DAVID CARUSO
DAVID CARUSO
デイヴィッド カルーソー は不思議な雰囲気を湛えていてなんとなく気になる俳優で好きでした。
「NYPD BLUE」(93−94)で主役の刑事を演じて、燃えるような赤毛とやたらにベッドシーンがあって、ハリのあるお尻を見せるので人気がどんどん上昇、独特の意識過剰な表情や動作も目立って、それなりのユニークな魅力でした。
画面に出てくるといやでも彼に見とれてしまう、それこそスターの基本的パワーで、瞬く間に全米中の人気者になったのですが、突然役を降りてしまったのです。
テレビから脱出したい、もっと自由に仕事をしたい、などとカッコ良いことを言ってましたが、業界では、身分不相応なギャラを要求、などと批判されて、しばらくの間、大きなスキャンダルのターゲットに立たされていました。
今から24年前の94年に彼に会ったのですが、意識過剰で、もったいぶって、シニカルにして複雑なスターで、そのとっつきにくさが妙な魅力になって、愛嬌を振りまくスターを見下ろしているスタンスを見せてたのが記憶に残っています。
ニコラス ケイジと共演した「死の接吻」KISS OF DEATH(95)のリメーク(47年のオリジナルはリチャード ウイドマーク、ヴィクター マチュア共演)は大いに騒がれてオープンしたものの、ほとんど無視されて、さらに数本映画をトライした後、2002年、再びテレビシリーズの「CSI:MIAMI」に刑事役で主演、マイアミが舞台ですから、サングラスをかけっぱなして、これをちょっと持ち上げて「あ、何か?」ってな顔をして会話をする「カルーソーの癖」に人気が出たりもしました。
人と違うことをして目立ちたがる、というのか、かなりのへそ曲がりなのでしょう。
このシリーズはそれなりに固定ファンがついて、10年間も続きました。
今の所、このドラマが彼の最後の出演作となってます。
1956年1月7日、ニューヨーク州のフォレストヒルズ ガーデンに、雑誌の編集者の父後と図書士の母御の間に生まれています。かなりのインテリの家庭に育ったのが伺えます。
映画館の案内係をして、1週間に80本もの映画を見ては、同僚と合間に印象に残った映画の場面を真似してみたりしたそう。ハンフリー ボガードやジェイムス キャグニー、エドワード G ロビンソンが彼の理想像となるほど渋くて、深みのある名俳優たちを挙げています。
結婚歴は3回、2度目の奥方は女優のレイチェル テイコテイン(1984−87)で、母親は違いますが子供は3人。
「NYPD BLUE」のプロデユーサーが、デイヴィッドがいかに自分の評価を上回る要求をしたかと、とあるインタヴューで話していましたが、そういう頑固な自己を貫く姿勢もある意味では必要かもしれません。少なくとも彼の場合は、その度に中傷され、クビになったり、おちょくられたりして、それを乗り越えてスターの座を持ちこたえたのですから。
デイヴィッド カルーソー は不思議な雰囲気を湛えていてなんとなく気になる俳優で好きでした。
「NYPD BLUE」(93−94)で主役の刑事を演じて、燃えるような赤毛とやたらにベッドシーンがあって、ハリのあるお尻を見せるので人気がどんどん上昇、独特の意識過剰な表情や動作も目立って、それなりのユニークな魅力でした。
画面に出てくるといやでも彼に見とれてしまう、それこそスターの基本的パワーで、瞬く間に全米中の人気者になったのですが、突然役を降りてしまったのです。
テレビから脱出したい、もっと自由に仕事をしたい、などとカッコ良いことを言ってましたが、業界では、身分不相応なギャラを要求、などと批判されて、しばらくの間、大きなスキャンダルのターゲットに立たされていました。
今から24年前の94年に彼に会ったのですが、意識過剰で、もったいぶって、シニカルにして複雑なスターで、そのとっつきにくさが妙な魅力になって、愛嬌を振りまくスターを見下ろしているスタンスを見せてたのが記憶に残っています。
1994 NYPD BLUE |
1995 ゴールデン グローブ授賞式で。 |
独特の表情。 |
ネットで見つけた写真。東京のようですが、叶姉妹なのかしら? |
1994 NYPD BLUE 共演の DENNIS FRANTZ と。 |
ニコラス ケイジと共演した「死の接吻」KISS OF DEATH(95)のリメーク(47年のオリジナルはリチャード ウイドマーク、ヴィクター マチュア共演)は大いに騒がれてオープンしたものの、ほとんど無視されて、さらに数本映画をトライした後、2002年、再びテレビシリーズの「CSI:MIAMI」に刑事役で主演、マイアミが舞台ですから、サングラスをかけっぱなして、これをちょっと持ち上げて「あ、何か?」ってな顔をして会話をする「カルーソーの癖」に人気が出たりもしました。
人と違うことをして目立ちたがる、というのか、かなりのへそ曲がりなのでしょう。
このシリーズはそれなりに固定ファンがついて、10年間も続きました。
今の所、このドラマが彼の最後の出演作となってます。
1956年1月7日、ニューヨーク州のフォレストヒルズ ガーデンに、雑誌の編集者の父後と図書士の母御の間に生まれています。かなりのインテリの家庭に育ったのが伺えます。
映画館の案内係をして、1週間に80本もの映画を見ては、同僚と合間に印象に残った映画の場面を真似してみたりしたそう。ハンフリー ボガードやジェイムス キャグニー、エドワード G ロビンソンが彼の理想像となるほど渋くて、深みのある名俳優たちを挙げています。
結婚歴は3回、2度目の奥方は女優のレイチェル テイコテイン(1984−87)で、母親は違いますが子供は3人。
「NYPD BLUE」のプロデユーサーが、デイヴィッドがいかに自分の評価を上回る要求をしたかと、とあるインタヴューで話していましたが、そういう頑固な自己を貫く姿勢もある意味では必要かもしれません。少なくとも彼の場合は、その度に中傷され、クビになったり、おちょくられたりして、それを乗り越えてスターの座を持ちこたえたのですから。
最近のデイヴィッド。 |
人気絶頂の頃。 |
若いデイヴィッド と レイチェル テイコテイン。 |
95「死の接吻」ニコラス ケイジ と。 |
1947年の「死の接吻」 |
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