JOHN CORBETT
JOHN CORBETT
ジョン コーベットはスクリーンの上で「ドリーム ボーイフレンド」とレッテルを貼られたように、女性の理想の恋人で、ブロンドで背が高くて、どんな時にも優しい男性を演じてきましたが、実際のジョンも全く同じように、あくまでも丁寧で、柔らかい人となりの持ち主です。
最初に注目されたのはテレビシリーズ「ノーザーン エキスポージャー」(90−95)でアラスカを舞台にしたドラマで自由奔放なボヘミアンのラジオのデイスクジョッキーを演じた時でした。
次は「セックス アンド シテイー」(98−04)での主役のサラ ジェシカ パーカーのちょっぴり田舎っぽいけれども彼女の願いを色々と聞き入れ、それが少しずつずれていて、いつもどこかでうまくいかないエイダンという恋人役でグンと人気が出たのです。
特にサラの本命の「ミスター ビッグ」(ジョン ノス)が洗練されたマンハッタンの事業家にして大変なプレイボーイというわけで、彼女の思う通りに動かないタイプだったために、朴訥で単純なエイダンとのコントラストが絶妙だったのでした。
予期せぬ大ヒットとなった「マイ ビッグ ファット グリーク ウエデイング」(02)でギリシャ系の婚期を損ねた女性が偶然見つけた晴れがましい結婚相手の役を演じて、ジョンの誰とでも合う性格の良さが再びもてはやされます。
それから14年、今度は夫婦になった二人の娘が大学を選ぶ時期になり、子どもの巣立ちを大学を選ぶ時期になり、子どもの巣立ちを寂しがる親、孫のボーイフレンドは必ずギリシャ系でないとダメなどとうるさい祖父母たち、を描いた第2弾「マイ ビッグ ファット グリーク ウエデイング 2」(16)が公開。
55歳とは思えない若々しい姿を現したジョンは、
「テレビや映画の仕事がこないからと焦ったりせず、悠々自適に構えている。僕はカントリー歌手でもあるから、作曲や練習、ツアーの計画、マネージメントなどすごく忙しい。
ほとんど全部僕がやりくりするから、創作の楽しさと現実的な金銭の管理などで、現在の景気とか、大都会ではないところに住む人々の生活の苦しさなどをしっかりつかんでいる。
ハリウッドで、ただただ次の役を待って、体を鍛えているだけでは実世界の感覚が失われると思うね」
と誇らしげに話していた。長い手足とおっとりとしたルックスがカントリー歌手にぴったりではありませんか。
1961年5月9日にウエスト ヴァージニア州のウイーリングに生まれたジョンはウエイトレスの母親に育てられました。大変な貧乏を味わったそうで、当時の楽しみはカントリー音楽を聴いて、シングルマザーが買ってくれた古いギターをつま弾くことだったと言います。将来はミュージシャンだとか俳優などとは夢にも思わず、ただただ毎日が無事にすぎていくのを願っていたほどに、母子の生活は苦しかったそうです。金髪で長身の美少年だったこともあって、近所の不良たちによくいじめられもしたそう。
カリフォルニアに移り、ステイール工場で働くようになって、夜は短大に通い始め、そこで演劇コースの練習を見て、これぞ自分の道!と電気がぱちっと点滅し、俳優の一歩をたどります。舞台で演技の基礎を学び、オーデイシオンに行ってはコマーシャルの仕事などを提供され、89年に初めてテレビの役を得ました。
ブラインドデイトで知り合ったという、あの「テン 10」(79)でのグラマーな肢体とブロンドのドレッドロックと呼ばれる編上げ髮で突然スーパーガールの人気を得た女優のボー デレックと2002年から一緒に生活をしているそう。
ボーは1956年11月20日カリフォルニア州のロングビーチ生まれですから、今年60歳、ジョンより5歳年上ですが、あまりに昔に有名になったためにもっと年上のようなイメージはぬぐえません。
「ロスアンジェルスから北にかなりいった場所にある農場に住み、ボーは馬を駆け巡り、僕は納屋で馬の餌をこねまわしながら曲のメロデイーを考えるといった生活をしている。僕は一人っ子だが、ボーは大家族の出身で、しょっちゅう彼女の兄弟や親戚が来るという賑やかな家なのだよ」
と理想的な生活を送っている様子がなんとも微笑ましいのでした。
ジョン コーベットはスクリーンの上で「ドリーム ボーイフレンド」とレッテルを貼られたように、女性の理想の恋人で、ブロンドで背が高くて、どんな時にも優しい男性を演じてきましたが、実際のジョンも全く同じように、あくまでも丁寧で、柔らかい人となりの持ち主です。
