DEBBIE REYNOLDS 1941-2016

DEBBIE   REYNOLDS   1941-2016

娘のキャリー フィッシャーのお葬式の用意をしている時に心臓が止まってしまい、娘の急死の翌日に後を追って亡くなったデビー レイノルズ。12月28日、84歳でした。
なんと言う悲しい連続の死亡ニュースなのでしょう。
ネットの若い人たちはキャリーの名前を知っていても、デビーのことをまず知らないようですし、オールドファンはすでに亡くなっていたと思った、などというコメントを出しています。

デビーには何度も会っていますが、いつも、究極のショウマンシップで、そのエネルギーと同じルーテインを繰り返す芸に対して、全く照れない、プロ意識に感心してしまいます。

単なるインタヴューでも、最初からステージの挨拶のように、皆様、おかげさまでもう30年も踊っているデビー レイノルズでございます! 今日は皆様に長いことコレクションしてましたドレスをご覧にいれようと思って、ほーら!!このとうり、キラキラ光るドレスを着て参りました!
などとプレゼンテーションを続けてしまうのでした。

昔から、隣の家のキュートな女の子、というイメージで売っていたデビーだからこそ、夫のエデイー フィッシャーをエリザベス テイラーに盗られた時は世界中が「かわいそうなデビー」に同情したものです。それまで二人は親友同士だったそうで、リズはそのちょっと前に夫のマイク トッドと飛行機事故で亡くして、半狂乱だったとか、それをデビーとエデイーが慰めているうちに、グラマラスなリズにエデイーが走ってしまったそう。
なんとも懐かしい往年のハリウッドの特大スキャンダルでした。

デビーはにこやかに、愛想よくしているスターのサンプルで、いつもいつもサービス精神にあふれて、それが時たま「そこまでしなくとも」と胸が痛んだものです。
とことん 相手を大事にするあまりに、賭けで財産を無くした夫が亡くなると莫大な借金を背負いこんだり、大好きなハリウッドの映画に使われた衣装を何千着と集めて博物館を企画して、うまくいかずに倒産しそうになったりと、舞台や撮影以外のところでは、とびきり不器用だったのも、いかにもデビーらしい人生でした。

1932年4月1日テキサス州のエルパソ生まれ、ミス バーバンク(ロスアンジェルス市の北にある町)に選ばれて、そのまま映画に移行、厳格な父親は最初な猛反対していたものの、だんだんデビーの才能を認めるようになったそうです。
結婚は3回、最初のハズバンドのエデイー フィッシャーとの間にはキャリーの他に息子のトッド フィッシャーがいます。

ずっと前のブログに書いたように最後に会ったのは、ハリウッドに衣装博物館をオープンようとした2011年でした。
MGMの衣装のオークションから、山のように有名な映画の衣装を買い上げて、加えて自分のコレクションを陳列した前で、いつものとろけるような笑顔を見せて、
「必ずハリウッドに衣装博物館をオープンしますよ!」
と鼻高々だったのでした。
デビーと娘のキャリー フィッシャー。
1996「マザー」アルバート ブルックスと。
1852「雨に唄えば」ジーン ケリーと。
1964「アンシンカブル モリー ブラウン」  お相手はハーヴ プレスネル。


ラスベガスの母親の舞台を見つめている少女の頃のキャリー。





母娘。

1996「マザー」息子役のアルバート ブルックスと。

1990年ごろ、ラスベガスの舞台上演中のインタヴュー。

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