BRIAN MAY 2022
フレデイー と ブライアン |
最初の奥方 クリッシーと子どもたちと。 |
2番めの奥方のアニタと。 |
現在のブライアンとアニタ。 |
有名な「レッド スペシャル」ギター |
ブライアンとアニタ。 |
大好きな物理学研究の現場。 |
最初の奥方、クリッシーと若いブライアン。 |
ブライアン と ロジャー テイラー |
「ボヘミアン ラプソディー」の超絶的な人気について、フロントマンだったフレデイー マーキュリーについて、世界で初めて盛大な歓迎を受けた日本について、フレデイーを激演したラミ マレックについて、などなどを「クイーン」のオリジナル メンバーのブライアン メイとロジャー テイラーに聞く機会を得た。
1月5日 場所はビバリーヒルズにあるベニンシュラ ホテル。ロスアンジェルスにしては珍しい大雨の日だった。
メイはトレードマークの楽聖バッハのような今だに豊かなカーリーヘヤーに、黒いジャケット、これを赤いマフラーでキメて現れ、テイラーはきちんとしたダークスーツをスタイリッシュに着こなして登場。
ふたりともベテランの域を超え、風雪を経たスターの何にも動じない余裕綽々の姿勢を保ちながら、英国紳士ならではのウイットとジョークを交えて、伸びやかな会話を展開。
歴史的な瞬間を覗き見しているような、スリリングな内容でもあった。この貴重な体験のおすそ分けとしてこの二人の柔らかな友情と固い結びつきが私の貧相な文から少しでも感じられたら、僥倖です。
ーフレデイーのことが色々書かれて来ましたが、とっておきの秘密などありませんか?
RT (テイラー)「まず、僕らはフレデイーのことを深く愛していたし、彼は僕らの壁紙の一部だった(生活の一部という英語圏の表現)すごくシャイなところがあってプライベートではとことん内省的で、公共の場での彼は信じられないほど正反対で大胆だった。ユニークで特別な人間だったと確信を持って言えるね。彼を知ることが出来て本当に良かった」
BM (メイ)「今までフレデイーをちょっとばかり知っていた人々も映画を見てかなり違う面を見ることが出来たと思う。あの、偉大で、自信に満ちた、巨人を思い出すだろうが、同時に気が弱くて、うろたえがちな小人のようなフレデイーにも僕らは接していた。
それから多くの人が知らないフレデイーの秘密はね、彼は切手のコレクションに情熱を注いでいたのだよ!」
ー俳優が自分たちを演じているのを見てのショックなり、当座の反応はいかがでしたか。
RT 「まず、服装が駄目だった。あんなひどい服は死んでも着ないよ!いやいや、これは冗談。何から何までデイテイールのこだわりが凄かった。俳優たちが気持ち悪いほど似ていてブライアンの息子なんて父親がすべての声をダブしていると信じて疑わなかったほどなのだから!それほどに似ていて気持ちよくなるほど身近に接近していたね」
BM 「まさしく!グウイリムは身震いするほどそっくりだった!」
RT 「なんだかすごく変な気分に襲われたよね」
BM 「最初僕らはかなり心配してい、ああでもない、こうでもない、観客が僕らの真似をしている俳優を見てどう思うだろうか、僕らだと信じてもらえるだろうか、ともあれ、バカでウスノロ野郎みたいに見えないと良いのだがとかね」
RT 「でも僕らもそういう時もあったけれどね(笑い)」
BM 「僕らの生きてきた旅を見せるわけだけれど、ある時の様子は見られたもんじゃなかったからね。しかし俳優たちに会った瞬間から彼らの本気さ、情熱、膨大なエネルギーと努力を注いで、すでに準備してきたのが伝わってきた。僕たちの胸の中に彼らに対する信用と自信が湧き出てきて、特にグウィリムは瞬くうちに僕の弟分のような存在になって、人間としての僕の心の中を捉えて役作りをしてもらえると確信できた。俳優連中にとっても演じる対象が目の前にいるという状況は非常に珍しいと思うが、彼らは怖じけずによくやってくれた。僕はグイリムにギターの秘密のテクニックなどを伝授したのだが、そうこうしている間にも彼は僕の声、体の動き、アクセントなどすべてを身に着けるという技を見せ、僕はノックアウトされてしまったね。
