水とパーカシヨンの響きに,終わった後しばらく耳が聞こえなくなったり。
2013 「エピック」
ビヨンセの大木のような太腿がうねり,うごめくのを見ているうちに,2匹のアナコンダに見えて来た現象も付け加えておきましょう。
2003 「ファイテイング テンプテイシヨンズ」

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