BOSTON #3 PARKS AND AN OLD SHOP
BOSTON #3 PARKS AND AN OLD SHOP
ボストン2日目の朝はまず、和風朝食を試しました。これまでも西洋の高級ホテルに、日本人二日酔いサラリーマン、またはお年寄り用が殆どでしょうが、泊まるたびに、目玉が飛び出るほど高い、(たとえば普通のハムエッグスの3倍から4倍の値段)朝食を好奇心でオーダーします。
今回泊まったのはマンダリン オリエンタル ホテルですから、東洋の食材が豊かではないかと密かに期待したのですが、見事に外れました。
普通は鮭、卵、ご飯、漬物、が基本なのですが、運ばれたお盆にのっているのは、お弁当箱で、その仕切りの一つにはおみおつけのお椀がでんとスペースを占めていて、鮭の代わりに帆立貝、あとは卵とお漬物だけ、という信じられないほどのシンプルなものでした。これで38ドル、サービス料や税金、いろいろ加わって約45ドルとなります。
何度も繰り返しますが、こういうホテルに泊まった時は映画スタジオの招待なので、かなり豪華にお食事ができるのです。もちろんリミットはありますが、そこはそれ、適当にやりくりするのがプロの私達なのです。
おかずは少ないものの、お味は良くて、もっとご飯が欲しかったのですが、諦めて、お散歩へ。
ホテルの前の通りをずっと行くと有名なボストン コモンズという広い公園があります。暑いので噴水や、池に子供達が水着で入って遊んでいました。
金色のドームがある建物は、マサチューセッツ ステート ビルデイングで、州の官庁でしょう。階段のところに第1次大戦の戦没者への弔いの言葉が彫ってあります。
綺麗に維持されている高級ビルの一角に突然現れた、田舎の
キュリオ ショップ(保存の悪い古いポスターや映画グッズ、プラステイックの飾りなどを売る、骨董屋からは程遠いお店)エルヴィスやマイルス デイヴィスのポスターに混じって、エドガー アラン ポーのグッズがあるのは、彼が
ボストンに住んでいたからでしょう。
その埃っぽい「バーテビアン」というお店に入ると、すぐにハンスと店番の老婦人との会話が弾むのでした。
93歳になるパトリシアさんは1950年ごろにカントリー歌手として、妹さんと「ヒッコリー シスターズ」として鳴らしたのだそう。ナッシュビルでも活躍し、ハリウッドにも進出した美人姉妹のデユエットでした。
ハンスが着ていたTシャツがナッシュビルの有名なお店の図柄だったのも手伝って、記憶が驚くほど鮮明なパトリシアさんとの会話が続きます。
他のお客さんそっちのけで当時の思い出を話していますが、ガラスケースを開ける時には、リュウマチの手が思うように動かず、歩くのもヨロヨロで、これからどうなることかと心配になりました。
娘が大好きなアメリカの線描きの画家、エドワード ゴーリーのアラン ポーの挿絵がプリントされた化粧バッグを20ドルで買いました。値札もなく、「これおいくら?」と聞くと、すぐさま「20ドル!」と答えたのですが、そのキャッシュをケースの上に置いたまま、という有様で、チンピラ強盗などに襲われないかと再び気になりましたが、当人は意気揚々としているので、こういう老後の暮らしもあるのだなと思いました。
次に来ることを約束しましたが、果たして彼女がお元気でいるかどうか。
父御がアラン ポーの専門家で、このお店を始めたそう。
こういう発見ができるのは、まさに古都ボストンならでしょう。
ちなみに住所は、BARTEVIAN 160 Boyleston St
Boston MA 02116
メインストリートのその名もマサチューセッツ 大通りにある有名なオーケストラの殿堂、ボストン ポップスの建物や、音楽学校で知られるバークレー カレッジ オブ ミュージック なども近くにあります。
その昔、一度は雑誌の取材で、2度目は高校生の娘と訪れたハーバード大学へも行ってみようと思ったのですが、チャールズ川を渡る橋が、かなり高くて、交通量も多いのですぐにギブアップ。
よく考えたら、スポーツ記者だった時に何度か、ボストン マラソンの取材でボストンに来たのですが、歩き回る余裕などはまず無かったのを思い出しました。
ボストン2日目の朝はまず、和風朝食を試しました。これまでも西洋の高級ホテルに、日本人二日酔いサラリーマン、またはお年寄り用が殆どでしょうが、泊まるたびに、目玉が飛び出るほど高い、(たとえば普通のハムエッグスの3倍から4倍の値段)朝食を好奇心でオーダーします。