そしてもちろんラミだ。ラミはフレデイーに会う機会がなかったからありとあらゆるヴィデオやら資料を漁って、どっぷりとフレデイーに漬かって、仰天のレベルまで達したね。もうフレデイーになりきってしまったのだから。
あれはもう演技を超えていた。朝起きて、おはよう、僕はこれからフレデイーになりますよ,なんて鏡に向かって言うのじゃなく、もうフレデイーがラミの中に入り込んでいるということをラミ自身が信じ込んでいるようだった。多くの演技を見てきたが今回はただただ呆然として見つめ続けてしまったね」
RT 「中でもズームショットでラミの成し遂げた不可能なほどのなりきりぶりを見た時は感動して涙が出てきた」
BM 「本当に美しいポートレートだった。僕も何度か声を上げてしまった。そのひとつはフレデイーが勇気を奮ってソロのキャリアを始めたいと言う時。あの、言いたくないけれど、言わなきゃならない義務があるという急いで話す表情と話し方!背筋が寒くなってしまったものね。確かにフレデイーが現れたと思ったもの!」
ー映画の中ではライブエイド コンサートの直前にフレデイーがエイズに罹ってしまったと告白しますが実際の時期は違うと聞いています。一体いつ聞かされて、その時の反応を話していただけますか。
BM 「そうだね。違うときでした。もちろんボクらが脚本を書いたわけではないけれど、承認したのは僕らですから。20年間分のストーリーを2時間の枠内に押し込むには多少の事実を変えなければならなかったし、ドラマの効果も図らねばならなかったしね。例えばフレデイーのひげも違う時に生やしていたし(笑い)
しかし長いこと僕らは怪しんでいた。決して口に出しては言わなかったけれど。実際にずーっと観察していたのですよ。最初からフレデイーがおかしいことに気がついていた。放射線セラピーにかかったりして、一体どこが悪いのかと気にかけていたがやっと彼から症状を聞いたのはずっとずっとあとだった」
RT 「それにエイズと言う病気の症状についても全く知られてなかった時だし。僕らはずっとフレデイーが変だと気がついていたが、実際に彼から聞かされたのはずっと後で、彼の寝室で集合した時だった。映画とは違う時期だったものの状況のエッセンスは同じようなものだった」
BM 「その時の状況はほとんど映画の中と同じで、こういう病気にかかったが騒がないで欲しい。誰にも言わないでくれとね。ただただ仕事に集中したいからいつもと同じようにノーマルに音楽を創っていきたいと静かに話していた。一度たりとも文句を言ったり、死ぬことへの不安を漏らしたりしなかったが、実際はとてつもない痛みに耐えていたのだよ。
ライブエイド(85年)の6年後に彼が亡くなったのだが、しかしこの期間は最も激しく曲作りに励んだベストの時でもあった。団結して家族のようなつながりが生まれてフレデイーをかばいながら僕らはハードワークに勤しんだのだよ。フレデイーにとって、僕らが一緒にいることがすごく大事でもあった」
結局告白がいつだったかは語ってくれなかった。
ーフレデイーがゲイだったとは知らなかった、とブライアンがどこかで話していましたが。
BM 「えー?彼、ゲイだったの!(笑い)しかし本当に長いこと知らなかったのだよ!」
RT 「だって彼には大勢のガールフレンドがいたし、中にはすごい美人もいて、取り合いで喧嘩をしたものだった(笑い)」
BM 「ホントに。金が無い時代にはツアーでフレデイーと部屋を一緒にしたから誰が部屋に来たかしっかり見ているしね。きれいな女性が多かったのは事実。おかしいよね。フレデイーとロジャーはケンジントン マーケットに部屋を持っていて、ほとんど入り浸りだったのだがあの頃のケンジントン マーケットはおしゃれで誰もが孔雀のようで、アンドロジニアス的(両性具有)で、とびきり派手で、フレデイーはその雰囲気にどっぷり浸っていたからね。それでも僕らは彼がゲイなんて全く思わなかった。彼は猛烈に悩んでいた。かなり長いことかかってやっと彼は自分自身ののゲイ嗜好を受け入れることが出来たのだよ」
ーどこかで読んだのですがブライアンはテレサ メイ首相の遠い親戚とか?