最初に注目されたのはテレビシリーズ「ノーザーン エキスポージャー」(90−95)でアラスカを舞台にしたドラマで自由奔放なボヘミアンのラジオのデイスクジョッキーを演じた時でした。
次は「セックス アンド シテイー」(98−04)での主役のサラ ジェシカ パーカーのちょっぴり田舎っぽいけれども彼女の願いを色々と聞き入れ、それが少しずつずれていて、いつもどこかでうまくいかないエイダンという恋人役でグンと人気が出たのです。
特にサラの本命の「ミスター ビッグ」(ジョン ノス)が洗練されたマンハッタンの事業家にして大変なプレイボーイというわけで、彼女の思う通りに動かないタイプだったために、朴訥で単純なエイダンとのコントラストが絶妙だったのでした。
予期せぬ大ヒットとなった「マイ ビッグ ファット グリーク ウエデイング」(02)でギリシャ系の婚期を損ねた女性が偶然見つけた晴れがましい結婚相手の役を演じて、ジョンの誰とでも合う性格の良さが再びもてはやされます。
それから14年、今度は夫婦になった二人の娘が大学を選ぶ時期になり、子どもの巣立ちを大学を選ぶ時期になり、子どもの巣立ちを寂しがる親、孫のボーイフレンドは必ずギリシャ系でないとダメなどとうるさい祖父母たち、を描いた第2弾「マイ ビッグ ファット グリーク ウエデイング 2」(16)が公開。
55歳とは思えない若々しい姿を現したジョンは、
「テレビや映画の仕事がこないからと焦ったりせず、悠々自適に構えている。僕はカントリー歌手でもあるから、作曲や練習、ツアーの計画、マネージメントなどすごく忙しい。
ほとんど全部僕がやりくりするから、創作の楽しさと現実的な金銭の管理などで、現在の景気とか、大都会ではないところに住む人々の生活の苦しさなどをしっかりつかんでいる。
ハリウッドで、ただただ次の役を待って、体を鍛えているだけでは実世界の感覚が失われると思うね」
と誇らしげに話していた。長い手足とおっとりとしたルックスがカントリー歌手にぴったりではありませんか。
1961年5月9日にウエスト ヴァージニア州のウイーリングに生まれたジョンはウエイトレスの母親に育てられました。大変な貧乏を味わったそうで、当時の楽しみはカントリー音楽を聴いて、シングルマザーが買ってくれた古いギターをつま弾くことだったと言います。将来はミュージシャンだとか俳優などとは夢にも思わず、ただただ毎日が無事にすぎていくのを願っていたほどに、母子の生活は苦しかったそうです。金髪で長身の美少年だったこともあって、近所の不良たちによくいじめられもしたそう。
カリフォルニアに移り、ステイール工場で働くようになって、夜は短大に通い始め、そこで演劇コースの練習を見て、これぞ自分の道!と電気がぱちっと点滅し、俳優の一歩をたどります。舞台で演技の基礎を学び、オーデイシオンに行ってはコマーシャルの仕事などを提供され、89年に初めてテレビの役を得ました。
ブラインドデイトで知り合ったという、あの「テン 10」(79)でのグラマーな肢体とブロンドのドレッドロックと呼ばれる編上げ髮で突然スーパーガールの人気を得た女優のボー デレックと2002年から一緒に生活をしているそう。
ボーは1956年11月20日カリフォルニア州のロングビーチ生まれですから、今年60歳、ジョンより5歳年上ですが、あまりに昔に有名になったためにもっと年上のようなイメージはぬぐえません。
「ロスアンジェルスから北にかなりいった場所にある農場に住み、ボーは馬を駆け巡り、僕は納屋で馬の餌をこねまわしながら曲のメロデイーを考えるといった生活をしている。僕は一人っ子だが、ボーは大家族の出身で、しょっちゅう彼女の兄弟や親戚が来るという賑やかな家なのだよ」
と理想的な生活を送っている様子がなんとも微笑ましいのでした。
90年初期のテレビシリーズ「ノザーン エキスポージャー」 |
2002 最初の「マイ ビッグ ファット グリーク ウエデイング」 |
2016 第2弾の娘の巣立ちが耐えられない両親 |
第1弾の時の新婚夫婦。 |
ボー デレクとジョン。 |
「セックス アンド シテイー」のサラ ジェシカ パーカーと |
ボー デレックと。 |
90年初期「ノーザーン エキスポージャー」の時。 |
2016の第2弾、今度は娘が真ん中にいます。 |
2016 MY BIG FAT GREEK WEDDING 2 |
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