今回泊まったのはマンダリン オリエンタル ホテルですから、東洋の食材が豊かではないかと密かに期待したのですが、見事に外れました。
普通は鮭、卵、ご飯、漬物、が基本なのですが、運ばれたお盆にのっているのは、お弁当箱で、その仕切りの一つにはおみおつけのお椀がでんとスペースを占めていて、鮭の代わりに帆立貝、あとは卵とお漬物だけ、という信じられないほどのシンプルなものでした。これで38ドル、サービス料や税金、いろいろ加わって約45ドルとなります。
何度も繰り返しますが、こういうホテルに泊まった時は映画スタジオの招待なので、かなり豪華にお食事ができるのです。もちろんリミットはありますが、そこはそれ、適当にやりくりするのがプロの私達なのです。
おかずは少ないものの、お味は良くて、もっとご飯が欲しかったのですが、諦めて、お散歩へ。
ホテルの前の通りをずっと行くと有名なボストン コモンズという広い公園があります。暑いので噴水や、池に子供達が水着で入って遊んでいました。
金色のドームがある建物は、マサチューセッツ ステート ビルデイングで、州の官庁でしょう。階段のところに第1次大戦の戦没者への弔いの言葉が彫ってあります。
綺麗に維持されている高級ビルの一角に突然現れた、田舎の
キュリオ ショップ(保存の悪い古いポスターや映画グッズ、プラステイックの飾りなどを売る、骨董屋からは程遠いお店)エルヴィスやマイルス デイヴィスのポスターに混じって、エドガー アラン ポーのグッズがあるのは、彼が
ボストンに住んでいたからでしょう。
その埃っぽい「バーテビアン」というお店に入ると、すぐにハンスと店番の老婦人との会話が弾むのでした。
93歳になるパトリシアさんは1950年ごろにカントリー歌手として、妹さんと「ヒッコリー シスターズ」として鳴らしたのだそう。ナッシュビルでも活躍し、ハリウッドにも進出した美人姉妹のデユエットでした。
ハンスが着ていたTシャツがナッシュビルの有名なお店の図柄だったのも手伝って、記憶が驚くほど鮮明なパトリシアさんとの会話が続きます。
他のお客さんそっちのけで当時の思い出を話していますが、ガラスケースを開ける時には、リュウマチの手が思うように動かず、歩くのもヨロヨロで、これからどうなることかと心配になりました。
娘が大好きなアメリカの線描きの画家、エドワード ゴーリーのアラン ポーの挿絵がプリントされた化粧バッグを20ドルで買いました。値札もなく、「これおいくら?」と聞くと、すぐさま「20ドル!」と答えたのですが、そのキャッシュをケースの上に置いたまま、という有様で、チンピラ強盗などに襲われないかと再び気になりましたが、当人は意気揚々としているので、こういう老後の暮らしもあるのだなと思いました。
次に来ることを約束しましたが、果たして彼女がお元気でいるかどうか。
父御がアラン ポーの専門家で、このお店を始めたそう。
こういう発見ができるのは、まさに古都ボストンならでしょう。
ちなみに住所は、BARTEVIAN 160 Boyleston St
Boston MA 02116
メインストリートのその名もマサチューセッツ 大通りにある有名なオーケストラの殿堂、ボストン ポップスの建物や、音楽学校で知られるバークレー カレッジ オブ ミュージック なども近くにあります。
その昔、一度は雑誌の取材で、2度目は高校生の娘と訪れたハーバード大学へも行ってみようと思ったのですが、チャールズ川を渡る橋が、かなり高くて、交通量も多いのですぐにギブアップ。
よく考えたら、スポーツ記者だった時に何度か、ボストン マラソンの取材でボストンに来たのですが、歩き回る余裕などはまず無かったのを思い出しました。
ひっそりとある、バーテビアン という名前のお店。(ネットから) |
パトリシアさん(ネットから) |
ヒッコリー シスターズ。 |
パトリシアさん(ネットから) |
荘厳な古い建物のフロントから、横に回るとモダーンな建物に。 |
ボストン ポップス の建物。 |
マサチューセッツ ステート ビルデイング |
マンダリン オリエンタル ホテルの和風朝食。 |
後ろの階段の一番上に第1次大戦の弔いの言葉が刻まれています。 |
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