BM 「ハハハ!血がつながってないと願いたいものだが。僕らの親族の集まりに顔を出して欲しくないなあ(笑い)」
ー日本の思い出について。どうして「クイーン」があれほど日本で人気が出たのかについて。
RT 「素晴らしい思い出ばかりで、話すのがもったいないぐらい!東京のクラブに行ってフレデイーが大勢の女の子を連れて帰ったこととかね。食べ物も美味しかった!」
BM 「日本の人たちとは最初から特別な感情的なつながりがあったね。どうしてかは分からないけれど。僕らが飛行機から降りた瞬間から、その「関係」が生まれたのだよ。まるで僕らは「ビートルズ」のように迎えられて感激したね。他の国では全く無視されていたのに、だ。
僕は日本の友達を思って「手を取り合って」(テオ トリ アッテ、とイタリー語のように発音していた)を作曲したのだよ。僕らの曲のドラマテイックな要素が日本人の劇場に対する愛情なり感性に合うのかもしれない」
RT 「あの時のバンドはどこもジーンズにリーバイスという格好だったが僕らは特にビジュアルに凝って黒と白のコントラストのステージ衣装などを着ていたのも受けたのじゃないかな」
ーフレデイー後の「クイーン」について。
RT「フレデイーが亡くなった時ブライアンと僕は極めて落ち込んだ、というより壊滅的な状態で、数年間何もしなかった。徐々に残した曲を拾い集めてアルバムを創っているうちに気分が良くなり、ポール ロドリゲスが見つかり、次にアダム ランバートがやって来た。そしてツアーの企画が出てきて、新しいプレゼンテーションが始まったのだよ」
BM 「前と違ったようでもあり、同じようでもあるという不思議な感じでバンドが始まった。「クイーン」を止めようと最初は考えたのだが、ファンのためにも続けようと言う励みが蘇ってきた。あれほど努力して作り上げた「クイーン」をこのまま捨てるには忍びないとね。
アダム ランバートは「神からの贈り物」だった。彼はフレデイーの物真似ではなく、曲をしっかりと理解して聴衆と一緒になって歌うというパワーを身に着けている。僕らのツアーは前と変わらずトップレベル出し、この夏のツアーは今まで以上の盛大なプロダクションで決行するから、楽しみだ」
ー新しいファンに対して。
BM「ドラキュラと同様、僕らも若くて新鮮な生き血が必要でね(笑い)ロックバンドにとっては若さとエネルギーが命だろう。現代の若者にもアピールしているなんて、最高の励みになるが僕らのバンドは年寄りにも若者にも同様に受けているのが強みじゃないかな。映画のヒットの影響も大きいし、アダムという若い血が人気を再燃していると思う。
何よりも映画から「クイーン」のメンバーとフレデイーとの深い愛情が若い世代に伝わってくれたようで今まで距離をおいていたゲイの息子を初めて抱擁したと言ったメッセージが飛び込んでくる。
これこそ映画のまたとない相乗効果だと誇りを持っているのですよ」
ちなみに「ボヘミアン ラプソディー」の歌詞の意味は永遠に説明しないとも言っていた。
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